戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年04月03日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
前回の最後はアシュランのまとめに入っちゃって



『時宗・一遍 仏の世界』様のサイトによると、金光明最勝王経はちょっと独特らしく、
【四天王など天部の怪神が仏の手足となって護法のためにその怪力・異彩を発揮する
面白さがある】という。

ある難しい説法が終わった時、観客である虚空蔵菩薩や四天王が
スタンディングオーベーションでやんやと喝采を浴びせ、
金光明最勝王経を講義すれば、その国は4つの利益を得られるだろうと言った。

1、国王の軍は強くなり、無敵になる。疫病はなくなり、寿命は延びて皆ハッピーになり、


2、王の妃たち、王子たち、諸臣の中は睦まじくなり、そこには奸佞はなく、
  王から深く愛される。

3、僧侶・国民は正しい法により病はなく非業の死を遂げる者もない。
  田は豊穣になり、皆が幸せに暮らせる。

4、常に天の加護を受け、慈悲の心が広がり争いは消え、皆が仏法に帰依して
  正しい法の道を進むようになる。


経典の中では、釈迦とそれを取り巻く「天」たちとの質疑応答などが続く。

帝釈天は、過去の罪業をどうしたらチャラにできるのかと質問し、
釈迦は結論として金光明最勝王経を読むこと、と説明するらしい。

帝釈天・梵天・四天王らは、この経典を守護し広めることを誓い、
経典のある国土において飢饉や怨念などの悩みがあるなら、

釈迦はその心意気を褒める。

吉祥天女は他人にこの経典を解説する者があれば、その僧を敬い、
衣食などで困らないようにしてあげる、と宣言する。
釈迦はその心意気を褒める。


ある場面では、釈迦が阿難陀(アーナンダ:弟子の1人)に「如意宝珠」という


続いて観自在菩薩が「望みがすべて叶う」という呪文を教え、
執金剛秘密主菩薩は「すべての恐怖を除く」お経を、
索訶世界梵天王は「憂いや悩みがなくなる」お経を、
帝釈天主は「すべての恐怖と厄難を除く」お経をそれぞれ授ける。

・・・ふん、出てきましたね~。
執金剛神。
とりあえず、先へ進めましょう。


とにかくこのお経を自分の国で広めればいいことずくめってカンジだけど、
広めるだけじゃダメらしいのだ。

香水を地にそそぎ、多くの華を飾り、多くの珍宝を捧げ、堂宇を美々しく飾り立て、
高価な香をたき、さまざまな音楽を奏でよ・・・
庶民には無理です。

「国が富み栄える」のもパンピーにはあまり関心のないところだけど、
これだけの贅を尽くして経典を護り広めよ、ってのは
まさに王者のための経典ってカンジですね。
それどころか、財宝などを寄付すればするほど御利益がある風な
露骨な記述もあるらしい。

また、経典の中では王は尊く諸天に護られているから「天子」というとある。
支配者にとってはいいことだらけなようでいて、王が正法を行わない場合は、
「天」が怒って国を滅ぼしてしまうという、厳しい側面もある。
このあたりが、このお経の国家鎮護的性格の中心部分にあたるらしい。

最後は釈迦がこの経典をよく流布し、正しい法を世間に広めるようにと
自分の死後を託し、山ほどの菩薩と諸天らがそれを護る事を誓う、
という記述になっている。



で、前回からここまで金光明最勝王経をざっと見てきましたが、
たしかに「護国」的記述の割合がもっとも多い。
経典の加護を受けるには、持てる限りの贅を尽くして豪華な儀礼をせよ、
ってのも興味深いですね。

そして、「護国」に次いで大きな目玉が「罪業滅消」。
これはなかなか・・・
ま、ここまで読んできて下さった方はわたくしが何を言いたいか
もうおわかりでしょうが、『アシュラブック』から学んだもう1つのナゾ、
不空羂索観音像についてちょっと考えてみましょう。


東大寺の初期スタイルと見られている金鍾山房は、基皇子の死を受けて
神亀5年(728)に創建されたと言われる。
近年の修理の際の調査から、法華堂建立および不空羂索観音像造立年が
733年である可能性が高まったという・・・が、
私は法華堂(羂索堂)が金鍾山房の中心だったんじゃないかと思うものの、
光明子が金堂を造ったという記述もあるようだし、
金鍾山房そのものは733年以前から存在していた可能性はある。

で、何度も書いてますが、長屋王が殺された同じ年の729年、
羂索堂の基壇に使われた用材が伐採されている。

前回は途中になっちゃいましたが、少なくとも羂索堂は長屋王との関連が
あるんじゃないかと思いつつも、どうもうまい推測ができなかった。

して、金光明最勝王経の概要から考えてみると、
まず本尊の不空羂索観音像はこの経典には出てこないっぽい。

かつて二重基壇の下段にいた7体は、帝釈天・梵天・四天王、
プラス執金剛神。


『アシュラブック』の中で北氏は、光明子が不空羂索観音を選んだ理由として

・不空羂索の呪文を唱えると鬼神が巣くう阿修羅門窟の門が開いて
 すべての鬼神が従い、あらゆる願いがかなうと不空羂索関連の経典にあること

・夫・聖武天皇のことを混乱した社会を改革する帝王と見なし、豪華な宝冠を
 かぶった不空羂索観音像に王者である夫の姿を重ねた

を挙げておられる。
この推測を否定するつもりも、その材料もないんだけど、
歴史ファンのはしくれであるわたくしの視点はちょっと違う。


基壇の下段にあって本尊を守るのは、いずれも金光明最勝王経の中で
経典を賛美し

「ワシらが経典を広め、信者を護りま~す!」

と宣言した神たち。
この辺の構成が、金光明最勝王経に基づくものだと言われるゆえんなのかな。

これまではどうにも執金剛神像と僧・良弁の存在が気にかかっていた。

『アシュラブック』では、お堂の背面の扉や入口(=後戸:うしろど)に
強力な護法神(=後戸の神)を配し、そこで芸能などを催したという説明がある。

執金剛神像は1年に1日、御開帳があるそうで、その日は良弁の命日なんだそうな。
そして、その日をはさんで法華会の修行が平安中期から行われているので、
【執金剛神が後戸の神として祀られていた可能性を示唆します】とある。

