戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年12月17日
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カテゴリ: 日光写真館
お護摩を受けるにあたり、寛永寺モードだった去年は寛永寺関連の質問を
持参していきましたが、今年もやはり今年のモードに見合った質問を持参していた。

で、出る支度を済ませて導師様を見ると、私の前に座っていた人達は
参列してない多くの人の分のお札があったらしく、そちらの世話をしていた。
まあ、いっか。
こーゆー時もあるさ

護摩壇の前の仏像たちの他にも、大護摩堂には前面に小さな仏像が沢山並んでいる。
大護摩堂そのものにはいつでもタダで入れるけど、
お護摩の参列者席と一般拝観用のエリアは柵で囲われていて、

一般拝観だと内陣におわす仏像には近寄れない。

ゆえに今回は仏像に近寄れる1年に1度のチャンス。
しばらく護摩壇の前におわす仏像たちを見ていると、
わたくしの顔を覚えていた例の若いお坊さんがいたので、
少し仏像を見てっていいか声をかけた。

ついでに、持参した質問をぶつけてみた。
わたくしの質問はいくつかあったけど、ひとつは鎮将夜叉様について。
「叡山攻め(76)」 を書いている時に浮かんだ疑問だった。
すなわち、日光輪王寺には鎮将夜叉様の像だけではなく、
修法も伝わっているのか?ということ。

これは、やっぱり伝わっているんだそうな。

9年に1度の秘仏御開帳の年には、鎮将夜叉様の修法が行われているという。
へえ~、輪王寺でも現役だったんだ!

毘沙門堂のことを持ち出して話をしていたら、
詳しくはわからないけど毘沙門堂のゆかりの像と聞いています、
てなことをおっしゃった。


「じゃあ、こちらのは毘沙門堂から株分けされたような
ものなんですね?」


と聞き返したら、まあそんな感じかもしれません、ということだった。

そこまで話をしたところで、退場しようとする導師様が通りかかったので、
ここで導師様をつかまえて質問をすることもできたけど、
何だかお忙しそうなので今日のお礼を言うだけにとどめた。

わたくしと話をしていたお坊さんは導師様と何やら話を始めてこちらも忙しそうなので、
護摩壇の両脇に居並ぶ小さい仏像を観に行った。


脇の小さな仏像たちは、おもに十二天。
が、左右の脇のはじにはそれぞれ等身大の木像がある。
向かって右側の一番はしには、第3代天台座主の慈覚大師・円仁座像。

円仁様はこれまた幅広い活動をしたという多くの伝承をお持ちの方で、
一般的には嘉祥元年(848)に日光入りして、三仏堂・常行堂・法華堂を
創建したとされる。
日光以外にももっと北へ足を延ばしたという伝承もあり、
行動範囲が広すぎるのですべてをそのままうのみにはできないと個人的には思うものの、
最澄が晩年、関東に来た際にはお供をしたともいうので、
関東に来るには来たのだろう。
つか、もともと下野の出身の人でもあるし。

そういう、日光の発展に尽くしたという伝承もここにいる理由のひとつかもしれないけど、
最澄の代ではまだ未完だった密教を、ちゃんとした形で伝えたのが円仁。

仏教史関連の本を読んでいると、大寺の奥では高度な仏教哲学が発達しても、
民衆レベルではやっぱり呪術的なものに人気が集まったように思う。
これはインドでも中国でも、そして日本でも同じ。

もし円仁が密教を学んで来なかったなら、叡山は真言密教に押されて
早い時代に先細りしていたかもしれない。
叡山は歴史が長いし著名人も多いので、「中興の祖」と称される人は数人いるけど、
そのうちの1人が円仁さんであることには疑いの余地がない。

そういう経緯から、「密教の祖」ともいえる円仁さんを
大護摩堂で祀っているのかもしれない、と思った。
これは静かにリアル感のある木像でね。
日光輪王寺にお越しの際は、右はじにおわす円仁さんも見てってください。


円仁像から左へ向かってずっと小さい天部の仏像を見ていく。
彩色がかなり色あせているので、そこそこ古いものではあるだろうし、
綺麗は綺麗だった。
が、ちょっとのっぺりした感じ・・・

いや、 高野山の企画展 の後だったので仏像の見方も以前とは変わっているかもしれないと
自分では思っていたんだけど、ちょっとこれはタイミングがマズかったな。

「高野山の名宝」展で確かに自分の目は変わりました。
ただ、その変わり方というのは、高野山の誇る高レベルの仏像たちによって
「感銘を受けるライン」が一気に引き上げられてしまったもののようです。

これはちょっとマズいな・・・
あんなもの、世間にそうゴロゴロしてる訳じゃないぞ。
あれが感動のスタンダードになってしまうと、
今後見る仏像たちの多くが色あせてしまうカモ・・・

ま、それだけ「高野山の名宝」展に出品されてるものは
素晴らしいものが多かったってことですが。
関西にお住まいの方は、この機会にぜひ来年観に行ってね。

そんなで順々に見ていって、護摩壇を越えて左側へ移動。
この時、良源さんの厨子の紋を目をこらして見てみたところ、
細かくてよく見えなかったけど天台宗の転法輪のように見えました。

左のはじまで行きつくと、そこにいるのは天海の木像座像。
「上野第二編(27)」 で会津美里町様の観光パンフレット掲載の
天海座像の写真を載せてますが、あれが大護摩堂にいたんです。

