戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年01月31日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
前回の記事、間違ってました。

向かったのかと思っていたら、道なりの大講堂へ着いたようです。
そうだよな、そうでないとちょっとおかしいもんな。

てなことで、こういう立派な大講堂を前にしながら↓


叡山1・阿弥陀堂


前回の三国天台宗の碑を見たあと、さらに奥にも何かあるのに気がついた。


叡山1・阿弥陀堂へ・筆塚


 【比叡山筆塚について

  この筆塚は、全国学生比叡山競書大会の筆塚です。伝教大師を讃仰して始められた
  この大会は、全国の幼稚園・児童から大学生の諸君まで、その参加者数は計り知れない
  数にのぼっています。また毎年入賞作品を根本中堂に掲げ、これを全国からの参詣者に
  ご覧頂いています。この筆塚は、これらに用いられた古い筆を納め、感謝の心をもって
  筆を供養する塚であります。

  学生さんならお一人でも参加できますので延暦寺事務所へお問い合わせください。】
  (現地解説板より)

学生大会なら学生さん以外は参加できなさそうなのに、
最後の一文が意味不明だ・・・と思ってたらば、


叡山1・阿弥陀堂へ・筆塚2


あ、ここから納めるのか。


それから、最澄の1,150年遠忌法要の祈念碑もあった↓。


叡山1・阿弥陀堂3



では、大講堂へ向かいます。


叡山1・阿弥陀堂5



叡山1・阿弥陀堂6



叡山1・阿弥陀堂7



叡山1・阿弥陀堂8



叡山1・阿弥陀堂9



叡山1・阿弥陀堂10



・・・なんか、どっかで見たような雰囲気だよなあ。
しかし、それもそのはず、現在のお堂はもともとここに
大講堂として建てられたものじゃない。

今回は行かれませんでしたが、山麓の坂本にも東照宮があり、
そこの本地堂として当初「讃仏堂」という名称で建てられたものだそうな。

東照宮の本地堂だから当然江戸期に入ってからの建立。
昭和31年にもとの大講堂が焼失してしまったため、
坂本の讃仏堂を移築したらしいんだけど、移築の際に
「寛永10年9月15日」「寛永10年卯月」などの墨書が発見されたそうな。

ただ、「坂本の讃仏堂」に関してはちょっと不思議な解説が各所にある。
たとえば『伝教大師最澄の寺を歩く』(比叡山延暦寺監修/JTBパブリッシング)から
引用しますと、

 【坂本の讃仏堂も、元亀の法難により焼失したが、いち早く復興され、寛永11年
  (1634)に落慶法要が行われている。】
  (漢数字は戦国ジジイが変換)

「東照宮」がこの世に現れたのはイエアスの死後。
元亀の争乱は1571年、イエアスの没年は1616年。
織田氏が攻撃した時点でまだ「東照宮」は存在しておらず、
したがって「東照宮本地堂」が織田氏に焼かれるハズもない。

とすると考えられるのは、東照宮以前に坂本に讃仏堂はすでにあり、
それが元亀年間に焼失した。
叡山の山麓に東照宮ができたのは元和9年(1623)だというから、
その際にもとの讃仏堂の復興もかねて本地堂を建立したってところだろうか。


もとの大講堂はどんなものだったか、『山門堂舎記』を見てみると、
まず創建は天長元年(824)、最澄とともに入唐しのち初代天台座主となった
義真によるものだという。
『叡岳要記』では勅による建立で、天長元年9月3日の供養の法会には
嵯峨太政天皇が臨席され、元興寺・西大寺・薬師寺の南都の大寺からも
高僧たちが参列したという。

檜皮葺で9間、ひさしがついており、
四隅には箜篌(くご)という弦楽器が置かれ妙なる調べを奏でて
荘厳していたそうな。

フツー現代人が「荘厳」の文字を見れば「そうごん」と読み、
おごそかな雰囲気を指すものと考えると思うけど、
仏教でいう「荘厳」は「しょうごん」と読み、
飾りやお香・花・音楽などで仏の世界を壮麗に飾ることをいう。

法事でお寺さんに行く機会もあるかと思いますが、
どこのお寺も内部はキンキラでお坊さんが座る席の真上には
大きくて華麗な金の笠みたいの(天蓋)がぶら下がってるでしょう?
あーゆーのもすべて荘厳。
平たく言えば、目・耳・鼻などで感じる仏の世界を再現したもの、
ってところでしょうか。

で講堂の真ん中に鎮座するのは、金箔の化仏を背負った8尺の木造毘盧舎那仏。
これには脇侍がついており、左には木造の弥勒菩薩、右には十一面観音。
毘盧舎那仏と弥勒菩薩は檀越らによる造立で、観音菩薩の方は
「弘宗王」のために仁明天皇(桓武の孫)の命により造られたものだという。

ほか、彩色の梵天・帝釈天・四天王像。
あと、金塗りの基壇の上には文殊師利聖僧像がいたという。

承元元年(1207)、宣旨により鎌倉3代将軍源実朝が造営したとある。
ここまでが『山門堂舎記』の記述。



永和5年(1379)に書かれた『叡岳要記』には康保3年(966)・
元久2年(1205)・文永元年(1264)、永仁6年(1298)・
元弘2年(1332)の5回火災で焼失したことが書かれており、
これに細川政元・織田信長の焼き討ちと昭和31年の火災を加えると
少なくとも8回は焼失したことになる。
他にも焼失の記録はあるかもしれない。

それでも、『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』には昭和31年に

 【焼けた大講堂は桁行九間、梁間六間、一重、裳階付で、もし焼けなければ
  根本中堂と共に国宝に指定された事疑いないものである。】

とあるので、焼失した最後のものがいつの建立かはわからないけど、
焼失するたびに壮麗な建物が再建されたものと思われる。

『比叡山時報』第703号には、当時まだ小僧だった叡山のお坊さんが撮った
昭和28年頃の写真をもとに当時の様子を語った記事が載っている。

 【まだ山にはドライブウェイ建設の話題もなく、麓の坂本にはタクシーもなかった
  頃の話である。延暦寺は山の木々を売った収入で一山を経営していた。
  当然のことながら貧しかった。】
  (「瞻仰尊顔」福田徳衍より)

昭和28年といえば坂本ケーブルは戦後返還されて営業を再開していた時期だけど、
他にロクな交通の手段もないし、現在のように不特定多数の一般人からの
観光収入が見込めるような時代ではなかったらしい。

そういう苦しい時期に、当時の重要文化財であった大講堂が焼失してしまったことは
かなりの痛手だったろう。
そんな時期でも移築という手段をもって大講堂を復活させた。
そりゃ新築よりは安上がりだったかもしれないけど、
解体して移築するのだってかなりの負担だったろうと思うんだよね。


一般には義真による創建だとされる大講堂だけど、
『叡岳要記』には「秘録」として講堂は最澄が建立したものだとある。
なんでも、「伽藍結界壇場の地域」・・・これは東塔の中心部を指すのだろうけど、
その地域を拓く前に胎蔵界の大日如来をあらわす7寸(約21センチ)の鏡を
地中に埋めたんだそうな。

で、天長に義真が講堂を建立した際、その鏡を本尊(大日如来像)の腹中に納めた。
康保3年(966)の火災の時、灰の中からこの鏡が出てきたので
また腹中に納めた。
元久2年(1205)の火災でも灰の中から見つかったので、また腹に納めた。
文永元年(1264)の火災でもまた灰の中から見つけ出された。

・・・焼け跡から3度も見つけ出されているので、
つまりご本尊様は講堂と運命を共にされたようですね。
3度も劫火にさらされた最澄たんの鏡はさぞひんまがってボロボロに
なったんじゃないかという気もしますが、叡山における鏡の受難はここまで。

なぜかというと、文永元年の火災で救い出された鏡は、
「梶井の源全が大塔の澄覚親王に勧めて、今は大塔にある」となってるからです。

梶井門跡は延暦寺の門流のひとつで、京・岡崎の法勝寺(ほっしょうじ)九重塔を
「大塔」と言ったようなので、岡崎へ移されたんじゃないかと思います。
今は法勝寺はないけどね。
ただ、ウィキペディアによると法勝寺は天正18年(1590)に
坂本の西教寺へ併合されたようなので、あるいは西教寺へ引き継がれたカモ?


え~、で、講堂という名の通りここは論議などが行われる学問の道場。
なかでも5年に1度の 「法華大会」 が最も大きなイベントのようです。

法華大会の進行については『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』に
簡潔に述べられていますが、読んでて色んな意味で

「うわ~、大変だな~」

と思う進行・内容です。
ま、最澄が始めた法華十講がベースになってるものだしね。

この小冊子には法華大会の写真も載っていますが、
天皇の使者と思われるおじさんは衣冠束帯で笏まで持ってる。
参加する探題は輿に乗って会場まで移動するとか、
散花大行道が行われるとか、傍目で見てる分には華麗なる王朝絵巻さながらの
貴重なイベントのようですので、機会があったら皆さまも見学に出かけられては
いかがでしょう。


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最終更新日  2015年12月11日 22時03分05秒


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