戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年05月04日
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カテゴリ: 江戸めぐり
両国公園を出て西に向かうとすぐこの道に出る↓。


両国・両国小学校



これが両国小学校。
幕末頃の絵図によると、この辺の区画は細かく仕切られた
武家エリアだったらしい。

小学校の南辺に沿う小道を入る↓。
ま、小道と行っても古い城下町である三原や白市などの
あの広島の小道に比べたら全然マシな道ですが


両国・吉良邸への小道




古絵図から目分量で比定した位置なのでイマイチ自信はないけど、
おそらく間違ってはいないハズ・・・
小道を歩きながらテンションは急上昇。

この小道を抜けると、こういう場所に出ます↓。


両国・吉良邸跡(表門)



手前の道路を除いた上の写真に写ってるすべてが、かつて吉良邸があった場所です。
はい、いわゆる「忠臣蔵」で有名な、あの吉良上野介義央さんのおうちです。

ここは吉良邸の敷地でも東端にあたるところで、
正面に写ってるマンションのガレージの左側あたりに
吉良邸の表門がありました。

いや、現地では最初、ここが表門だよな~って想定しながら

写真ではかなり見にくいけど、左のガレージのすぐ先に
ちっちゃく墨田区設置の高札が立ってます。

・・・立ってますが、最初は気付きませんでした。
あとでこの近くでひとつ見落としたものがあるのに気がついて
ここへ戻ってきた時に初めて高札があったことに気がつきました


ので、2回目に通って写真に収めた解説版を紹介します。


 【吉良邸正門跡

  この辺りに吉良邸正門がありました。

  元禄15年(1702)12月14日、寅の刻(午前4時)の七つ鐘を聞いた後、
  正門から大石内蔵助以下23名が用意した梯子で邸内に侵入して、内側から
  門を開け、「浅野内匠家来口上」を玄関前に打ち立てて乱入しました。

  赤穂浪士は正門、裏門の二手に分かれて討ち入り、大声を上げながら、百人以上の
  大勢が討ち入ったように装いました。これに動揺した吉良家家臣の多くが外に
  飛び出そうとしました。しかし、弓の名手、早水藤左衛門らが俵屋敷の戸板に
  向かって威嚇し、出口を固められたため、飛び出すこともできず戦闘不能になったと
  いわれています。】


はいよ~。
そーゆー訳で、ここが吉良義央(よしひさ)さん最期の地であり、
大石良雄(内蔵助)率いる浪士の半分の表門隊が
まさにここから侵入を企てた訳です。

長らくのわたくしのブログの読者様の中には覚えておられる方も
いるかもしれませんが、わたくしは無残な殺され方をした
吉良家中に同情する派です。

第3代輪王寺宮・公弁法親王の紹介をした時( 「上野第二編(23)」 参照)、
吉良同情派は希少価値だろうと思っていたので、あえて過去の
いわゆる「忠臣蔵」に関する記事のリンクは貼らずにおきましたが、
今回ちょっと検索してみたら案外最近では吉良擁護派も増えてるらしい。

ので、上野編の時よりはちょっと堂々と記事を書こうかと思ってます。
「元禄赤穂事件」に関するわたくしの基本姿勢は
「忠臣蔵(前)」 「忠臣蔵(後)」 をご覧ください。


で、ここからは多少の(←予定)歴バナも交えることになるかと思いますが、
言葉を使い分けようと考えておりますので、まずはそちらから。

史実として起こった、元禄15年(1702)12月14日の
赤穂浪士による吉良義央への復讐劇、こちらは「元禄赤穂事件」とします。

毎年12月になるとどこかの局で必ず1度は放映される、
世間に有名ないわゆる「忠臣蔵」、こちらは「忠臣蔵」とします。
「いわゆる」も判別のために使い続けるかもしれないけど。

世間にはあまりにも「忠臣蔵」の方が有名なので、
現実の出来事ときちんと区別する必要があります。

なぜというに、「忠臣蔵」の方はかなりフィクションの部分が多く、
また単純な勧善懲悪スタイルで描かれており、
しかも始末の悪いことにフィクション部分が独り歩きをして、
「忠臣蔵」だけを見聞きする方の中には、それらの有名なエピソードが
いかにも現実であるかのように思っておられる方も多いんじゃないかと思うからです。
それくらい、「忠臣蔵」の浸透力はすごい。

私はもともとドラマなどは観ないし、ある時期を境に
ますます「忠臣蔵」などは観なくなったのだけども、
それでも「忠臣蔵」に出てくるそこそこのエピソードは知ってるし、
思ってたよりも事実と違うことが多いということを
今回あらためて知ったぐらいなので、「忠臣蔵」だけを観てる方にとっては
もはやそちらの方が現実だと思われても仕方ないな~って率直に感じました。

