戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年03月31日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
やべえ、もう10話・・・

区切りのいい所まで書いちゃいますね。


●天平6年(734)
興福寺西金堂完成。

この年、畿内七道地震という大地震が起こる。
これは畿内を中心とした地域で起こったらしく、推定でM7。


 【『続日本紀』天平6年4月7日の条項に、大地大いに震い天下の民衆の家が倒壊し
  圧死者が多数出、山崩れ、川の閉塞、地割れが数えきれないほど発生したとある。】


4月12日、畿内七道諸国に遣いを出して神社の被災状況を調べさせる。
4月17日、天皇陵8か所と功のあった王の墓の被害状況を調査させた。
      また政事に欠くることなきよう注意する勅が出される。

4月21日、天皇の徳と政治の欠失を省みる詔が出される。
7月12日、天変地異による大赦の詔が発せられたが、「天頻見異、地数震動」とあり、
      余震活動が続いたらしい。
このように天変地異の発生の責任を天皇が自ら負い、大赦などの詔が発せられた例は
奈良時代から平安時代までいくつか見られる。(ウィキペディアより)

古くは天変地異は天子の行いの結果によるものだとされたからね。
このほか、天平の頃は毎年のように旱魃や飢饉が続いたという。


●天平7年(735)


記録では8月に大宰府管内で流行し始めたらしい。
8月23日には、病人が多いので今年の税は勘弁して~との上奏が大宰府から入り、
聖武天皇はこれを許したそうな。

当時はもちろん、疫病伝染のメカニズムはわからない。
疫病は次第に山陽道・山陰道を登ってくる気配を見せた。


道饗は 「大津編(1)」 でも簡単に書いてますが、
疫病(悪鬼)の侵入をふせぐための街道で行われた祭祀のこと。

一旦は流行は小康のきざしを見たが、都では天武天皇の皇子である親王から
2人犠牲者が出ている。



●天平9年(737)
再び、天然痘が大流行。

3月、凶作や疫病の流行がやむ事を願って各国に高さ一丈六尺の釈迦像を造り、
「大般若経」の書写を命じる勅が出される。
その後も国々に造仏や七重塔の造営が命じられたそうな。

都でも多数の犠牲者が出て、その中には藤原不比等の息子たちもいた。

まずは4月17日に次男・房前(ふささき)が死亡。

7月13日、四男・麻呂(まろ)死亡。
7月25日、長男・武智麻呂(むちまろ)死亡。
8月5日、三男・宇合(うまかい)死亡。

藤原四兄弟、全滅。
チ~~~ン・・・・・


ウィキペディアには【四兄弟が短期間に相次いで死亡していることから、
相互に見舞いのために訪問し合った際に感染したものと考えられる】とある。

トップバッターの房前だけは日付が離れてるけど、
残りの3人は天然痘の潜伏期間といわれる8日~14日にちょうど合致するし、
ウィキにあるようにお見舞いがアダになったのが事実だろう。


ここが『逆説の日本史2』の第4章でのひとつのハイライトとも言うべき場面で、

 【聖武天皇の治世である天平時代は「凶作・飢饉・地震・疫病」とあらゆる
  災害が頻発した大変な時代だった。しかも疫病(天然痘)の猛威は、
  政治の最高権力者である藤原四兄弟を全滅させたのである。四兄弟は
  言うまでもなく、光明皇后(藤原光明子)の兄たちである。

  こうした災厄を、古代の日本人は何の仕業と考えたか。あらためて言うまでも
  ないだろう。それは「怨霊のタタリ」である。】

 【たとえば、この現代の日本が、かつての中国の四人組のような悪徳政治家に
  よって牛耳られていたとしよう。その四人組が、ある清廉潔白な政治家を
  無実の罪で「処刑」したとする。ところがその後、四人とも次々に伝染病に
  かかって死んでしまったとしたら、人はこれを何と言うか?

  「天罰」と言わないか。ワセダの大槻教授なら「科学的根拠がない」と言う
  かもしれないが、おそらく九割以上の日本人はそれを心の底では「天罰」と
  呼ぶはずである。】

と展開される。
現代でさえそう考えるのだから、古代ならなおさら。
つまりは、長屋王が怨霊となって憎い仇に天罰を与えたというのだ。

もちろん、井沢氏は長屋王が怨霊になったことの論証をしてる訳じゃないですよ。
四兄弟がバタバタと倒れたというあまりにドラマティックな展開に、
「当時の人は長屋王の怨霊の仕業と考えただろう」と言ってるんです。


今はどうか知らないけど、『逆説2』が書かれた頃、研究者の間では
長屋王が怨霊になったと書かれている史料は存在しないし、
怨霊となった長屋王に対する鎮魂の例も存在しないというのが
大方の見方だったらしく、それを覆すべく井沢氏は著書の中で色々な例を引きながら
結構なページを割いて自説を展開しておられる。


