戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年01月03日
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カテゴリ: 日光写真館
史跡探勝路を進む前に少々歴史の話なぞ。
この道、将軍様がお通りになった道かもしれません。

江戸博で買った企画展の図録「日光東照宮と将軍社参」によると、
将軍経験者の日光社参は計17回。
「将軍経験者」としているのは、2代・秀忠の大御所時代、
3代・家光、4代・家綱の大納言時代(将軍継承前)を含むからです。

うち、秀忠が4回、家光が10回、家綱が2回。
この後はしばらく途絶えます。
5代・綱吉や6代・家宣も行きたい意向はあったらしいんだけど、

7代・家継はまだ幼くしかも病弱だったのでムリだった。

それを復活させたのが、8代・吉宗。
吉宗の倹約政策は有名で、それまでは寛永寺か増上寺のどちらかの菩提寺と
紅葉山の両方に霊廟を作っていたのが、自分以降は新たな霊廟の建立はせず
既存の霊廟に合祀し、紅葉山には霊廟は築かないというのも
倹約の一環だったと思われます。

享保5年(1720)に寛永寺にあった家光の上野霊廟が焼失したあと
再建されなかったのは「たぶん、日光に立派な大猷院廟があるから
あらためて上野に再建しなくてもいいと思ったんじゃないかね(笑)」と
冗談半分に 「上野第一編(2)」 で書きましたが、ホントにそうだったらしい


上記図録によると将軍の日光社参は政治的なものと一般には言われているが、
それだけでなく

 【家光以降には将軍の実質を帯びた時期にも社参を計画していたことがわかる。
  先祖を祀り、将軍の「家」の実質的継承を公に示すところに、社参の「純理」が
  あったのである。】


なんだそうな。

吉宗は将軍の死後の処理について簡略化したたけでなく、
各方面に手を入れて財政の立て直しを図ったことはよく知られていますが、
何もかもをケチった・・・いへ、倹約した訳でもなく、
神君の代からの習わしなどについては旧来のまま、としたんだそうな。

日光社参については途絶えていた時期もあったんだから
わざわざ金のかかることを復活させなくてもよさそうなもんだけど、
吉宗はあえてそれを復活させた。
それには彼自身の境遇も大きな理由のひとつだろうと思う。

こちら、歴代将軍の大まかな系図になります↓。
例によって長幼の順は無視してますのでご了承ください。


将軍相関図-2



水戸様んちが大変なことになっててこれを作るのに相当時間がかかりましたが、
なんでこんなめんどくさい事をしてるのかは 「上野第二編(32)」
「上野第二編(70)」 をご覧いただくとして、
一言で言うと頼重・光圀の兄弟は御三家・水戸家当主の子として
華々しい出生ができずに弟の光圀が第2代水戸家当主を継ぐことになったからです。

兄は弟に、弟は兄に遠慮して水戸家と讃岐松平家の間で
こんな変則的な相続が繰り返されたようです。
昔の人ってのも大変だなあ~。

じゃなくて、6代・ 家宣 も甲府から迎えられてはいるものの、
4代・5代の甥であり家光の孫でもあるから直系により血は近い。

もしもの時のために用意された御三家から初めて将軍に立ったのが吉宗で、
イエアスの血をひいているとはいえ傍系のひ孫であり、母の身分も低い。


江戸初期と違って後期に入ると将軍が江戸を出ることはほぼなくなった。
将軍の日光社参は文字通り「動座」にあたり、留守を預かる江戸では特別の体制が敷かれ、
道中では将軍につき従う行列の他、各宿場の警護を割り当てられた者たちは
先行して持ち場へ向かい、準備を整えて行列が来るのを待った。
その数たるや相当なもので、俗に

行列の先頭が日光に到着しても、
最後尾はまだ江戸にいた


とも言われるほど。

吉宗の子・9代家重は病弱で社参はできなかったが、
祖父をこよなく尊敬する10代・家治は祖父にならって社参を果たした。
家治の道中のエピソードにこんなものがある。

参詣へのお供の数は数万にものぼったので、行列の先頭は早く進むこともできなかった。
  夕暮れ近くなってもまだ遅かったので、家治様は吉十郎を召して

 「もう夕方だよ~。
   先頭はなにをモタモタやってるワケ!?」

  と仰せになるので、吉十郎は

  「お供の数が多すぎるんで、ぱっぱと歩くことができないんですよ~。
   でもみんなちゃんとやってます。それもこれも、上様の警護を
   万全にしようという思いがあるからですよ。」


  これを聞いた家治様は上機嫌になり、

  「そっか、わかったよ・・・
   ならオッケー。
   上々だね


  と仰せになった。
  これを伝え聞いたお供の者たちはにわかに疲れも忘れ、

 「おっしゃあー!
   このまま数千里までも歩いて行こうぜ!!」

  とばかりに奮い立った。
  吉十郎の返答も機転がきいていたものであったが、それを理解して
  聞き分けなされた上様のお心こそありがたきこと。
  以後はみな元気よく進み、君臣が心を一つにして日光を目指していった・・・
  (「徳川実紀」より意訳)

