戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年05月09日
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カテゴリ: 江戸めぐり
吉良家臣の供養碑のとなりにあるのがこれ↓。


両国・吉良邸跡30



吉良義央の追慕碑。
吉良町から寄贈されたものらしいな。

最後がこちら↓。


両国・吉良邸跡34・松坂稲荷


両国・吉良邸跡35・松坂稲荷


両国・吉良邸跡36・松坂稲荷



 【松坂稲荷大明神由来


  「兼春稲荷」は徳川氏入国後、現今の社地たる松坂町方面に御竹蔵を置かれし当時、
  其の水門内に鎮座せしもので元禄15年の赤穂浪士討入り後、吉良邸跡へ地所清めの
  ために遷宮され、昭和10年に既存の「上野稲荷」と合祀され、当本所松坂町公園
  開園とともに当所に遷座されました。】
  (現地解説板より)


地所清めか・・・
わざわざ幕府所有の御竹蔵のお稲荷様を遷すとはね。
「本所Wデビュー(11)」 にも書いたけど、討ち入り後、
吉良邸の敷地はまるごと町人地へ移行している。

公園内にある別の解説には、この松坂稲荷は吉良義央を祀っていると
書かれている。




両国・吉良邸跡37・松坂稲荷



これは、ずいぶんと綺麗にしてるな。
それに、この捧げかた・・・
確かに吉良義央を祀っているのかもしれない。


こちらが社殿の妻↓。


両国・吉良邸跡39・松坂稲荷



上屋の懸魚↓。


両国・吉良邸跡40・松坂稲荷



ちょっと略式な感じだけど、デザインが面白い。

以上で本所松坂町公園はおしまい。
低い扉をくぐって外に出ると、向かいにも小さな神社があり、
史跡案内の例の高札が立っている↓。


両国・飯澄稲荷2



 【鏡師中島伊勢住居跡

  中島伊勢の住居は、赤穂事件の後、町人に払い下げられ、本所松坂町となった
  この辺りにありました。伊勢は、幕府御用達の鏡師で、宝暦13年(1763)、
  後に葛飾北斎となる時太郎を養子とします。

  北斎の出生には不明な点が多く、はっきりとしたことは判りません。中島家は
  この養子縁組を破綻にし、実子に家督を譲りますが、北斎はその後も中島姓を
  名乗っていることから、中島伊勢の妾腹の子だったという説もあります。

  飯島虚心の『葛飾北斎伝』によると、北斎の母親は赤穂事件に登場する吉良方の剣客、
  小林平八郎の娘で、鏡師中島家に嫁いでいるとしています。この話は、北斎自身が
  広めたようです。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


北斎ジジイに関しては謎が多いようだけど、
『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』によるとこの辺りに中島伊勢の住まいがあったのは
確かなようで、伊勢の養子にもなったようなので、この辺で幼少期を過ごしたとは
言えるだろう。

北斎はその生涯で90回以上も引っ越しをしたとされるが、
その住居のすべてがわかっている訳ではないらしい。
けど、江戸市中での町人地は限られていたんだし、
少なくとも半分くらいは本所界隈に住んでたんじゃないかという気がする。
生まれも本所らしいので、本所の道のほとんどを歩きつくしていたかもしれない。


で、吉良家臣の小林平八郎さん・・・
この方もイマイチ不明な点が多いらしく、フィクションとしての「忠臣蔵」では
不破数右衛門と対峙するなど、吉良陣営で最も活躍した剣客として描かれる。
が、

 【『大河内文書』によれば、平八郎は逃げようとしたところを赤穂浪士達に捕らえられ、
  「上野介(義央)はどこか?」と聞かれたのに対して、「下々の者なので知らない」
  と答えるも、「下々が絹の衣服を着ているはずがない」と言われ、首を落とされたと
  している。】(ウィキペディアより)

『吉良供養』でもこちらのあえなく首を落とされた説で描かれる。
ただし、【この資料は上杉家の編纂したものであるため、山吉盛侍など上杉家家臣の
働きのみを評価し、それと相対させて吉良家家臣を貶める傾向があると指摘する研究家もおり】
(ウィキより)正反対の説のどちらが正しいのかはわからない。

小林平八郎の墓は、ウィキペディアでは2つ紹介されている。
1つは中野の万昌院。
ここには吉良義央の墓があり、吉良家臣の墓もある。
ただ、家臣の墓は供養墓だろうと思われる。
前回、「吉良家臣の墓の場所はわかっていない」としたのは、
本当の埋骨場所という意味です。

もう1つが巣鴨。
なんと 本妙寺 の近くだというじゃあ~りませんか~!
今年の夏の墓参りの後に寄ってみるかな。


ここの神社は「飯澄稲荷」。
その隣には、こんなものがあった↓。


両国・吉良まんじゅう(大川屋)



「吉良まんじゅう」?
「買い」でしょ~!!

