戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年06月29日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
さて、いよいよ巨人・法然さんの登場です。

知恩院の宿坊・和順会館のベッドのサイドテーブルはこんな現代的なのに


叡山4・知恩院設備2


さすがに浄土宗の総本山だけあってテーブルに備え付けの本は


叡山4・知恩院設備


だった

左の『法然上人のお言葉』(総本山知恩院布教師会発行)はその名の通り
法然の著述やお手紙から法然自身の言葉を抜き出した小冊子で、
わたくしは和順会館のフロントで買いましたが、

ただ、和順会館1Fにあるショップには置いてませんので、
手に入れたい方がいたら和順会館のフロントへ行くのが確実かもしれません。

ここからはこの小冊子と『法然上人絵伝』、それと前回も引用した
『仏教の歴史8』(ひろさちや/春秋社)の3冊が中心の参考文献です。


叡山東塔の 法然得度の旧跡 の記事では西塔⇒東塔⇒黒谷へ移ったという
簡単な流れだけ紹介してますが、12歳で入山、14歳で東塔に移り、
17歳で黒谷へ移って叡空(えいくう)に師事。

叡空さんは大乗戒と密教において叡山でも第一人者とされるほどの方だったが、
前回紹介した融通念仏宗の祖・良忍の弟子でもある。

もし法然が黒谷へ移らなかったらその後の人生は変わっていたのだろうかと
思わないでもない。

黒谷は西塔の別所。
西塔から横川へ向かう途中の山道を京側に降りていく途中にある。
若い身空で黒谷へ隠棲するという法然を叡空は喜んで迎えたというが、

ある時などは激昂してかたわらにあった木机で法然をバシバシとシバいたという。
ただ、たいがいその後で叡空が反省して法然に礼をとって謝ってるんだけど

師が戒と念仏と密教で名を馳せた人なら弟子もそれを受け継ぐんじゃないかという
気もするけど、法然の場合は念仏がメジャーすぎて密教との関連はあまり話題にはならない。
が、『法然上人絵伝』では法然は折にふれて「三密の修行」を行ったとある。

これが覚鑁の提唱した浄土バージョンの三密加持なのかまではわからないけど、
その可能性はあるよな。
法然が「三密の修行」をするとたちまち霊験が現われ、時には蓮華、時には密教法具、
時には宝珠といった瑞相が出現し、法然の念力によって霊験が現われたのだとする。

『絵伝』にはこういった法然にまつわる霊験譚も多く、
法然を顕彰するためのものだからもちろん割り引いて考える必要もあるだろうけど、
「法然が法力を持っていた」としていることはなかなか興味深いし、
叡空お得意の戒・念仏・密教を法然も相承していたとはいえるだろう。


そうして黒谷で修行と勉学に励むこと25年。
承安5年(1175)、法然42歳の時転機が訪れる。
『法然上人のお言葉』は原文に現代語訳が付いてる親切な書ですが、
例によってさらに戦国ジジイ風現代語訳にして法然さんの独白を紹介しましょう。

仏の教えってのは数多くあるもんだけど、つまるところ「戒定慧」という
 3種類の修行方法しかないらしいんだよね。
 だけど、私は一つの戒も守ることはできてないし、禅定も体得できやしないんだ。
 天台の智ギ大師は「戒が浄らかじゃないと、対象に心を集中する三昧の境地は
 現れないよ」と言っておられるけど、凡夫の心なんてのは猿が枝から枝へ移っていくように
 移ろいやすく、心を鎮めるなんてことはとうていできやしない。

 そんな状況で煩悩に染まらない正しい智恵なんてどうして起こる?
 智恵がなければ、どうして悪業や煩悩を断ち切れる?
 悪業や煩悩を断ち切れなければ、どうして迷いから抜け出せる?
 そんなことばっかり考えてたら本当に悲しくなって、一体どうしたらいいのか
 考えれば考えるほどブルーになるだけだったんだ・・・

 そこで我らのような者はもはや3種類の修行をこなせるような器じゃないと割り切って、
 こんな私にでもできるような修行はあるのか、私にもふさわしい教えというのは
 あるんだろうか?と多くの人に尋ねて回ったんだけど、誰も私の問いに答えてはくれなかった。

 誰も教えてくれないので悲しみにくれながら経蔵でひとり仏典を読んでいたところ、
 善導和尚の『観経疏』を見て迷いが晴れた。
 「心を一つにしてひたすら阿弥陀仏の名号を念じ、立ち居起き伏し、時間の長短を
 問題とせず、片時もやめない、これをまさしく定まった行いと名付ける。それはかの
 阿弥陀仏の本願にしたがっているからである」
 という和尚の言葉に出会ってからは、我々のような無智の者はひたすら和尚のこの文を仰ぎ、
 ひたすらこの道理を頼みとして、片時も止めることのない称名念仏を修めて
 往生を決定させる要因として準備するべきなんだと深く心に留めることにしたんだ。 



中国で浄土教を大成させた人としては、曇鸞・道綽・善導が有名どころ。
曇鸞(どんらん)は中国の浄土教の開祖とされる方で、
曇鸞の碑文を見て浄土教に目覚めたのが道綽(どうしゃく)で、
ウィキペディアによると【念仏を小豆で数えながら称える「小豆念仏」を勧め】たそうで、
称名念仏派だったらしい。
道綽の弟子が善導(ぜんどう)。

