戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年07月22日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
聖徳太子の様々な業績については、近年では太子の単独の成果ではなく、
大おじさんにあたる蘇我馬子との協力関係によるものだとされているそうな。

まあ、そりゃそうだろう。
邪魔な守屋はいなくなったし、その時点では馬子は
時の天皇である推古天皇の叔父でもあり、政権内での実力者だもの。

太子の業績のうち、ここで触れるのはもちろん仏教関係です。
教科書にもいちおう太子は「仏教にも深い関心を持ち」うんたらと書いてはあるものの、
やっぱり有名なのは冠位十二階の制定とか十七条の憲法の方で、
あまり仏教興隆に力を尽くしたというイメージは私にはなかった。


 【太子に対する批判者はそれまでにもいた。たとえば江戸時代の儒学者や国学者は、
  口をきわめて太子を罵倒したことがある。しかし、それは太子が「怨霊」だから
  ではなく、日本仏教の興隆に大きな力があったからだ。

  国学者にとって仏教は日本古来の道を踏みはずした邪教であり、儒学者にとっては
  合理主義からはずれた邪教である。だから彼等は太子を非難した。ある国学者は
  「弑逆太子」とまで言った。弑逆とは「主殺し」のことだ。つまり、聖徳太子は
  「天皇殺し」ということだ。

  どうしてそんな非難が出てくるかというと、「太子は蘇我氏の一員であるのに、
  蘇我馬子による祟峻天皇暗殺に対して何の手も打たなかった。だから太子は
  天皇を殺したも同然だ」と言うのである。もちろん、これは「言いがかり」に近い。
  (中略)それにもかかわらず、こういう非難をされるのは、非難する側に「太子によって

  すなわちこういう非難をする人は、逆説的な意味で太子が仏教の上での「聖人」で
  あることを認めていることになる。】
  (『逆説の日本史3』より)


歴史の中でも太子は仏教興隆に功績があったという評価を受けていたようです。
ただ、太子がそういう評価を受けるには、


 【この間(崇仏論争のこと:ジジイ註)、仏教と接触しつづけたのは
  蘇我氏である。大陸からの文化の流入ルートとしては、早く先行して中国・百済経由の
  筑紫ルートがあったが、新しく高句麗が大陸状勢を反映して急速にわが国に近づき、
  570年以降、コシ(越前・能登)ルートが浮上し、蘇我氏と結びついた。入京する
  高句麗使節の接待は、すべて蘇我氏の役割であった。それは、やがて草堂仏教を
  伽藍仏教に飛躍させる重要な契機となったと思われる。】
  (「朝日百科 日本の歴史2」より)


推古朝の前後は「飛鳥文化」と呼ばれる。
そのちょっと前までは、大規模古墳の造成が流行りだった。
古墳の技術は朝鮮半島人の指導によるところが大きいとされる。
しかし、崇仏派、つか馬子が勝利したことにより

 【仏教が広まるにつれて、古墳の果たした祖霊追善と権力誇示の機能は、しだいに寺に
  移っていく。有力氏族たちは競って氏寺を造立し、大規模な古墳築造は影をひそめる。】

だそうな。
「古墳から寺へ」の転換期になったんだね。


具体的に仏教関係で太子が何をしたかとゆーと、まず推古天皇即位の翌年、
「三宝興隆の詔」を発表した。
三宝は仏教のことです。

それから、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の撰述。
これは『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の3つのお経の注釈書だそうな。
これも近年では

「大陸にもほとんど同じようなものがあるし、
単なるコピペじゃん!
太子の撰なんてウソだろ?」


とする説もあるらしいが、注釈書という性質上、
先人の研究結果を踏まえるのは当然のことだし、似たような記述の中にも
独自の見解なども加えられているらしいので、
最近TVを賑わしているナントカ細胞の女性研究者の論文の疑惑とは性質が違うようです。


そして、もうひとつ取り上げられるのが、「十七条の憲法」。
ここに仏教の精神が盛り込まれてるというのだけど、
まず『日本仏教史入門-基礎史料で読む』の解説を紹介します。

 【民族宗教の記紀神話の段階では勝つことが正義であり、何が正しくて何が
  悪なのか、かならずしも明確ではない。太子は民族を超えた普遍の理念として
  仏教をとらえ、(中略)善悪の規範を仏教に求めている。

  そして第十条では人間は心に瞋恚(しんに:怒り)という煩悩をもつ凡夫だという
  認識が示されている。第一条にいう「和なるを以て貴しとし」も儒教の『礼記』に
  よるだけではなく、仏教思想に裏付けられているといえよう。】


で、同書では第二条と第十条のみ紹介されている。
手持ちの教科書の方では、項目は結構紹介されているものの、
それぞれ一部分しか載せられていない。

そういえば、17条全文て読んだことないような・・・
と思ってネットで検索したらば、何だか意外な内容だった。
つまりは相当イメージと違っていた訳で、なんつーか、かなり生活感が漂っている

面白いし、せっかくだから現代語風意訳で全文ご紹介しちゃいます。
ただし、17コもあると結構途中でウザくなってくるので(笑)、
きっぷのいい江戸っ子風にぱぱっと進めます。

遠山の金さんがもろ肌脱いでお白州で諭してるイメージで
軽快にお読みくだされ




  お互い協調性を持ってとにかく話し合え!ケンカすんじゃねえ!

2、仏教はいいぞ!仏・法理・僧をまとめて「三宝」ってんだ。人間、
  たまには救いようのないクズもいるが、大抵は何とかなる余地があるもんだ。
  が、「何とか」するのは仏教以外にはねえ!人も国も、これで救われるんだ!
  いつ仏教やるんだ?今だろ(  ̄▽ ̄)

3、天皇の言う事には必ず従え!君は天だ、臣下は地だ。地が上になれば、
  世界はぶっ壊れる。おめぇらは天皇に従ってればいいんだ。

4、官僚・役人は礼の心を持てよ。お前らに礼がないと、下々が乱れるんだよ!

