戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年01月29日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
叡山1・東塔4みちすじ


通行禁止の防災道路を抜けて出られるのが第一駐車場。
ここにはバスセンターもあるけど、これも冬季は運休なので
今回は叡山でバスを使う予定はない。
やれやれ、やっと人界に戻ってきたってカンジ

ここには霊園の大きな看板が↓。


叡山1・中堂ウラ14


今や延暦寺も世界遺産で、オフシーズンにも関わらず
観光のメイン部分にはさすがにガイジンも結構いたけど、

輪王寺宮が統轄した三山のうち、現在霊園を経営してないのは日光輪王寺だけ。

この霊園は叡山から少し離れた北東にある。
往時の寺格を考えれば叡山が霊園経営をしていることに違和感を感じなくもないけど、
寛永寺に墓を持ちたかったわたくし のような人間もいるしな

しかし、一体どこまで延暦寺でお世話してくれるものなんだろう・・・
下賤な想像をしたわたくしに、叡山で買った小冊子『比叡山延暦寺』(延暦寺発行)が
答えてくれた。

 【6万坪の広大な霊地はすべて南向きで、お盆や春秋のお彼岸には、天台座主が
  建墓者ご先祖のご法要を厳修し、毎月1回総回向と法話があり賑わいます。
  また、子孫のない人のために、延暦寺が永代にお供養する”久遠墓”は全国の
  人びとから喜ばれています。】


ちょっといいな、コレ・・・とついミーハー心が



駐車場には最澄たんもいる↓。


叡山1・中堂ウラ16


それから、この碑↓。  


叡山1・元亀兵乱殉難者鎮魂塚碑



世間一般に思われているようなスタンスを取っていますが、
隣にあった解説版には石碑建立の意図についても書かれているので、
少し長いですが全文ご紹介します。

 【平和の塔 元亀の兵乱殉難者鎮魂塚について

  比叡山延暦寺は、元亀の兵乱すなわち織田信長の叡山焼討ちといういまわしい歴史を
  もっている。今から420年前、元亀2年9月12日、信長軍は、坂本(比叡山東麓)
  の街を手始めに日吉山王二十一社すべてを焼き払った。次いで比叡山を目指し根本中堂
  以下三塔十六谷の堂塔、僧坊500を3日3晩かけてすべて焼き尽くした。また坂本の
  街から炎に追われて山上に逃げ込んだ者千余名、山上の僧俗あわせて千余名は、
  ことごとく焼殺、斬殺されたといわれる。

  天下布武を唱えて天下統一を目指す信長に旧勢力に属する延暦寺が、守護大名である
  越前の朝倉家や近江の浅井家などと連携して対抗したのがその基因であるが、あまりにも
  悲惨な出来事であった。比叡山は、その後秀吉、家康の庇護を受け復興されるがその
  傷跡はあまりにも大きく、その後の比叡山に大きな陰をおとしている。

  420年を経た今、犠牲となった人々、仏法のため殉教した僧俗2千余名のためここに
  塚を築き、遺品を埋め、塔を建立して追善の回向法要を修し霊魂を鎮め先人達の霊を
  慰めんとするものである。なおまた攻め込んだ信長軍の戦没者の霊に対しても10年後に
  同じく本能寺で火に焼かれた信長その人の霊にも恩讐を超え、怨親平等の心をもって
  追善供養を施すものである。世界鎮護の如法塔の文字は、第253世天台座主の
  ご染筆によるものでこの塔がさらに心の平安と恒久の世界平和を祈願している。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)  

なあんとな~く、聖なる寺を焼くから
自分も火に焼かれることになったんだろ~って言いたげな気がするのは
わたくしだけでしょうか・・・

ま、織田軍は焼くには焼いたんだろうけど、
世間で言われるほどの凄惨で大規模なものではなかっただろうと
わたくしは思ってますのでね。

焦土の範囲も現在わかっているところではかなり限定されてるらしいし、
そんなに犠牲者が出たんなら、大量の人骨はどこへ行ったんだ?
少なくとも今のところ山中ではそんなもの見つかっていない。

それに、現在延暦寺が所有する宝物たちの中には
平安時代とか鎌倉時代のものも結構あるし、
根本中堂の奥深くに安置されている本尊は最澄の自刻との伝承があるもの。
最澄真筆の文書も残っている。

さらに 天海が家綱の誕生祈願に使った良源さんの画像 は
この時に横川から流れたものだとも言うけど、
山に追い詰めてバッサバッサと見境なく殺した上でことごとく焼き払ったんなら、
これらの宝物たちはどうやって生き延びたんだ?

