戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年12月22日
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カテゴリ: 日光写真館
話、進まないなあ(←いつものこと
こりゃ、予定を変更せにゃならんかもしれんて・・・

進まないついでに過去の記事をここで補足しておきます。
まず、ジンジャ君の 深沙王堂 。

手持ちの企画展の図録に載っている絵図を見たところ、
どれも神橋の前に小さくお宮が描かれている。
地元・日光で出版されたうち最も古いと言われる「日光山之御絵図」(東京都立中央図書館蔵)

今と同じような場所にあったらしい。

ちなみに、『宝ものがたり』によると深沙王堂では現在、
3月1日に輪王寺の僧侶がジンジャ君の徳を称える法楽を行っているそうな。


それから、 四本龍寺 。
これも『宝ものがたり』からの情報ですが、

 【現在この四本龍寺では観音さまの縁日にあたる毎年5月18日に御門跡を導師として
  一山僧侶が総出仕して、金光明経を読誦しております。】
  (漢数字は戦国ジジイが変換)

ええ~、ここでも金光明経!?
三仏堂で護国経典をやるのはまだわかる。

しかし、四本龍寺でもやってるって・・・

乏しいわたくしの知識で考えられることは2つぐらいしかない。
ひとつは、源家とのゆかり。

今ある三重塔は建て替えられたものだけど、もともとは鎌倉3代将軍・実朝の
供養のために建てられたという伝承がある。

誦経するということが考えられる。

もうひとつは、勝道さんとの関連。
なんで勝道さんかって、彼の生きた時代を思い返してみてくださいよ~!

勝道さんは、天平7年(735)の生まれ。
得度受戒したとされる天平宝字6年(762)は淡路廃帝(淳仁天皇)の時代で、
聖武天皇の娘の称徳(孝謙)女帝が色々頑張っている時代でもあった。
(「叡山攻め」の最初の方を見てね)

金光明経がバリバリに出張って活躍していたのは何と言っても聖武の時代だけど、
聖武の死後もすたれた訳じゃない。
だって、聖武が始めた国分寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺」で、
引き続き金光明最勝王経に国家安泰を願っていたのだから。

日光山の開創とされる勝道さんがそういう時代に生きた人だったから、
それとの関連で金光明経を引き継いでるのかな~なんて思ってみたんだけどね。
ヨシ、これも今度輪王寺で聞けたら聞いてみようっと


さて、それじゃ三仏堂内に戻りましょう。
三仏堂の護摩壇に惹かれていたのは、意識しないながらも
これが良源さんの護摩壇だったからじゃないかなんてことも考えましたが、
まあそれは置いといて。

護摩壇を回り込むと、中ぐらいの仏像が8体ずらりと並ぶ。
これも元の場所から移動してはいるけど、三仏や護摩壇との位置関係は元のまま。

この八体仏は、それぞれ生まれ年ごとに守護して下さるという
説明が付いているもので、仏像鑑賞をしていると後ろから家族らしき
観光客の小グループがやってきて、「私はどれ」とか「あの子はどれ」とか
わやわや始めた。

うるさい中に埋没すると落ち着かないので、彼らに道を譲って
仏像の前から離れて後ろにある護摩壇を見たりしていた。

たいがいの人は、自分の守護像を見つけてそれぞれの像の前に置いてある
賽銭箱に小銭を入れたり、手を合わせたりしていくんだけどね。
グループのうちの1人のバアちゃんは、すべての仏像の前の賽銭箱に
順々に丁寧にお賽銭を入れて進んでいった。

バアちゃんはすべてに手を合わせていた訳じゃないんだけどね。
でもきっと、何もせずに仏像の前を素通りできなかったんでしょう。
わたくしはこのバアちゃんに、神だの仏だのと分け隔てることなく接してきた
日本人の心の原風景を見た思いがしました。

一神教を敬うガイジンから見れば節操がない民族だと思われるでしょうけど、
日本人はこうやって大らかに他を受け入れながら、独自の仏教文化を築いてきたのだ。
たとえそれがお釈迦様の本来の教えから大きく外れたものであろうとも、
仏教を身近な生活に取り入れながら生きてきたのだ。

そしてそれは、今も日本人の中に息づいている。
そうでなければ、いくら世界遺産であろうと
カップルがわざわざデートの場所に寺社なんか選ぶかよ
若者のグループが旅先で寺社に遊びに来るかよ。

本人達が意識してない時点で、もはやDNAに刻み込まれているのは
確定としていいんじゃないかとわたくしは思いますけどね。


仏像の先は売店コーナー。
道を譲ったおかげで、さっきのグループがここでもわやわややっている。
なかなか彼らがどかないので、売店をスルーして先を観に行った。

以前の記事で 東照宮の宝物館 を「アットホームな展示」と書きましたが、
今から思い返すと三仏堂も同じように地味でアットホームな展示で、
以前は入ってすぐの通路と出口付近の通路にいくつかの展示物があった。
今は工事中につき、それらが売店の先にまとめて展示されている。

