戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年01月14日
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カテゴリ: 日光写真館
滝尾神社へ足を踏み入れる。


14史跡探勝路・滝尾神社8


日光では男体山・女峰山・太郎山をセットとして祀るなど、
「3」が祭祀のキーワード。
天海が日光遷座を果たした際もこれにならって 「東照三所権現」 を造り上げた。

もうひとつの「三所」にはタッキーが属しており、
本宮神社 ・二荒山神社(新宮)と別所のタッキーをあわせて
「日光三所権現」という。


ゆえにここまでで思ったよりも観光客がいた。
そのほかにも安産祈願のスポットもあり、
滝尾古道に沿う車道を通れば車でここまで来られるので、
歴史に興味のない人でもそこそこ訪れるちょい人気の場所。

ま、霊気がすごいとか言ってる人もいますが、
わたくしは御存じの通り霊感はありませんし、
とにかく薄暗くなる前に東照宮のあたりまで戻らなきゃならないし、
わたくし独自の萌えポイントがあるから頑張ってここまで来た訳で、
霊気がどーとか言ってる場合じゃございません。


14史跡探勝路・滝尾神社9



14史跡探勝路・滝尾神社11



14史跡探勝路・滝尾神社10


現在の境内は往時よりは縮小されてるけど、
小高い場所にあり、入口付近の山腹にはわずかに石垣も残る↓。


14史跡探勝路・滝尾神社12


石段を上がりきると、だだっ広い光景が広がる↓。


14史跡探勝路・滝尾神社13・別所跡


 【別所跡

  東照宮の遷座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。日光責めで有名な
  輪王寺の「強飯式」(山伏が、大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)も、
  ここが発祥の地である。明治になって別所は廃絶。永正6年(1509)日光に来た
  連歌師、宗長の紀行文「東路(あずまぢ)のつと」には、「ここより谷々を見おろせば、
  院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん。」とあり、盛時の様子が偲ばれる。】
  (現地解説板より)

う?
強飯式はタッキーが発祥?
てことは、修験者が滝尾の神に捧げた食料を下げ渡したのがルーツってことか。

徳川10代将軍・家治さんもさぞここに来たかっただろうけど、
ここがルーツの 強飯式にめげちゃった んなら
それが滝尾の神の思し召しだったのだろう。
かわいそーに・・・

歴史ファンの皆様の中には連歌師・宗長の名をご存じの方も多いと思いますが、
こーゆー人たちってホントにそこら中に足跡を遺していてすごいよな。
まあ、それだけ日光が古くからの観光名所だったってことだろうけど。

別所跡の看板のすぐ近くにはもうひとつ解説版がある。

 【影向石(ようごうせき)

  影向とは、神仏が仮の姿をとって、この世に現れること。弘法大師(空海)が、
  弘仁11年(820)この地に来て、奥の大岩のあたりで神霊の降下を祈願したところ、
  美しい女神が現われたと伝えられている。】
  (漢数字は戦国ジジイが変換)

で、解説に従って奥へと進みます。



14史跡探勝路・滝尾神社14



14史跡探勝路・滝尾神社18


14史跡探勝路・滝尾神社15



14史跡探勝路・滝尾神社16



14史跡探勝路・滝尾神社17


祠の向って左にある苔むした岩が影向石かと思われます。
この場所が 小玉堂 のところで紹介した、池の中から浮かび出た大小つの玉を
空海たんが両方ともつかみ取りしたという伝承の地。
ただ、ここには池はないけどね。

祠の後ろに回って背後の景色を見ると


14史跡探勝路・滝尾神社19


下との高低差は結構ある。
ちょっと山城で下の郭を見おろしてる気分になる。

宗長が「ここより谷々を見おろせば」とした「谷」は、
こちら側の景色を指すのかもしれない。

廃絶したという「別所」について解説には詳しく書いてなかったけど、
おそらく滝尾神社の別当、あるいは神宮寺もここにあっただろう。
滝尾古道に沿ってずっと続いてた古い低い石積みは
タッキーに近い場所あたりからは見受けられなくなったけど、
神仏ががっぷり一体化した往時では神社を取り囲むように
下の「谷」に僧坊が立ち並んでいたとしてもおかしくない。

昌源 が植えた木々は宗長が来た頃はまだ若木だったはずで、
老木が高くそびえる現在よりは古道の方もそこそこ見通しはよかったろうと思うけど、
背後の僧坊と古道沿いの僧坊を合わせてもさすがにこの一帯だけで
「院々僧坊およそ五百坊」を一度に見ることはできなかっただろう。

参道に建ち並ぶ僧坊をずっと見てきた後でこの小高い場所に立ち、
さらに背後にも沢山の僧坊があるのを見てそのスケールのデカさに
宗長はこういう表現をしたのかもしれないと思った。

今はな~んにもない静かな空間だけど、
かつてこの付近を僧侶や修験者や神職が入り乱れて賑わっていた様子を想像すると
歴史のロマンだなあと思う。


さて、参道に戻ります。
参道から下を覗くと、白糸の滝へつながる小川が見える↓。


14史跡探勝路・滝尾神社20


これは背後の女峰山(2483m)、赤薙山(2010m)から下りてきた水。
この清浄な清水が潤す滝尾の地は日光の聖地ともいわれる。
滝尾神社の創建は一般的には空海たんの伝説が幅をきかせているけど、
清らかな小川を遡上して、勝道さんもここまで来ていたんじゃないだろうか。


参道を進むと、鳥居が見えてきます。
実は今回わたくしが頑張ってタッキーまで来たのは、
この鳥居が一番のお目当てだったからです。

もう夕方近いこともあり、タッキーに到着してから
わたくしが出会った観光客は2~3組。
決して多いとは言えない数なのに、よりにもよってこの鳥居の前で
そのうちの1組のカップルがわたくしの邪魔をしておりました↓。


14史跡探勝路・滝尾神社21・お梶の鳥居


参道の両脇にある物体はニンゲンです。
彼らがこんな恰好をしている理由は、この鳥居が持つ伝承にあります。

 【運試しの鳥居

  元禄9年(1696)に、3代将軍家光の忠臣、梶定良が奉納したもので、鳥居の
  額束(がくづか:中央の縦の部分)の丸い穴に小石を3つ投げ、穴を通った数で
  運を試したという。御影石、明神造り。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

という訳で、お梶の奉納した鳥居でございます。
いつも個人的愛称を堂々とブログに書いておるわたくしですが、
梶定良(かじ さだよし:1612-1698)の愛称は「お梶」。
ただ、イエアス側室のお梶(英勝院)と同じで紛らわしいから、
定良の方は「お梶(♂)」としておこう(笑)。

お梶(♂)は徳川に仕える菅沼氏の出で、早くから家光の側近く仕えたという。
家光は才能あふれる家臣に恵まれ、家光の六人衆のうち阿部重次と堀田正盛は
家光に殉死した。

重次のいとこの忠秋は生きて4代・家綱を支え、
智恵伊豆・松平信綱も世間に後ろ指をさされながらも生きて
未曾有の大災害・ 明暦の大火 などのピンチを乗り切った。
この辺の人達は寛永寺シリーズでちょいちょい顔を出してますので、
「上野第二編」あたりを読んでね。

お梶(♂)も生きて、4代・家綱の命で日光に移り住み、
以後47年の長きにわたり日光山全般の監督を務め、
お梶(♂)の死後は彼があたっていた職務を引き継いで日光奉行が置かれた。

お梶(♂)は甲州流兵学の創始者とされる小幡景憲(おばた かげのり)の
高弟だったともいい、無骨な武士の一面をうかがわせる一方で、
毎朝4時に起きて身を清め、大猷院(家光の墓所)に詣でて
食事を捧げていたという。

生涯独身を通し、家光が死んでなお主君に尽くす姿は人々の感銘を呼び、
寛文3年(1663)の家光の13回忌で将軍家綱が社参で日光入りした際には
お梶(♂)の忠義に感じた水戸光圀が大猷院へ捧げる祭文(さいもん)を自ら記し、
それは今も輪王寺に残っている。

滝尾古道の東を流れる稲荷川はたびたび氾濫を起こしたそうで、
はじめ稲荷川沿いにあった本宮神社を安全な奥地へ移してできたのが新宮・・・
今の二荒山神社だということなんだけど、お梶(♂)が日光で在番を務めている間も
稲荷川の大洪水があり、ほかにも山内で大火が起こるなど
なかなか大変な時期だったらしい。

そういう災害の際には自腹をきって地元民の救済にあたったといい、
日光の民衆からは「梶さま」と呼ばれて慕われたそうな。

お梶(♂)の墓は、大猷院の家光の墓の後ろにある。
大猷院の二天門の下にある龍光院は大猷院の別当で、
水戸光圀がお梶(♂)の霊牌を龍光院に寄進したそうな。

お梶(♂)の命日の5月14日には輪王寺一山の僧侶が総出仕して
お梶(♂)のための法要を執り行い、彼の家臣の子孫や日光奉行所に務めていた人の
子孫による「照光会」のメンバーも参加して、今でもお梶(♂)の冥福を祈っているという。


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最終更新日  2015年01月15日 00時15分15秒


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