戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2014年07月20日
XML
カテゴリ: 旅日記(近畿)
さあ、今日も元気に古代史しましょ~

ヤマト政権が整えられていく過程は教科書では

 【大王(おおきみ)は、各氏に大和政権の中での身分を示す臣(おみ)・連(むらじ)
  ・君・直(あたい)・造(みやつこ)・首(おびと)などの姓(かばね)を与え、
  臣・連の中の有力者を大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)として国政を担当させた。】
  (『高等学校 日本史』清水書院より)

として、欄外の脚注に【蘇我氏を大臣、大伴・物部氏を大連に任命したことなどがその
代表例である】とあるだけで、教科書だけ読んでると面白くも何ともないし、
興味の湧きようもない。


「連」は天皇家に仕える氏族であって、天皇家との婚姻はできないが
「臣」は天皇家からある意味独立しており、娘を天皇家に嫁にやることも
オッケーだったんだそうな。

前回の『先代旧事本紀』の記述と重ね合わせて、
大和の初代征服者・ニギハヤヒの手足となって国造りを支えてきた「連」組と、
大和在住歴は「連」組に多少劣るものの、
娘を天皇に嫁がせて急速に力を伸ばしてきた「臣」組との
対立構造なんかイメージしてみる。

まあそれは個人的な空想でしかないけど、名族の物部氏からすると

「なんだよ、蘇我のヤツ。
成り上がりのくせに!!」


な~んて思いもあったかもしれない。

『先代旧事本紀』が正しければ、中臣氏も物部氏と同じく

大和にあって、しかも両者とも祭祀にたずさわる氏族であったから、
仏教が入ってきたことはある意味「蘇我つぶし」のチャンスを得たと考えたかもしれない。


叡山シリーズでお前は何を書いてるのかって?
仏教史ですよ、もちろん。
ただ、この頃の蘇我VS.物部の争いは「崇仏論争」として有名だけど、

背景なんかも簡単に書いてるだけです。

私だってこの時代のことは『逆説の日本史』と
不朽の名作マンガ『日出処の天子』(山岸涼子著)でしか読んでないので、
書かない方が楽だし、早く本筋に戻りたいんです。

要するに、シリーズしょっぱなからまたイタコがかってる訳ですが、
ものすごく古い時代って結構色んなエッセンスが散りばめられていて、
今の私の視点でちょっと勉強してみると、すごく面白い。
・・・が、なるべく簡潔に話を進めていきたいと思います。



前々回の仏教公伝のエピソードでは、
欽明天皇は自らの考えは表明しなかったことになっている。

その後の天皇たちもそれぞれ仏教に対する好きずきはあったようで、
敏達天皇なんかは排仏派だったとされる。

大勢力・物部氏を筆頭とする排仏派からイジメを受けながらも、
蘇我氏はしつこく粘って崇仏を唱えていたが、
あらたにひとつの要素が加わったことにより、バランスが大きく崩れることになる。

その要素とは、日本人なら誰でも知っている、あの聖徳太子です。


古代王朝系図(第1ラウンド)-2


近年は「聖徳太子はいなかった」説がさかんなようですが、
そんなものどうだっていいです(笑)。
これまで太子の事蹟として語られてきた事を前提として話を進めます。

系図でわかるように、聖徳太子は父母とも蘇我氏の血をひいており、
蘇我氏と縁が深い。

敏達天皇が崩御すると、そのあとは天皇の継承権争いという大鍋の中に
豪族の勢力争いという具材が放りこまれ、さらにそこに仏教というスパイスが入って
どろどろに煮込まれたカレーのような状況になっていきます。

ただしこのカレー、わたくしがいまだ継続探索中のレトルトカレーのような
美味しいもんではなく、血の味が濃厚です。

そう、天平の歴バナもかなり血なまぐさかったですが、
それよりさらに古いこの時代は、もっと血なまぐさいです。
なんたってアナタ、皇族がばんばん死ぬ上に、
こともあろうに時の天皇まで殺されちゃうんですから

ま、御存知の方も多いでしょうから、簡単に流れだけね。


敏達天皇と妃でのちの推古天皇との間には皇子もいた。
ただ、この時点ではまだ幼かったのか、皇子は天皇位には就かず、
聖徳太子の伯父にあたる穴穂部(あなほべ)皇子が
皇位継承の意図を表明したものの、結局は蘇我馬子の推す用明天皇が次の天皇となった。

