戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年05月22日
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カテゴリ: 江戸めぐり
本因坊さんちの後は、ちょっと南へ寄ります(地図は こちら )


両国・堅川



両国・堅川2



川にかかる橋の上ではあいにく工事をしていたので、
あまりいい感じで写真は撮れませんでしたが、これが竪川。
上記リンク先の地図でもわかるように、ホントにまっつぐで人工的な川だと
すぐにわかります。
これは、昔のままなんです↓。


両国・尾張屋清七版 江戸切絵図-2
      (「尾張屋清七版 江戸切絵図」より)


明暦の大火後の本所の成り立ちを 「本所Wデビュー(20)」 で
軽く紹介してますが、排水にも一役買った川らしいです。
のちには、大川と中川をつなぐ水運にも役立ったようです。


現在では竪川の上を首都高小松川線が通っているので、
あまり歴史のある川の風情はありませんが、
こういう川もだいぶ少なくなったらしいので、残ってるだけいいのかもしれません。

で、上記リンク先の地図を江東橋のあたりまで右にずらすと
「大横川」という川が出てきますが、これも人工の川。

北を上にする現在の地図で見ると、東西(=横)に流れる川を「竪川」と呼び、

これは実は江戸城から見た呼び名なんだそうです。

上の「江戸切絵図」は両国界隈だけをピックアップしたものだけど、
両国橋の先の画面の切れている上の方には江戸城があります。
だから、江戸城から竪川を見ると、まっつぐ自分の方へ流れているように見える川な訳です。
こんな細い川の名前ひとつにも歴史がにじんでます。



裏門の近くにもこんな高札がありました。


 【江東義塾跡

  文豪、夏目漱石が明治19年(1886)から約1年間教師をしていた
  私立学校江東義塾はこの辺りにありました。当時漱石は、大学予備門(一高)で
  学んでいましたが、ここで教師をするようになってから、さらに学業に励み、
  ほとんどの教科で首席でした。

  漱石は「夏目漱石全集」(筑摩書房)の中で、「その私学は有志が協同で設けたもので、
  ・・・月に使えるお金は五円で、少額であるが、不足なくやって行けた。時間も、
  午後二時間だけで、予備門から帰って来て教えることになっていた。だから、
  夜は落ち着いて自由に自分の勉強をすることができた。」といったことが
  書かれています。】


ほ~、夏目漱石・・・

漱石といえば、高校の頃、夏休みの課題図書かなにかで「こころ」を読まされて、
あの果てしなく暗い世界に気が狂いそうになって以来
漱石ギライになったわたくし・・・

両国には「芥川龍之介生育の地」などもあり、今回も文学碑のすぐ近くを通りましたが、
これは明治の文豪ツアーじゃないので、その類の写真は撮ってません。
で、これで吉良邸周辺のお目当ては制覇したので、
少し南へ下がって竪川のすぐ北を流れる道を西に向けててくてく・・・

後から地図を見ると、その道沿いには出羽海部屋もあったようですが
エンディングが近づいていたので、この頃にはすっかりそんなこと忘れてました


竪川にかかる橋を数本見た後、最後に出てくるのが「一之橋」。
一之橋のすぐ先は、道なりに北へ折れる。
そのまま周りを見ながら歩いていくと、脇の小道にこんな面白い建物があった↓。


両国・大川付近



現地ではフツーのマンションかと思って鼻で笑いながら
遠くから写真を撮っただけだったんだけど、
後から地図を見たらこの辺に春日野部屋があるらしいので、
もしかしたらこれがそうだったのかもしれない。
てか、たぶんこれがそうだな。


この少し先はこんな道↓。


両国・赤穂浪士休息の地



左に史跡解説の高札が立ってますね。
ここはこういう場所です↓。


 【赤穂浪士休息の地

  元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士は本所二ツ目の吉良邸に討ち入り、
  主君である浅野内匠頭の仇討ちを成し遂げました。これが世に言う赤穂事件で、
  芝居などで「忠臣蔵」と呼ばれるようになりました。

  赤穂浪士が討ち入り後、泉岳寺への引き揚げ前に休息をした場所がここにあった
  広小路です。吉良家への応援に駆けつけて来るであろう上杉家の家臣たちを
  迎え撃つ心算であったとの説もあります。休息後、大名との無益な衝突を
  避けるため、登城路になる旧両国橋を渡らず、一之橋、永代橋を経由して、
  泉岳寺へと引き揚げました。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


