戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年04月28日
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カテゴリ: 江戸めぐり
てる(毛利輝元)が園城寺に寄進した国清寺の一切経は
高麗の貴族が元に印刷を発注したもので、一部高麗版も混ざっている。
増上寺の元版一切経も、南宋・元・高麗のミックス。

盛見が興隆寺に寄進した一切経がミックスな理由は
前回紹介した流れの通りだけど、そもそもなんで義弘は一部しかもらえなかったのか?
他の現存する輸入版一切経も、ミックスが多い。
どうしてそうなるのか?
そもそも、日本国内では貴重品としてありがたがられた一切経が、
なぜ朝鮮からぽいぽいもらえたのか?

)、
勉強した時にきちんと書いておくと後がラクなので、
今回は朝鮮側の事情などを紹介したいと思います。


 【朝鮮王朝の王室では、王妃・大妃が中心となって、仏教が篤く信仰されていた。
  王室にとって、大蔵経は自らの安寧のよりどころであり、これを日本の諸勢力に
  回賜することは、自らの王権の威信を内外に示すことを意味した。そこで、
  王朝政府は、国内に散在する仏教経典の所蔵状況をあらかじめ調査して、
  経典およびそれを所蔵する寺院に関する情報を把握し、日本の諸勢力から
  求請があれば、自ら経典の供出を寺院に求め、収集した経典を大蔵経として
  回賜する体制を構築したのである。】
  (『十六世紀の日朝通交における大蔵経求請交渉の推移』/押川信久より)



早かった。

仏教が半島へ伝来したのは4世紀。
高句麗・百済と続いて新羅でも6世紀前半には公認されたという。

日本でも仏教はしばらくの間は上流階級に独占され、僧侶は国家が管理し
庶民への布教が禁じられていたのは天平の歴バナで少し触れた通りだけど、


6世紀後半の統一新羅時代には半島から中国へと渡る僧が続き、
統一新羅後半には禅が伝えられた。

9世紀ラストあたりからは後三国時代。
新羅は滅亡し、10世紀前半に高麗が半島を統一する。
この頃には天台が伝えられ上流階級の支持を受け、禅は庶民へ広く浸透するなど
仏教が盛んで、11世紀初頭には高麗で最初の一切経の版木が起こされ、
元の襲来によってそれが焼失すると13世紀初めに再び版木が作られた。
この辺りまでが仏教の時代らしい。

高麗の末期頃は天台が堕落するなど支持層からも批判を浴びるようになる。
1368年、中国に明が興るとその2年後には朝鮮は明へ朝貢するも、
国内では親元派と親明派の対立が起こり、李成桂がクーデターにより
政権を掌握。
1392年には国王の座に着き、高麗滅亡。
李氏朝鮮の時代に入る。

義弘が最初に朝鮮交易の使者を送ったのがこの3年後。
国家による一切経の管理が崩れてきた頃なんじゃないだろうか。


李氏朝鮮では仏教は弾圧され、儒教が国教となる。
それでも初期の頃はまだ幾分保護を受けていたようだけど、
次第に弾圧は強められ、ウィキペディアによると全国で1万以上あった寺は
国家の保護の対象となるものが242寺と定められ、
15世紀初めには7宗88寺院となり、のち7宗が2宗派となり、
88寺院は36寺院にまで絞られたというから徹底している。

一方の日本では、さかんに一切経を求める使者を半島へ送り出した。
要するに、もういらないものだから気前よくもらえたんじゃないのかね(笑)。



日本からの一切経請求の終わり頃の交渉の内容が記録として残っているようなので、
『十六世紀の日朝通交における大蔵経求請交渉の推移』から紹介しましょう。

1517年に日本国使臣が朝鮮に向けて一切経を下さいってお願いした時、
朝鮮側は

「全巻揃ってないんだけど、話は聞いてるよ~」

としている。
驚いたことに、日本側では一切経を納める経蔵を建てたいので、
援助してってお願いまでしているらしい。

この時はこれについて様々な議論が行われたらしく、
それによると経蔵建立援助のお願いはこれに始まったことではないようで、
その都度なにがしかを下賜して援助してやっていたらしい。
図々しいにもほどがあるってゆーか・・・

そういえば、大内義興さんも 亀山八幡宮の修築にカンパを依頼 してたっけ。
義興さんたらお金持ちのくせに・・・
いやいや、金持ちほどセコいって話は現代でもよく聞くしな

じゃなくて、初めは時の国王である中宗(在位:1506-44)も
援助する気だったらしいのが、家臣から異議を唱える者が出た。
その家臣の言い分が興味深い。


「なんか~、アイツらとウチとじゃ儒教と仏教に
対する考え方に随分差がないッスか?
もしアイツらに援助してやればウチが仏教を信奉してるように
思われちゃうでしょ~。
だから、援助するにしても、名目は変えた方がいいんじゃないッスか?」


