戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年06月28日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
さてね~、ここまでこれだけの記事を書いてきたにも関わらず、
叡山の卒業生にして鎌倉新仏教のお祖師のうちで話を後回しにしている方がおります。

次の宿が知恩院だとくれば、この辺の地理と簡単な仏教史を知っている方には
このあと触れる話がどこらへんなのか大体の想像もつくでしょうが、
まずは浄土宗の祖・法然さんと源信以後の浄土教の流れから。
知恩院に行くのは最終日なのですが、記事の都合もありますので歴バナを先に。


法然房源空は長承2年(1133)美作に生まれる。
源信の死(1017年)から100年ちょっと後のことだった。

源信は 『往生要集』 二十五三昧会 などで日本浄土教の基礎を築いた。
特に『往生要集』は後世に多大な影響を与えた。

ただ、『往生要集』は基本的にお経や先達の論から往生に関する部分だけを
抜き書きした「往生特集本」で、インド人が気ままに大量生産したお経から
要点を抜き出すと、矛盾したような内容も含まれている。
源信は執筆にあたって整合性のある文章にまとめようとしたハズだけど、
それでもシロートには

「行の優先順位がわからな~い」

という印象がどうしても残る。

そして、内容は実に高度。
二十五三昧会の根本衆および結縁衆の条件 を思い出してください。
「尼と俗人お断り」というあれは、結局源信がまとめたものを実践するには

尼も僧侶ではあるけど、「女人は成仏できない」といった思想と関係があるのかもしれません。

ま、あれこれと必要な要件を述べてはいても、
源信としては「念仏が最高」というスタンスを取ったんだとは思うけど、
念仏にも観想と称名の2つがあり、「ただの一念」が重要だとしながらも、
源信は生涯で20俱胝もの念仏を唱えた 。


念仏を続けてそれが積み重なっただけのことかもしれないけど、
そのほかの行も否定はしていない。
そのうえ、至誠心だとか回向心だとかもろもろの善行も必要とすると紹介もしている。

自分の信仰心が確立されている人にとっては、
沢山の要件の中でちゃんと優先順位が付けられるのかもしれない。
でも、そうでない人にとっては?

のちに法然は超シンプルな往生の方法を広めるんだけど、
それでも衆生にとっては「こういう時はどうしたらいいんだろう?」という
素朴な疑問があれこれと湧いてきて、いちいち法然に質問状を出している。
次から次へと寄せられる同じような質問にも法然はマメにお返事してやるんだけど、
法然流の超シンプル実践法でさえ沢山の質問が寄せられるぐらいだから、
『往生要集』を読んで独力でその内容を消化して自己の信仰を打ち立てた人間が
どれほどいたのだろうかとも思う。


源信の死後、日本ではついに 末法 に突入する。

末法のリンク先の記事では、ここまでの日本浄土教の流れを
「あまり手入れされず細々と野菜を作ってきた畑を円仁さんが広く開墾し、
空也がきれいに畝を整備して保胤と源信が種をまいたってとこだろうか」と例えましたが、
末法の年を迎えたことは慶滋保胤と源信がまいた種が芽吹いたところへ
すこぶるよく効く肥料を与えることになった。

末法初年の永承7年(1052)、香椎宮が焼失。
天喜元年(1053)、伊勢の大宮司の邸宅が焼失。前九年の役で源頼義が鎮守府将軍になる。
天喜2年(1054)、高陽院内裏と京極院内裏が焼失。
天喜4年(1056)、前九年の役で戦いが再び活発化。
康平元年(1058)、新築の内裏が焼失。藤原道長創建の法成寺も焼失。
康平2年(1059)、一条院内裏が焼失。
康平3年(1060)、興福寺が焼失。

こうした一連の流れの中で、人々は

「ああ、ホントに末法の時代なんだ・・・」

と認識するに至る。

そういう認識のもとに、これまではあまり人気のなかった地蔵信仰が盛んになる。
それから、観音信仰もあらたな側面からより人気を集めるようになった。

お地蔵様は 賀能ち院を地獄から救い出した エピソードのように
八熱地獄の最下層からでさえ救ってくれる途方もない功徳を供えたほとけ。

観音様の方はそれ以前から人気があったらしいんだけど、
それまでは現世利益的な側面が強かったらしい。
それが、末法思想の浸透に伴ってお地蔵様と同じく
六道からの救済の力を持つと考えられるようになり、さらに人気が高まったそうな。


源信がダイジェスト本をまとめ、末法の時代に入ったからといって
すぐに法然につながる訳じゃない。
物事には何でも段階というものがあるのだ。

源信から法然までの約100年の間に幾人かの名僧が出て、
浄土教が理論的に整備され、その後の発展の道筋を整えた。

『仏教の歴史8』(ひろさちや/春秋社)で紹介しているのは3人。
まずは京都・永観堂の名のもとになった永観(えいかん/ようかん)。
真言宗の寺だった禅林寺(永観堂の正式名称)は永観が出るにいたって様相を一変させ、
現在は浄土宗の寺として存続している。