ということで、 「本所Wデビュー(18)」 で回向院裏門からの侵入を拒まれた
わたくしは、表門へ回ったり忘れ物をしたりと吉良邸周辺をぐるぐる歩き回りましたが、
元禄の古図を見るとやはり当時の回向院の正門も幕末と同じ東にあったようで、
途中まではわたくしは浪士達と同じルートを辿ったようです。

それで、回向院での休憩を拒まれた浪士たちは途中から西に向きを変え、
春日野部屋の近くを通ってここまで来たようですね。

解説には討ち入りの日は14日となってるけど、
この日の午後に集合して準備をして、実際の襲撃は日が変わってからだった。
15日といえば、大名たちの江戸城への定例登城日。
ので出勤ラッシュを避けるため、すぐ先にある両国橋を渡らなかったものと思われる。

ただ、ここの高札にはこんな絵も掲載されてるけどね↓。


両国・歌川国安「忠臣蔵義士四十七騎両国撤退図」



歌川国安画「忠臣蔵義士四十七騎両国撤退図」。

これがどの橋かわからないけど、川幅からして両国橋のような気がする・・・
まあ、両国橋を渡らせる方が絵にはなるよな。


で、浪士側が気にしていたと言われる上杉家の動きはどうだったのか?
ドラマでは周囲に加勢を止められて

「ぢぢうえ~~!!!」

と鼻水垂らして泣きわめく藩主・綱憲の姿があるけど、
ウィキペディアによると

 【上杉家では藩邸に討ち入りの報が入ると、直ちに数人を出して様子を探らせ、
  赤穂浪士に対抗できるだけの人数を集めていた。そうしているうちに吉良義央が
  討ち取られて、赤穂浪士たちは引きあげてしまったという報告が入った。
  やがて、幕閣から上杉家へ赤穂浪士の処分は幕府が行うので上杉家は手出し
  しないよう命じられてしまった。】

だそうな。

結局、上杉家では兵を出すことはなかったので、
江戸っ子からは腰ぬけのレッテルを貼られ、

   上杉のえた(枝)をおろして酒はやし 
        武士はなるまい町人になれ

   景虎も今や猫にや成りにけん 
        長尾を引いて出もやらねば


などの落首で好き勝手言われてしまった。
浅野長矩のぶち勝手な行動の犠牲者がここにもいることを忘れないでください


さて、しばしの休息の後、浪士たちは吉良義央の首を引っさげて
泉岳寺目指してここから大川の東岸を南下する。
一之橋を渡ったそうなので、この道を私と逆に歩いていったってことだな。

その後は永代橋を渡り、旧赤穂藩邸に寄りつつ、
築地本願寺を通り過ぎ、汐留を抜けてずっと南へ。
泉岳寺に着いたのは、午前8時半頃。

『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』には【引き揚げにかかった時間は約4時間と
いわれている】とあるけど、どうなんだろうね、コレ。

そもそも、討ち入りを開始した時間というのも
午前3時過ぎとか午前4時頃とか、若干のズレがある。

早い方の3時説を採用するにしても、一連の殺戮に約1時間、
邸内の後始末と回向院に寄って広小路での休息を終えるまでのトータルで
2時間ぐらいかかってるんじゃないのか?

そうすると、ここ広小路を出発するのが5時頃だから、
ちょっと4時間はかかりすぎじゃないかって気もする。

ただ、回向院に寄ったのは6時前のはずなので、
少なくとも2時間半以上はかかってると見てもよさそうではある。


泉岳寺に着いた浪士たちは浅野長矩の墓前に吉良義央の御首を供え、
討ち入りを報告。
住職は浪士たちを温かく迎え入れ、酒と食事を提供したという。

 【この時、泉岳寺は上野介の「首」の預かり証を書いたが、今も
  泉岳寺に残されている。】
  (『忠臣蔵外伝 その日の吉良邸』より)


浪士たちは翌年2月4日、切腹が言い渡され、
その日のうちに事が済んだ。
その亡骸は泉岳寺に葬られ、「忠臣蔵」ファンが今も墓参に向かう。


泉岳寺の居開帳で浪士たちの遺品が客よせの展示に使われた話を
前々回紹介してますが、ウィキペディアにも面白い記事があった。


 【義士の討ち入り後、当時の住職が義士の所持品を売り払って収益を得たことに
  世間の批判が集まり、あわててこれらの品を買い戻しに走ったことがある。】


営業、営業・・・

買い戻した甲斐あってか、現在の泉岳寺の境内には浪士たちの遺品を展示する
「赤穂義士記念館」があるんだそうな。


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最終更新日  2014年05月22日 23時07分30秒


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