「だよね~。
ウチが儒教を尊んでることは正しいんだし、
そういうウチらに仏典を求めるってのは失礼でしょ。
そこらへんをアイツらにわからせる必要があるし、
これまで援助してきたからって今回も同じにしなきゃならない
理由はないんじゃないッスか?」


この反対意見を聞いて、中宗の心は揺らいだ。

「え~、どうしよっかな・・・
ちょっと他にも聞いてみるか」


と別の重臣へ下問した。

「一切経は過去にも下賜している前例がありますし、
我が国では仏教を崇拝していないのだから、
一切経を賜給することは構わないでしょう。
援助の件については、援助のためではなく請求が丁寧だから、
という理由にして与えてやるとよいでしょう。」


ところが、中宗は前の家臣の言葉が残っていたのか、
一切経の下賜はOK、援助は却下という決定を下した。


その20年後、1537年には義興さんの使いが一切経を求めに半島へ渡った。
この時の使者は博多聖福寺の僧の可能性が高いという。
中宗は、

「アイツらが一切経を求めるのは一度や二度じゃないんだし、
ウチが仏教を好まないことをわからせてやれば、
下賜してもいいけど」


とした。
これを受けた家臣は、

「とにかく今は一切経の所蔵の状況がわからないので、
まずは嶺南にあるかないか聞いてみましょう」


「そうですな。嶺南の巨刹には必ずあるでしょうから、
まず状況を把握してそれから議論しましょうよ」


となったが、翌月には

「アイツらに一切経を与えてしまうと
ウチが仏教を信奉してると海外に示すことになっちゃって、
これはチョ~恥ずかしいことですよ!!」


との反対意見が出た。
で、再び下問。

「アイツらに一切経を与えてやることは
ウチが仏教を信奉してるかしてないかには関係ないし、
過去からの前例もあるので交流という点から言っても
差し支えはないでしょう」


「まあ、アイツらが欲しがる一切経は、ウチらの古寺には
棄てるべきものがた~くさんありますけどな。
どうでしょう、アイツらにはウチは仏教を信仰してないんだから
仏典はもうないよって答えた上で、代わりに儒教の経典を
与えてやるってのは?」


「なるほどね。
まあ、ウチはどうせいらないんだからあげちゃってもいいんだけど、
一切経はやらずに儒教の経典だけをあげても
アイツらを失望させることはないかもね」


と中宗もこれに賛同し、結局

「我が国は仏教を信奉していないので、仏典は散逸して
完全なものがない。しかし、残っているものを収集して
希望に沿うようにしよう。
ところで、我が国が重んじているものはこの儒教経典であるから、
これを差し上げよう」


とすることに話がまとまった。

前までは一切経の下賜と経蔵建立の援助の是非が争点だったのが、
一切経の下賜の是非に加え、儒教の経典を与えようという方向へ
スライドしてきている。


して、今度は1539年に大内義隆が一切経のおねだりの使者を遣わした。
この時は厳島の大願寺の僧が正使だったのが、対馬で船頭とトラブルを起こして
職務放棄。
代わって副使(これも大願寺の僧)が正使として海を渡ったそうな。

元々、大願寺には一切経はあったものの、虫食いや湿気で
補修が困難なほどボロボロになっていたようで、
だから是非一切経を下さいと切々と訴えたらしい。

しかし、その願いもむなしく

「近頃我が国ではもっぱら儒教が盛んで仏教を崇拝
しなくなったので、仏典は散逸してもはや集められない」


とあっさり却下されている。
そして、この時をもって日本から朝鮮への一切経の請求は幕を下ろした、
という研究結果があるそうな。


ふ~む、1539年は天文8年で、頭崎攻めに義隆自ら乗り出す前年だな。
( 「頭崎城(5)」 あたりをご覧ください)

義隆が出張ってからはちょいちょい厳島神官・棚守房顕なんかと会ってるから
そこでタナモリが懇願したのかとも思ったけど、ちょっと違うみたいだな。
ただ、この時の一切経請求についてはタナモリは書き遺してくれてない。

前々回、厳島所蔵の一切経を現在では大谷大学が所蔵していることを
紹介したけど、この時に大願寺が綺麗な一切経をもらえなかったんなら、
大谷大学が所蔵している一切経は虫食いでボロボロのものなんだろうか


一切経はもらえなくなってしまったけど、多方面に関心を持った義隆は
今度は朝鮮へ儒教の経典などを求めている。
これは朝鮮側を喜ばせたようで、驚かれながらもその勉強熱心さを
褒められてもいる。

その褒められかたが、

 【慕学の篤きこと、不覚にも敬嘆せり】
 (前掲論文より)

だそうで、不覚って・・・

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最終更新日  2014年04月29日 00時11分06秒


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