戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年05月30日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
お久しぶりです、上野編で~す

やれやれ、両国編にまるまる1ヶ月かかっちゃったな・・・
でも思いがけず大内氏のことも書けたし、ま~いっか~。

実は最近、「はじめてのけいけん」をしたので、
記憶の新しいうちにそれをちょっと書こうかとも思ったのですが、
いいかげん上野編を上げないとマズイ・・・

いや、上野編がどーのというより、その次のシリーズを
早いとこ始めないとヤバいと危機感を抱き始めたので、
まずは上野編を終わらせちゃいます。




前回の上野編の最後は、上野東照宮を出てすぐのところにある
佐久間勝之のお化け灯篭で終わったんだな。
(おさらいしたい方は こちら )

そのすぐ南には、こんもりした小山がある。
これを裏手から登ってみると、小さな空き地のようになっていて、
誰もいなかったのでちょっと腰かけて手持ちの菓子パンを食べながら休憩。
は~、お腹すいたな~。

この場所からは、次のお目当ての裏っかわが見える↓。


上野・上野公園・大仏パゴダ


まったりしてたところへ1人の兄ちゃんが来て



上野・上野公園・大仏パゴダ3



この場所ももちろん、かつての寛永寺の境内域ですが、
この施設は現在でも寛永寺の所属であり、ゆえに寛永寺のちょうちんが掛かっている。
ちょうちんの側面には


上野・上野公園・大仏パゴダ4




木の隙間から見えてるのが、時の鐘だな。
時の鐘は、 「新春はケージョーから(3)」 の解説文にも少し説明がありましたね。

まずは入口の看板から。


 【大佛パゴダ

  御本尊 薬師瑠璃光如来
  御脇侍 日光月光二菩薩
  (旧上野東照宮薬師堂ご本尊)

  沿革
  寛永8年(1631)堀丹後守直寄公が釈迦如来尊像を当山に建立せられ、
  1660年頃青銅の大仏に改鋳された。大正12年、大震災で破損のため
  撤去する。

  パゴダ建立
  発願者 上野観光連盟
  寄進者 大成建設株式会社
  昭和42年7月吉日竣工              東叡山寛永寺】


上野東照宮にあった薬師堂(本地堂)については、上のひとつめのリンク先の
「上野第二編(77)」でも少し触れてますが、
『寛永寺』によると寛永16年(1639)小浜城主・酒井忠勝の寄進で
康猶(こうゆう)作の薬師三尊像が安置されていたとある。

康猶は江戸時代の東寺の大仏師で、寛永寺本地堂のほか、上野東照宮の神将像、
それから日光東照宮の釈迦・大日・多宝如来像も造った人だそうな。

本地堂は寛永年間と正保年間に火災にあったらしい。
ああ、寛永年間の火事って 「上野第二編(7)」 でちょろっと書いた
寛永16年(1639)の東照社付近の火事のことかもな・・・

正保の火災の後、本地堂は再建されて明治維新まであった。
それが、明治の神仏分離令によって上野東照宮が神社となったため、
本地堂は取り壊され、ご本尊様はパゴダへ引っ越してきた。

で、『寛永寺』には【用材は寛永寺本堂再建の用材の一部となった】とある。
あれ、こんな話どっかで聞いたような・・・
そもそも、「寛永寺本堂」ってどれのことだ?
やっぱ、根本中堂のことかな・・・

そこまで考えて、正月の根本中堂特別公開のことを思い出した。
根本中堂内部の解説には

 【現在の根本中堂は、明治12年(1879)に川越喜多院の本地堂を移築し、
  上野山内の寛永寺本地堂の焼け残った材をあわせて再建され、今に至ります。】

とあったんだよね。
「新春はケージョーから(10)」 を書いた時は、
綱吉が現在の噴水広場の場所に建てた根本中堂の用材のことだと
勘違いしてたみたいだけど、ちゃんと「寛永寺本地堂」って書いてあるじゃんね~。

てことで、現在の根本中堂の一部になったのは
上野東照宮にあった本地堂の木材が正しいようですので
お詫びして訂正いたします。
やだわ、わたくしったら・・・



門を入って正面にあるのがこちらのパゴダ薬師堂↓。


上野・上野公園・大仏パゴダ6



中におわす薬師様はのぞけるようになってます。
が、撮影禁止のため写真はありません。

ここにはこんな解説も付いてます。


 【当病平癒(心と身の病を癒す)
  祈願成就のお参り

  薬師如来は大医王仏とも称され、人々の病苦を救う仏様です。

  先、薬師如来絵馬を受付にて授かり、願意と名前を記入します。絵馬を合掌に
  はさみ、正面で一礼して時計回りに薬師如来のご真言「オン コロコロ センダリ
  マトウギ ソワカ」を唱えながらパゴダの周りを歩きます。正面に戻ってきたら
  再度一礼して絵馬掛けにかけて祈願完了です。
  ※一周する間に7回ご真言を唱えてください。

