戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年04月27日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
高明系図2


安和の変の黒幕については古くから色々推測されてきたらしいが、
その中に源満仲が高明を裏切ったというものがある。

もともと高明とつながりがあった満仲は、はじめ謀反の一味に加わっていたものの
それを裏切って密告したというのだ。
もしそれが事実だったのなら、なんで満仲は高明を裏切ったのか・・・

ここでは、高明が実際に謀反を企てていたのかは問題じゃありません。
「高明派」と表現した方がいいかもしれません。

前々回、「ミウチ政治」について引用して紹介しましたが、
「ミウチ」はなにも摂関家に限ったことじゃない。

代が下って天皇家との血縁関係が薄くなるにつれ社会的地位も低下する傾向にあった。

清和源氏の出である満仲の家も例外ではなく、
妻の父の姉妹は村上天皇の第1皇子を産んだものの、北家に敗れて
元方は悶死した。
もう1人の妻の姻戚では高明に期待が持てたが、
為平親王は立太子できずこれまた前途が閉ざされた。

しかし、高明を介して北家とのつながりもあった。
このあたりの経緯から、まんじゅうは高明を見限って
次の権力の担い手である九条家へ接近したのではないかと元木泰雄氏は見る。
わたくしもそんなところだろうと思う。


藤原秀郷の子・千晴は、父と違い上洛している。

千晴は京にいたらしい。

前回の安和の変の流れでタレ込みの直後に固関(こげん:三関を封鎖すること)が
ありましたが、政変や天皇の死などの非常時には
都が攻められたり、その逆で謀反人などが逃亡するのを防ぐために
関を封鎖する措置が取られた。

延暦8年(789)に桓武が廃止 してるけど
(桓武当時の三関は鈴鹿・不破・愛発)、固関はまだあったんだな。

で、村上天皇の死にあたって伊勢の固関使に千晴が任じられたという記録があるそうな。
伊勢だから鈴鹿ってことかな。
非常時における関の封鎖だから軍事貴族が中心になって固関にあたったものとみえ、
千晴だけでなくまんじゅうも固関使の指令を受けた。
ところが、千晴・まんじゅう共にこれを辞退したものの、
病気を理由にしたまんじゅうは辞退を認められ、千晴は認められなかったという。

天皇の死はイコール新帝の誕生でもあり、
新帝の誕生はすなわち新しい皇太子が立つ時でもある。

村上天皇の死亡日が5月25日。
ウィキペディアによる冷泉天皇の在位は同年の10月11日からとなっているけど、
先帝の死の翌月には除目(じもく)が行われているので、
すでに新体制はスタートしていたのだろう。
そして守平親王が立太子するのが同年の9月1日。

誰がどう見ても自然ななりゆきの立太子ではなかったのだから、
5月25日から9月1日までの間は水面下での両陣営の激しいバトルが
交わされていたと思われる。

 【したがって、対立の真っ只中ともいうべきこの時期、両陣営の爪牙ともいうべき
  満仲・千晴は、ともに京を離れることを忌避したのであろう。満仲のみが辞退を
  認められたことは、すでに満仲が藤原北家側に立ち、その保護を受けていたことを
  物語るのではないだろうか。】
  (『源満仲・頼光』より)

安和の変というと、一般的には藤原北家にとって目の上のたんこぶだった高明が
排除されたという面がクローズアップされるけど、
その一方で密告の直後にまんじゅうの弟・満季によって千晴らが逮捕されているので、
【明らかに千晴一族は当初から狙われていたことになる】と元木氏は語る。

高明にどこまで野望があったのか、高明派は本当に軍事行動を起こすつもりだったのか、
まんじゅうはなぜ高明派から北家派へ寝返ったのか、
わからないことは沢山ある。

が、事実として残った結果は高明と千晴を手際よく追い落とすという、
北家とまんじゅうの鮮やかな勝利だった。

高明はその後許され、帰京する。
が、政権に復帰することはなかった。
千晴のその後はわかっていないようだけど、秀郷流が滅亡した訳でもないらしい。
ただ、まんじゅうには大きく水を開けられることになった。

安和の変について勉強している時、高明って人は
「平安の 長屋王 」みたいなもんだよな~と思ったんだけど、
高明一族は長屋王のように滅亡させられた訳じゃない。
どころか、系図の通り高明の娘たちは北家に嫁いでいる。

