戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年05月15日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
ここからは少し浄土教についても触れていきます。
と言っても所詮はシロートなので難しい話なぞはありませんし、
「私的まとめ」程度のものですが。


日本の浄土教において源信は欠かすことのできない存在だけど、
浄土教の発祥は古く、インドで大乗が生まれた頃だという。
もちろん、それは中国にももたらされた。

世界史派の期間の方が長かったわたくしにとっては
清代の白蓮教徒の乱の概略程度は記憶にあるところですが、
白蓮教ってのは念仏結社だったんだってね。

中国で念仏結社「白蓮社」が結成されたのは5世紀初頭。

日本に浄土教が入ってきたのは7世紀前半だそうな。
そして、天台宗においては慈覚大師・円仁さんが密教とともに
声明(しょうみょう)を伝え、さらに中国・五台山の念仏を叡山で行ったところから
天台浄土教が始まったという。
『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』によると、声明は密教の法要とともに発展し、
また念仏とも深い関係にあったらしい。

『今昔物語集』には円仁さんの常行三昧についてこんな風に書かれている。

 【また、貞観七年という年、常行堂を建て、そこで七日七夜にわたり不断念仏が
  修せられる。八月十一日から十七日の夜までだが、その念仏は極楽の聖衆(しょうじゅ)
  たちが阿弥陀如来をたたえ奉る声である。引声(いんじょう)というのがこれだ。大師が

  迎え、口にはつねに経を唱え、心にはつねに極楽浄土を思い続ける。人間の身・口・意の
  三つがもたらす罪障を消滅すること、これに過ぎるものはない。】
  (小学館「日本古典文学全集」/橘健二氏の訳によるもの)

「四種三昧」のうち、良源さんが座主になった頃にはひたすら念仏を唱える
常行三昧が流行っていたことは 「(112)」

ウィキペディアによると奈良時代頃にはすでに阿弥陀仏の造像が盛んだったようで、
源信が青年となる頃には叡山で念仏三昧が流行っていた。

最澄がゼロの状態から天台宗を見つけ出した訳じゃないように、
源信が日本浄土教を発展させるまでにもこういう前段階があった。



さて、まずは基本的なことから。

「浄土」については過去の記事でも多少触れてきてはいますが、
大乗独自の考え方で、仏の住まう清浄な地(仏国土)を指す。

原始仏教においても「ブッダ」はお釈迦様以外にもいるという考え方はあったものの、
大乗はもっと大衆的というか、十方世界にいろんな「ほとけ」がいて、
浄土もそれぞれの「ほとけ」が支配する仏国土があるという風に
全宇宙的でSFちっくなものへと発展する。

わたくしのお経暗記は金光明最勝王経で大辨才天女がギャラリーの中から
お立ち台へ立っていって、「誰でも幸せになれる洗浴法」のプレゼンを終えて席に戻り、
1人の坊さんが大辨才天女を称え、それに応えて大辨才天女が
長い陀羅尼を唱え出したところまで進みましたが、ふと思ったことがある。

大辨才天女品にはお釈迦様も登場してて、辨才天女のプレゼンが終わったところで

「善哉善哉」

つまり、 オッケー!天女、いいじゃん!ヒューヒュー
・・・みたいに称賛してる訳ですが、本来であればお釈迦様の口から
色んな功徳を言わせる方が重みがあってベストなんだと思う。

けど、人間の欲にはキリがないから、すべての功徳をお釈迦様に言わせてたら
とりとめもなくなるし、そのうち矛盾も出てくる。

外から大乗を見ていると、なんでこんなに腐るほどの如来だの菩薩だの天部だのを
生み出す必要があったのかと思ってたけど、ピンポイントの御利益を担う
ほとけを創った方が全体としてはまとめやすかったのかな、と
金光明最勝王経をやっていて思った。


で、そうして生まれたほとけたちのうちで浄土(仏国土)を持っているのは如来。
多少の例外もあるけど、基本的には如来。
大乗的SF世界で「悟った者」から神仏的存在へとバージョンアップしたお釈迦様も
もちろん「無勝荘厳国」という浄土を持っている。
・・・フツーの日本人にはあまり耳慣れない浄土だけどね。

自力の修行で悟りを開くというコンセプトから出発した仏教は、
大乗の発展とともにいわば自力を放棄して、まずは最初のステップである
浄土を目指すという考え方が生まれた。

ただ、浄土へ行けばそこで終わりという訳でもない。
浄土へ行けたらそこで浄土のヌシであるほとけの助力によって
「悟り」という最終目的地へ着くのが楽になるというだけのこと。
例えて言うなら、悟りへの階段が1000段あったとして、
自力なら当然ヒイヒイ言って自分の足ですべてを登らなければならないところを、
階段の途中にある浄土までは自分の足で登って、そこからはエスカレーターに乗って
頂点までたどり着くことができる、みたいな~。

本シリーズの仏バナで、お釈迦様の直接の教えを受けた弟子たちは
ボロボロ悟りを開いていった、てなことを書いたと思いますが、
実在の人間であるお釈迦様が死んでしまったら
当然その後に生まれた人間達は直接教えを受けることはできない・・・
なら、運悪くお釈迦様の死後に生まれた人間はもう悟りを開く(=成仏する)道は
閉ざされるのか?
そこを打ち破る新しい概念が「浄土」だったんじゃないかという気がします。

