戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年05月08日
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カテゴリ: 江戸めぐり
浅野長矩による事件を聞いて、綱吉は激怒したといわれる。
そりゃ怒るっしょ~。

審議はソッコー行われ、かじかわ殿は老中・若年寄・大目付を前に質問を受けた。
ここでの争点は、殿中ルール。

「吉良は刀に手をかけたか?または抜いたのか?」

と聞かれたかじかわ殿は、

「いへ、刀に手はかけてませんでした」

と答えたそうな。
これにより浅野長矩は切腹、お家断絶と決定。
吉良義央はルールを守ったことでお咎めなしとなった。


 【浅野家では、事件を「喧嘩」と捉え、「片落ち」裁定とし、亡君の遺志を継いで

  穏健派とに二分されたが、元禄15年(1702)7月、弟の浅野大学が
  広島に御預けとなり、再興への望みが断たれ、仇討ちへと一気に駆り立てられて
  いった。】
  (『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』より)


「喧嘩両成敗」の当時のルールに反するという言い分は一見もっともらしいけど、

 【幕府が喧嘩両成敗を殿中抜刀の被害者に適用した例はない。そもそも、松の廊下事件に
  おいては、浅野が背後から一方的に吉良に斬りつけ、吉良は気を失っているので
 「そもそも喧嘩として成立していない」「よって喧嘩両成敗は考慮できない」。】
  (ウィキペディアより)

・・・うん、確かにそうだよな。

 【本件に関する幕府の裁定は浅野長矩の殿中抜刀に対する処罰だけで、これは相手の生死や

  抜刀はしていないので無罪となる。】
  (ウィキペディアより)

・・・まあ、当然だよな。

しかし一方では、大名の即日切腹は異例なので、
遺恨の内容などもっと慎重に取り調べた上で、と意見した幕臣もいた。


もしこの時、吉良義央が死んでたら、その後はどうなっただろう?

赤穂浪士の口上書には

「喧嘩の時に(かじかわ殿が止めたから)吉良を討ちもらして
ウチの殿はさぞ残念だっただろうと、も~くやしくってさ~。
だからその遺志を継いだだけなんだよ~」


とある。
しかし、浅野家家臣の誰も長矩の真意は知らなかったんじゃないのか?
もし、長矩がイジメにあって我慢できずに

「くそっ、吉良のジジイめ・・・
殺してやるぅ。
どうやったらいいかなあ?」


なんて漏らそうもんなら、どんなにイケてない家臣だって

「ちょ・・・ダメですよ~!
絶対ダメ!!
叔父上の例があるでしょう!?」


ってさすがに止めただろう。
「忠臣蔵」では浅野長矩の切腹のシーンで、腹に刀を突き立てた瞬間に

「しばらく!
あいや、しばらくッ!!」


と大石良雄が駆け付け、長矩が最後の力を振り絞って

「ま、待ちかねたぞ、内蔵助・・・」

と言って絶命するエピソードが盛り込まれる時がある。

が、大石良雄は国許で留守居だったので、電話で連絡を受けて新幹線にでも乗らない限り
事件当日に切腹した長矩に会えるハズがない。
つまりはこれもフィクションらしいんだけど、誰か家臣が居合わせたところで
なぜ事件を起こしたのかは話してないだろう。
長矩が真意を話さなかったゆえに、どこにも書かれておらず、
真相は歴史の闇の中なのだから。
それに、理由を知ってれば口上に「吉良の罪状」を並べ立てたかもしれない。

長矩は自分1人の胸に秘めたまま、死んでしまった。
長矩を死に追いやったのは、幕府。
殿中での抜刀という頭のおかしな事をしたんだからどのみち厳罰は免れないとはいえ、
もう少し時間をかけて調べてもよかったんじゃ・・・とは私も思う。
だから、仇というなら浅野家臣の仇は幕府なのだ。

けど、恨みの対象になったのは吉良義央だった。
義央が長矩に殺されてたら、赤穂浪士の不満はどこへ向かっただろう?
(もと)5万石じゃさすがに幕府に楯付くことも難しいだろうし、
義央が生きててくれたからこそ、浪士は鬱憤晴らしの口実を作ることが
できたんじゃないのか・・・
そんな風にも思える。


切腹した浅野長矩の遺骸は家臣が引き取り、【彼らはそのまま泉岳寺へ向かい、
同寺で長矩の葬儀を執り行ったが、大名の葬儀とは思えぬ淋しいものだったと
いわれている。】(ウィキペディアより)

ここだけを読むとちょっと気の毒な気もするけど、はっきり言って自業自得でもある。
それに、長矩が別のさみしい葬儀を造り出してもいる・・・
が、残念なことにそこにはほとんどスポットが当てられない。