アレ?
三仏堂にいたのがここに来てる・・・
工事期間中だからここに移動させたのかとも思ったんだけど・・・

実はこの後、三仏堂へ寄りました。
工事期間中なので普段は見にくいものなどが明るく見やすい位置に移動していて、
去年寄った時は天海座像は入ってすぐの明るいところにいた。
今年も同じ位置に天海はいたんだけど、そこの天海はカラフルなお姿だった。

あれれ?
三仏堂にいた天海ってこっちのカラフルな方だったっけ?
去年どっちの天海が三仏堂入口にいたのかは覚えてないのですが、
それまでは三仏のおわす下の階の隅っちょの薄暗いところで
闇に埋没してた記憶があるので、カラフルな方だったハズはないんだけど・・・

長年見慣れていたはずの天海像がどっちだったかわからなくなっているという
末期的な症状に愕然としましたが、やっぱり地味なカラーの方が
おなじみさんだと思います。
一般拝観だと近くには行かれませんが、この像は重文なので、
双眼鏡をお持ちでしたらこちらもぜひ見てってください。


この頃には、職員さんたちがさきほどのお護摩で使ったグッズなどの
片づけを始めていた。
軽口をたたきながらにぎやかに作業をしていて、例の若い坊様もなんだか忙しそう。
なので、残りの質問は諦めました。

もはやわたくしの趣味と化したお経暗記は、
やっと法華経の如来寿量品をコンプリートしました。
「卒業」の判断をするには、意識がフェードアウトしても読経が続けられるか、
そして

「さすがにもう飽きた~」

って自分で思ったところがひとつのお経のコンプリートになる訳ですが、
そこまで行くのに何百回同じお経を唱えたかわかりません

さて、次は何を覚えようかな・・・
法華経もいいお経だけど、やっぱり金光明最勝王経をやってみたいよな。
人それぞれでしょうが、お経ってのは読み下し文(訓読)がわかりやすいですが、
お経そのものの世界を感じるにはわたくしには音読の方がいいようです。

で、金光明経の解説の本は手に入れたのですが、音読の経本となるとなかなか手に入らない。
まあ、金光明経なんつったら護国経典の典型だし、今どき一般人でこれをお経として
読み上げたいなんて人間、そういないよな~・・・

とりあえず、ネットで弁才天女が出てくる章の経本を扱ってるところがあったので
取り寄せてみたところ、すげ~長い
しかも、陀羅尼の部分が異様に多い。
そもそもわたくしは金光明経の中でもアシュランのいる興福寺西金堂内部の
モチーフとなった可能性のある、 「夢見金鼓懺悔品」 をやりたかったのだ。

やっぱり引き続き法華経を進めようかと思ったものの、
始めてみると意外に金光明経は覚えやすい。
ので、金光明経にトライすることにしました。
ただ、如来寿量品の何倍もある長さなので、
コンプリートには1年くらいかかるかもしれません

ネットで金光明経の経本を探している時、奈良の薬師寺では
「最勝会」なる法会で金光明最勝王経の読経をしていると偶然知りました。
へえ~、今でもやってるところあるんだ・・・
まあ、薬師寺ならそれもアリだよな、と思ったのですが、
今回の日光詣でにあたり『宝ものがたり』を読み返していたところ、

 【金光明経は「法華経」「仁王経」などとともに鎮護国家の三部経の一つとして
  奈良時代より貴ばれ読まれてきました。現在でも輪王寺本堂において毎朝これらの
  お経が読誦されています。】

とあったので、

うっそ!
輪王寺で金光明経!?
マジでえええ~~~・・・

とホントに驚きました。
でも日光輪王寺は江戸期は国家鎮護の要の寺ともいえる立場にあったんだから、
その流れから考えればある意味当然とも言える訳だよな。

本堂って三仏堂のことだよな。
でもあそこ、狭いけど
そこらへんをもそっと詳しく現職の方にお聞きしたいと思ってたのですが、
上のような事情で今回は我慢しました。

ついでに金光明経の経本も輪王寺で頒布してないか聞いてみたかったけど、
とりあえず弁才天女の方に当面かかりっきりになるしな。
ま、来年でも余裕で間に合うだろ(笑)。

ところで、「春の寛永寺」でばんばん出てきた金光明最勝王経ですが、
大まかな流れは知っていたものの、お経として読んでみると実に陀羅尼の部分が多く、
思っていたのとはかなり雰囲気が違ってました。

え?これって密教なの!?

てカンジ。
そしたら、『仏教用語の基礎知識』(山折哲雄編著/角川選書)にこんな記述があった。

 【金光明経は「空」や「捨身」の思想を説くいっぽう、四天王をはじめとする守護神が
  マンダラ的宇宙に活動する密教的色彩が強い。】

やっぱ、そうなのか。
法華経とはかなりカラーが違うもんな。
何事も、自分でやってみなければわからないもんだな~と改めて思いました。

そういうお経の楽しさを教えてくれたのも、輪王寺。
ここで数年前に買った「絵説 般若心経」を最近になって引っ張り出して
覚え始めたのがきっかけだったからな。
買った時は単に営業協力のつもりだったのが趣味にまで発展したんだから、
人生ってのは何がどう転ぶかわからないものです(笑)。


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最終更新日  2015年01月19日 10時14分49秒


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