吉良まんじゅうの立て札の後ろのベンチには、リーフレットも置いてあった。


両国みやげ3



これを頂いてから、吉良まんじゅうを求めに大川屋さんへ。
和菓子やさんで上生とかも美味しそうだったけど、
すでにここまでで沢山土産を買っているので、
とりあえず「吉良まんじゅう」とおせんべをお買い上げ~。


両国・吉良まんじゅう



きなこ餡とあったけど、ちょっと落花生餡に似た感じだったな。
一緒に買ったおせんべは大川屋さんで作っているものではないようだけど、
これがチョ~美味かった。

『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』にはこんな解説がある。

 【吉良邸跡前にある両国大川屋は、明治2年(1887)に創業された和菓子屋で、
  名物の黄名粉あんの焼菓子「忠臣蔵の吉良まんじゅう」がおみやげとして、
  観光客らに喜ばれている。この両国大川屋の歴代の女将は、昭和9年(1934)
  に吉良邸跡(本所松坂町公園)が完成して以来、邸内の清掃を欠かさず行っている。】

ああ、なるほどね~。
たぶん毎日お掃除して、お水とかもきちんと替えてるんだろうな。
すごく綺麗にしてたもの。

大川屋さんは下の図の青の星の部分にあります。


両国・吉良邸見取り図-7



大川屋さんのあるブロックは、現在では一般住宅が建つ。
そして、この区画は吉良邸の建物部分がすっぽり入ると思われます。

討ち入り当時の吉良家当主・左兵衛義周(よしちか/よしまさ)については
「忠臣蔵(後)」 でも簡単に書いてますが、
義周の寝間と居室もこの区画内にあり、ここで夜這い・・・じゃなくて
襲撃を受けた。

若い義周は果敢にも防戦するが、額を斬られた。
『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』では肩も斬られ、肋骨は折れていたという。
おそらくそこで気を失って、そのためにとどめを刺されずに済んだんだろうな。

それでも【事件後に来た幕府の検分役に重傷の身で気丈に応対して、
検分役を感心させている】(ウィキペディアより)という。

しかし、辛くも助かった義周に対し、幕府の反応は冷たかった。
「おめおめと生き残りやがって」とか「当日の対応が不届きじゃ!」とか言われて、
元禄16年(1703)2月4日、浪士達が切腹、吉良邸は没収&改易、
義周は信濃諏訪藩へ預かりとなることが言い渡される。

その1週間後の2月11日には信濃へ発つ。
護送の諏訪藩士130人が付いていたが、義周の家臣は2人だけ。
荷物は長持3コ、つづら1コというわびしさ。

諏訪での幽閉生活は、いちおう高家の出ということでそれなりに大切にされ、
たばこも許され、衣服や蚊帳も与えられたという。
しかし、【自殺防止のため剃刀すら与えられず、暖をとる火鉢もない部屋で過ごした】
(『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』より)といい、諏訪藩士が義周の前に出る時は
帯刀は禁止されていたという。

宝永2年(1705)からは寝たきりとなり、翌1月20日、
20才の若さで死亡。


ウィキペディアによると、【義周は「武芸等不得手」と文献に特筆されているように、
生来虚弱な体質で病で寝込むことが多】かったという。
それでも自ら武器を取って抗戦したのに、世間の風はあまりにも義周に冷たかった。

元々長生きできる体質でもなかったかもしれないけど、
討ち入りから改易までの心労、厳しい蟄居生活などのストレスが
命を縮めた可能性は十分にあるだろう。

改易からぴったり3年後の宝永3年2月4日、幕府の検死を終えた義周は
諏訪・法華寺に葬られた。
諏訪まで付き添っていた2人の家臣、左右田孫兵衛と山吉盛侍は
義周の石塔を自然石で立てて欲しいと代金3両を寺に納めたというから、
浅野長矩以上にわびしい葬儀だったんじゃないだろうか。


 【上諏訪の法華寺には小さな自然石の墓が残っている。檀家から「もう少し大きく
  立派なものに替えたらどうか」という提案があったが、住職が墓の中の吉良さんに
  聞いたところ「大石(内蔵助)はもうこりごり」という返事が聞こえたといって、
  やんわり断ったという。300年を経た今、当時のままの姿で静かに守り
  続けられている。】
  (『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』より)


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最終更新日  2014年05月09日 22時59分53秒


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