山の奥深くに隠したって可能性もなくはないけど、
そういう記録が残っているのなら、それこそ被害の深刻さを物語る格好の
「使える」エピソードだと思うのに、そういう具体的な伝承を持つ宝物を
わたくしは知らない。
その点ひとつ取っても、ちょっとおかしいでしょ。

まあ、画像や文書なら比較的コンパクトではあるから、
決死の思いで持ち出した僧がいたという可能性もアリだけど、
仏像となるとそう簡単な話じゃない。

元亀兵乱の時じゃないけど、山内の抗争でとある木像が山を降りたことがある。
その時は、僧侶が木像を背負っていったんだそうな。
そのエピソードは世間でも語られているので、
もし元亀兵乱で同じようなことがあれば

「こんなに大変だったんだよ~!
信長、ひどいっしょ!?」


ってアピールするのにとても都合がいいように思うのに、
そういう話は知らない。


それから、別に織田軍をかばう訳じゃないんですが、
こともあろうに不可侵の聖域を焼き払った極悪非道のオンリーワンが
織田氏による叡山焼き討ち、ってイメージが世間では非常に強いんじゃないかと思うけど、
外部の人間による攻撃は織田氏が最初じゃない。

足利6代将軍・義教も弾圧を加え、叡山を包囲している。
ただ、この時は重臣たちの反対にあって一旦は鉾をおさめた。
和解の際、義教は叡山の僧4人を謁見しているが、
あとになってこの4人を招いた。

ワナじゃないかと疑った僧たちはなかなか招きに応じようとしなかったが、
管領・細川持之が誓紙まで出したので、上洛した。
ところが、義教はこの4人の首をはねてしまったという。

叡山側は怒った怒った。
そりゃ当然でしょう。
そこで自ら根本中堂に火をかけ、24人の僧が焼身自殺をするという手段をもって
義教に抗議したそうな。

ただ、義教の時は全面攻撃には至っていない。
が、織田軍以前に大規模な攻撃をしかけたツワモノがおった。

流れ公方・足利10代将軍義尹(よしただ。のち義稙)は
大内義興さんが保護してやったという経緯で本ブログでも結構顔を出してますが、
明応の政変で細川政元らに追われた義尹は義興さんのところへ行く前に
まず越中へ行き、ついで越前の朝倉貞景(朝倉義景のジイちゃん)を頼った。

この間、細川政元との和睦交渉が続けられたようだけど、
これはうまくいかず、軍事行動に出た。
叡山もこれに同調した。

加賀・越中・越前の武士たちに加え、根来寺・高野山、そして叡山が義尹側に回ったことで
包囲される形となった政元は、明応9年(1499)7月11日、
延暦寺攻撃の命を下す。

麓から攻めのぼった政元の内衆の軍勢は山上へ上がり、
根本中堂など主要な堂宇を焼き尽くしたという。


延暦寺といえば、白河法皇の「ままならぬもの」として有名。
すなわち、賀茂川の流れとサイコロの目、そして叡山の山法師。

「僧兵」という名称は江戸期に入ってから使われ出したもののようですが、
実は僧兵の生みの親はあの良源さんだという見方がある。
それについてはまたあとで書きますが、10世紀には山内で武力行使をする者が
すでにいた。

その頃には山門と寺門の抗争はすでに始まっており、
延暦寺から園城寺への攻撃回数は 「大津編(9)」 でも紹介してますが、
なにも寺門が一方的な被害者という訳でもなく、
元気にばんばんやり返している。

そのほか、山内でも時代が下るにつれ門流という一種の派閥が出来上がり、
ある門流から叡山の重職が出て他の門流が気に入らないような場合、
当時者の僧坊を破壊するというような出来事もあった。

最終的に山門と寺門の焼き討ち合戦が収束するのが秀吉による刀狩令だろうから、
良源さんの頃から秀吉まで、叡山では内部・外部による破壊行動が繰り返されている。
そういう状態にあって、織田軍の攻撃だけがクローズアップされるってのも
どうかと思っちゃうんだけどねえ・・・



ところで、鎮魂塚と言ってもこれはあくまで石碑で塚じゃない・・・
あ、でもよく見ると碑の裏に前回道路から見えた「塩の山」があるから、
これが鎮魂塚なのか。

近くには灯篭もある↓。


叡山1・阿弥陀堂へ


ほう、これは寛永寺で見慣れたものに近いタイプだぞ。
たぶん江戸期のものだろうけど、本体が立派だから大きな台座もこの下に
付いてたんじゃないかと思うけどな。

駐車場でトイレを済ませて売店も少し覗いてから、ゲートへ向かう。
ここにも東塔の料金所がある。
でもわたくしは最初に拝観料を払っているので、悪びれもせず堂々と

「すいませ~ん、ウラの方から回ってきたんですけど、
通らせてもらっていいですかあ~?」


とおじさんに声をかけた。

「拝観券ありますか?
見せてもらえたらいいですよ」


と言うので、はいはいとカバンを覗いて探したけど、ない・・・

「ちょ、ちょっと待ってください。
あるにはあるんですけど・・・」


あわててカバンをまさぐったけど、なかなか見つからない。
そうこうしているうちにも車で上がってきた観光客は
お金を払ってすいすい入っていくので、

「お金払っちゃった方が早いですかね。
ハハハ」


「いやいや・・・
いいですよ~、待ちますから」


かなり探したあとで、ようやくわたくしの拝観券がカバンから出てきた。

「あっ、あった!
ほらコレ~!!」


「はいはい、どうぞ~」

ほっ、550円助かったぞ



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最終更新日  2015年01月29日 23時18分32秒


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