しかし、用明天皇はわずか2年たらずで死亡。
物部守屋と結んだ穴穂部皇子が再び野心をのぞかせるが、
先手を打った馬子によって殺された。

ついで、馬子は守屋を攻めてこれを滅ぼした。
13歳の聖徳太子もこの戦いに参加し、木彫りの四天王像を作って

「勝たせてくれたら、寺を建ててあげる」

と誓って戦勝を祈願したとされる。

首尾よく戦いに勝って、誓いを果たして建てたといわれる寺が、大阪の四天王寺。
大坂の陣で家康が本陣を置いた茶臼山のすぐ近くにある、あの有名なお寺です。

そして、これまた聖徳太子の叔父で馬子の推す皇子が祟峻(すしゅん)天皇となるが、
守屋が滅んだことによって物部氏も衰退し、以後は崇仏派が優勢を占める。

ただし、物部氏は全滅した訳じゃなく、ウィキペディアによると
【物部氏の特徴のひとつに広範な地方分布が挙げられ、無姓の物部氏も含めると
その例は枚挙にいとまがない】んだそうな。
なんでも、荻生徂徠も物部氏の末裔なんだとか・・・

それより私が驚いたのが、長門の厚東(ことう)氏も物部氏の支族だったこと。
長門の守護だった厚東氏をひろよん(大内弘世)が攻めて追い出したことにより、
大内家が長門守護の地位をゲットしたんです。
あんまり厚東氏の詳しいことは知らなかったので、
物部が本姓だったとはびっくりでした。



あ~、で、祟峻天皇。
馬子のバックアップにより天皇になれたものの、
いざ天皇になってみると馬子が実権を握ってるしなんか面白くない。

それで馬子との間も冷めていったといわれ、
祟峻天皇の言動から自分に危害が加えられる可能性を察知した馬子が
手下を使って天皇を暗殺したとされる。
臣下によって弑逆された天皇は、歴史上この方ただ1人。

それでも、近年では馬子の単独行動ではなく、
周囲も同意の上での行動だったという説もあるらしい。

『逆説の日本史3』で井沢氏は、祟峻天皇の死によって皇位継承の候補者は
推古天皇の息子・竹田皇子と聖徳太子の2人となり、
自分の息子に皇位を継がせたい推古さんが聖徳太子を追い落とすために
「祟峻天皇暗殺の真犯人は聖徳太子」と
世間から見られるように仕向けたという説を紹介している。

ま、その辺は私はあまり支持はしてないんだけど、
おそらく竹田皇子がその時点で若すぎたため、つなぎとして母が皇位を継ぎ、
史上初の女帝・推古天皇となったというあたりはうなずける。


ちなみに、大阪へ行った時の2日目は大坂の陣関係の史跡めぐりをしましたが、
天王寺駅で降りて茶臼山へ向かう途中、四天王寺のすぐ近くの通り沿いの
小さな神社の看板に思わず足を止めました(場所は こちら )。


堀越神社



 【堀越神社

  時の摂政 聖徳太子が、太子の叔父君にあたる祟峻天皇を偲んで風光明媚なこの
  茶臼山の地に四天王寺建立と同時に当社を建立創建されました。
  明治の中期まで、境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣したので、
  堀越という名がつけられました。

  古くから「堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん」との言い伝えが
  あります。

  ご祭神
  第三十二代 祟峻天皇
    配祀   小手姫皇后
         蜂子皇子
         錦代皇女】
  (現地解説板より)


四天王寺はデカいからとても寄ってる時間はなかったけど、
堀越神社は見るからに小さいので、せっかくだから寄っていきました。

と言っても、まだ当時は史跡めぐりを始めたばかりで
写真なんてろくな枚数撮ってませんので、上の写真ぐらいですが。

それにしても、こんなところに祟峻天皇を祀る神社があったなんて・・・
四天王寺と同時に聖徳太子が創建したというのも興味深い。

井沢氏は法隆寺の近くにある藤ノ木古墳が
穴穂部皇子と祟峻天皇を葬った墓だと見ておられて、
埋葬状況から非業の死を遂げた祟峻天皇に対し、
「出て」きてくれるな、祟ってくれるなという意図が感じられる、という内容のことを
『逆説の日本史2』で書いている。

まあそりゃ、怨霊と化す条件は充分に揃ってるもんな。
ただ、現代では お岩様へ熱心に祈る人がいる ように、
祟りをなす強力なパワーを持つ方々でさえ、
丁寧に祀れば逆にここぞという時のお願いをかなえてくれる
守り神へ転化してしまうという信仰が生まれるあたり、
生きてる人間てホントしぶといよな~と思ったりして・・・

堀越神社の境内はほとんど建物でパツパツの、広くない神社ですが、
四天王寺へお越しの際はぜひ祟峻天皇を祀るこちらの神社へも
お立ち寄りくだされ。


で話を戻しますが、一般的には馬子の擁立によって推古天皇が即位し、
聖徳太子がその皇太子となり摂政となったとされる。

井沢氏は摂政となるまでには少し期間が開いていると見ておられるが、
ともかく崇仏派が勝利したことで四天王寺をはじめ寺などが建立されるようになり、
有名な聖徳太子の業績もこの後生まれることになる。



にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年07月21日 00時32分35秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: