戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年05月25日
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カテゴリ: 江戸めぐり
両国橋東詰の公園の奥には、さっき高札群から見た石碑があった↓。


両国・両国橋手前2



「元帥侯爵大山巌書」とある。
本所松坂町公園にあった碑 の墨田区長さんの字もやたら綺麗だったし、
偉くなる人は字も綺麗にならないとダメだね(笑)。

吉良邸付近で買ったお土産でだいぶ手荷物が増えていたので、
カバンに詰め直して荷造りを整えてから両国橋へ。


両国・両国橋から大川



両国橋の上から南側の眺めです。

しかも大川沿いを走る首都高向島線がジャマして下流がよく見えない。

が、永代橋を越えて佃島・晴海を過ぎるともう東京湾。
昔は江戸湾ていうのかと思ったら、これは造語で
江戸期に「江戸湾」という言葉は使われていなかったんだそうな。

う~ん、大川だ~、大川
と思って橋の上から眺めていたら、首都高の下になんか道みたいのが見える・・・
あれって、川べりを歩けるようになってるのかな?
もともと両国橋を渡り切るつもりはなかったし、
ちょうどすぐ左手に階段らしきものが見えたので、戻って入口を探すことにした。

橋から東詰に戻ると、正面にこんなお店が見えた↓。


両国・両国橋東ももんじや




しかも、お店の名前・・・「ももんじや」?
大川下流の月島なんかはもんじゃ焼で有名だから、もんじゃの店かな?
それとも、イノシシがおるからシシ肉でも食えるのかな?

この時は鼻で笑って写真を撮っただけでしたが、
帰ってから『両国物語』を読んでたら、ももんじやさんのことが載ってた。


  老舗である。
  「ももんじ」とは「百獣」と書き、獣の肉のこと、かつては獣の肉を 
  食べさせる店を「ももんじ屋」と総称した。(中略)

  江戸時代は獣を食べることを禁忌とした時代だった。しかし、うまいものは
  やっぱりうまい。江戸人は、それを「薬食い」、または「山くじら」と称して、
  食べた。二代広重が「名所江戸百景 びくにはし雪中」で描いた風景は、
  そんな食文化が江戸に定着していたことを示すが、その絵は現在、この
  「もゝんじや」のシンボル画になっている。】
  (『両国物語』/墨田区観光協会より)


へえ~っ、ももんじ!百獣!
面白いな・・・
そんな歴史を知らなければ、確実に「ヘンな看板の店」で終わってたよな(笑)。
江戸博で『両国物語』買っておいてよかったなあ


さて、ももんじやさんの前を右に曲がる。
位置的に、どうも高札のあった小道の先がアヤシイ。
そう思って高札の前を過ぎて道の奥まで行ってみると


両国・隅田川テラス入口



あったあ~!!
へえ、ここ「隅田川テラス」っていうのか。
階段を上がると、そこは首都高の真下↓。


両国・首都高向島線



うわっ、すげえな・・・
首都高ってこんな構造になってるのか。
頭の真上を車がびゅんびゅん走ってるなんてコワイな

隅田川テラスに下りて、少し下流の南側から両国橋を見たところ↓。


両国・両国橋


ずいぶん低いな・・・
現在の両国橋は江戸期のとは位置も違うし、当然当時のままじゃないけど、
昔の絵にはこんな風に描かれている↓。


両国・初代歌川広重「東都名所永代橋全図」2
      (初代歌川広重「東都名所永代橋全図」)


両国・歌川広重「江戸名所百景 両国橋大川ばた」
      (歌川広重「江戸名所百景 両国橋大川ばた」)


多少デフォルメされてる部分もあるでしょうけど、
往時の両国橋は今よりはもう少し川面からの高さがあったものと思われる。



前々回の高札の解説にも少し両国橋のなれそめが書いてありましたが、
ここでかいつまんで両国橋の歴史を紹介しましょう。

明暦の大火以前は防衛上の理由から大川には千住大橋しか
橋が架けられていなかったそうな。
千住大橋を渡る以外の交通手段は、すべて舟。
両国付近にも、その頃は「牛島の渡し」があったという。

しかし、江戸を焼き尽くした明暦の大火では、逃げ場を失った人々が
多く火にのまれた。
特に、江戸城の東側は第一陣と第二陣とダブルで被害も大きかったので
( 「本所Wデビュー(19)」 参照)、大川端での溺死者なども多く、
ために大火後は方針を転換して大川に橋を架けることを決定した。

架橋は万治2年(1659)とも寛文元年(1661)ともされる。
初代の橋は長さ94間(約171m)、幅4間(約7.3m)。

橋を架けるにあたっては、松平信綱が扇をぱたぱたと開きながら
橋の角度を決めたというエピソードがある。

お手持ちの扇子を真ん中からちょっとずつ開いてみてください。
開き具合によって角度が変わるでしょう?
傾斜が最大角になるのが、扇を開ききった時。
古い絵に描かれた両国橋を見ると結構傾斜が付いてるから、
智恵伊豆のエピソードが史実であれば、かなり開いた時点を基にしたのかもしれない。

さて、明暦の大火以前、大川の東は全くの無人の地という訳でもなく、
ぱらぱらと人も住んでいたようだし、あとは田んぼかな。

「本所Wデビュー(1)」 で両国の地名について前フリを書いてますが、
大川に新しい橋が架かる以前は、本所は下総国葛飾郡に属していた。

本所が下総国から武蔵国へ編入されたのがいつかは
「江戸初期」としかわかってないようだけど、
まあ素直に考えて大火後に大規模な宅地造成が行われた頃だろうと思われる。

新しい橋は、正式には「大橋」だった。
が、武蔵国と下総国を結ぶこの橋は「両国橋」と俗称された。
橋が架けられた当時はまだ本所は下総国だったのか、
あるいは武蔵国になってはいても、新興住宅地だからちょっとバカにされてたのか

のち、元禄6年(1693)に「新大橋」が架けられると、
俗称だった「両国橋」は正式名称へと格上げされた。

こういう流れなので、「両国」の地名は両国橋が架かったことによって
生まれた名称ということになる。
本所と対岸をつなぐ橋がなければ、「両国」でもなんでもないしね。
もし別の場所に橋が架かっていたら、おそらくそこが「両国」になっただろう。


「両国」は固有の地名なので、そーゆー歴史を知ると
「へえ、そうなんだ~」って思うけれども、初めから地名として受け入れているので
それ以上のことは何も思わなかった。

が、『江戸東京地形の謎』(芳賀ひらく/二見書房)には

 【「両国」橋という名称が今でも変更されることなく使用されているのは
  不思議でもあり、また一方で大いに意味あることと言わなければならないでしょう。】

とあって、おお、そう言われればそうだよな~ってあらためて思った。
既成概念ってコワイね。
本来であれば、もうここは「両国」じゃないんだけど、
これも歴史を伝える名称だってことだよな。


さてと、仲良しのウィキペディアには、
あいにく両国橋の細かい歴史は書かれていなかった。
で、手持ちの『江戸東京年表』を開いてみたら、そこそこ橋についての記述があった。
ので、少しそちらから橋の変遷をご紹介します。


万治元年(1658)7月16日、大川に新しい橋の工事が命じられる。

しかし、翌年7月2日、大風雨による増水で仮橋が流され、
他の場所でも橋が流されるという被害が出る。
同年12月13日、両国橋が完成。

架橋命令から1年経った夏にできてなかった橋が、
年末に出来上がっている・・・
ということは、夏に流されたのは工事中の両国橋ではなく、
ホントの仮の橋だったのかな?

その辺の詳しいことはちょっとわかりませぬが、
出来上がった橋の東西の橋詰および橋の中央には番所が置かれたそうな。

12月15日、本所・深川・鉄砲州の整備が始まり、武家屋敷地として定められた。
それと同時に波除稲荷が祀られたというんだけど、波除・・・
ここでちょっと 松坂稲荷 のことを思い出した。                                   
もいちど現地の解説を引用しますと、

 【「兼春稲荷」は徳川氏入国後、現今の社地たる松坂町方面に御竹蔵を置かれし当時、
  其の水門内に鎮座せしもので(後略)】

水門内に置いたってことは、兼春稲荷も波除け目的だよな。
この辺は前回の百本杭の解説にあったように、流れが強く当たる場所だし。

御竹蔵が本所に置かれた時期がわからないんだけど、
両国橋からちょっと北に上がっただけの場所でもあるし、
これが兼春稲荷のことだって可能性もあるんじゃないかな・・・


ああ、本所開拓にあたっては本所奉行が置かれたと
「本所Wデビュー(20)」 で一瞬紹介してますが、
開拓が終わっても享保4年(1719)まで本所奉行は残っていたらしく、
「すみだあれこれ」様のサイトによると本所奉行の任に就いたのは全部で29人。

そのうちの8代目の本所奉行が、梶川頼照・・・
狂った浅野長矩を抑え込んだ、あの かじかわ殿 なんだそうな。
なあんだ~、吉良邸も本所にあるんだし、
かじかわ殿も本所になにかと縁の深い人だったんじゃ~ん


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最終更新日  2014年05月26日 00時07分21秒


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