いずれにしても行列は相当な数であり、各宿場での警護担当者も合わせれば
「数万」というのは誇張でもなんでもないだろう。

将軍の社参は片道4日程度と少し前の記事に書きましたが、
4日で日光に着くんだ・・・と思っていたら、これはかなりのハイスピードだったらしい。

そこには経済的な配慮もあっただろうし、
吉宗も社参の経費はなるべく抑えようとしたようだけど、
どう頑張ったって莫大な出費にのぼるのは致し方ない。

将軍が社参に出立する前には御三家やら世子やら先代の奥方様やら
色んな人から祝いの品が届けられ、そうしたものまで含めば
社参全体で動いた金は相当の金額になる。

それでも吉宗は社参を復活させた。
分家から宗家を継いだ吉宗としては、正当な後継者であることを
神君の威光を借りて示したかったという思いは確かにあっただろうという気がする。
だからこそ、社参が「政治的な意図」だと世間に解されてもいるのだろう。


歴代将軍の社参の具体的スケジュールまでは調べてないけど、
江戸博の図録によると後代の3人の社参の際にはちょっとした観光も
プラスされたんだそうな。

家治は祖父の例にならって社参をしているものの、
吉宗が実際にどういう観光をしたのかまでは手持ちの資料ではわからなかった。
が、家治は「徳川実紀」に比較的色んなエピソードがある。

それによると、「享保の例により」家治は滝尾権現へ詣でて
周辺の景観を鑑賞することを前々から楽しみにしていたらしい。
「享保の例」はもちろん吉宗の社参を指すので、
吉宗はタッキーへの道を進んでいったものと思われる。

あとで写真も出てきますが、タッキーへ向かうには現在2つのルートがある。
どちらの道を吉宗が通ったのか知りたいと思ったんだけど、
あいにく「実紀」にはメインとなる東照宮・大猷院への参詣以外の
詳しい行程は書かれていなかった。

でも家治は吉宗と同じように山内の観光を楽しみにしてたんだから、
家治の社参が比較的詳しく書かれているなら、家治を参考にすればいいじゃん?
と思うでしょう?
ところが、家治を参考にできない愉快なエピソードがあるんですよ


関西以西の方にはあまり知られていないかもしれませんが、
日光でのメジャーなイベントに「強飯式」(ごうはんしき)というのがある。

どんぶりどころじゃないくらいデカい三升もの器にぺたぺたと
ピラミッドのように盛られたご飯を食べるもので、その周囲では山伏が

「ホラ食え!
オラオラオラ~、がっつり食えよ!!」


とばかりに責めたてる儀式で、これの始まりは古く、
山で修行した修験者が山中でお供えしたものを持ち帰って
下界の人々に分け与えたところから始まったといい、
日光三社権現から賜るもの、という意味合いらしい。

かつては山内の各所で行われていたらしいが、現在では4月2日に
輪王寺の本堂で行うものに一本化されている。
『宝ものがたり』によると、江戸期には将軍や大名などの参詣者もこの儀式を受けたらしいが、
実は身代わりを立てており、本人は御簾のうちで安穏としていたらしい。

で、家治さんが参詣の折にも強飯式が行われました。

 この山の古い慣習に、椀飯を勧めるものがある。
  山法師どもが天狗の姿をして「我は権現の使者なり」と言って人に食べ物を勧め、
  食べなければ太い縄や黒木の棒など持ってきて無理強いするというもので、
  これを家治様がご覧になられたが、山法師どもが責めたてて罵るさまは
  とても恐ろしく騒がしいものであったので、家治様はやがて宿所へ帰られてしまった。

  日が変わると、滝尾への御遊行は取りやめとなった。
  それほどまでにお心が参ってしまわれたようだが、御滞留の期間を1日のばして
  滝尾へ御遊覧されてはいかがかと申し上げるも、自分一人の楽しみのために
  滞在を延ばせば下々の者にまで迷惑がかかるだろうと遠慮して、翌日には
  御山を下りて帰路に着かれた。家治様が下々のことを考えるのはいつものことで、
  御一人だけの楽しみを追い求めることはしない方だった。

  (『徳川実紀』より意訳)

という訳で、強飯式にビビッた家治さんはせっかく楽しみにしてた観光を
やめちゃったそうなんですよ

まあでもね、タッキーへ行くにはもう1本の道より
稲荷川沿いの史跡探勝路の方が歩きやすいと思うので、
どなたかの将軍様が一度はお通りになった道だろうとわたくしは想像しますね。


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最終更新日  2015年01月03日 23時15分04秒


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