しかし、浄土へ行くには一旦この世での仮のイレモノである肉体を
脱ぎ棄てなければならない。
つまり、「死」です。
「往生」ともいいます。

現代日本では「成仏」「往生」ともに「死」と同義語で使われますが、
ウィキペディアには

 【往生(おうじょう)とは、大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。】

とあって、そうかこれは方法論なのか、うまいこと言うな~と
妙に感動しました。
往生して浄土に行って、自力よりは楽してほとけになれる。
これが大乗の編み出した成仏の新システム。


して、薬師如来の瑠璃光浄土、大日如来の密厳国土、毘盧舎那如来の蓮華蔵世界など
色々ある中で中国や日本で最もメジャーになったのがおなじみの極楽浄土。
正しくは「西方極楽浄土」であり、死者の供養に読まれる『回向文』では
「西方極楽世界」となってます。
日本では「浄土」は西方極楽浄土の代名詞というぐらい有名ですね。
ここの教主は阿弥陀如来。

なんで阿弥陀様の極楽浄土がウケて浸透したかといえば、
やっぱり わかりやすいから でしょう。

これもね、ほかの如来が不親切なんじゃなくて、

「ねえねえ、もちっとわかりやすく浄土への行き方を
教えてくれるほとけがいてもいいと思わない~?」


「ああ、確かにそうだね。
じゃ、ちょっと待ってて、考えてみるから。
う~~~ん・・・
ホラ、こんなのはどお?」


「あっ、いいね~!
でさでさ、ここをこうして・・・」


「ふんふん、なるほど。
じゃ、ここはこうしてさ・・・」


みたいによりわかりやすい教えを作ったんじゃないのかな~なんて
お経制作の現場を想像したりしました。

・・・ええと、仏バナのとこでも何度も書きましたが、
別にわたくしは大乗をバカにしてる訳じゃないですよ。
大乗のほとけ達は古代インド人の誰かが霊感で感得したものかもしれないし、
それ自体をどうこう言う訳じゃありません。

ただ、史実という点から言えば大乗はお釈迦様とは何の関係もない。
誰かが感得したものをそのままお経にしたにせよ、あるいはお経作家(?)が
創作したものにせよ、お釈迦様の死後だいぶ経ってから
お釈迦様以外の誰かが書いたものには違いないので、
そういうお経の制作現場を想像してみただけです。
宗教ってのはナーバスな面もあるからね、逐一言っておかないとね。

阿弥陀様の誓願を信じ、阿弥陀様のお力によって極楽浄土へ往生する。
これが「浄土教」であり、「浄土門」「浄土信仰」「浄土思想」などとも呼ばれます。

浄土は色んな如来が持ってるものだから、本来的にはかなり幅広い意味を持つ
言葉だと思いますが、ここからは日本的に阿弥陀様の極楽浄土を指すものとして
意味を狭めて使います。


日本での浄土教のブームは平安中期以降というイメージが一般的じゃないかと思いますが、
その頃の成立とみられる『今昔物語集』には確かに往生譚が多い。
うん、でも平安京以前に浄土教が入ってきていたのなら、
その当時って「往生」はどう扱われていたんだろう?
仏教が時代を下るごとにどんどん変化していったように、
浄土教の流入からだいぶ後になって「往生」がもてはやされるようになったんだろうか。

そこで、手持ちの『日本霊異記』をちょっと見てみました。
霊異記の著者の景戒は最澄と同時代の人だからね。
したら、タイトルから見つけ出せた往生譚はたった1話だった。
あとはこれでもかってぐらいの因果応報の話ばっかり。

「往生」はちょっと大事なところなので、次回から往生譚をいくつか紹介します。
今回はもう文字数が残り少ないのでね。

「往生」が大事な訳はもうわかるよね。
死んで浄土へ行くことがすなわち「往生」だからです。
浄土教信者にとっては、まず浄土へ行くことが必須。
ウィキぺディアによると、

 【何故仏国土に往生する事が、成仏の方法となるかというと、成仏には、仏の導きと
  仏による成仏への保証(授記)がなければならないからで、これらのない独自の修行は、
  阿羅漢(あらかん)や辟支仏(びゃくしぶつ)となる事は出来るが、それらになると
  二度と仏となる事が出来ない、と大乗仏教では考えられていた。】

だそうな。

ここまでの文章で「自力」という言葉をさらっと使ってきましたが、
仏教でいう自力にも色々ある。
ウィキの解説で言ってる「独自の修行」は小乗的な本当の意味での自力を指すと
思われますが、原始仏教では個人の努力により心と身体をコントロールして
悟りを目指すのが修行だった。
が、上の解説によるとその自力を完全に否定したことになる。

仏教の長い歴史の中では星の数ほどの大陸の僧や日本の僧が
倦むことなくあれこれ悩んだり考えたりしてきたので、
こういう考え方は後の時代の発展形じゃないかと初めは思ったのですが、
考えてみればこういう力技の教義の変更をしないと浄土ルートの価値が高まらない。
ので、初期大乗の頃からこういう考え方をしていたのかもしれない、と思った。

とは言っても、これは小乗的自力を否定しただけのことで
浄土ルートにはまだ自力の余地は残されている。
源信の頃はその余地が残されている時代で、のち浄土教の巨人が出て余地を狭めた。
そしてついには巨人の弟子の原理主義者が綺麗さっぱり自力を取っ払った。
ま、それはもう少し後の話になりますが、日本浄土教が発展していくに従って
わずかな自力をどう扱うか、つまりは今生をどう過ごすかという点に
興味が集まるようにもなった。
さらには、他人の死の状況にも高い関心が寄せられるようになる。

説話集に多く収められている往生譚とは、そういうご時世を反映したものです。


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最終更新日  2015年05月15日 22時40分15秒


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