戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年11月18日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
船と人が揃っても、昔のことでもありすぐに出航することはできない。
みんなが揃ってはじめて出航準備に取り掛かったものらしく、
まだ1ヶ月ちょっとの「空き」がある。

佐伯有清氏によると、最澄は出航のスケジュールを藤原葛野麻呂に確認した上で
次なる行動に出ただろうという。

天台山や台州で多くの経疏をゲットしたものの、
欲しい書はまだ170巻ほどあったらしい。
それが越州の龍興寺と法華寺にあるので、コピーしに行きたいと申請をしたところ、
明州刺史の鄭審則(ていしんそく)はついでに龍興寺の順暁(じゅんぎょう)のもとで


4月5日、天台山で具足戒を受けていた義真のために、
鄭審則に義真の「公験」(くげん:証明書)にサインしてくれるよう申請。
これには鄭審則のほか、遣唐大使・藤原葛野麻呂らの署名もあるので、
こうした人達に署名をもらうことで初めて証明書としての意義を持つものらしい。
色々大変だなあ~。

4月6日、越州への通行証が発給されてその日のうちに明州を出立したようで、
4月11日、越州の龍興寺に着く。
が、順暁は峰山の道場へ出かけていて不在だった。
そこで順暁を追っかけて峰山へ行き、4月18日、
順暁から三部三昧耶(さんまや)の潅頂を受けている。

この儀式のために、おそらく最初に龍興寺に立ち寄った際に寂照(じゃくしょう)という

その法具は白銅製の6つの宝器で、越州では珍しい道具のため簡単には手に入らず、
最澄の従者を金細工の職人の元に行かせて所持していた鉛7両を売らせたが、

「いや、30貫はかかるだろうし~、
そんな急に言われても無理だし~」


と職人が渋るので、

「そこをなんとか!
お願い!!」


と丁重に頼み込んではみたものの、足元を見られたのか存外に高価な取引に
なってしまうかもしれないから、ぜひ貴方のご意見をうかがいたい・・・


結局、4月18日の潅頂には間に合わなかったらしいから、
最澄は儀式に自前の法具で臨めなかったということになる。

寂照は最澄の希望に添えなかったことを手紙で詫び、
順暁が法具の1つをくれたらしい。
ただ、最澄が帰国するまでには何とか話がまとまったものとみえ、
順暁からもらった法具とともにあちらで誂えた法具を日本に持ち帰っているそうな。

5月5日には3人の僧からそれぞれ書をもらったり法を伝授されたとされるものの、

 【最澄が大素・江秘・霊光から同じ月日の五月五日に同時に、それぞれの作法を伝授された
  というのに疑問がかけられ、「思うにそれは、最澄がそれらの人々に会って、直接に
  作法を伝授されたと見るべきではなく、それらの儀軌や壇様に書かれていた識語を、
  そのまま血脈譜の中に書き写したと解すべきではなかろうか」とする説が妥当かも
  しれない。】
  (『若き日の最澄とその時代』より。「」内の出典は割愛)

で、5月5日にそれらの伝授を受けたのではなく、
3人のうち1人からは明州で5月5日に確かに伝授を受け、
他の2人からはそれ以前に伝授を受けていた上で5月5日に明州でその2人に会って、
もらった経典などに寄せ書きをもらったのではないかという。
つまり、最澄は4月終わり頃には明州に戻ってきていたということらしい。


越州での日々はひとくちで言って密教の研修期間だった。
「密教」に対するのが「顕教」。
顕教は経典などの文字ですべてが明らかに説かれているが、
密教は言葉によらず【極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって
伝持する】(ウィキより)という特色のあるもので、真言密教では大日如来が教主とされる。

空海の分類によると道教・儒教の上に仏教がきて、
仏教のトップを密教だと位置づけたらしい。

ただ、仏バナで仏教の発展段階を見てきたように、
それ以前の小乗・大乗と全く別モノという訳でもないらしく、
小乗・大乗の2つをふまえた上で密教の戒を授かるという段取りらしい。

最澄は小乗・大乗については問題なかっただろうけど、
言葉に頼らない分、密教をマスターするには一般的にはそれなりの時間がかかる。
この点、最澄には時間がなさすぎた。
しかも、順暁は当時の唐の密教の主流ではなく傍系に属していたようで、
天台山と越州で密教はかじったものの、それは完全なものではなかった。

ともあれ忙しいスケジュールをこなして4月末頃に明州に戻ってきた最澄は
『台州録』の越州バージョン『越州録』を作成して鄭審則へ提出した。
寄せ書き集めがクセになったのか鄭審則へも『越州録』への添え書きを頼んでおり、

「最澄たん、頑張りました
日本に帰っても頑張ってね」 


てなお言葉をもらっている。
(原文はもっとマジメな美文です)
『越州録』の最後には最澄自身の書き付けもある。

「義真とボクは、鄭さんの親切によって去年は台州で
2人とも大小の戒を受けて数百巻の書写をしました。
今年は越州で2人とも五部潅頂壇に入って
念誦や法門を写してきました。
全部で230部、460巻。
ボクらのノルマはすべてこなして、
今、日本へ帰ろうとしています・・・」



鄭審則からの寄せ書きをもらったのは、5月15日。
5月18日には第1船・第2船とも明州から出航した。
来た時は副使の乗る第2船だったが、帰りは藤原葛野麻呂のはからいで
第1船に乗っての帰国となった。

帰りの船の中で西風にひるがえる帆を見上げる最澄の様子を書いたものが残っており、
おそらくタイトなスケジュールの中でもやるべきことはすべてやったという
充実感にあふれた気持ちで、風にはためく帆を見ていただろう。

行きとは違って帰りは順風に恵まれ、対馬へ着いたのが6月5日。
17日の航海を終えて最澄は日本へ帰ってきた。

空海の方は、この年2月には長安に入っている。
ここでしばらくインド僧の「般若三蔵」のもとでサンスクリットを学んだっていうんだけど、
これってたぶん 訳経のところで出てきた般若 のことじゃないかなあ・・・

して、帰国組が出航する頃には真言密教の主系とされる恵果(けいか)和尚に師事し、
本格的な修行を始める。
最澄39歳、空海31歳。



●延暦24年(805)

6月、伊賀で飢饉。
6月17日、遣唐使船第2船が肥前に到着。

7月1日、遣唐大使・藤原葛野麻呂が節刀を返還。
7月14日、唐からの答信物が内裏に献上される。

7月15日、最澄が金字の経典10巻と台州で得た智ギの禅鎮などの品を献上する。
7月17日、地震。
7月25日、聞くところによると疫病が起こると病人には近づかず、食事も与えないという。
親族でさえこれだから、他人であればなおさらだろう。きちんと病人の治療や介護にあたれば
死者が増えることはないのだから、役所に指示して病人の救済にあたるようにせよ、
との勅を出す。
7月26日、雨乞いのため、畿内の明神に幣帛を捧げる。
7月27日、遣唐使が持ち帰った唐みやげを天智天皇・光仁天皇・早良親王の陵に奉納する。

8月9日、地震。

最澄を宮中に招き、悔過と読経を行う。最澄は唐の仏像を献上する。
この頃、天皇から和気弘世へ、諸宗の僧へ潅頂三昧耶を受けさせるよう内示が下される。

8月27日、金星と土星が東に現れた。
潅頂三昧耶の件について、かさねて「内侍宣」が出される。

9月7日、最澄が高雄山寺で三部三昧耶の潅頂を行う。
9月上旬、最澄が平安京の西郊にて五仏頂法の潅頂を行う。
9月17日、宮中で最澄に毘盧舎那法の修法を行わせる。

10月2日、野鳥が宮中へ飛び込む。
10月3日、最澄が葛原親王に鎮将夜叉法の修法を伝授する。
10月9日、天皇は宴と音楽で1日を過ごす。
10月25日、早良親王のために一切経の書写をする。書写にあたった書生には
出来高に応じて叙位および得度を許した。
10月28日、前殿で3日間読経を行う。

12月5日、地震。
12月7日、新京造営工事により人民が疲弊しているので実態を調査せよとの先年の勅により
調査を進めて検討した結果、諸国から京へ送られてきている人夫1281人をすべて
停止するべきと公卿から上奏がある。
また、藤原緒嗣と菅野真道に天下の人民に恩徳を施す方法について下問したところ、
緒嗣は「人民を苦しめているのは軍事(蝦夷征討)と造作(平安京造営)なので、
この2つをやめるべき」としたが、真道はこれに賛同しなかった。
天皇は緒嗣の意見を是とし、2つの大事業を中止することにした。
みなは天皇の判断を聞いて感嘆した。
12月25日、諸国の講師の任期を5年とし、講師には45歳以上のふさわしい者を
選ぶようにせよとの勅を出す。



うん、ようやく歴バナの終わりが見えてきたぞ
延暦24年の後半です。

第1船の一行は長門をへて帰京した。
葛野麻呂が献上した唐みやげはさっそくみんなへ振る舞われたりしている。
その一方で、唐の貴重な品々を偉大なる御先祖様とパパ、そして早良親王へ献上。
その後は早良親王のために一切経の書写も行われており、
早良親王に対して桓武が最大限の心遣いをしていることがわかる。

それから、12月7日の記事では長く続いた蝦夷征伐と都の造営に
ようやく終止符が打たれることになった。
平安京の遷都プランは延暦12年(793)からだから、足かけ12年。
この段階で諸国から動員されていた人数が1281人って、細かくてリアルだなあ(笑)。

9月には桓武は1日宴会と音楽に浸ってたぐらいだから、
だいぶ体調も持ち直してたものと思われます。
待ちに待った最澄たんの帰国で、少し元気が出たのかもな。

その最澄たんの帰国後の活躍は、また次回



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最終更新日  2014年11月18日 22時51分08秒


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