戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年03月29日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
増税も間近。

先日のNHKでは増税前に前倒しで記念撮影を行ったりだとかの
色んな例を紹介してましたが、うちの母親は「増税前に!」を合言葉に、
今月頭に生まれて初めての大腸カメラ検査にチャレンジして
ついでにポリープまで取ってきましたよ
皆様も買いだめはお済みでしょうか。

かくいうわたくしも、先ほどネットで3件ばかりお買い物を済ませました。
配送が4月1日を過ぎる商品については改定後の税率が適用されるらしいので、
ショップの方が頑張ってくれるのを祈るばかりです。


今週は体調が悪かったので断念しました。
ので、ブログも通常営業です。



前回は長屋王が登場するところまで書きましたが、
とんとんと書くつもりだったのがゆんべは思考の迷路に迷い込み、
先へ進むことができませんでした。

が、別に正解を追うつもりもないし、そもそも手持ちの材料が少ないくせに
シロートが簡単に仮説を立てられるくらいなら研究者だって苦労しません
とゆー事で、ひとまず現時点で書けることだけを書きます。

去年あたりのシリーズからはわたくしの稚拙な推測も臆面なく書いてますが、
決して自分が正しいと思ってる訳じゃありません。
とくに、興福寺や東大寺は一般にもメジャーだし、

自由な発想を展開していってくれればいいってぐらいに思ってます。

ただ、ツッコミどころは多くても記事に直接反論のコメントをいただいても
私もちょっと困っちゃうし、それに反論するつもりもないので、
ご自身の見解はご自身のツールで展開していただけると助かります(←軟弱者)。

まあ、そうは言ってもこのブログの読者様はオトナな方が多いようで、

抗議のコメントなどを寄せられた経験もないので、いつも感謝しております。
毎度ありがとうございます
それでは、前回の続き。



長屋王についてもうちょっと説明しておこうかな。


長屋王系図-3



当時は近親婚が当たり前でまともに書くとかなり入り組んでるし、
長幼の順は無視した系図なのでご了承ください。
数字は即位した順番、ピンクは女性です。

つまり長屋王は天武天皇の孫であり、天智天皇の外孫でもある。
藤原氏の血をひいてないだけで、血統としてはかなりいい。

天武天皇の孫なので、本来であれば「王」が正しいんだけど、
昭和61年から行われた発掘調査で平常宮の東南角に隣接する場所で
大量の木簡が発見され、長屋王の邸宅跡と判明した。

木簡には「長屋親王」と記載されており、生前から長屋王が「親王」と
称されていたことがわかった。
また、本来は三世王である長屋王の子たちが二世王の待遇を受けていることから、
長屋王も「親王」の特別待遇を受けていた可能性があるという。


霊亀3年(717)に先の左大臣が死去すると、長屋王はその翌年大納言になり、
朝廷では藤原不比等に次ぐ立場となる。
非藤原系の皇族の中では代表格といったところかな。

ただ、図にあるように長屋王は不比等の娘を娶っており、
不比等の存命中は藤原氏との関係は悪くなかったと見る向きもあるらしい。
が、不比等が死去すると、長屋王の存在感も当然アップした。
その後も順調に昇進を重ね、元正天皇も妹である吉備内親王を嫁に持つ長屋王に
信頼を寄せていたといわれる。

ウィキペディアによると、養老3年(719)には新羅からの使者を自邸に迎えて
盛大な宴会などが催されたそうで、かなりの権勢を持っていたことがうかがわれる。

発掘調査で出土した木簡からは、長屋王が自邸に氷室を所有しており、
夏にそれを食べていたことが判明したそうな。
冷凍庫のない時代、夏にかき氷を食べられるなんて
セレブ中のセレブにしか許されない贅沢だと思うけど、
奈良文化財研究所による長屋王の推定年収は約4億だそうな。


神亀元年(724)に聖武天皇が即位すると、聖武は自分の母である藤原宮子を
「大夫人」(だいぶにん)と称する勅令を発した。
しかし、長屋王をはじめとする議政官から律令には「大夫人」なんて称号は存在しないこと、
ゆえにそれを使い続けるなら法令違反になるというツッコミを入れられ、
翌月には先の勅令を撤回するという事態になる(辛巳事件)。

このあたりから、藤原四兄弟との関係が怪しくなってきたと言われる。
そして、前回の最後に書いた光明子の立后問題が起こる。
四兄弟からすれば、目の上のたんこぶもいいとこだったろう。

しかも、たんこぶ・長屋王は皇族の中でも嫡流に近い存在。
系図には聖武の息子である基皇子と安積親王は省いてますが、
基皇子は1歳を待たずして亡くなったし、安積親王は生まれたばかり。

聖武天皇も生来病弱だったといわれ、
もし聖武と安積親王になにかあれば持統女帝の血を引く直系の男子は途絶え、
持統女帝の孫・吉備内親王と長屋王との間に生まれた4人の王の存在が高まる。

天武の孫にあたる男子は他にもいたけど、この時点では長屋王の地位とは
比較にならなかったし、血統の点からいえば吉備内親王を嫁にしていたことは
かなりポイント高い。

長屋王とはそういう存在の人だった。



●神亀6年/天平元年(729)
2月、「長屋王の変」が起こる。

これは長屋王が謀反を企んでいるという密告を受けて、
四兄弟の3男・宇合(うまかい)らの率いる軍に屋敷が包囲され、
長屋王、吉備内親王、そして2人の間に生まれた男子が自害したというもの。
ウィキペディアには

【「獄令」決大辟条には、皇親及び貴族には死罪の代替として自尽が認められる
  (ただし、悪逆以上の大罪にはこれを認めない)という規定がある。従って、
  長屋王の自殺が自らの決断したものなのか、死罪の代替として宇合らに
  強要されたものなのかは不明である。】

と注釈があるものの、自分で命を絶ったにせよ、それが屋敷を軍勢に包囲された中での
ことであれば、大抵の人は「殺された」と表現するだろう。

ウィキペディアには【讒言であったとする説が強い】とあり、
実際これが一般の見方。
おそらく、謀反を企てたという有力な記述が見当たらないのだろう。
それどころか、正史である『続日本記』に長屋王は無実だったという記載がある。


 【738年(天平10)の秋、宮廷の下級官大伴子虫が宮処東人と碁を囲んでいた。
  その時、たまたま話が9年前の長屋王の事件に及び、子虫は突然怒って抜刀し
  東人を斬り殺した。子虫はかつて長屋王の恩雇を受けた者であり、東人は
  長屋王を「誣告」した者である--このように記されているのだ。】
  (『逆説の日本史2』より)


父とともに殺された長屋王の子たちは生年がわかっていないが、
井沢氏によるといずれも少年か幼児といった年齢だったらしい。

こうした事件を経て、同年8月、光明子が立后する。
長屋王親子の死によって得をした藤原氏を世間が疑うのは当然のことで、
長屋王の変は藤原四兄弟による陰謀だというのが今日での定説。



そしてこの年は、東大寺法華堂(金鍾山房羂索院)の
八角二重基壇の用材が伐採された年でもある。
はい、前々回『アシュラブック』から紹介した、
金ピカの不空羂索観音像が乗っている基壇のことですよ。

東大寺法華堂修理の際、二重基壇の下段に7体の像があったことが判明した他、
基壇に使われていたヒノキの年輪年代測定から、
基壇のヒノキの伐採年がこの729年だったことがわかったそうなのだ。

年輪年代調査は他の部材でも行われた。
それによると、須弥壇上にある斗栱は731年、
後ろにある肘木は730年か731年だったことが判明。


これまで、東大寺の初期の寺である金鍾山房は基皇子の菩提を弔うために
神亀5年(728)に創建されたものといわれ、ウィキペディアだと
現在もこの説が強いような書かれ方をされている。
(ただし、ウィキの修正がされてないだけかもしれない)

この金鍾山房の創建話は、『続日本記』に書かれているもの。

一方、東大寺では天平5年(733)に良弁によって建立されたものと伝える。
これは不空羂索観音像の製作が740年代だと見られていたこともあり、
また恐らくは寺伝『東大寺要録』の編纂が室町時代ということもあって、
あまり見向きもされなかったらしいが、『アシュラブック』では

 【伐採年が判明したことは、『東大寺要録』が記す”羂索院”すなわち法華堂の
  創建年、天平5(733)に近く、法華堂の創建と本尊不空羂索観音像の
  造立が733年である可能性が高まったのです。】

とする。
科学の力ってすごいね。

仮に伐採年代が判明しなかったところで、いわゆる「正史」なんてものを
額面通りに受け取るのはどうかという気がする。
しかも、古代の王朝では結構エグいことが繰り返されていた。

『続日本記』が完成したのは、延暦16年(797)。
733年からはだいぶ経ってるけど、井沢氏は【編纂の対象となった原史料は、
奈良時代に作られていたはずである】とし、その可能性は十分にあると思う。

であれば、渦中の人である光明子が関わった金鍾山房の成立についても
何らかの操作が加えられている可能性はゼロではないと言えるんじゃないか。


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最終更新日  2014年03月29日 23時52分21秒


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