なるほど・・・
執金剛神が後戸の神にふさわしいとは思うものの、基皇子の菩提を弔うための寺で、
岩屋を砕く馬鹿力の神と激しい修法を行う僧の組み合わせは
どうにもそぐわない気がしていた。

しかし、経典の概要を知ったことで、かすかに何か見えた気がした。

執金剛神は経典の中で、「すべての恐怖を除く」ことを約束しているのだ。
ついでに言うと、帝釈天は過去の罪を清算する方法を質問し、
「すべての恐怖と厄難を除く」ことを約束している。
妙幢菩薩は夢の中で婆羅門の鳴らす金鼓に導かれて懺悔しまくった。
梵天は「憂いや悩みがなくなる」のを約束し、四天王は「非業の死を遂げる者は
いなくなる」と約束した。

自分に都合のいい部分だけピックアップしてる、と言われたらそれまでだけど、
じゃあ罪業消滅じゃなく、メインである鎮護国家の方を前面に出すと、
贅沢に飾り立てて経典を広めれば国王にとってウハウハの御利益をあげちゃうよ
ってなるけど、それも基皇子の菩提を弔う寺にしては変じゃない?(笑)

どちらを採用するにせよ、基皇子にはそぐわないのだ。
だから私は、やっぱり羂索堂も長屋王のことがきっかけで造られたんじゃないかと思う。
鎮魂、とまではいかなくても、スポンサーには罪の意識が当初からあり、
そこから逃れるために不空羂索観音と護法善神におすがりした。

北氏は不空羂索観音像のことを【イケメン成人男子の力強い面相】としておられるけど、
私の印象では生来病弱で気弱だったとも言われる聖武天皇は
不空羂索観音像のおもざしとはとてもじゃないけど重ならない。

2万個以上の宝石を付けた豪華な宝冠は、王者の象徴というより
「ゼイタクに美々しく飾れ」という金光明最勝王経の教えに則ったものじゃないだろうか。
ちゃんとルールを守ってるんだから、あとは約束通り下段にいる護法善神たちが
守ってくれる・・・(はず)。

良弁がいつ、なんのための修法をしたのかはわからないけど、
怨霊が力を発揮する前だったら不安を取り除いてくれるようお願いしたかもしれないし、
発動した後だったらはっきり怨霊への恐怖を除いてくれるようお願いしたかもしれない。


ただね、羂索堂が長屋王への贖罪のためだったとしたら、
興福寺西金堂でアシュランに懺悔させる必要はない。
それでも相当の金をかけてあんな構成にしたのは、
当時怨霊信仰の教義が変わる前だったとしても、
その予兆をうすうす感じてたからじゃなかろうか。

慈円が『愚管抄』の中で言っていたように、祟られる当人にはわかっていた。
光明子にも、心当たりはアリアリだった。

ちゃんと教えに従って豪華な羂索堂を建てたのに、
旱魃や飢饉は続くし、次の男子もできない。
時期ははっきりしないけど、藤原四兄弟は光明子に子ができないので
さらに自分たちの娘を2人、聖武天皇に嫁がせている。
それでも、その娘たちにも子はできなかった。

その上に、母の死。
それでも三千代の享年は70歳近かったようだから、
ここで怨霊うんぬんとは考えなかったかもしれないけど、
宮廷でも重きをなしていた母の死は、不安な中だけにショックも大きかっただろう。

羂索堂だけじゃ足りない・・・
そう思って、西金堂にあらためて贖罪の場を設けたのかもしれない。

あるいは、アシュランを懺悔の代弁者としたのは前回書いた理由の他に、
羂索堂で執金剛神が岩屋から引きずり出したアスラを
西金堂に連れてきて光明子の贖罪も兼ねて懺悔をさせた、
みたいなビジョンもあったかもね。


ただ、当時の仏教は本場・インドから先進国・唐を経て日本にもたらされる
最新の文化。
純粋な宗教部分の他、美術や建築なども含めた総合文化であり、
金光明最勝王経のような現世利益的側面が多いものは
科学のジャンルに含めてもいいものだろう。

そして、当時の仏教は国家が管理しており、まだ庶民に馴染みの深いものではなかった。
そういう特権階級がおおむね一人占めしていたような時代に、
最新のお経である金光明最勝王経が持ち込まれて
たまたまファーストレディーである光明子の息子と母の仏事が続いたので、
最新の経典に飛びついてたまたま金光明最勝王経式の堂宇が2つできた可能性だって
もちろんある。

上流階級出身の光明子はそれなりの学もあったようだけど、
金光明最勝王経には仏教本来のかなり難しい内容も結構あるようで、
道慈は経典のエッセンスをわかりやすく説明しただろうし、
受け手はこの経典の持つ特色に感じるところがあったのだろうと思う。
なぜって、金光明最勝王経はまだこの後も活用されるのだ。


なんにせよ、羂策堂と興福寺西金堂には連続性があるような気がしてならない。
そして、そのつながりはまた別のところにつながっていくんじゃないかという
かすかな推測を持っている。


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最終更新日  2014年04月03日 21時57分35秒


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