戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2014年04月29日
XML
カテゴリ: 江戸めぐり
前回は朝鮮半島における一切経の扱いについて紹介しましたが、
前回引用させていただいた押川氏の解説の、国家による
一切経の所蔵状況の把握はおそらくは高麗末期以前のことで、
朝鮮王朝による仏教の弾圧が始まった頃に日本からの一切経の請求が
活発になっていることを考えると、朝鮮で寺院を廃止させる中で
散逸した仏典もあるだろうし、日本の要請に応えようと朝鮮国内の一切経を
かき集めた結果、朝鮮でチャンポンになってしまったものや
大内盛見のように国内で欠本を補おうとして日本でチャンポンになったものなど、
色々な過程を経て現在残るミックス本になった可能性が考えられる。


修善寺のは一部しか残ってないけどおそらくは元版の完本だったんじゃないかと
個人的に推測するし、浅草寺が所有する元版一切経は
国指定文化財等データベースによると「元時代の作品」という解説が付いているので、
これがどこから手に入れたものかはわからないけど、元版の完本に近いもののように
思われる。

大内氏を仲介として朝鮮との直接交易に室町幕府が乗り出したのは義満の時代。
が、実際に一切経が入ってきたのはその後の義持の時代だという。
それ以前に一切経を手にしていた大内義弘が一部しかもらえなかったということは、
すでに仏典の散逸が始まっていたと見て差し支えないんじゃないかな。

それ以前に国内に持ち込まれた一切経は、もちろん高麗版もあるだろうけど
中には中国との直接交易で手に入れたものもあると思われ、




さて、今回は国内に残る大内氏の一切経について。
サブタイトルで、「大内氏の後釜は毛利氏だから、毛利輝元?」と
思った方もおられるかもしれませんが、てるじゃないッスよ~。

てるは単に、流しただけ。
世が世ならそんなことできる身分じゃなかったくせに、

なかったかもしれないし、しかも旧大内王国で一切経を所蔵していたのは
どれも旧主にゆかりの深い寺院ばかり。

朝鮮のように、別に一切経がいらなかった訳でもないでしょうけど、
それほど固執する理由もなかったと思われるので、
貴重な大内氏の遺産を徳川質店に流してしまった。

よそへ流れた一切経のすべてをてるが流した訳でもないかもしれないけど、
それ以前の当主では考えにくいし、てる以後の当主が流したとしても
せいぜい1~2割ぐらいだろう。
何と言っても、一切経の需要側と供給側の利害が一致するのは
てるの時代なのだから。

・・・あんまりてるの悪口を書くと、トロロヅキさんと
セキュリティよしお(←てるのファン)が怒るかもしれないので
園城寺以外で私が知っているものの紹介に入りましょう。


え~とまずは、前回も紹介した大谷大学所蔵のもの。
これは厳島は厳島でも、厳島神社の旧蔵みたいだな。

『北野社一切経の底本とその伝来についての考察』の中で馬場久幸氏は
【大内氏との関係が考えられるが、それ以前の伝来経緯については不明である】
としておられる。

厳島神社は、少なくとも義弘の時代から大内氏との関わりがあったので
十分考えられるけど、平氏との関連はないのかな?ともちょっと思う。
ま、史料を何も持ってないのでこれ以上は何も言えませんが。
ただ、厳島には少なくとも神社と大願寺に2つの一切経があったってことだな。



2つめが増上寺。
今回、『大江戸と洛中』展で展示されてる元版のやつね。

これは応永27年(1420)に補完がされているので、
盛見が興隆寺に納めた応永16年(1409)とは少し開きがあるけど、
かと言ってその時代に興隆寺が2つの一切経を持っていたとは考えにくい。

少なくとも応永27年以前には、ベースとなる一切経が興隆寺にはあった。
となると、やはり盛見が応永16年に納めた一切経の可能性は十分にある。

考えられることとしては、応永16年当時はまだ完全じゃなかった。
2度にわたって手に入れたものではあるけど、朝鮮に頼んでも
完全に揃わなかったんじゃもう仕方がない。
てことでとりあえず奉納はしたものの、国内の一切経を探したんじゃなかろうか。

盛見は当時の守護の例にならって長く在京しており、
禅にも関心が高かったので在京中に京都五山の僧とも親しく交わったという。
そのツテで普廣禅院に一切経があることを知り、
欠本を補うためにコピーをさせてもらった、って推測はアリだと思う。



3つめが相国寺。
はい、京都のあの相国寺ですよ。
も~、これはびっくりしたね。

 【(前略)一部の巻末に「花谷妙栄大姉之寄進也」と書かれていることから、
  花谷妙栄大姉が寄進したことがわかる。花谷妙栄大姉とは、陶弘房(?~
  1468)の妻である。陶氏は大内家と関係が深いことから、この頃には
  大内領国内に大蔵経があったことは明らかである。しかし、この大蔵経の
  日本伝来については不明である。】
  (『北野社一切経の底本とその伝来についての考察』より)


