戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年07月30日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
天平宝字8年(764)に藤原仲麻呂が滅ぼされると、
道鏡は太政大臣禅師に昇進した。
その翌年には法王となる。

太政大臣禅師に任じられた際、孝謙上皇は【先祖は大臣(おおおみ)として
仕えたであろう位と名をうけつぐべき人だ】と道鏡を讃え、
この昇進については

 【その理由は、上皇自身が袈裟を着ていても政治にたずさわらざるをえないのは、
  経典に「国王が王位にあるときも菩薩の浄戒をうけよ」とあるように、出家して
  政治を行うことに障りはない。帝が出家している世には出家の大臣がいるのが

  (【】内はいずれも『平城京 全史解説』より)


「先祖は大臣として」のくだりの真意はよくわからないけど、
道鏡の出身の弓削(ゆげ)氏は物部氏の支族ともいわれるので、
あるいはそのことを言ってるのかもしれない。
ただ、物部氏は「臣」(おみ)ではなく、「連」(むらじ)だったけどね
( 「叡山攻め(7)」 参照)。


ウィキペディアの道鏡の項には

 【法体で政務に参与する事に対する反感も加わって藤原氏等の不満を高め
  確執することになる。】

とある。


 【飛鳥・奈良時代は大寺院や仏像などの多さから仏教の時代の感があるが、
  『続日本紀』では、むしろ神事のほうが多く記されている。しかし、天皇の不予
  (病気)や旱(ひでり)の雨乞いなどの非常時には、経典を講じるなどの仏事が
  しだいに多くなり、葬儀も仏事の色あいを強めて、インドの風習にはじまる火葬や
  四十九日の法要がいとなまれるようになった。】



天平の歴バナを書いてる時に『続日本紀』を少し読んだけど、
聖武天皇の頃にはなにかっちゃ経典を読ませていた。
まあ、その頃は奈良時代も終盤にさしかかってたからな。


皇室が行う重要な神事のひとつに、毎年11月に行われる新嘗(にいなめ)祭がある。
去年(2013年)は11月25日がその日で、
湯島ではイベントのために干されていた稲がありましたね( 「上野第三編(19)」 参照)。

古くは新嘗祭の別名は大嘗祭(だいじょうさい)だったそうな。
それが、時代が下るにつれ、天皇が即位して初めて執り行う新嘗祭のことを
大嘗祭として区別するようになったらしい。

孝謙上皇が重祚して称徳天皇として再スタートを切ったあとの初めての新嘗祭も、
大嘗祭として行われた。

 【しかし、天皇は出家して尼僧の身である。すでに神仏習合がすすんではいたが、
  皇祖をまつる伊勢神宮には仏僧を近づけなかったし、天皇のもっとも重要な神事である
  大嘗祭のときには、諸国の神社の祭りでも僧尼がかかわることを禁じていた。

  称徳天皇は詔して、神々は仏とは離れて触れあわないものと人は思っているが、
  経典をみると、「仏の御法(みのり)を護りまつり尊びまつるは諸(もろもろ)の
  神たちにいましけり」という。たしかに経典にはインドの神々が仏法を守護すると
  誓う記述がたくさんある。いわゆる護法尊だ。それを日本の天神地祇にもあてはめ、
  僧尼が神事をなすことを忌むべきではないと告げたのだった。】
  (『平城京 全史解説』より)


インドで デーヴァやアスラが護法神となった ように、
日本でもついに土着の神が護法神となる時代の訪れです。

しかもこれは天皇の詔勅だから、公的なものと言っていいだろう。
そうか、色々段階があったんだな、しかも称徳天皇も日本版仏教の発展に
一役買ってたとはね。

この記述が大変興味深かったので、無知なわたくしが無謀にも
仏教史なぞちょっと触れてみようかという気になったという訳です。

まあ、書こうと思った時でないとなかなか書けないし、
本編には直接の関係はないんだけど、仏教の簡単な流れについて書くのに
日本仏教の母胎ともいわれる叡山シリーズならふさわしいんじゃないかとも思ったしね。


こういう流れなので、法体で政務に関わったのは道鏡1人じゃないんだから、
ウィキペディアの記述は的外れか、あるいはもう1人の法体政治家・・・
すなわち、女帝と道鏡のペアに対して反感があったものか。

「伊勢神宮には仏僧を近づけなかった」とあるけど、
称徳天皇が重祚した時点で伊勢にも神宮寺があったらしい。

天皇はこの伊勢の神宮寺に仏像を贈ったり、西大寺の建立を始めたり、
仏教的政策を色々と打ち出した。
が、もっと現実的かつ重要な政策も進めていた。


称徳天皇は、どうも藤原氏を嫌ってたんじゃないかと思えるフシがある。
自分だって藤原氏の血をひいてはいるんだけど、
その母はいくつになっても 「藤三娘」 と名乗るなど、
藤原ブランドを誇りとしていたようだし、その母が引き立てたいとこの仲麻呂は
王権の一部を手に入れ、海外遠征まで行おうとした。

うんざりしたのはフジワラムシだけじゃない。
淳仁天皇も仲麻呂の子飼いのようなものだったし、
自分の血をひく後継ぎを作りようのない女帝の後釜を狙う皇族たちも
橘奈良麻呂の乱などで粛清してきた。

藤原氏よりも皇族の血筋として誇り高かったように思われる称徳天皇は、
道鏡と組んで経済的側面から害虫たたきに取りかかった。

「高山城(2)」 で少し荘園について触れてますが、
ここではそのなれそめの話になります。


奈良時代は律令制が整った時代。
公地公民制という言葉は学校でも習いますね。
律令制においてはこれが原則だったのに、少し方針を変える必要が出てきた。
この辺はさすがに教科書の記述がコンパクトでわかりやすいから
引用しちゃおう

 【課役の負担に苦しむ農民の中には、家と田地を捨てて浮浪・逃亡する者が増加していた。
  その一方で、地方豪族や有力な農民の中には、浮浪・逃亡した農民を使って開墾を進め、
  私有地を広げる者もあらわれた。

  政府は、土地公有の原則に反するこのような動きを禁ずるとともに、人口増加による
  耕地の不足をなくすため、723(養老7)年に三世一身法を施行した。この法は
  期限つきではあるが、墾田の私有を認めたもので、土地公有政策の後退を意味した。

  さらに政府は、743(天平15)年、墾田永年私財法を出し、墾田の永久私有を認めた。
  このことは、律令国家の基礎である公地公民制の原則をくずす重大な政策変更であった。
  この法が出されると、資力のある貴族や寺社は、公然と原野を開墾し、広大な土地を
  私有するようになっていった。】
  (『高等学校 日本史』清水書院より)


「資力のある貴族」の筆頭はもちろんフジワラムシ。
「政府」といっても、ここは時の天皇である聖武天皇の名で出されてますが、


聖武君、こんないい法律作ってくれてありがとう
それじゃ、せっかくだからお言葉に甘えて・・・」


・・・のハズがない。
井沢氏は聖武天皇を光明子の尻に敷かれる「ロボット天皇」と呼び、
【そのロボット天皇が裁可した法律には、その背後にいる黒幕の意図が反映していると
考えるのが常識】(『逆説の日本史3』)とする。

百歩譲って、聖武天皇が亭主関白だったとしましょう。
それでも、墾田永年私財法が制定された時、法律を所管する民部卿のトップは
仲麻呂だったらしい。
つまり、光明子と仲麻呂は宿主の栄養分をさらにじゅるじゅる吸い尽くす
基盤を整えた。

律令制崩壊の一手となったこの法令に、女帝と道鏡のコンビは真っ向から
挑戦した。
すなわち、天平神護元年(772)、寺院の墾田と百姓の1、2町以外の
墾田開発を一切禁止するというお触れを出した。

これまでに私有地化してしまったものはしょうがない。
ただし、これ以上は絶対作らせねえ。
こういう禁令は、後にも先にもこれっきりなんだそうな。

 【つまり、女帝と道鏡がやったことは、「私的土地所有」を「国家的規模」に
  拡大させぬための行動であり、日本土地制度史上極めて重大な禁令なのである。】
  (『逆説の日本史3』より)



そして、フジワラムシの屋台骨を揺るがしかねない、
もうひとつの方針の現実化へ向けて天皇が動き出した。
ここで記事の最初の道鏡の昇進の話へ戻ります。

仲麻呂と同じく、称徳天皇も「中国かぶれ」だったと井沢氏は語る。

 【当時の状況から、皇族や藤原氏の「不潔さ」に絶望し、一足飛びに禅譲つまり
  「有徳者への政権譲渡」を企てた。(中略)これまでの歴史家は、禅譲の相手が
  道鏡であることにあまり注目していない。それはどういうことかというと、道鏡は
  僧侶だから子孫はいないし、今度できる見込みもない、ということだ。つまり、女帝から
  道鏡に皇位が禅譲されれば、当然そのあとも禅譲になる、ということなのである。】
  (『逆説の日本史3』より)


考えとしては悪くない。
が、それは独善的な正義感によるもので、根回しが不足していたと
井沢氏は言う。

天平神護2年(773)10月、道鏡に対する月料(毎月支給される米や塩などの食料)
が天皇に準じるものと定められる。
翌年3月にはあらたな法王のための役所、「法王宮職」が置かれる。
その一方で、女帝と別腹の姉妹にあたる内親王とその子を流罪とするなど、
「道鏡皇帝」への道を整えていった。



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最終更新日  2014年07月30日 23時27分01秒


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