戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年07月01日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
7月に入りましたね~。

生きて大殺界を越えられましたよ。
良源さんのおかげ ですよ~。
「南無元三慈恵大師常住金剛」(良源さんに帰依します)ですよ~。

ただ、6月はわたくしの愛する方々の命日が多く、
毎年ひっそりとそれぞれの命日を迎えているのが、
今年は6月はじめにケガをしたもんで、
心静かに冥福を祈るなんて悠長なことはできませんでしたが

まあそれでも、今週はあゆみちゃんを1本にして出勤しても


TVのニュースなどではトーハクの大型企画展が話題ですが、
わたくしは白菜には興味ないので、行きたくてたまらない企画展じゃなくて
これまた良かったです。

今日は三井記念美術館の特別招待会のチラシを見ていて、
秋に「足利将軍家の至宝」なんて企画展をやることを知りましたが、
この頃には完治してるハズだからこれはぜひ観に行こうと野望に燃えてます



さて、こちらが湯島天神の本殿↓。
下の屋根がジャマですが、この時は菊花展をやっていたので
しょうがないッス。


上野3・湯島天神41



上野3・湯島天神43






上野3・湯島天神44



上野3・湯島天神45


ここからは、菊花展に出品されている見事な菊なども交えてご紹介します。


上野3・湯島天神47



上野3・湯島天神48




やっぱ菊は大玉だよな。
この先には、石碑のような不思議なものが↓。


上野3・湯島天神49



「努力」・・・
学問の神様にぴったりのアイテムだな。


上野3・湯島天神50



上野3・湯島天神51



上野3・湯島天神52



上野3・湯島天神53



上野3・湯島天神54



この辺りは社殿の裏手になります↓。
建物自体は再建の味気ないものですが、ここにも色々あって
まだまだわたくしの奮闘は続きます。


上野3・湯島天神55


この写真の手前には


上野3・湯島天神56



ああ、ここにも出入り口があったのか。
これは「夫婦坂」というらしい。

比高は大したことないけど、ここら辺も結構地形が急なんだよな。
古絵図なんかだと、男坂のある東側などはガケの表示になってるし。

この石段を下っていった辺りは「切り通し」という気になる名称になってるので、
当初は下りてその様子を確認したいと思ってたんだけど、
今はちょっと忙しいし、雨だし暗くなってきたし、今回は無理だな・・・

して、先へ進みます。


上野3・湯島天神59


戸隠神社?
なんでまた、こんなとこに・・・
この手前の蟇股もすごい↓。


上野3・湯島天神61



この蟇股の真ん中に付いてる紋、これはどうやら戸隠神社の紋らしいです。
てことは、いつ造られた蟇股かはわからないけど、
戸隠神社専用に造られた蟇股ってことだな。

戸隠神社っつったら、歴史も古く、修験道などで有名な神社。
ここに勧請されてる理由はわからないけど、戸隠神社のホームページを見たら

 【江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、
  東叡山寛永寺の末寺となり】

とあった。

なるほど・・・
湯島天神の別当は寛永寺の所属だったから、
戸隠神社の勧請もその辺りと関係がありそうだな。

『寛永寺』(寛永寺教化部発行)による天海の12の事績を
「上野第二編(15)」 で紹介してますが、このうちの7番目、
「教学の振興と学僧の要請」というのは、

 【(天海)大師がきわめて熱心に取り組まれた事の一つに天台寺院の復興と
  旧天台寺院の帰宗運動がある。(中略)また、信州の善光寺が浄土宗系に傾いて
  いたものを現在のように天台、浄土の両宗もちに改めたのも大師であった。

  このように、当時他宗になっていた旧天台寺院を天台宗に復帰させようという
  運動は、時としては軋轢を生むこともあったが、大師は確固たる信念にもとづいて
  この運動を進めたため、善光寺のようにその主張が通ったのである。】
  (『寛永寺』より。カッコ内は戦国ジジイが追加)

ということらしい。

戸隠神社も信濃。
天海が美濃あたりまで手を伸ばしてたという話も聞いたことがあるから、
寛永寺が宗教界を席巻する勢いだったのは天海の存命当時からだとわかる。

つか、寛永寺をそうやって大きくしていったのは天海だから、
天海の生きてた寛永年間頃が一番イケイケだったかもしれないな(笑)。


戸隠神社の懸魚↓。


上野3・湯島天神58



雨でだいぶ薄暗くなってきたので、ちょうどこの頃明かりがともった↓。


上野3・湯島天神62



上野3・湯島天神63


上野3・湯島天神64



戸隠神社の隣には、お稲荷様↓。


上野3・湯島天神66



上野3・湯島天神70



ここの手前の蟇股は、戸隠神社と同じように


上野3・湯島天神69



お狐様になっていて、これも稲荷専用蟇股らしい。


上野3・湯島天神68



「笹塚稲荷神社」とある。
古絵図を見ると別当の喜見院はそこそこ広いので、
神宮寺までも含めると境内域は結構な広さになると思うけど、
天神自体の敷地というのは往時とあまり変わってないように思われる。

まあ、同じ広さでも建物の配置などによって随分と変わるもんだけど、
今は本殿の裏に駐車可能なスペースを取ってるせいか、
あまり広い感じはしない。

それでも、かつての笹塚稲荷神社は稲荷らしく数本の
朱の鳥居を備えてたかもしれないけど、今はご覧の通りのスタイルなので、
代わりに朱の鳥居のミニチュアが拝殿の前やら脇やらに沢山置かれている。


湯島天神のホームページには【境内とその界隈は江戸有数の盛り場で、
宮芝居や植木市、各地の出開帳があり、江戸町人の憩いの場として繁盛した】とあり、
さらに【文政7年(1824)正月境内で大相撲本場所も行われた。】とある。

まま、 出開帳 はいいとして、大相撲?
この狭いとこで!?

あんまり狭い狭い連呼すると

「そんなでもないだろ!!」

って神社サイドからクレームが付くかもしれませんが(笑)、
今は狭いと感じる土地利用をしてるからしょうがないじゃん・・・
また、拝殿前は狭い参道にさらに屋台が立つから余計狭く感じるんだよね。

このスペースだから、 回向院の勧進相撲 ほどの規模じゃないだろうな。

つか、「大相撲」とはあるけど、「勧進相撲」とは書いてない・・・
当時の相撲興行のスタイルからして、勧進相撲のたぐいだろうとは思うものの、
湯島は寛永寺の縁があるから勧進相撲を打つ必要がなかったんじゃないかとも
思うんだけどね。

それでも、毎月10日と25日の縁日には賑わったらしいから、
江戸期の他の寺社と同様、厳粛な空間というよりは
複合遊興施設的な人気があったのだろう。


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最終更新日  2014年07月01日 22時26分43秒


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