これだけじゃちょっとな~・・・
巻末の全文を知りたいところですが、まあしょうがない。
妙栄が直接相国寺に寄進したのかだけでも知りたいところだけど。

大内家重臣・陶弘房は応仁の乱の最中、相国寺の戦いで討ち死にをしている。
( 「山口編(8)」 もご覧ください)
だから相国寺とは関わりがあるっちゃあるんだけど、
大内一族が相国寺に塔頭を作ったって話も聞いたことがないし、
夫がそこで死んだからって、足利将軍家菩提寺の相国寺に寄進とかするだろうか?
そもそも、一切経は貴重品なんだし。

わたくし的には、これは妙栄が弘房の菩提を弔うために仁保に建てた安養寺に
納めたものじゃないかと思うんだけどね。
一切経はどこから手に入れたかって、弘房の功績を讃えて
大内政弘が妙栄に下賜したものなんじゃないのか。

あるいは明応元年(1492)に安養寺を瑠璃光寺に改めた時に
リニューアル記念で下賜されたことも考えられるけど、
それなら瑠璃光寺を建てた弘房の次男の名前になっていてもよさそうな気がする。

ただ、瑠璃光寺の伽藍は明応8年(1499)に焼失したというので、
それ以前にすでに相国寺、あるいはよそへ流れていた可能性も考えられなくはない。

これ以上は情報が少なすぎてなんとも・・・
ただ、相国寺に大内氏ゆかりの一切経が現存するという情報だけでも収穫でした。



して、4つ目。
これが一番びっくりであり、かつこれこそ「遺産を継ぐ者」です。
それは仙波喜多院・・・
そう、天海の喜多院ですよ~!!

 【江戸時代初期に毛利輝元が徳川家康に献上し、さらに慶長19年(1614)に
  天海のために喜多院に寄進したものである。】
  (『北野社一切経の底本とその伝来についての考察』より)


「本所Wデビュー(3)」 で伊藤幸司氏の解説文を引用してますが、
慶長19年時点でもまだ国内に一切経の版木はなかった。

ので、寺院のステイタス向上につながる一切経は
国内の既存のものを手に入れるしかない。

徳川家の菩提寺・祈祷寺となった増上寺・浅草寺にも完備させる必要があり、
関東天台の本山とした喜多院にも入れる必要があった。
まあ、喜多院のは天海がおねだりしたかもしれないけど(笑)。

浅草寺のはどこから仕入れたかわからないけど、
今回『大江戸と洛中』展で元版一切経の隣に展示されていた宋版の一切経は
滋賀の菅山寺にあったものを巻き上げ・・・いへ、召し上げたものだという。

けど、所蔵する寺院側としては当然取られたくなんかない。
一切経の収集に苦労したかは不明だけど、こうした状況を見て

「あ、うち、一切経ありますよ~。
よかったらどうぞ~」


ってゴマスリにてるが大内氏の一切経を使った疑いが限りなく強い。
(↑結局悪口)

前回紹介したように、朝鮮半島からの一切経の輸入は大内義隆の代をもって
終わった。
ゆえに、大内家を滅ぼした後の毛利氏が朝鮮半島から一切経を輸入した可能性は
ないと言えるし、滅ぼす前に毛利氏が自力で一切経を輸入した可能性は
さらに低いと言えるだろう。

ので、てるが家康に献上した一切経は大内氏のものである可能性が非常に高い。


本のコレクターだった天海はさぞ喜んだだろうし、
自慢の 天海蔵 に納める際には天海印のハンコを押したかもしれない。


ところが、てるのゴマスリ(←決めつけ)は思わぬ新たな遺産を生み出した。
天海蔵のリンク先をご覧ください。
『寛永寺』が紹介した天海の12の功績のうち、
10番めに天海版大蔵経の開版がありますね。

「国指定文化財等データベース」によると、この天海版の一切経は

 【底本は川越喜多院所蔵の南宋思渓版(なんそうしけいばん)で、現存する
  一切経の刊記によれば、刊行は寛永14年(1637)から順次行われ、
  全巻の完成は天海没後の慶安元年(1648)であった。】


南宋思渓版・・・あるんです、家康経由で喜多院に寄進された一切経の中に。
てことは、大内氏の一切経をもとに天海が国内初の一切経の版木を起こした・・・
そういうことになるでしょう?

なんてこった!!
大内氏と天海がつながりがあるなんて!!!


ええ、もうこんなとこ、大内バカしか食いつきませんよ
しかし、何という運命の巡り合わせなのか・・・
歴史って面白すぎ。



それにしても、江戸で大内氏の一切経に出会うとは予想もしていなかった。
これは自粛を解除してとっとと山口へ来いって大内の殿様が呼んでいるのか、
はたまた西国行き自粛中なわたくしを哀れんで盛見がサプライズを
用意してくれたのか・・・

なんにしても、思いがけない出会いに感謝しきりでした。


にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年04月30日 21時32分03秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: