戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年11月16日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
前回の延暦24年の続きを並べる前に、先に海の向こうのできごとを
まとめておこうかな。


前回、延暦24年2月25日に東大寺の賢高を天台経疏とともに内裏に召す
「内裏宣」が出されたという記事がありますが、賢高(けんこう)は東大寺の寺主。
賢高が天台の『法華玄記』10巻と『法華文句』10巻を持っていることを
聞きつけた桓武が、賢高に教疏を持って来いと命じたようです。

天台経疏だけなら誰が持っていってもいいハズだけど、わざわざ賢高も呼んでるあたり、
どうやら天台の講説をさせたようです。
賢高が持っていたという経疏は、おそらく渡来僧のどなたかの写本だろうな。

日本に根付きつつあったということがうかがえます。

1月のなかばには桓武が安殿親王を呼んで何事かを話しているので、
その時点で死を覚悟するくらい桓武の病は相当重かったと思われますが、
2月後半頃には少し持ち直してたのかな?
それとも、桓武自身は講説を聞かなかったのかな?
この動きは最澄の高雄講会の影響もあるかもしれないけど、佐伯氏は

 【しかしながら、さらに考えをめぐらせば、当時、内裏が直面していた危機的状況の
  打開のために、そのころ高雄講会によって注目されはじめていた目新しい天台仏教を、
  最澄の帰国を待たずに摂取し、早良親王の怨霊鎮祀に役立たせようとしたあらわれでは
  なかったか。】
  (『若き日の最澄とその時代』より)



この本にはどんだけお世話になったかわかりませんが、本の背表紙には
【平安建都の時代における伝教大師最澄の前半生を描いた 古代史研究者の手に成る
ユニークな最澄伝】という紹介がある。

井沢元彦氏の『逆説の日本史』を読んでると、学界のセンセイ方は
(正史に書いてあるから)早良親王の怨霊を桓武が気にしていたことは認めるものの、

佐伯氏は桓武にとって怨霊の影響は計り知れないとばかりのスタンスで、
上の推測のように怨霊にからむ記述がばんばん出てくる。

この辺りの時代のことはわたくしは井沢史観から入っているので、
佐伯氏の推測にはかなり賛同できる部分が多くてやりやすかったんだけど、
背表紙に【ユニークな最澄伝】とあるあたり、異色なのかもしれない

でも、自分で細かく流れを追ってみるとこんな状況で賢高を呼んで
天台の講義をさせるというのはあまりにも不自然なので、
佐伯氏の語る通りだったんじゃないだろうかと思う。
であれば、罪の意識と病に苦しむ中で最澄の姿を思い出しては

「うう・・・早良・・・
苦しい・・・
最澄たん、早く帰ってきてえ~・・・」


って一日千秋の思いで最澄の帰りを待ちわびていたかもしれない。


桓武が病に苦しんでいた頃、唐では徳宗が崩御するという事態が起こる。
藤原葛野麻呂の到着がもう少し遅れてれば、国喪の中で大変なことになってたね。
まだこの頃、使節一行は長安にいたらしく、徳宗の崩御を受けて使院で3日間喪に服す。

2月10日には監使が答信の物を届けにきて、
国喪だから早々に帰国するようにと言われる。
その数日後には長安を出発したものと思われ、一行が越州に着いたのが3月29日。
使節一行の長安での滞在期間は1ヶ月ちょっと。
8月に着岸して翌年の5月に出航するので、
約9ヶ月のほとんどを移動に費やしたことになる。
遣唐使ってホント大変・・・

その点、最澄は着岸した明州から近い場所に天台山があったから、ラッキーだよな。

でその最澄さんですが、11月中旬~下旬頃に台州に着いて
翌3月下旬に明州に戻るまでの約4ヶ月を道邃の元で過ごしたものと思われる。
台州滞在期間は天台山での滞在期間の1ヶ月よりはるかに長いので、
当たり前の話だけど人が文化を伝えるものだというのがよくわかる。
ともかくここで、高僧の道邃に付いて天台の真髄をみっちり学んだのだろう。

前回、2月29日には最澄から道邃へ10コの質問を浴びせている。
これは日本で温め続けた疑問の数々を道邃にぶつけてその教えを請うたものらしく、
「天台宗未決」として現在も残っている。

10の質問についてはここでは省きますが、道邃の生没年は不詳とされるも、
最澄へ贈ったお別れの文章では自分はもう年老いて死もそう遠くないだろう、
てなことを語っているので、それなりの年齢であったと思われる。
そうした時期に、海の向こうから危難を冒して天台の教えを学びに来た
まだ若く勉強熱心な最澄に会って道邃はさぞ嬉しかっただろうし、
10の質問への回答をはじめ心を砕いて最澄を導いたことだろう。

3月2日、最澄と義真は唐の沙弥7人とともに道邃から菩薩戒を受ける。
これをもって道邃の元での勉強と受戒が終わったことになるんだそうな。


ところで、叡山で買った『伝教大師ご一代記』には不思議な文章がある。

 【中国における天台宗の祖山、天台山(浙江省台州)に登り、道邃・行満の二高僧より
  天台の法門を残らず伝えられた。そのとき、天台山の開かずの経蔵が、大師の所持する
  八舌鍵(はちぜつのかぎ)で開くことができたので、天台山の僧徒はいずれも驚嘆し、
  秘蔵の典籍や法具まで、ことごとく大師に授けたという。この八舌鍵は、かつて
  比叡山の土中より拾われたものであり、いらい、由緒ある重宝として今に秘蔵されて
  いる。】

これまでの記事でも、『ご一代記』からいくつかかなりマユツバなエピソードを
紹介してきましたが、 香炉から偶然見つけた仏舎利の話 とともに、
この八舌鍵の話はマユツバの双璧と申せましょう

いや、別にバカにしてる訳じゃないんですが、
現代人でこれを読んでフツーにそのまま信じる人っていないでしょ(笑)。
叡山は掘れば何でも出てくる宝の山か?

「なんなんだ、これは・・・」

それが第一印象でしたが、道邃が最澄に与えた「付法文」にもそれ関連のことが
書いてあるらしいので、なんとなくこの伝承が見えてきた気がした。

仏舎利の上記リンク先で智ギの予言について紹介してますが、その際、

「もし感じ応じるところがあれば、まず
不思議なことがあらわれるであろう」

(『若き日の最澄とその時代』より)

と言って智ギは「法鑰」(ほうやく:法のかぎ)を空高く投げ上げた。
居合わせた僧たちはみんな空を仰いで鍵の行方を追ったが、
ついにその行先はわからなかった・・・
と続いているんだそうな。

だから、これを額面通りに受け取れば智ギは室伏もまっつぁおの怪力で
海を越えて叡山まで鍵を投げ飛ばしたって愉快な話になってしまう訳ですが、
短期間ながらもまるで開かずの扉をするりと開けるように
天台の正統をブイブイ吸収していった最澄の事蹟を寓話にしたエピソードなのかもな、
と思った。
あ、それは単なる個人的想像ですが。

ともかく、最澄は持ち前の粘りと熱心さでメインの目的を果たし、
わずかな期間で帰国してしまう最澄との別れを惜しんで
道邃のみならず多くの官人や僧侶たちから温かい励ましとお別れの言葉を贈られた。
佐伯氏は、贈られた言葉の数々は決して外交辞令ではなかっただろうと語る。

道邃から菩薩戒を受ける少し前、最澄はそれまでにゲットした書や品々の目録を
作成している。
これは検閲を受ける目的もあったかもしれないけど、
巻末には台州に来て最初にお世話になった陸淳の「印記」が書かれており、
どうも最澄が寄せ書きを頼んだものらしく、陸淳からも美文を寄せられている。

愚中周及にもよい出会いがあった けど、遠い異郷での人の情けというのは
身にしみるものだったんじゃなかろうか。
もちろん、本人の努力があってこそだけど。

最澄の門弟である円仁が延暦の次の遣唐使船で入唐した時、
五台山でひとりの天台の名僧に会った。
その僧は最澄のことを知っていると円仁に語ったそうな。

円仁が唐入りしたのは、最澄が唐にいた時より30年以上もあと。
それでも最澄のことを覚えてる人がいたんだから、
その熱心さや聡明さは一部で語り草のようになっていたのかもしれない。


陸淳が寄せ書きを書いてくれた『台州録』には、その名の通り台州でゲットした
品々が記載されている。
わたくしは『台州録』の全文を見た訳ではありませんが、
まずは最澄が書写した天台経疏の数々。
これは102部240巻と120部345巻という2つの記載があるらしい。
ま、100部以上の膨大な書写をしたってことだろう(←大ざっぱ)。

経典類の他には道邃からもらったという3つの品が書かれており、
このうち「禅鎮」(ぜんちん)は智ギの所蔵品だったと言われる。

え~と、座禅を組んで瞑想している僧の肖像画で、頭にちょこんと何かを乗せてるのを
見たことありませんか?
あれが禅鎮で、居眠り防止の用具なんだそうな。
実物を見たことがないからどういう構造かわからないんだけど、
居眠り防止グッズなら底の部分に突起でも付いてて頭のツボを刺激したりするのかな?
それとも、底は真っ平らでわずかでもカクッとなろうものなら
つつーっと頭から滑り落ちて

ゴトッ!!

ってすごい音がして周囲に居眠りがバレてしまうんだろうか
最澄がもらった禅鎮は獅子の像の形をしていたらしいが、
智ギの所持品なら大層なお宝をもらったことになる。

それから、天台山では行満から書も沢山もらっているし、
天台沙門の恒巽(ごうそん)という人からは「智者大師真影」ももらっている。
こういう品々も細かく書かれてたんだろうな。

こうして、充実した成果を納めて3月25日には明州の館に帰ってきたとされる。
その数日後の4月1日、空海や藤原葛野麻呂の乗ってきた第1船が
福州から明州の港へ到着。
4月3日には長安から大使一行が明州へ戻って来て、帰国組が明州に揃う。


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最終更新日  2014年11月16日 22時57分27秒


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