戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年04月26日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
中宮・安子の次男であり、年齢的にも長幼の順からいっても
冷泉天皇の皇太弟となるにふさわしいハズの為平親王が
立太子できなかったのはなぜか。
それは彼の嫁に原因がある。


高明系図2


前回の系図とは少し違います。
今回のは源高明(たかあきら)を中心とした系図です。
青字が天皇で、長幼の順は無視してます。

こうして見てみると、禅師の君(尋禅)ってのはすげえポジションにいたんだな~と
あらためて思いますが、まずは左半分の系図をご覧ください。



6歳で臣籍降下して源氏を名乗りますが、
藤原忠平の長男・実頼の娘を娶り、次男・師輔の三女も娶り、
その三女に先立たれると師輔の五女であり自分の姪でもある愛宮を娶るという
北家と深いつながりを持った方です。

師輔にとっては女婿となる訳ですが、師輔と高明は5歳違いで年も近く、
頭はいいわ故事にも通じてるわで師輔から篤く信頼された方です。
それを如実に示すのが、 天暦8年(954)の師輔の横川入り 。

京から近江の坂本へ回って本坂から東塔へ入った師輔は、
途中で京側から登ってきた高明と合流した。
もともと大人数のお出かけでもなかったようだけど、

公卿だったのは師輔とその長男・伊尹(これただ)と高明の3人だけ。

伊尹が同行するのは当然だけど、他の子供もいるのに高明を選んで連れて行った。
師輔が身内として高明に篤い信頼を寄せていたエピソードと申せましょう。

師輔だけでなく、師輔の娘の安子からも信頼を寄せられたといい、
順調に昇進を重ねていった高明だったが、

2人が生きてるうちはよかったが、2人が死ぬと
彼等の援護射撃で高い位置に就いていたことが逆にアダとなった。


村上天皇が薨去し、冷泉天皇が即位したのが康保4年(967)。
この時、師輔の兄の実頼が関白へ、師輔の弟の師尹が右大臣となったことを前回書きましたが、
同時に高明は左大臣となっている。

冷泉天皇が精神疾患だったということは個人的には半信半疑なのですが、
安子の長男がそういう子だったためか

 【村上天皇は為平を愛し、その婚礼には自分が安子と婚礼した際の例にならって
  宮中の昭陽舎で実施させるなど、将来の皇位継承候補としての待遇を受けている。
  父は安子の実家である九条流(藤原師輔の一門)と賜姓皇族の筆頭である高明を
  為平の後見とすることで将来の安泰をはかったと考えられている。】
  (ウィキペディアより)

という。

師輔の死(960年)によって九条家もかなり動揺をしていただろうから、
このウィキの説もどうかという部分もあるものの、
ともかく冷泉天皇の即位の2年前に高明が烏帽子親となって為平親王を元服させ、
さらに自分の娘を嫁がせた。

為平親王の父がよかれと思ってしたことか、はたまた幼少の頃から問題行動の多かった
冷泉天皇の御代が長くないと踏んで次の外戚を狙って高明が打った手だったのか、
それはわからない。

ただ、師輔の兄弟や子供達にとって高明の存在は脅威となった。
師輔と安子が死んだとはいえ、高明は皇子という出自であり、
自分の実力で高い地位を築いてもいる。
その上、天皇の外戚なんてことにでもなったら・・・

『大鏡』ではこのへん、世の人々は当然次男である為平親王が立つとばかり思っていたのが、
外戚の地位を奪われてなるものかと考えた親王の叔父たちが思慮深く
弟宮(守平親王)に兄宮を追い越させようとひそかに策略をめぐらし、
急に兼家公が守平親王の身なりを整えさせお車に載せて参内させたと聞きましたよ・・・
と語る。

為平親王自身に兄のような問題があったという話も聞かないし、
誰がどう見ても不自然な守平親王の立太子なので、
ここはもう北家が一丸となって外戚・高明の誕生を阻止したというのが
妥当なセンだろう。

『大鏡』によると、為平親王は皇太弟の地位を奪われただけではなく、
弟の守平親王が即位する際には、ほかに兄弟である親王は大勢いたのに、
よりにもよって兄である為平親王が一大イベントに威儀を添える役割の
「威儀の親王」をさせられたんだそうな。
それを見ていた人たちはお気の毒でならなかった、と語っている。

余談ですが、為平親王はちょっとお気の毒な方で、のちに娘を
冷泉天皇の子の花山天皇へ女御として入内させている。
せめてその娘が男子でももうけたならその後の栄達もアリだったかもしれないのに、
花山天皇はわずかな期間で退位してしまった。
女御の職を失った娘が再嫁したのが、藤原実資・・・
あの 『小右記』 を書いた小野宮右大臣実資だそうな。
この女御には他の貴族からも引きがあったのに、それでも実資に嫁いだってんだから
実資もやるじゃねえの