5、ワイロはきっちり断れよ!じゃねえとビンボー人が可哀想だろ。

6、人のいい所は大いに誉めてやれ。悪事を見たら徹底的にシバけよ!
  人を欺いたり、ありもしないウソ話で悪口を言う奴なんてのは、
  国を滅ぼすバイ菌君だからな。

7、適材適所がなによりでぇ。与えられた任務は忠実にこなせよ。

8、役人は朝早く出勤して、夕には遅く帰れよ。やる事がいっぱいあんだから、
  そうでねぇと終わんねえだろ?

9、真心を持て。真心さえあれば、どんな事でもうまくいく。
  真心がねぇと、何やったってダメなんだぜ。

10、考え方は人それぞれだ。自分と違う意見があっても、怒るな。
   怒ったとしても、とりあえず顔には出すな。
   誰が正しいって決められるもんでもねぇだろう?俺もおめぇも、所詮は凡人なんだ。
   相手の意見を受け入れてやれよ。

11、役人の勤務評価は正しくしろよ。どうも最近、おかしな評価が多いぜ。

12、税金を絞り取っていいのは、天皇だけだぜ。マルサはあくまで天皇の代理人だ。
   なのに、勝手に正規の税の他にでっち上げの税を上乗せして私腹を肥やす、
   悪いお代官様がいるってじゃねえか。ふざけんじゃねーぞ!

13、新しい職に就いたら、前任者と同じように、同じくらいに仕事しろよ。
   前任者と俺とはやり方が違うんだなんつって、公務をストップさせるんじゃねえぞ。

14、役人たる者、他人を妬むな。自分が妬めば相手も妬む。自分より才能がある者の
   出現を喜ぶどころか妬むような小者ばかりが500年、1000年過ごそうとも、
   その中から聖人・賢人は生まれねえ。それじゃ、いつまで経っても
   国は治まんねえんだよ。

15、公務に就く者は、私心を捨てろ。私心があると、恨みが湧く。恨みがあると
   法律を破る奴も出てくるし、不和になる。職場がギスギスしてると、
   公正無私に仕事すんのも難しいだろ?
   だから最初の項目で協調性を持って話し合えって言ったんでぇ。

16、昔から、民百姓を使うにゃ時期を選べって言うだろう?
   民を使うのは、冬のヒマな時期にしろよ。農業や養蚕に忙しい時期に酷使なんかしたら、
   俺たちゃおまんまを食うことも、着物を着ることもできなくなっちまうんだぜ。

17、大事な事は、皆に良く相談してから決めろよ。なあに、ちっぽけな事なら
   てめえ一人で決めやがれ。ただ、人間、判断を誤る時もある。
   それでも、いくつか雁首揃えりゃあ、いい知恵が浮かぶ事だってあらぁな。
   とかくこの世は、話し合いだぜ。ハ・ナ・シ・ア・イ。



率直に言って、仏教ってより儒教ちっくだよな。
それに、基本法というよりは国家公務員法って呼んだ方がしっくり来る。

これが発布された同じ年、これまた有名な冠位十二階が制定されている。
そちらの方は、家柄にこだわらず有能な人材を集めようという目的があったといわれ、
つまり十七条憲法の内容を見るに、この2つはセットだってことがわかる。

天平はこの頃より100年以上あとの時代だけど、
聖武天皇&光明子夫妻が大規模な寺を造ったり、
2万個以上の宝石の付いた宝冠をかぶるケンちゃん(不空羂索観音像)などの
豪勢な仏像を次から次へと造っていたその一方で、
庶民はまだ竪穴式住居に住んでいたなんて話もある。

なので、聖徳太子の時代にはもっと貧富の差があったろう。
どんな有能な人だって、貧しいパンピーから特権のある役人へ出世できれば、
中にはやっぱり横柄になったり特権を悪用する人も出てくるかもしれない。
ゆえに、役人たる者の心得を具体的に述べたのかな・・・と思った。

そうは言っても、仏教をベースにしているあたりは
やはり画期的な出来事と言えるだろう・・・が、
最初と最後で繰り返し太子が言ってるのは、「和が大事だ、よく話し合え」。
井沢氏はこの順番に着目した。

 【それはこの「和」こそが日本人に一番大切な原理だと判断したからではないのか。】
  (『逆説の日本史1』より)

全体としては儒教っぽい印象を受けるけれども、
実は儒教道徳には「和」の項目はないんだそうな。

 【聖徳太子はやはり偉大な人物だ。日本人の根本原理に気が付いて、七世紀の時点で
  そのことをはっきり書き残しておいてくれた。そして、二十世紀になって山本七平氏が
  日本の社会の基本原理を分析してみると、まったく同じ答えが出た。

  となると結論は一つだ。この「話し合い至上主義」、そして、その源流となっている
  「わ」の原理は、この日本列島に原住民が住みついた頃から一貫して変わらぬ原理であり、
  現代の日本人もその影響下にある、ということである。】
  (『逆説の日本史1』より)


ただし、聖徳太子がこの原理に気付くことができたのは、
別の原理の中に生きていたから、すなわち、熱心な仏教信者だったからこそだと
井沢氏は語る。

憲法の17の項目を表面だけ見てるとあまり太子の仏教的側面は見えてこないけど、
井沢氏のように別の角度から見た場合でも、
確かに太子は仏教に入れ込んでいたということが
あぶり出しのように浮かび上がってくるのが面白いと思った。



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最終更新日  2014年07月22日 22時55分05秒


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