  西国49薬師霊場の49番目結願札所は、此処東叡山(東の比叡山)寛永寺と同じ
  天台宗総本山比叡山延暦寺です。】


パゴダを見ていたら、作務衣を来たおじちゃんが話しかけてきた。
お坊さんなのかわからないけど、どうやらこの日のここの管理人さんらしい。

で、回りかたも教えてくれたので、あとで回ったものの、
外観の方ばっかり見てたので、いつの間にか真言を唱えることを忘れてました
まあ、どのみち絵馬も買ってなかったし、
この時は特別なお願いごともなかったしな。


んで、パゴダのはす向かいにあるのがこちら↓。


上野・上野公園・大仏パゴダ9



これが「上野大仏」です。
そう、上野にも大仏様がおわしたんですよ~。

これだけ見ると冗談みたいな光景ですが、
入口の簡単な解説にあったように、歴史のあるものです。


「上野第二編(65)」 で寛永寺ができる以前の
上野山内の推定配置図を載せてますが、この辺から不忍池にかけてが
堀家関係のものが多いので、山内の南の部分が堀家の敷地だったと思われます。

堀直寄が寛永8年(1631)に寄進した最初の大仏は、
塑像(心木に粘土をくっつけたもの)で表面を漆喰で固め、高さは丈六だったそうな。

物知らずなわたくしは、最初「丈六」を「6丈」かと思って計算してみたところ、
1丈=約3.03mに6をかけて約18mというすごい数字が出た。
ええ、ちょっと待ってよ!
18mって何階建ての建物の高さじゃないの?
いくらなんでも、まさかデショ・・・

と思って、「丈六」で検索してみたところ、デジタル大辞泉には

 【《釈迦の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったというところから》
  1丈6尺。また、その高さの仏像。座像の場合は半分の8尺に作るが、
  それも丈六といい、また、丈六より大きいものを大仏という。】

とあった。
なるほどね、つまり正確な高さは今となってはわからないってことか。
それにしても、485センチの人間なんてどっから出てきた話なんだ

で、その丈六の大仏は正保4年(1647)の地震で崩れてしまったんだそうな。
どうも、お首が落ちたらしいんだけど。
17世紀の間は関東でマグニチュード6以上の地震が10~15年おきくらいに
頻発していたので、大仏様もくたびれちゃったのかもしれない。

正保4年の地震は5月13日。
『江戸東京年表』によると、大名屋敷で被害が出て人馬が多数死んだとある。
この年9月には【皇弟守澄法親王が輪王寺門跡となる】と
『江戸東京年表』にあるんだけど、 「上野第二編(19)」 で自分のまとめた
年表を見返してみると、宮が輪王寺門跡となるのは明暦元年のことだから、
ちょっと違うな・・・
たぶん、9月に下向してきたんだろう。

にしても、大仏が崩れるほどの地震から間もない時期に、
守澄法親王が江戸入りしたのか・・・
明暦に入って輪王寺門跡となり、三山管領の宮となった直後に
明暦の大火が起こってるので、宮も結構苦労したんだな。

まあ、幸いと言っちゃなんだけど、明暦の大火では寛永寺は風上だったので
大きな被害は受けてないと思う。( 「本所Wデビュー(19)」 参照)

宮のパパ・後水尾院は突然の譲位の後は松姫(徳川和子)以外の女性に
ボロボロ子を産ませている。(譲位頃については 「上野第二編(62)」 参照)

明暦に入ると子作りも一段落した頃だけど、
後水尾天皇と幕府のいざこざは与右衛門の歴バナで書いた通りなので、
頻発する地震や空前の大火の報を受けとって、宮を江戸へやったことを
後悔していたかもしれないな・・・


話を大仏に戻します。
明暦年間、木食上人によって高さ2尺2丈(約7m)の青銅製大仏に生まれ変わった。
元禄に入ると、輪王寺宮・ 公弁法親王 によって大仏殿が建てられたというから、
しばらくの間は露座だったのかもしれない。

しかし、天保12年(1841)、宮の建てた大仏殿から出火、
またもや大仏の首が落ちる。
この時は越後椎谷藩主・堀直央によって修復され、幕府が大仏殿も再建した。

が、安政2年(1855)の安政の大地震によって3度めのお首落ち
この時も堀家によって修復がなされたようで、
大仏建立以後の長きにわたって堀家が関わっていたことがわかる。


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最終更新日  2014年05月30日 23時42分42秒


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