でも、歴史ファンとしてはフィクションなんかに萌え~するつもりはない。
ので、「忠臣蔵」を見慣れた方もここではそれは置いといて、
この場所で起こった惨劇に思いを馳せて頂けると嬉しいです。



わたくしが「忠臣蔵」を観なくなった境目の時期とは、
杉浦日向子先生の『吉良供養』を読んでから。

前々回、榛稲荷神社のところでは葛飾北斎が主役の『百日紅』を紹介してますが、
『吉良供養』も杉浦日向子全集(筑摩書房)の『合葬』に収められている短編。
上記リンクを貼った「忠臣蔵(後)」は、『吉良供養』を参考にしたものです。

時代劇では殺陣はお馴染みだから、ドラマの「忠臣蔵」を観てる分には
単なるチャンバラシーンだけど、『吉良供養』を読んで
実際どういうことが起こったのかを知った時、

「げえっ!
現実ってこんなだったの!?」


と衝撃を受けました。

「忠臣蔵」はご存じの通り、赤穂浪士が主役で吉良は悪役なので、
『吉良供養』を読んでからはもう「忠臣蔵」を観る気は全くなくなりました。
正直、腹立たしくて。

ただ、必要以上に吉良義央を擁護するつもりもなく、
基本的な立ち位置は(たぶん)中立です。
そもそもの発端となった事件の真相すらわかってないし、
義と正義は違います。

「(たぶん)中立」としたのは、この討ち入りがあまりに凄惨だったため、
吉良家に同情する心情が強いからです。
記事の中で

「ジジイ、感傷的になっとるな~」

って感じた部分があれば、少し差し引いてお読みくだされ


まあ、事件当夜の流れについては「忠臣蔵(後)」で簡単に書いてるので
同じことは書きませんけどね。
ここからは江戸博で買った『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』が主な参考資料です。

『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』は墨田区観光協会の発行によるもので、
まえがきの最後には

 【発端となった殿中での刃傷事件は未だに謎が多く、さまざまな憶測を呼び、
  今なお新たな説が生み出されている。なかには事件の「悪」を上野介一身に
  負わす従来の筋立てとは逆の視点で捉えたものもある。そこで、事件の真実は
  どこにあるのか、極力多くの事実を淡々と積み上げることによって迫ってみる。】

という基本姿勢が示されている。

ここは江戸だから吉良氏の領国ではないけど、屋敷をここに構え
吉良義央の最期の地でもあるから「地元」と言ってもいいくらいの場所だけど、
地元の殿様だからといって単純に擁護するんじゃなく、
客観的に捉えようという姿勢には好感が持てる。

現に、冊子の中では浪士の紹介もしているし、
初めて知った事も多かった。

私は『両国物語』と『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』は江戸博で買ったけど、
この後寄ったお店の中にはこれらの冊子を置いてあるところもあったので、
両国界隈のいくつかのお店でも入手できるかと思います。



さて、まずは当時の絵図から。


吉良邸周辺図
     (『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』掲載、元禄15年版「回撰江戸大絵図」より)


母方の先祖に今川氏真(今川義元の子)を持つ吉良義央は、
元々鍛冶橋に屋敷を持っていたが、元禄11年(1698)の勅額火事・・・
「上野第一編(9)」 で紹介した、寛永寺瑠璃殿(根本中堂)の勅額が
江戸に着いたその日に出火した、あの火事のことです。
その時に鍛冶橋の屋敷が焼失し、呉服橋に引っ越したそうです。

その後の元禄14年(1701)のホワイトデーに
浅野長矩(内匠頭)による傷害事件が起こり、即日長矩は切腹。
旧浅野家家臣に関する不穏な噂を耳にしたご近所さんの蜂須賀家から

「吉良さんが近くにいるの、やなんですけど~。
とばっちりはごめんですう~!」


と嘆願が寄せられたといい、これを受けたものかはわからないけど
8月13日には幕府から義央へ引っ越し命令が出され、
9月3日には本所の新居を受領。

ウィキペディアには【この本所移転は、幕府によって計画的に行われたという説が
有力になってきた】とあるけど、義央は本所の屋敷に常時住んでいたという
訳でもなかったらしい。

翌年の12月には討ち入りが決行され、浪士達が切腹した2月4日には
本所の吉良邸が没収される。
その後屋敷は取り壊され、町人エリアとなった。
ゆえに、こうして本所の絵図に吉良邸が描かれているのは
1年ちょいのごくわずかな期間に限られる。


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最終更新日  2014年05月04日 22時15分48秒


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