戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2014年05月23日
XML
カテゴリ: 江戸めぐり
前回に引き続き、広小路。


両国・尾張屋清七版 江戸切絵図-3
     (尾張屋清七版 江戸切絵図より)


黄緑のラインが現在の京葉道路。
これはそのまま大川へ出て、現在の両国橋につながります。
で、わたくしがいるのは紫の矢印のお尻のあたりになるのかな。


両国・赤穂浪士休息の地



この辺の写真はあまり撮ってないので、前回と同じ写真ですが、
真ん中の電信柱の奥に見えている大きな建物の手前が京葉道路。



 【旧両国橋・広小路跡

  旧両国橋は現在の両国橋の下流約50メートルのこの辺りに架かっていました。
  完成は万治2年(1659)12月。明暦3年(1657)の大火が大災害と
  なったため、幕府が防災上の理由から架け、武蔵と下総の国を結ぶ橋なので、
  両国橋と呼ばれました。

  橋の上は、四方が眺望できる絶景の場所で、近くは浅草の観音堂、遠くは常陸の
  筑波山まで見えたようです。橋が架かったことで交通の要衝となるとともに、
  橋の袂には火除け地としての広小路が設けられました。

  西側(日本橋側)は「両国広小路」といわれ、芝居小屋や寄席、腰掛茶屋が
  立ち並び、東側は「向こう両国」と呼ばれ、見世物小屋、食べ物屋の屋台が

  2万人以上が往来したとされています。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


両国橋はちょっと後回しね。

再び 「本所Wデビュー(20)」 に続く明暦の大火の話ですが、

松平信綱を中心とする幕府は思い切りよく江戸の大改造に着手した。

明暦の大火以前も、江戸ではひんぱんに火災が起こっていたので、
この大災害を機に防災の町づくりにも注意を払った。
以下、『明暦の大火』(黒木喬著)から簡単に防災対策を紹介しましょう。


(1)道路の拡張
 それまでは道路の両側にある商家では京間1間(約1.97m)もの庇を
 道路に張り出していたそうなのが、避難を容易にするのと延焼を防ぐ目的で
 魚・鳥・青物などの生ものを扱う商店の多い河岸通り以外は全部取っ払った。


(2)河岸端禁令
 河岸通りや橋は火災の時の避難ルートとなるため、大火前から木材系の積み方は
 決められており、小屋・雪隠などは禁止。橋の上やたもとでの商売は禁止されていた。
 それから、橋詰・道のつきぬけ・積み荷を上げ下ろしする場所などには
 商売物を置くことが禁止されていた。

 避難通路に物を置くなってのは現代も同じだけど、なかなか守られず時に被害が
 拡大するように、当時も何度も幕府から厳重な通達が出されても、イマイチ
 効果が上がらなかったらしい。


(3)広小路・防火堤の設置
 火除け地・広小路と呼ばれる広場が両国をはじめあちこちに設けられた。
 上野にも広小路があるけど、これもそうらしい。「防火堤」の詳しいことは
 わからないけど、まあ被害の拡大を防ぐ土塁といったところなんだろうか。
 明暦の大火では、川も海も越えて火が飛んだからね。

 湯島の広小路には植溜(うえため)と呼ばれる樹木などの栽培場があったそうで、
 災害の際には植溜が避難場所にもなった。両国広小路にもこの植溜があったらしい。

 田安門外にあった火除け地にはゴミの不法投棄が多かったそうで、門番は見つけ次第
 捕らえるように言われていた。
 火除け地にも当然商売物を置くことは堅く禁じられていた。


(4)屋根の泥ぬりと穴蔵
 『明暦の大火』では【町家の屋根から瓦が消えたのは、大火のさい、瓦が落下して
 多数の怪我人が出たという理由で禁止されたからである】とある。が、実際には
 万治3年(1660)に「町中茅葺・藁葺早々に土にて屋根を塗り付けること。
 出来得れば瓦葺の屋根にすること。」というお触れが出されているので、
 ちょっと黒木氏の意図がよくわからない。

 が、ともかく防火のために茅葺やわら葺きの屋根に土を塗ることを指示したようで、
 期限つきで実行しなければ家を取り壊すと厳命している。寛文元年(1661)
 になると、新規で茅葺やわら葺きの小屋を建てることは禁止され、板葺にするようにと
 指示が変わっている。

 ・・・板葺だって燃えやすいけどね(笑)。幕府にシビアな目を向ける黒木氏は
 【むしろ、町家など焼けやすいように造っておいたほうが、今後も市街改造が
 スムースに実施できると考えていたかもしれない】とするけど、それはちょっと
 言いすぎじゃ・・・

