戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年07月02日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
先日、記事を書き終えて歯を磨きに行ったら洗面所にゴキブリがいました。
もちろんわたくしは果敢に挑みましたが、奴は洗濯機の下に逃げ込んで
惜しくも取り逃がしました。

翌朝、そのことを母親に話してから出勤。
仕事中に母親からメールが入ったので何事かと思ったら、

 「ゴキ男はお陀仏になってました」

という報告だった。
ああ、ブッチーの母上様、これ阿弥陀様から来てる言葉ですよ・・・
対象がゴキブリなんだから、ただ「死んでたよ」とでも言えばいいのに、
ちょうど浄土教のことを書いてるわたくしに向かってジャストミートな言葉を使う

そういえば類義語の「おシャカになる」ってのも釈尊から来てるんだな・・・

仏教をかじると、日常生活にも食いつきどころが多くて疲れます



さて、法然は日本が末法時代に突入した後に生まれた。
そういう時代だからこそ、法然は『往生要集』に述べられる
数多くの要件を思い切りよくばっさり切り捨てて
ただひたすら称名の念仏を唱える「専修念仏」を提示した訳だけど、
大胆な方法論を編み出したのには他の理由もある。

それが無智で愚鈍だという自己評価だけど、
自分で言ってるからってうのみにしちゃいけません。

法然という人は、善導の教えで開眼するまでの間に一切経を読破している。
『絵伝』では5回も読んだと言っているのだ。


許されて帰京する途中で3年ほど滞在した寺には一切経がなかった。
それを知った法然は、自分の所持する一切経をごっそり寄進したと『絵伝』にいう。

いやあ~、江戸時代に国内で開版されるまで、一切経なんて超貴重品だよ?
しかも寄進したと言われるのは鎌倉初期。
江戸初期でさえ、超貴重品だったのに。

「本所Wデビュー(3)」 以降数話を参照ください)

法然が果たして本当に一切経を所持していたのかはちと疑問ですが、
叡山にいればとりあえず読むことは可能だったろう。

『絵伝』では法然が他宗の教義も修め、他宗の有名寺院の高僧が
「二字を書いて捧げた」というシーンがいくつも出てくる。

日本では古来から実名を避けており、そういう慣習はたとえば職場では名前よりも
「社長」とか「課長」といった役職名で呼ぶなど現代にも一部引き継がれてもいるけど、
その実名・・・つまり「二字」を書いて相手に差し出すというのは
弟子の礼を取るという作法だったらしい。
要するに、他宗からも師と仰がれるほどの学を具えていたらしいんだな。

それから、黒谷での師の叡空からは戒を受け継ぎ、
黒谷では厳しい持戒の生活をしたといわれる。
往生には持戒の必要はないと言いながら、山を降りてからも
法然自身は戒を破ることはなかった。

そして密教。
法然の密教のレベルはわからないけど、これも叡空からそれなりに受け継いだと思われ、
のちのちまで法然の身辺には法然の念力によるとされる瑞相がつきまとう。

阿弥陀様とラブラブの関係にあった 永観が念仏三昧をしている時に
阿弥陀様が現われて永観と一緒に歩いた
というエピソードがありましたが、
法然もほかの僧とともに須弥壇の周りをめぐる常行三昧ちっくなことをしている時、
勢至菩薩が現われて一緒に歩いたことなども『絵伝』に描かれている。

高い学徳、持戒、法力・・・
これらを兼ね備えた法然は、無智で愚鈍な破戒僧どころか、
超一流の天台僧だった。


だいたい、浄土教の発展に貢献したとされる高僧たちは
皆様揃いも揃ってエリートの学僧ばかり。
源信についてはすでに紹介してますが、中国の 曇鸞・道綽・善導 などもそれぞれ
高い学識を持った方たち。
こういう、高い学を修めた方たちが勉強と修行の果てに
浄土門へ行きついたというのはなかなか興味深いところでもありますね。



源信の歴バナ以降「浄土教」という言葉をつるっと使ってきましたが、
あくまで浄土・・・特に阿弥陀如来の西方極楽世界(極楽浄土)を信仰するもので、
法然以前は特別の宗派という訳でもない。

ところで「宗派」って何だと思いますか?
なんで同じ仏教なのに、いくつもの宗派があるんだろう?と思ったことはありませんか。
沢山ある宗派が仏教離れのはなはだしいブッチー(仏教オンチ)に
より「仏教、よくわかんない」感を与えてるような気がします。

わたくしがやっているのは「仏教史」で、仏教そのものじゃありません。
本気で仏教の教義に首を突っ込むとなれば、長い仏教の歴史の中で
頭のいい方達が一生をかけてさんざん考え抜いてきた膨大な論もあるし
実際は相当難しいものなんだろうとは思いますが、
学僧や研究者にでもなろうっていうんじゃなければ、
あまり難しく考える必要はないんじゃないかと思います。

て、どシロートのわたくしが堂々と言うのもなんですが、
生活レベルであれば「個人が自由に感じ取った仏教」でいいんじゃないかと
色々勉強している中で思いました。

先日の仏壇ショッピングの話ですが、それまでが比較的シンプルな仏壇だったので
母親は色々飾りが付いてるのがいいと思っていたようで、
その意見をベースに仏壇やさんで下見をしていたのですが、
飾りといっても色々あるし、お値段も実にさまざま。

主に金を出すのは母親で、しかも好みが色々あってうるさいので、
後から文句を言われないように本人に決めさせるのがいいと思って
ここというお店に連れていったのですが、イマイチ反応が悪い。

デコラティブかつ割安な仏壇の種類の豊富なお店だったので、
わたくしはてっきり彼女が喜ぶと思っていたのですが、
彼女は他の店を見ていないので困惑したようです。

ま、他の店と比べて置いてある仏壇の総数が多いとはいえ、
サイズと値段で絞れば数はだいぶ限られてくる。
その中から気に入ったデザインのものを選べばいいだけなのに、彼女は少し見てから

「りりちゃん、決めてえ~」

とわたくしに決断を迫ってきた。
どれでもいいんだから、きちんと根性入れて見るようにと諭しても、何度も

「わかんな~い」

を連発する。
何がわからないんだ、勝手に選べば後から文句言うに決まってるし、
好きなのを選べばいいじゃん・・・と途中イラッともきましたが
ここで決められないとこの先何軒も廻らなければいけないのはわかっていたので、
色々助言しながら2時間以上かけてようやく一式決めることができました。

お店にいた時はわからなかったけど、後から考えると結局、
ブッチーにとっては仏教というだけでなんだか格調高いような、
あれこれ決まりごととかあるんじゃないか、という単純な誤解かつ引け目によって
「どうやって選べばいいのかわからない」と言っていたのかと気がつきました。

別にわたくしだって、「仏壇の基礎知識」なんてものがある訳じゃないですけどね。
事前にそんなもの勉強した訳でもありません。
でも、仏教関連のことをかじったおかげで「基本的なことさえ押さえておけば
あとは何でもいい」ということが感覚的にわかっていたので、
「仏壇の知識がないからわからない」なんて引け目を感じることもなく
自由にのびのびと仏壇ショッピングをこなすことができました。

そういう自分に気が付いた時、

「あっ、勉強の成果がこんなとこにまで・・・」

と逆に自分で驚いたものですが、立派な知識などがなくても
基本的な知識だけで結構役に立つもんですよ。
だって日本文化は仏教の上に成り立ってるものだから。

・・・激しく話がそれた感もありますが、どシロートのわたくしのまとめが
ブッチーの皆さまの参考になればいいと思いながら宗派の話に戻ります。

仏教界では、お釈迦様は相手のレベルに合わせて8万4千もの方法を説いたとされる。
最終的な目的地である「悟り」に至るのに、8万4千の入口があると言うんです。
まあ、頭のいい人ほど相手に合わせてわかりやすい文章が作れるものなので
確かにお釈迦様も相手に合わせた説法をしたんだろうとは思うものの、
実のところはインド人が後先考えずお経を大量生産した結果、
その整合性を整えるために生まれた後付けの理論じゃないかと思うんだけどね。

で、ひとケタ世紀以前の頃は膨大なお経のすべてが 金口 だと考えられていたので、
これは段階を追ってお釈迦様が教えの内容を変えていったのだとして
どれがベストな教えなのか、色々と分類が試みられた。
これが教相判釈(きょうそうはんじゃく:略して教判)と言われるもので、
天台大師・智ギの教判などは 「(67)」 で紹介してますが、
智ギは「法華涅槃時」を最高ランクに位置づけて法華経を根本経典としたものの、
それ「だけ」を選び取った訳じゃない。
あくまでランク付けをしただけ。

四宗兼学の日本天台宗はよく「仏教の総合大学」と例えられる。
奈良の昔、 渡来してきた僧たちはみんな色んな教義を修めていた
奈良仏教については本シリーズが終わったらぼちぼち勉強を始めるつもりですが、
その頃の僧たちというのは皆色々学んでいて、「この人は何宗なんだ?」と思うこともある。

でもそれ、鎌倉新仏教が根付いた後に生まれたからそう思うのであって、
もともと仏教というのはそうやって幅広く学ぶのが伝統的なスタイルなんじゃないかと
最近になって思うようになった。

最澄は智ギの説に基づいて日本天台宗を開いた。
空海は 密教を相承して真言宗第八祖となり 、帰国して真言宗を開いた。

「宗」というから何か一本やりってイメージも湧きがちだし、
真言宗の場合は密教のみだから密教だけを選択したようにも見えるけど、
何を優位に置くかという考え方の問題で、それ「だけ」を「選択」した訳じゃない。
最澄も空海もあくまで教判に基づいている。

前に バイキングのたとえ話 をした時、各人の好みによる「傾向」が
そのまま宗派の違いだとしましたが、もう少し細かく言うと
最澄は一つのお盆に法華経・禅・戒・密教などの料理を載せた。
一番分量を多く取ったのは法華経。
空海はメインのお盆に密教ひとつを載せた。
ただ、もうひとつのお盆には色んな小鉢を載せて持ってきた。
栄養的にバランスの取れた料理、それが最澄・空海以前の日本仏教だと
言っていいんじゃないかと思います。


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最終更新日  2016年04月21日 15時51分27秒


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