この3人は親鸞が選定した浄土教の7人の名僧「七高僧」のうち三~五祖とされている。
ちなみに第一と第二は 龍樹と世親 まで飛びます。

ど~んらんはちょっち記憶にないけど、道綽と善導は『往生要集』にも何度も名前が
出てくるので、わたくしは源信のおかげでこの2人の名前を覚えました。


ここでちょっと余談ですが、いよいよ明日で今年のわたくしの大殺界も終了です。
途中、とんでもない事件も起こりましたが、6月に入ってからは公私ともに滅茶苦茶忙しく、
時間の経つのがものすごく早かったです。

その理由のひとつが仏壇ショッピング。
ちょいと仏教なぞかじったわたくしがふとうちの仏壇のご本尊てどんなだっけ?と
軽い気持ちで見てみたところ、浄土宗の仏壇に納まるべき阿弥陀様はそこにはおらず、
なんと大日如来(←真言宗)がおわしました。

もう30年前ぐらいに買った仏壇らしいですが、どうも業者がテキトーなことを言って
売りつけたらしく、ブッチーぞろいの我が家ではそれを信じて
毎日密教のほとけである大日如来を拝んでいたことになります。

浄土宗に大日如来なんてかすりもしないので、これはマズイだろと思って
今年の墓参りの際に巣鴨でご本尊をゲットしようと思うんだけど、って親に話したところ、
種々の事情により前々から仏壇を買い替えたいと母親は思っていたらしく、
そんなら・・・ってことで仕事の帰りに近くの仏壇やをめぐって下見していたのですが、
先週母親と店に買いに行って昨日めでたくおニューの仏壇が入りました。

今まで全く関係のないご本尊が入っていたこともあり、
またわたくしが仏教かぶれなこともあってそれなりにきちんとした
浄土宗の仏壇の体裁を整えたのですが、ご本尊はもちろん阿弥陀様・・・
これまでは大日如来の掛け軸だったのですが、今度は仏像にしました。

お店には掛け軸もあってね。
で、浄土宗用の掛け軸の入った引き出しを開けたら、坊さんの掛け軸が2種類ある・・・
ひとりは法然さんだとすぐにわかりましたが、もうひとりは誰じゃいと思ったら
善導さんでした。
ほ~、そーゆーことか・・・と妙に感動して、
わたくしの好みで脇侍として法然さんと善導さんの掛け軸も買いました。
ので、おニューの仏壇には真ん中に阿弥陀様の仏像、
両脇に掛け軸の法然さんと善導さんがおわします。

ま、脇侍は正式にはご来迎パレードの先頭に立つ観音・勢至の2菩薩が
入るのかもしれないけど、わたくし的には法然さんと善導さんで完璧です

一般的には法然が善導の教えに導かれて自らの道を確立したこの年が
浄土宗の開宗といわれる。
善導さんの教えにあずかること大なので、宗祖と並んで善導さんが
敬慕の対象になってるってことだろうな。

で、法然さんの独白に戻りますが、善導の教えによって法然が「この道」と定めたのは
片時もやめることのない称名念仏。
これだけ。
なんでかって、阿弥陀様がまだ法蔵菩薩だった頃に立てた48の誓願のうちの
18番目に適ってるから( 「山口編(9)」 参照)。
ちなみに、「十八番」(おはこ)というのは
この法蔵菩薩の18番目の誓願からきている言葉だそうな。

別の文章の中で法然は

念仏というのは、真理としての仏を心に留めるのではなく、仏の相好を思い描くのでもなく、
 ただ阿弥陀仏の名号を声に出して称えることをいう。念仏以外のすべての行は弥陀の本願に
 入っていないので、どんな立派な修行も念仏には及ばない。釈尊が世に出られたのも、
 弥陀の本願を説くためだったのだ。ただ、聞き手の能力や状況に応じて釈尊は念仏以外の
 行をお説きになることもあっただけだ。

と言っているので、観想を綺麗さっぱり切ったことになる。
これも善導の解釈に基づくもののようだけど、源信が『往生要集』でまとめたものと
較べてみてください。

源信が、というかお経全体で説いていたのは心構えから実際の行まで
往生には沢山の要件が必要ということだった。
それでも、お経で言っていることを真面目にこなしたとしても
往生が確約された訳じゃない。
「臨終の一念」、これに失敗するとすべてがおじゃんになる可能性もあるという、
実に危ういものだった。

が、法然が説いたのはひたすらの称名だけで「決定往生」・・・
つまり往生が約束されるというものだった。
もちろん、前回紹介したように段階的なベクトルの変更はあったけど、
源信当時からするとここで劇的な変化を遂げたことになる。

『往生要集』の記事では特にわたくしの目を引いた部分をごく簡単に紹介しただけなので
あまりピンと来ないかもしれませんが、『往生要集』を読んでみれば
法然の提示したものがどんなものだったのかよくわかると思いますよ。
つか、法然だけを見てても法然のことはわからない、と言った方がいいかもしれない。


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最終更新日  2015年09月20日 21時59分44秒


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