さてね、ここまでもいい話ではないけど、これだけだったのなら
「たいそう聞きぐるしい、ひどい事件がいろいろ」というほどでもない。
が、冷泉天皇の即位から2年後の安和2年(969)3月25日、
謀反のタレ込みがあった。
密告者は源満仲と前武蔵介・藤原善時。

『大鏡』では高明が「讒言によるご謀反」をしたといい、
『源平盛衰記』では高明が東国で乱を起こし、為平親王を即位させようとしたとするが、
実際の密告の内容はわかっていないらしい。

ここで、最初の系図の右半分をご覧ください。
密告者・源満仲(みつなか)は清和源氏の家に生まれたが、
のちの多田庄を所有し開拓したことで多田源氏の祖となり、
「ただのまんじゅう」とも言われる。
満仲を祀る摂津の多田神社は去年(2014年)、
「ただのまんじゅう」という饅頭の登録商標を出願したらしい
あと、多田神社および満仲は「三ツ矢サイダー」の三ツ矢の名の由来とも
なったらしいんだけど、詳しいことを知りたい方は三ツ矢サイダーの
ホームページなどでご覧ください。

じゃなくて、満仲には数人の妻がいたが、藤原南家の娘を娶る一方で
嵯峨源氏の娘も妻としていた。
そちらの姻戚では舅・俊の妹は醍醐天皇に入内した周子で、
師輔に降嫁した内親王たちのほか、高明を産んでいる。
また、満仲の妻のいとこは高明に嫁いでもいる。
こういうことから、元々満仲と高明にはつながりがあったと思われる。

して、タレ込みを受けた朝廷の対応は素早かった。
藤原師尹以下が武器庫などを守備し、三関(鈴鹿・不破・逢坂の関)を封鎖、
太政大臣の藤原実頼にも事の次第が報告された。

密告の対象となった犯人たちは捕らえられ、罪状を認めた。
その一方で、源満仲の弟の満季が藤原千晴親子を捕らえ監禁した。

翌26日には謀反の罪で高明へ捜査の手が及び、
高明は左大臣・左大将の地位を剥奪された。
高明は子とともに出家して処罰を逃れようとしたが、
結局太宰府への配流が決まった。

27日には論功行賞が行われ、右大臣だった師尹が左大臣へ昇格。
満仲も恩賞を受けて正五位下となった。

29日、高明の家人であった伊勢神宮の宮司が謀反の成功を祈った罪で除名。
4月1日、右京四条にあった高明の豪華な西宮邸が焼失。
4月3日、五畿七道に謀反人の追討を命じる命令が出され、
また藤原秀郷流一族に対して教諭するよう下野国に命じている。
そして4月中には謀反人たちはそれぞれの配流先へ流れていった・・・

これが「安和の変」の大まかな流れですが、一般的には高明は無実だとされる。
無実だとしたら、誰がこの筋書きを書いたのか。
そもそも密告の内容すらもわかってないんだけど、
「得をした者を疑え」ってルールにのっとって考えると、
やはり一番アヤシイのは藤原北家。
ただ、北家にも色々いる。

実頼の娘に子はいなかったから、外戚レースで直接の恩恵を受ける訳じゃない。
師尹の娘のかわらけの美女・芳子は2人の皇子を産んだが、長男は夭折し次男は


 御心きはめたる白物とぞ、聞きたてまつりし」
「さこそ人がらあやしくしれたまへれど」
(by 大鏡)

・・・つまり、見てくれはイケメンだったけど、
とんでもない「白痴」だったという。
期待の星がこれじゃあ、さすがの師尹も外戚の夢は諦めたかもしれない。
となると、残るは師輔の子供たち・・・

トクをした者はもう1名いる。
それが、安和の変のそもそもの発端を引き起こしたただのまんじゅう・満仲。

「藤原千晴」ってダレ?
なんで4月1日に秀郷流の子孫を諭してるの?
って思った方もおられるでしょう。

「俵藤太」藤原秀郷は過去の記事で 大ムカデ退治の伝承 を紹介してますが、
現実的には平将門の追討が有名。
千晴はこの秀郷の子なのだ。

高明が中納言で検非違使別当だった天暦元年(947)、
本拠・下野にいた秀郷から平将門の兄弟を断罪とすべきことなどの申請が
高明を通じて朝廷へ申請されている。

秀郷に上洛の形跡はないらしく、在地のままでは
複数の中央の有力貴族と親密な関係を築くことは難しい。
ので、この取り次ぎなどを通して秀郷流が高明との主従関係を結ぶように
なったのではないかと『源満仲・頼光』の著者・元木泰雄氏はいう。


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最終更新日  2015年05月02日 09時26分31秒


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