これらも何度となく見てきたものだけど、
今は以前とは視点が違っているのでなかなか興味深かった。
とくに、最澄の木像座像。


最澄たんの画像や木像はあちこちの寺にある。
延暦の星君と花形君ともいうべき最澄たんと空海たんは、
対象的な面が多いこともあって何かと比較されるけど、
比較するテーマの中には「性」もあるんじゃないかと個人的には思う。

いや、もちろん現実的には両者とも男性ですよ。
けど、わたくしの中では最澄たんは女性的もしくは中性、
空海たんは思いっきし男性的な雰囲気のイメージがある。
その理由は、現在に伝わる彼らの姿にあると思う。

最澄の画像や木像は、ほっかむりをして柔和な顔で目を閉じており、
着物もぴっちり着こんで肌を露出しないのが圧倒的に多いのに対し、
空海はこれまたほとんどが立派なツルッパゲの頭部を惜しげもなく日の下にさらし、
僧衣の前はゆるやかに合わせて、はだけた部分からがっしりした肉体が顔をのぞかせている。

僧侶の座像ってのは案外と前合わせがゆるやかなものが多くてね。
良弁さんなんかもそうだし。
だからそこについ目が行って・・・あ、いかん
空海のスタイルは僧侶の像としてはノーマルなタイプ。

どちらかというと異質なのは最澄の方で、頭にかけた布の先っぽを
着物の襟にたくし込んでいたり、ロシアのおばさんのようにあごの下で
布の先を結んでいたりするのがほとんど。
胸元は見せたりはしない。

『仏教用語の基礎知識』(山折哲雄編著/角川選書)に面白い記述がある。

 【いっぽう、その僧衣・法衣に映しだされる優艶、典雅な雰囲気は、宮廷女官たちが
  身にまとう十二単の美麗とエロティシズムを思いおこさせずにはおかなかった。
  聖職者の衣裳のかげにただよう両性具有的感触である。それはカトリック世界に
  おいて、法王をはじめとする高位聖職者がまとう華麗な僧衣から発せられる色気と
  通じあうものである。聖職者たちは身にまとう僧衣を着ることで性の境界を越える、
  一種の服飾倒錯の世界に生きる専門家たちであった。】

服飾倒錯とはこれまた斬新な発想だな~
しかし、これはまさにわたくしが最澄像に感じ取る印象を表わしている。

ただ、今に伝わる最澄像は後世のもので、最澄自身が女性的コスプレにハマっていたとか、
オカマちゃんだったということではもちろんない。
だけどなぜか、後世の信奉者たちは最澄の肌の露出を抑え、
中性、もしくは両性具有的な姿を多く描き、像を作った。
空海と対比させるなら女性的と言ってもいいんじゃないかと思うけどね。

わたくしがこれまで知っていた中で最澄がハゲをさらけ出しているのは
「上野第二編(28)」 でさかのぼって近江の旅を紹介した記事に貼った
これ↓ぐらいかな。


坂本・若き日の最澄像2


京阪坂本駅近くに立つ「若き日の最澄」像です。
でもこの場合のハゲは若々しい清楚さをより引き立ててるよな(笑)。

ところがですね、三仏堂にもハゲの最澄たんがいたんです。
工事中の配置図を見ると、このハゲ・・・いへ、「伝教大師像」は
元は護摩壇の後ろっかわにいたようなんですが、全く記憶にありません。
ぶっちゃけ、興味なかったしね~(←また暴言)。

去年も移動した伝教大師像を見て、ほお、こんなのあったんだ~とは思ったけど、
今年は「叡山攻め」を書いて最澄がぐっと近くなったので、
関心の度合いも去年とはまったく違います。

最澄像を「女性的」と感じるようになったのはごく最近のことなので、
ここにハゲがいたのはわたくし的には結構衝撃でしたね。

ちなみに、最澄たんがかぶっているような頭巾は「帽子」(もうす)といいます。
色んな形があるようですが、現在のお坊さんもかぶっている
とんがり帽子で後ろに長く布を垂らしているようなのもみんな帽子。

これの由来は寒い日に天皇が自分の衣の袖をちぎって与えたというものらしいですが、
もらった人は最澄だともいうし空海だともいうし、正確なところはわかりません。
ただ、天台宗では正装のアイテムのひとつであるようで、
「已講」(いこう)という段階では耳を出してかぶり、
昇進して「探題」になると耳を覆ってかぶれるようになるなんてルールもあるようです。

僧衣の襟に白い羽二重をかけているお坊さんの姿を目にしたこともあるでしょうが、
ヒラだと寒空でも自分の体温で我慢しなけりゃならないのが、
昇進するにつれてマフラー⇒耳出しほっかむり⇒耳隠し完全防寒スタイルに
変化していくってカンジでしょうかね

上杉謙信像もほっかむりスタイルが多いですが、
「謙信女性説」なんてのも帽子効果が一役買ってるのかな、なんて思ったりしました。
もっとも、謙信の一番有名な肖像画は口の周辺のヒゲそりあとが
くっきり青々と描かれているので、

「体毛濃かったのか!?」

なんて個人的には思うのですが


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最終更新日  2014年12月22日 23時43分50秒


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