吉良義央の不運は、浅野長矩およびその家臣との出会いだけにとどまらなかった。
『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』による分析には続きがあります。


 ●幕府への庶民の不満

   綱吉の前半は善政だったが、天和2年(1682)の生類憐みの令以降は
   おかしくなった。その2年後に堀田正俊が殺された後は大老を置かず、
   側用人を重用する「寵臣執政」の様相を帯び始めた。

   元禄11年(1698)の勅額火事、宝永4年(1707)の富士山噴火などの
   災害が相次ぎ、経済が大きな打撃を受ける。【財政の建て直しを図るため年貢の
   引き上げ、悪貨の乱発などが行われ、社会の不平不満が鬱積していた時代で、
   赤穂事件は正に胸のすくようなできごとであった。】


 ●スケープゴートにされた上野介

  【当時のメディアといわれる芝居ではこれを面白おかしく脚色して上演、ヤンヤノ
   喝采を受けた。その大半は上野介を悪と見立てた勧善懲悪の筋立てで、後世に確かな
   史実の裏づけのない歴史観を伝える元になったようだ。(中略)言い換えれば、
   適切な検証もせず浅野内匠頭を処罰し、数々の失敗を重ねた幕府に向けられるべき
   民衆の不満の矛先が上野介一身に向けられるかたちとなったのではないか。】


こういう面は確かにあるだろう。
つまり、事件の起きた時代が悪かった。
そして、江戸という場所もアダになった。

江戸っ子といえば、「義理人情に厚い」の代名詞みたいなもんだけど、
その一方ではかなり辛辣であり遠慮もない。
このマイナスの面が、義央を悪役にするのを加速させた。

場所と立場をわきまえずキレた浅野長矩、
愚かな主君に殉じた忠臣の浅野家臣、
そして不満を抱え、かつ刺激的なことが大好きな江戸の庶民。
この3者ががっちりタッグを組んだ結果、大悪人・吉良上野介義央が
この世に誕生した。
そんな風には思えませんか?



さて、この辺で吉良義央公の像のあたりまで来ました。
義央公のおわす上屋の先には、こんなものがある↓。


両国・吉良邸跡25



【みしるし洗いの井戸】

義央公の御首を洗ったといわれる井戸のようです。
ここは当然、覗くでしょう。


両国・吉良邸跡26



あ、あれ?
なんかずいぶん・・・
当時の井戸を再現しただけ?

前々回紹介した、史蹟整備の趣意文には
「旧松坂町吉良邸内伝首洗い井戸の所在地たる東両国3丁目18番地の5の
旧宅地29坪5合1勺を購入し」とあるので、
じゃあ東両国3-18-5ってどこじゃい・・・と思ったら、
現在5号は存在しないらしい。

うむ、昭和8年の住所だからな(笑)。
しかし、『都指定旧跡 吉良邸跡 本所松坂町公園』というリーフレットには
【邸内の「吉良公 御首級(みしるし)洗い井戸」を中心に土地を購入し】とある。

なら、井戸はずっとこの場所に残ってたってことか?
保存工事の結果、ちょいとばかり現代風に味気ないものになっちゃっただけなのかな?

吉良義央を討ち取ったあと、浪士達は首のない遺体を寝所に安置し、
首は主君・浅野長矩の眠る泉岳寺へと運んだ。
あの日、討ち入りがなければ、この井戸の水は茶会に供され、
義央は米沢へと旅立っていたかもしれない・・・
切ないのう。


もっと切ないのが、井戸の隣にあるこちら↓。


両国・吉良邸跡27



両国・吉良邸跡28



討ち入りで無残にも殺された、吉良家臣20人の供養碑です。
吉良義央以上に、この方達は世間に顧みられることは少ない。

吉良家中には役職などの不明な者もおり、後日死亡した者も含め
正確な被害者の数はわかっていない。

『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』では38名を紹介しながらも、
44人死亡という説もあわせて紹介している。
『吉良供養』によると、

 【公の調書では死亡16名、負傷23名となっているが重傷で落命する者が多く、
  検視後には死亡23名負傷16名と逆転。いずれにせよ、家中の約半数が
  死傷した。】

だそうな。

討ち入りの際、浪士達の間では「刃向かう者のみ斬る」という取り決めが
あったという話がある。
が、実際は「敵対して勝負仕り候者は三、四人許り、残りの者どもは立合に及ばず、
通り合せに討捨て」られたという浪士側の証言もあり、杉浦日向子先生の言葉を借りれば
【完全なワンサイドゲーム】でバッサバッサと多くが斬られた。
浪士側には死者はいない。

そしておそらく今も、ここで殺された吉良家忠臣の墓の場所はわかっていない。
これを理不尽と言わずして何と言う・・・


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最終更新日  2014年05月08日 21時37分48秒


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