この娘たちがいつ頃嫁いだのかはわからないけど、
たとえば道長は安和の変の時点でまだ3ちゃい。
だから当然、高明の没落以後にわざわざ迎え入れたってことだろう。

ここから、高明自身にはさほど野心というものはなかったんじゃないかって
個人的には思うんだけど、高明最大の悲劇はやはり師輔が早く死んでしまったことにある。

ただ、逆に師輔が冷泉天皇の即位まで生きていたら
果たして別の結果になっていたのかという疑問もある。
師輔がもう少し長生きしていたら、天皇の外祖父になっていた。
どれほど高明を信頼していようと、果たして高明が次の外戚となることを
師輔が許しただろうか・・・
意味のない妄想とはいえ、ちょっと興味深い点ですね。


意味のない妄想といえば、師輔の子の兼通と兼家が政界のドンの座をめぐって
泥仕合をした際、兼通が切り札として使った 安子の書き付け 。

「もし関白になることがあれば、兄弟の順を守りなさい」というあれは、
『大鏡』によると兼通が安子にわざわざ書かせてそれをお守り袋に入れて
肌身離さず持っていたというもので、もしわたくしが皇太子争いのさなかにワープできたら
兼通の胸元から安子の書き付けをひったくって



ひかよろお~~~!!」


とやってみたくもある
ま、まんじゅうに物影から狙撃されて終わりかな・・・


江戸期に大坂で作られたかるたの「た」は
「ただのまんじゅう 武士のはじまり」だったという。

藤原北家に食い込んだまんじゅうは、その後も一門の命運を左右する事件などで
暗躍し、そのあたりをもって「武士の祖」とまで言われるようになったのだと思われる。


安和の変の翌年、「天禄」へ改元。
この年は良源さんが天台座主となって4年めで、
7月には 「二十六ヵ条制式」 を布告している。

して、その翌月にはまんじゅうが本拠地へ新築した法華三昧堂の供養に
良源さんが赴いたという話がある。

 【『多田院文書』に載せる「摂州河辺郡多田院縁起」によれば、八月のことであり、
  法華八講の読師に良源の弟子源信があたり、当院の別当に満仲の三男源賢が就任
  していることにふれている。源信と満仲とは師弟の契りがあり、その関係から
  源信の師良源が招かれたとする説がある。】
  (『人物叢書 良源』より)

「源信」は『往生要集』で名高い恵心僧都・源信のこと。
元木氏は満仲と多田との関係を示す最初の史料として『帝王編年紀』を持ち出し、
同じまんじゅうの法要について触れているが、

 【しかし、同書はかなり後世の編纂史料でもあり、記述の信憑性には問題がある。
  だいたい、当時まだ五位に過ぎない満仲が、果して私的な寺院の落慶法要に
  天台座主まで招聘できたのか。】
  (『源満仲・頼光』より)

と疑問を呈する。
が、良源さんサイドの事情を考えればこれはあながち誇大広告とも
言えないような気がする。

 【この満仲が自らの後生と子孫の繁栄を祈願しようとする時、藤原氏の信任厚い
  天台座主良源につてを求めるのはきわめて自然であろう。良源の方にも、「世ニ
  並ビナキ兵ニテアリ」「数(あまた)ノ子孫アリケリ、皆兵ノ道達(いた)レリ」
  (『今昔物語集』十九-四)という満仲の武力を頼みとするところはなかったで
  あろうか。良源が全山に布告した二十六ヵ条制式の違反者に、断固たる処置で望める
  威嚇があることになる。満仲三男源賢は『今昔物語集』によればはじめ尋禅の弟子で
  あったらしく、源賢と源信との関係から良源が招かれたとするより、藤原氏・尋禅等を
  介して良源と満仲が結び付いた方がはるかに自然ではあるまいか。

  もっとも『僧綱補任』(彰考館二冊本)によれば、二年後の天禄三年十月三日良源の
  もとで登壇受戒しており、満仲と良源との接触は源賢を介さない方が正しいと思われる。
  いずれにしても良源と満仲は互に相手を必要としていたのである。】
  (『人物叢書 良源』より)

山内を闊歩する無頼の裹頭の輩を取り締まるために「僧兵」を再編成したとはいえ、
まだ座主となって間もない頃だし、そもそも二十六ヵ条制式にある禁止事項の逆が
現実だったからこそ制式を発布した訳で、山内で用意した座主直属の武力が
初めから順調に機能していたかも疑わしい。

「僧兵」には色々な段階があり、はじめは傭兵なども用いられたという記録があるので、
まんじゅうの兵が叡山でどうしたとかいう直接的な記録はなくても、
確かに平林氏の言われるようにまんじゅうの武力を恃みとしたって方が説得力がある。

であれば、良源さんは師輔やまんじゅうなどの外部の力をうまく利用しながら
山内で足固めをしていったという風にも言える。


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最終更新日  2015年04月27日 23時24分53秒


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