長屋王の件については、私はこの『逆説2』から入っているので
長屋王怨霊説がもう前提のようになっちゃってるんだけど、
井沢氏はこの四兄弟の死亡を受けてその後に大慌てで
長屋王の霊を慰めるための処置が取られたという風に話を進める。


『逆説の日本史』による怨霊の定義は、
まず初めは死後の祭祀を行う子孫がいなくなった・・・というか、
祀る子孫を滅ぼされた場合、って言った方がいいのかな。
これは中国から入ってきた思想だという。

それが、ある時期を境に「無実の罪で殺された政治家」に変わった。
日本史に燦然と輝く(?)名だたる大怨霊たちは、
すべてこの後に世に出てくる方たちです。

井沢氏はそのターニングポイントが長屋王だとする。

 【無実の罪で殺された長屋王が、その犯人である藤原四兄弟を見事に
  「皆殺し」にした。そういう「奇蹟」が起こったからこそ、怨霊信仰の
  教義が大きく変わったのである。】
  (『逆説の日本史2』より)


まあ、現実に天然痘で死んだのは四兄弟だけでなく、
政府高官は他にもボロボロ死んでるんだけどね。
それに、長屋王の死(729年)から8年も経ってる。

一歩引いた立場で見てみると、すぐ長屋王に直結するかな~って気もするんだけど、
聖武&光明子夫妻の異常な行動は続くので、庶民の意識がどうかはわからないけど、
少なくとも聖武&光明子の夫妻は「何か」におびえていただろうとは思う。


『逆説2』によると、史料での怨霊の初見は桓武天皇(737-806)の時代。
だから、聖武天皇の時代にはまだ「無実の罪で殺された政治家」が怨霊になるという
概念はなかった、というのが歴史学会の通説らしいんだけど、
井沢氏は「それは怨霊鎮魂がおおっぴらになったというだけのことで、
ひそかに怨霊を祀るというような前段階があって初めて
次の大々的に祀る段階へ移行したのだろう」と反論する。



この時期から500年近く後に成立した『愚管抄』の中で、
歌人としても名高い慈円が興味深いことを書いている。

慈円は人間の目に見えないものを4つの種類に分けた。

1つが神(天照大神と藤原氏の祖神・春日大明神)。
2つめが「化身・権化の人」で、歴史上重要な役割を果たした実在の4人を挙げ、
彼らは観音の化身だとする。

3つめが怨霊。
4つめが天狗・狐・狸などの邪悪な魔物。


 【怨霊というものは、一度怨霊になってしまうとも早並みの人間の力では、
  それを防ぎ調伏することは不可能となるのである。怨霊の調伏には仏法の験力に
  よらねばならず、(中略)すぐれた人には必ず「マメヤカニ底ヨリタウトキ僧」
  がついていて、さまざまな怨霊どもを調伏して、事なきを得たと記されるのである。

  しかし、調伏にはすぐれた験者のさまざまな手続きを要するし、怨霊が突如として
  襲いかかれば災厄は防ぎきれないわけであるから、特定の怨念が限界まで
  沈殿して凝り固まることにないように、あらかじめ配慮を加えることが立派な世の
  治め方であるということになる。

  こうした慈円の怨霊に対する記述を見て行くと、怨霊というものは、限られた上層の
  貴族社会の運営の失敗から生ずるものといってもよいように思われる。(中略)
  怨霊というものは閉鎖的で狭い上層貴族社会の中では、人々にとってほぼ了解ずみの
  人間の霊がなると考えられており、したがって仇としてとりつかれる方の人間も
  おおよそ見当がつくものなのであった。】
  (『愚管抄を読む』/大隅和雄より)


もちろんこれは時代も全然違うし、一見みやびな長い平安時代の中で
わんさと生み出された怨霊たちによって怨霊信仰が確立された後の話ではあるんだけど、
史料に現れる前段階の新しい教義の怨霊信仰があるだろうという井沢説は
もっともだと思うし、新・怨霊信仰の根底を流れる核ともいうべきものは
教義が変わった時点から慈円の時代に至るまで変わってないんじゃないかと私は思った。

桓武天皇は聖武天皇のちょっと後の時代。
桓武の時代に新しい教義がほぼ出来上がっていたなら、
その少し前に起こった長屋王の変とそれに続く災厄が
新しい怨霊信仰のスタイルを作り上げたという井沢説は妥当なものと思える。


で、井沢説はこの後の流れに話を進めるのですが、
わたくしは過去にさかのぼります。
はい、何度も出してきた興福寺西金堂と金鍾山房の件ですよ。

・・・あ、ちょっと文字数足りなさそう(笑)。
この続きは次回へ持ち越します。


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最終更新日  2014年04月02日 07時23分48秒


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