 あと、穴蔵。
「図書館の収穫・・・ホネと火事」 で地下室のことを少し書いてますが、
 それのことです。『明暦の大火』には

 【穴蔵という地下室を掘って貴重品を入れておき、火事のときには身ひとつで
 逃げるようになった。荷物の山で逃げ場を失った大火の教訓は、ここに生かされた
 のである。】

 とある。
 ふんふん、そーゆーことだったのか~!そして、

 【穴蔵は流行して、江戸の十分の一が穴になったといわれたほどであった。】

 だそうな
 じゃあもしかしたら、今でも古い木造住宅の地面の下には誰かさんのヘソクリが
 残ってるかもしれないんだな。鉄筋の建物だったら、とっくに掘り返されちゃってる
 でしょうけどね。


(5)定火消と町方の消防
 これはもうそのまんま、消防団の設置です。
 ただ、大岡忠相による町火消の制度化はもっと後の時代だけどね。


という感じで、智恵伊豆も色々と工夫をこらしたようですが、
両国橋のたもとに広小路が造られたのは、大切な橋を火から守るためでもある。
橋を守ることは避難ルートの確保にもつながるしね。



さて、1日に2万人も往来したという驚異的な通行量の両国橋。
目ざとい商人たちがこのビジネスチャンスを逃すハズがない。
ので、常設の店舗にしないという条件のもと、小屋掛けスタイルで
店が立ち並ぶようになった。

見世物系のひとつだと思うけど、史跡解説の高札にはこんな絵が載っている↓。


両国・水仕掛け大からくり引札-2
      (「広小路における水仕掛け大からくり引札」)


その他にも、

 【風来山人(平賀源内)の『根南志具佐』などに見られるように、講釈・軽業
  などの興行や豆腐料理・玉子焼き・茶・餅・鰻の蒲焼き・鉢植え・釣竿・化粧品・
  ガラス細工・髪結いなどさまざまな店が並び、多くの人々で賑わった。】
  (『地名で読む江戸の町』大石学/PHP新書より)

う~ん、卵焼き・・・おいしそ。
厚焼きかな。

かつての回向院の正門が西に付いてたのはなんでなんだろう?と思ってたけど、
江戸切絵図を一番上の図のように回転させてやっとわかった。

江戸の中心部から両国橋を渡ってくると、その正面にどーんと回向院の
山門があるってことだったんだな。
回向院の西側(図では左側)にある「元町」などはどれも町人地だから、
常設にしないと言いつつも、元町の敷地にも各種店舗が
軒を連ねていたのかもしれない。




浅草生まれの池波正太郎は、本所界隈はほとんど庭のようなものだったようで、
大川端を舞台にした時代小説も多い。

その他、江戸の各地を紹介しながら、自分が生まれた頃の話や
ちょっとした歴史の話を『江戸切絵図散歩』という本の中で書いている。

それによると、浅草寺よりちょっと北にある待乳山は大きな山だったのが
元和5年(1619)に幕府が削り取ってしまったといい、

 【それより、五、六十年の間は、このあたりの荒涼たる景観は物凄いばかりの
  ものであったらしく、
 「堤の、夜の闇の中を歩いていると、どこからともなく、なま臭い血のにおいが
  ただよってきて、肌に粟を生じた」
  などと、むかしの本に書いてある。強盗や辻斬りが絶え間もなかったのだ。】

とある。


「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵こと鬼平の私的テリトリーは
前回歩いてきた竪川の南側あたりの設定らしいけど、
「剣客商売」で藤田まこと・・・いへ、秋山小兵衛が若い奥さんと暮らす家は
ドラマだとものすごいイナカに見えたから、都下(23区外)あたりかと思っていたら、
なんと浅草寺の対岸をも少し北に上がった鐘ヶ淵だというじゃあ~りませんか~!

「剣客商売」の時代設定までは知らないけど、もともと回向院の場所は
処刑地だったというし、大川を隔てただけなのに、本所一帯は古くは
かなりイナカでさびれた場所だったんだろうな~。

それが、明暦の大火を境に一変。
中でも両国は江戸でも随一の繁華街となった。

江戸っ子で賑わう華やかな両国を思い浮かべて江戸情緒に浸るのもいいけど、
大火以前のさびしいイナカの風景をそこに付け加えると、
さらに両国の歴史が味わい深いものになるんじゃないかと思います。

華やかな時代をすっ飛ばしてイナカの時代を想像しろなんて勧める人も
あまりいないかもしれませんが、それもひとつの楽しみ方だと思うのですよ。


↓ランキング参加ちう。クリックよろしくね
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年05月25日 12時42分20秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: