戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年05月03日
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カテゴリ: 江戸めぐり
世間ではGW後半・・・
が、うちの職場はカレンダー通りなもので、
ここに来てようやくGWという感覚です。

元はこの4連休で行こうと思ってたところがあるのですが、
4月に2週続けて出かけたし、やることが山積みどころじゃないくらい
山積しているので、出かけるのはやめました。
明日は 貞子 が遊びに来るので、ちょっと楽しみです。

ので、本ブログは連休中も通常営業・・・

一緒にお楽しみいただけると幸いです。
それじゃ、前回の続き。



推定二所ノ関部屋を過ぎて、次のお目当てへ。


両国・両国公園



現在、両国公園と呼ばれるところ(場所は こちら )。


 【勝海舟生誕の地

  勝海舟は、文政6年(1823)正月30日、ここにあった男谷精一郎の屋敷で
  生まれました。父惟寅(小吉)は男谷忠恕(幕府勘定組頭)の三男で、文化5年
  (1808)7歳のとき勝元良に養子入りし、文政2年に元良の娘のぶと結婚、
  男谷邸内に新居を構えました。


  幼少期をこの地で過ごしました。その後は、旗本天野左京の自宅2階
  (現亀沢2丁目3番)や代官山口鉄五郎の貸家(現亀沢3丁目6番)を転々とし、
  ようやく落ち着いたのは天保初年、旗本岡野融政の貸地(現緑4丁目25番)に
  転居してからのことでした。

  海舟は、赤坂に転居する弘化3年(1846)までそこで暮らし、島田寅之助

  伝えられています。

  海舟が海外事情に関心を寄せはじめた時期は分かりませんが、天保14年(1843)
  21歳の時には師匠島田のすすめで蘭学者永井青崖(福岡藩士)に師事し、嘉永3年
  (1850)には「氷解塾」を開いて西洋兵学を教授しはじめました。米国使節
  マシュー・ペリーが浦賀に来航したのはまさにその頃、嘉永6年6月3日の
  ことでした。

  海舟は幕府首脳部に独自の海防論を呈し、安政2年(1855)正月には目付
  大久保忠寛の推挙をうけて異国応接掛手附蘭書翻訳御用となり、翌3年に
  講武所砲術師範役、同6年に軍艦操練所教授方頭取に就くなど、活躍の場を
  広げていきました。そして、同7年正月には日米修好通称条約の批准使節に随伴し、
  軍艦咸臨丸の艦長として太平洋横断に成功しました。

  また、帰国後も軍艦操練所頭取や軍艦奉行などを務めるなど、政局の混迷の中で
  ますます重要な役割を担うようになったのです。慶応4年(1868)3月に
  行われた西郷隆盛との会見は、徳川家の存続と徳川慶喜の助命、無血開城を
  実現に導き、維新期の混乱収拾に力を発揮した海舟の代表的な事績となりました。

  海舟は新政府で高官に任ぜられますが、明治8年(1875)11月に元老院議官を
  辞した後は著述活動や旧幕臣の名誉回復、経済支援に尽力しました。同19年
  (1886)5月には酬恩義会を創設して将軍家霊廟の保存を図るなど、
  最期まで旧幕臣としての意識を持ち続けていました。
  明治32年(1899)1月19日、海舟は77歳で病没。洗足池畔の墓で
  静かに眠っています。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


この解説版には、晩年の勝麟太郎(海舟)の肖像(国立国会図書館蔵)も
掲載されている↓。


勝海舟肖像


勝麟太郎で最も有名な写真はもっと若い頃のだと思うけど、
あれで見る限りではイケメンだよね~。
じゃなくて、勝先生には龍馬さんも弟子入りしたので、
わたくしは勝先生に親近感を持っており、そのため
ここへ寄ったという訳です。

勝先生はいちおう(てか、れっきとした)幕臣で武家だけど、
私にはちゃきちゃきの江戸っ子というイメージが強い。
が、それも道理、江戸でも下町である本所の生まれだったとはね。

両国に生誕の地があることは今回初めて知ったんだけど、
なんだかすごく納得がいった。


実父・小吉は旗本小普請組の41石取りだったというから、
平穏な世の中であればいくら才能があったところで
出世にも相当限界があっただろうけど、世は幕末の動乱の時期。


解説にある「海舟は幕府首脳部に独自の海防論を呈し」というのは、
時の老中・阿部正弘さんが広く世間から海防についての意見を求めた時のようで
( 「福山編(16)」 参照)、推挙した大久保忠寛は大久保一翁さんのこと。


解説の最後の部分にある「将軍家霊廟の保存を図った」というのは
知らなかったんだけど、やっぱり旧幕臣の中にそういう動きはあったんだね。
とすると、寛永寺の旧境内の利用について一翁さんが頑張った中にも
( 「上野第二編(35)」 参照)、霊廟や徳川家の遺物の保護という観点が
含まれていた可能性は十分にあるよな。



現在の両国公園は、遊具なども沢山置いてあるフツーの児童公園。
天気の良い春の昼下がり、多くの親子連れが公園内で遊んでいた。
その隅っちょにひっそりとたたずむ大きな石碑↓。


両国・両国公園2



 【由来碑

  勝海舟は幼名を麟太郎といい、文政6年(1823)1月13日この地
  男谷精一郎邸内で生れた。剣は島田虎之助に師事し、蘭学海洋術を学び、
  万延元年(1860)幕府軍艦咸臨丸艦長として、太平洋を横断渡来した。

  慶応4年(1868)3月13日高輪薩摩邸において、大総督付参謀西郷隆盛と
  会談し、江戸城の開城を決定して、官軍の江戸進撃を中止させ、江戸百万の
  庶民を戦禍から救ったことはあまりにも有名な話である。

  明治32年(1899)1月21日、赤坂氷川町(港区内)の自邸で死去。
  行年77歳であった。墓は洗足池畔に建立されている。
  平成元年10月 墨田区
  (幕府講武所剣術師範役  元 男谷邸跡)】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


でこの石碑、脇に「法務大臣 西郷吉之助書」とあるから
てっきり西郷(せご)どん・・・西郷隆盛のことかと思ったら、
どうもこれは西郷どんの孫の西郷さん(1906~77)によるものらしい。

西郷どんが勝先生と会談した後に一蔵どん(大久保利通)へ送った手紙では、

「勝さぁに初めて会ったとこい、実に大した人物で、
どれほど知略があっとか測れんごっ思おいもした」


と勝先生を評価したというし、勝先生の史跡整備に協力するに
ふさわしい人物ともいえる。



今回、ここに来るまではおもに龍馬さんと関わった部分ぐらいしか
勝先生については知らなかった。
が、江戸博で買った『両国物語』には面白いエピソードが載っている。


 【9歳の頃、狂犬に睾丸を噛まれて生死の境をさまよったが、父・小吉が
  能勢妙見山別院で水垢離をして、回復を祈願したおかげで一命を
  取り留めた。しかし、トラウマは残り、成人後も犬と出会うとガタガタ
  震え出したという。】


おお、本所にも妙見様があったのか!
『両国物語』によると、この能勢妙見山別院には勝先生の胸像があるそうな。
う~ん、両国からだとちょっと歩くな・・・
しかし、覚えておこう。

その他、墨田区役所には勝先生の銅像もあるという。

にしても、子供の頃に犬に噛まれた人ってたいがいトラウマになるよね。
それも、勝先生の場合は噛まれた場所が悪かったよな

ピッチャー返しとどっちが痛いだろうと想像してみたけど、
生死の境をさまよったぐらいだから

「ピッチャー返しなんかと比べるんじゃねぇよ!
おいらのがてぇへんだったに決まってんだろ!!」


って勝先生はお怒りになるかもしれない・・・



石碑の近くにあるベンチに座って、休憩がてらこの先の道を確認。
両国公園に入ってから出るまでの間に、史跡めぐりと思われる中年夫婦など
数人に会った。

史跡めぐりに遠征して、城以外の場所でいかにも同輩と見られる人には
あまり会うことがないので、ちょっとこれは意外だった。
彼らは手に何やら資料らしきものを持っていたので、
史跡めぐりのコースなどが墨田区から提供されているのかもしれない。

実際、ここから歩いてすぐの電信柱にはこんな案内が貼り出されていた↓。


両国・両国公園案内



お~、こんなのあるのか。
歴史にさほど興味のない人でも、こうやって整備されてたら
気軽に近隣の史跡めぐりをしてみようって気にもなるだろうし、
本所には江戸の香りの残るスポットが沢山あるから、
いいことだよな。

各スポットにはそれぞれ榛稲荷神社で見たような高札スタイルの案内板が
設けられていて、絵や写真などのビジュアル資料も豊富だから、
墨田区の史跡整備事業には好感が持てる。

とは言っても、まだ両国公園の時点では高札を探せばいいというルールに
気づいてなかったので、遠くから高札のある現場を眺めていたにも関わらず
高札の存在に気付かず見落としたところが数か所あった。

ゆえに、この後少々歩きまわるハメになったので、
欲を言うならもうちょっと目立つ色とかの高札にしてもらえるとありがたい・・・
それが、高札ルールに気付いてからの率直な感想でした。


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最終更新日  2014年05月03日 20時36分48秒


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