戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年04月11日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
「近道」との分岐から少し歩くと、道の真ん中に石が並んでいた↓。


叡山3・飯室奈良坂8


なんだろ、これ・・・
敷石のつもりかな?
でもこの上を歩かなきゃならないほど、回りは悪い道でもない。

視線を上に転じると


叡山3・飯室奈良坂9


おお、切り通しだあ~!!
この上に僧兵とか隠れてないだろうな

伏兵にびくびくしながら切り通しを抜けると、
上下2段に分かれた道が出た↓。


叡山3・飯室奈良坂11


う~~~っと・・・
どちらもしっかりした道だけど、この辺で一旦下るハズなので
下の道を選んで進む。
道を下っていくと、前方に橋が見えた↓。


叡山3・飯室奈良坂12


おしゃ、ビンゴ
ただあの橋、白いんだけど・・・


叡山3・飯室奈良坂13



叡山3・飯室奈良坂14


ぎゃあ、やっぱり~!
ここだけうっすら雪が残ってるう~!

雪の量はたいしたことないけど、これ鉄板だし
こーゆー吹きっさらしのところは凍りやすいからな・・・
落ちても死ぬほどの高さじゃないけど、鉄板の上で足を滑らせて
骨折経験アリ )。

両側の手すりは低い位置にあるので、腰をかがめて手すりにつかまりながら
慎重に橋を渡る。
ほっと顔を上げると、周囲の木々にも少し雪が残っていた↓。


叡山3・飯室奈良坂15


ここからは石垣の道。
この先にあった木製の道標によると、ここから坂本へ通じる道はまんま
「坂本の道」というらしい。


叡山3・飯室谷

ここはもう延暦寺三塔十六谷のうちのひとつ、飯室谷(いむろだに)で
横川の所属になる。
西教寺からここまでの山道が、奈良坂。
飯室谷へ入るとすぐこれがある↓。


叡山3・飯室谷・慈忍和尚廟


「慈忍和尚廟」。
3日目のもっとも大きなお目当てかつ最終目的地はもちろん横川だけど、
その途中にある飯室谷でのお目当てのひとつがこれだった。

慈忍和尚(じにんかしょう)はこれまでの記事のいくつかとも関連がある方です。
まずひとつめは 東塔北谷の総持坊 。
死後、三つ目一本足のユーレイとなって夜な夜な山中を徘徊し、
怠け者のバカ者・・・いへ、若者をこらしめたという延暦寺七不思議のひとつとなった
伝承をお持ちの方です。

ふたつめは比叡山三大魔所。
ここは 天梯権現社 に続く第2の魔所でもあります。

もうひとつ、わたくしにとっては重要な思い入れのある方でもあります。
ので、ここからしばし 「叡山攻め(128)」 に続く良源さんの歴バナに入ります。


慈忍和尚は第19世天台座主となった方で、法名を尋禅(じんぜん)という。
父は藤原師輔、母は醍醐天皇の皇女・雅子内親王。
良源さんの歴バナ第一段は師輔の子が良源さんの弟子になったところで止めてますが、
この弟子となった師輔の子こそ尋禅その人です。
つまりは師輔と良源さんの愛の架け橋みたいな・・・

前に使った師輔の系図の中にも名を載せてます。


師輔周辺



良源さんはその遺言の中で尋禅のことを、彼の住坊であった「妙香坊」とか「禅師君」
(ぜんじのきみ)と呼んでおられる。
禅師の君なんていかにも貴種にふさわしい呼び名なので、
わたくしも良源さんにならって「禅師の君」と呼んでおります。

禅師の君は師輔の10男。
師輔が先々のことを考えて子を良源さんの下に送り出す頃には
9男まではすでに官途に就いていたので、尋禅が出家することになったと思われる。

天徳2年(958)8月、禅師の君が叡山で受戒。
禅師の君が入山した正確な時期はわかっていないようだけど、
入ってすぐさま受戒という訳でもないでしょうから、
前年の天徳元年(957)か天徳2年の初め頃には叡山入りしていただろう。
天徳元年時点の禅師の君の実年齢は14歳。

『小右記』から法興院摂政家の子弟たちのアラクレ伝説を紹介した記事では
奴らは17歳とか18歳ですでに高位に就いていたようなので、
通常であれば禅師の君も政界デビューのお年頃。

ギリギリの年齢で白羽の矢が立ったと見れなくもないけど、
天暦8年(954)に横川入りした翌年、師輔は良源さんへ
横川隠棲の話を持ちかけているので、その頃から禅師の君を叡山へ送る
心づもりもあったのかもしれない。

出家した禅師の君は良源さんの住坊・定心坊へ入り、
良源さんの弟子となって僧侶生活をスタートさせた。
その2年後の天徳4年(960)、師輔が51歳で没する。

師輔の父・忠平が亡くなった際、良源さんは途中で京を抜け出して
初めて横川へ籠った。
このお籠りの際には師輔の娘・安子の安産祈願も行っていたと思われるものの、
一般的には忠平の冥福を祈るため、とされる( 「叡山攻め(125)」 参照)。

ところが、師輔の死にあたっては同じようなことをした記録がないらしい。
これについて『人物叢書 良源』(平林盛得/吉川弘文館)では、

 【これは、かつての良源が藤原氏と強固な師檀関係を持たず、また叡山山上に確固たる
  布教の足場を持たない、きわめて不安定な立場にあったことに起因する。どうしても
  良源は忠平との関係を、忠平の遺族たちに強烈に印象づける必要があったのである。
  それに反して師輔没後のいま、確固たる拠点を横川にもち、尋禅を紐帯として師輔の
  一族と強固に結び付いているのである。ここでは三百日の大護摩のような荒行を試みる
  必要はなく、静かに師輔の冥福を一族と共に祈ればよいのであろう。】

とする。
なるほど、忠平の死から師輔の死までの11年の間に
これだけ良源さんは自分の足場を固めていったってことね。

でも大々的な何かをしたことがわかっていなくても、
ただ記録が残っていないだけかもしれないし、
のちに自ら記した遺言には自分より師輔のための回向を先にしてくれとある。

師輔の死から約4ヶ月後には内裏が全焼、
またこの頃は日照りが続き疫病も流行っており、
しかも翌天徳5年(961)は辛酉の年にあたっていたため、
革命を恐れた朝廷は天徳を応和(おうわ)に改元した。

世情が不安定であれば、当然仏教界へのお仕事依頼も増える。
して、勅命により叡山でも西塔の大日院で五壇法の祈祷が行われることとなり、
このうち「大威徳法」を良源さんが仰せつかった。

勅による修法なので中心は天台座主であり、その他の壇も天台の高僧ばかり。
叡山あげての大祈祷会にはじめて選ばれた良源さんは、
おもに師輔一族だけを相手にしていたこれまでから
叡山の公式な高僧としてステップアップを図るチャンスを得たともいえるのに、
なぜか辞退をしている。

信仰の対象としての「元三大師」ではなく、実在の人物としての
良源さんの経歴を知る人の多くは、彼に対し「打算的」という評価をすると思う。
谷崎潤一郎ほどボロクソに書かなかったとしても、打算的と思わない人の方が
少ないんじゃないだろうか。

現に、良源さん大好きのわたくしでさえ打算的という評価を否定はしない。
実際の良源さんの経歴を書くことで良源さんを嫌いになる人が増えるんじゃないかと
内心ビクついております(笑)。

ただ、自分の栄達だけを考えてすべてを計算づくめの打算だけで行動する人だったら
五壇法拝命のチャンスは逃さないんじゃないかとも思う。

良源さんが辞退した理由はわからない。
もう一人辞退した僧がいるんだけど、この方はかなりの高齢だったようだから
体調不良などが原因だったのかもしれない。

出家して横川隠棲の意思を持っていた師輔のために、すでに横川で準備は進められていた。
資材を調達している途中で当の師輔は死んでしまったが、
娘の中宮安子がその意思を引き継いで援助し、真言堂を完成させた。

良源さんが五壇法を辞退した1ヶ月半後、その横川真言堂で
安子の命により師輔の一周忌の法要が行われた。
これは真言堂ではなく楞厳院(りょうごんいん)で行われたとの記録もあるものの、
いずれにせよ師輔一族による追悼の法会が横川で行われたことに違いはない。

平林盛得氏は、五壇法を辞退したのは病か突発的な事故のためと
考えるのが常識だとしながらも、

 【しかし、真言堂の完成や追善法会の準備の直前に大日院の修法が当っていることは、
  全く良源の意識の中で無縁とはいえないであろう。(中略)横川発展の大恩人の
  追善を祈って、一年間公式行事を自らの意思で絶ったか、あるいは師輔追善行事の
  準備で、他の行事どころではなかったか、いずれにしても師輔追善とのかかわりに
  おいて大日院の法会を辞退したと考えたいのである。少なくとも良源の行動は目先の
  利を追うのではなく、長期の見通しと判断力に支えられたものなのである。】
  (『人物叢書 良源』より)

とする。

うがった見方をすれば、これすらも師輔一族をつなぎ留める
パフォーマンスだと取れなくもない。
でもそれだったら、ここから20年以上も経って「死」を意識して書いた遺言にまで
師輔を登場させることはなかろ?

だからわたくしも、ここは平林氏と同じく師輔の死にからむ辞退だったと考えたい。


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最終更新日  2015年04月11日 22時40分17秒


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