戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年01月05日
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カテゴリ: 日光写真館
前回はまとめて開山堂の報告をしましたが、
現地では先に観音堂と開山堂の間にある小道を奥へ進んでおりました↓。


14史跡探勝路・開山堂5


はあああ・・・
奥へも早く行きたいけど、ここはまず手前に寄るのがスジだよな。
開山堂の真後ろにあるのがこれです↓。


14史跡探勝路・勝道上人墓所


 【勝道上人の墓

  日光開山の祖、勝道上人は仏岩で荼毘にふされた。当初上人の遺骨は、仏岩谷の上方に埋葬

  には「勝道上人之墓」と刻まれている。また、隣にある三基の墓は、上人の弟子のもの。】
  (現地解説板より)

え~、ちょっとここは先へ話を進めますね。
こちらが玉垣の隙間から撮った勝道さんのお墓です↓。


14史跡探勝路・勝道上人墓所2


五輪塔の台座に刻まれてるのは「勝道上人之塔」なんだけどな

山の上の中禅寺湖にも勝道さんの首の骨を納めたといわれるところがあるので、
分骨したなら土葬じゃなくて火葬だったのかな、と思っていたらやっぱりそうなんだね。
玉垣の中には入れないので、お花を供えているのは輪王寺の僧侶と思われます。

この右隣にあるのが弟子のお墓↓。


14史跡探勝路・勝道上人墓所4




勝道さんの弟子の墓は山内の他の場所にもあります。
なので、おそらく当初から師のそばに葬られたのではなく、
ここに勝道さんのお墓を移した際に一緒にしたんじゃないかと思われます。

お墓の奥にはすごい光景が広がってます↓。


14史跡探勝路・勝道上人墓所5



14史跡探勝路・仏岩


 【仏岩

  頭上の岸壁に仏の姿をした岩が並んでいたのが、地震で岩が崩れて消失し、仏岩の名のみが
  残ったともいわれる。岸壁基部のくぼみには、梵天、帝釈天と四天王のうちの三体、
  不動明王の石造、六体が並んでいる。】
  (現地解説板より)

そのまま上を向くと


14史跡探勝路・仏岩2


ヒィィィィ・・・
今にも崩れ落ちてきそーだ

ここはご覧の通りの絶壁で、わたくしが今いる場所は一気に標高が下がるので、
この場所が勝道さんの墓の解説にあった「仏岩谷」だろう。
勝道さんはここを「離怖畏所」(りふいしょ)と呼んだそうな。

こちら側はまったくお初のエリアなので、来る前に先人の訪問記を
いくつか斜め読みしてみたところ、「仏岩」が落ちてきたのを混同して
勝道さんの墓が落ちてきたとか、この岩のくぼみにある石像たちが落ちてきたとか
解釈しておられる方もいてわたくしもそのまま受け止めていたけど、
冷静に2つの解説を読むと岸壁の上に仏の形をした岩があって、
それが崩れたって言ってるんだよな。

ただ、勝道さんの墓は当初この岩の上にあったから、
確かに誤解を生みやすいとはいえる。

さてね、ここの地形をちょっと図にしてみました。


開山堂位置関係


この山は「恒例山」というらしいですが、マル1が開山堂。
マル2が仏岩で、わたくしは今この真下にいます。
で、マル3は何かとゆーと、イエアスの墓のある奥の院なんですよ。

東照宮から有名な「眠り猫」のある門を通って、イエアスの墓までは
ずっと石段を登っていく。
うねっとした道だけど、整備された一本道なので迷うことはない。
が、逆に言うとルートを外れることはできないので、
こんな地形になってるとはこれまで全然知らなかった。
イエアスの墓からかなり近いでしょう?

霊感がないわたくしには霊的なことはわかりませんが、
おそらく仏岩の上の恒例山はそういう大事な人を祀るのにふさわしい場所で、
だから弟子たちはそこに勝道さんを埋葬したのだろう。

そして、天海が日光遷座をもぎ取って日光に東照宮を造ることになった際、
やはり恒例山が目を付けられてそこに奥の院を造ることになった。
けど、いくら勝道さんが開山とはいえ、神となった東照大権現と
ごく近い場所に墓があったのでは具合が悪い・・・
それで勝道さんには下に降りていただくことにしたんじゃないだろうか。

墓の方の解説によると、「東照宮鎮座のおり、開山堂が建てられ、遺骨もここに移された」
とあるので、それまで山内には開山堂はなかったのかもしれない。
いくら東照宮建設のためとはいえ、勝道さんにただ降りていただくのも申し訳ないので、
開山堂を新造して丁重に勝道さんを祀ったんじゃないかという推測をしました。

もともと、今の東照宮の場所には850年から新宮(二荒山神社)が祀られていたという。
ただ、神仏習合が濃厚な時期でもあり、源実朝のために建てられたという五重塔は
東照宮の境内域にあったというから、おそらく東照宮ができる前までは
勝道さんのお墓へは今の東照宮側からルートが通っていたと考えるのが自然。
仏岩が崩れたといっても基本的な地形はおおむね変わっていないだろうと思うので、
わざわざ仏岩の絶壁をよじ登って墓参りなんかするワケがない。
あるいは新宮の近くに、旧開山堂と呼ぶべき建物もあったかもしれない。

そう考えてみると、当初の勝道さんのお墓は現在の奥の院と近いどころじゃなくて
ドンピシャ同じ場所だったかもしれない。
そう考える方が自然な気がするんだよね。

あるいは、同じ場所じゃなくて恒例山の山頂に近い場所にあった可能性もあるよな。
その場合、東照大権現より高い場所に墓があるのはやはり都合が悪いってことで
移転を余儀なくされたかもしれない。

まあ、東照宮サイドじゃそんなことは大っぴらに言えないだろうし、
それ自体にケチを付ける訳じゃありません。
もし昔のままに勝道さんのお墓が高い場所にあったら、
わたくしは勝道さんのお墓参りをできなかったかもしれないんだし。


さて、それじゃ仏岩のくぼんだところに鎮座している石像を
向かって左から順に見ていきましょう。
どれが誰だかわかるかな・・・


14史跡探勝路・仏岩3


↑武装してない・・・
ならこれは梵天か帝釈天だな。


14史跡探勝路・仏岩4


↑これは四天王だな。
石像の割に表情は細かい。
ただ、持物がないとちょっとどなたかまではわからないな。


14史跡探勝路・仏岩5


↑腕は欠損してるけど、3本てことはないと思うので、四面四臂かな。
両脇の顔も見てみましたが、


14史跡探勝路・仏岩6



14史跡探勝路・仏岩7


どれもまずまず穏やかなカンジ。
お顔が綺麗に残っていてよかった。


14史跡探勝路・仏岩8


↑今にも走り出しそうなランナーのようですが、反対側から見ると


14史跡探勝路・仏岩10


おお、しっかりお不動様だな。
持物はないけど右手には剣、欠損している左手には羂索をぶら下げていたのだろう。

お不動様の近くには


14史跡探勝路・仏岩9


・・・いつも思うんだけど、なんで日本人って石を積むのが好きなんだろう



てか?
とある山中の古戦場でも、こんな風にあちこちに石が積まれていました。
そこはおそらく残党狩りなどで血が流されたと思われる場所だったので、

ここに石を積むの、シャレにならんから
マジ勘弁してぇ~


と心の中で悲鳴を上げながら山道を歩いたもんです。

お不動様の後ろにおわすのは


14史跡探勝路・仏岩11


たぶん、お首が欠損したから代わりの石を乗っけたんだろう。
胴に巻きついている布にはお経らしきものが書かれている。


14史跡探勝路・仏岩12



14史跡探勝路・仏岩13


武将のナリをした四天王の次が最後で、これも中国の装束をまとっているから
梵天か帝釈天のどちらか。
顔などの印象からすると、最初のが梵天でラストが帝釈天って気がするな。
ラストから見た石仏群↓。


14史跡探勝路・仏岩14

場所的にもちょっと普通じゃない雰囲気が漂っているので、
ぽつんと一人で見ているとなかなか迫力があります。


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最終更新日  2015年01月05日 23時56分02秒


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