永観さんは禅林寺で出家したというから、真言僧としてスタートしたんだと思うけど、
のち南都へ遊学し、南都の各宗の教義を学んでまた禅林寺に戻ってきて
念仏三昧の生活に入った。

永観は自著の序文で「一切の時処に一心に称念すべし」として
ひたすら一心に念仏することをモットーとし、
1日1万べんの念仏を唱え、のちには6万べんにまでグレードアップしたというからすごい。
あまりに称名しすぎてしまいには声が出せなくなり、
やむなく観想念仏に切り替えたという伝承がある。

当時、念仏は一種の「行」だった。
観想もれっきとした念仏だけど、永観は称名の方から入っているので
称名重視派だったってことだろう。
けどそうなると、声を出せなくなった永観の行は失敗したことになる。
ひろ氏によると永観は数を重視した人のように思われているらしいが、
そうではなくて念仏を「数から質」へ切り替えた人なんだそうな。

そうして常に念仏を行う永観さんは阿弥陀様からも大層好かれたそうで、
3年ほど東大寺の別当として過ごしたことがあったが、
禅林寺に帰ろうとしていた時に東大寺如来堂の阿弥陀様が夢に現れて


なら、私もついてく!!」


とおっしゃったので、東大寺から阿弥陀像を貰い受けるということになったが、
途中で東大寺の僧たちが阿弥陀様を奪い返そうとして追ってきたそうな。
ところが、阿弥陀様は頑として永観の背中から降りようとはせず、
結局そのまま禅林寺までくっついていったという。

その阿弥陀様、永観が禅林寺で念仏しながら須弥壇の周りをめぐっていると、
永観の前に現れて一緒に歩いたという伝承もある。
それほどに強いつながりを持った永観と阿弥陀様だったが、ひろ氏は前掲書の中で

 【親子のつながりにも似た深い愛情の絆     。じつは、浄土門の仏教が
  形成されるには、そのような「絆」が必要なのである。たんに教学理論だけでは、
  浄土門の仏教は成立しない。永観は、その意味で、浄土門の仏教の情緒的な側面を
  準備した人である。】

と解説する。


2人めは天台僧・良忍。
この方は少年の頃叡山に入り、23歳頃に叡山を下りて大原に隠棲した。
叡山では「良仁」という名で東塔の常行三昧堂の堂僧を勤めていたらしく、
山を下りて名を「良忍」にあらため、来迎院を建てた。

「常行三昧」堂では不断念仏を修め、自ら建てたのは「来迎」院・・・
この2つのキーワードから、良忍が若いうちから浄土信仰にハマっていたことがわかる。

45歳の時、念仏中の良忍は阿弥陀仏の示現からある偈を感得し、
「融通念仏」という思想を編み出す。

これも永観のように念仏の方向性を変えたもののようで、
簡単に言うと一生をかけて積み上げる念仏を100だとすると、
どの1回の念仏を抜いても100回にはならない。
だから、たった1回の念仏も100回の念仏と同じだけの価値を持つ。
実際には凡夫が悟りに至るまでの修行というのは100どころか無限大なんだけど、
1回1回の念仏を積み重ねて無限大となるのだから、
1回の念仏は無限大の念仏と等しい価値を持つ。

さらに、どの人が唱える念仏も等しい価値を持つのであれば、念仏というのは
自分の念仏が他人の念仏となり、他人の念仏が自分の念仏にもなるという
「融通性」を持つものだとした。
ここから、良忍は「融通念仏宗」の祖とされる。


3人めは真言僧・覚鑁(かくばん)。
この方は真言宗に浄土思想を取り入れた。
顕教と密教では思想の基盤が違うので覚鑁も苦労したようなんだけど、
真言宗の「三密加持」を浄土バージョンに置き換えて
手には特殊な印を結び、口には弥陀の真言を唱え、心には弥陀を観想するという方法で
密教と浄土信仰の融合を実現させた。

ただ、浄土バージョンの三密加持を行うにも素人には高度すぎる。
そこで覚鑁は身・口・意の三密のうち一密だけでもOKだとハードルを下げた。
すなわち、口に弥陀の真言を唱える中に他の二密もおのずから生じるとしたそうな。

こうして顕密の各方面から少しずつ情緒的かつシンプルな方向へと念仏が変わっていき、
理論的にも整えられるという動きが生まれて、次に出る巨人が
浄土信仰を大成させるだけの土壌が出来上がっていったという。


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最終更新日  2015年06月28日 22時41分18秒


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