戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年07月26日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
宸殿から渡り廊下へ戻る手前の廊下あたりにも、


えっと、当時のメモを見返すと毘沙門堂建立の際に土中から発掘された
平瓶土器が・・・あ、これは入った方の展示品だったような気がするけど、
てことは、毘沙門堂が現在地に復興される以前にもここに何かあったってことか。

こちら側には結構大きなお品が並んでおり、

・公弁法親王が愛用された文庫
・徳川家寄進の葵の紋入り華皿 
・大名火鉢(高貴な方々に供する手あぶり火鉢)

・後西院天皇(後西天皇)から下賜された螺鈿細工の化粧武具

などなどがある。
ほお、宮はタバコを吸っておったのか。

螺鈿で美しく装飾された化粧武具は上洛などのお行列で用いられたそうで、
ほかに 宮印の山かすがい と菊紋の入った先箱やのぼりなどもあった。
平時では御三家に並ぶ格式を持つ 輪王寺宮の華やかなお行列をつい想像したくなる、
立派なお道具類がここに展示されてました。

寛永寺は江戸から明治に移る時期の苦労があったから、
あまり宮のお道具類は残ってないのかもしれない。
日光の方にはそれなりにありそうな気もするけど、

こういうお道具類が展示されているのを見たことがない。
湯たんぽなんかは日光にあるけど、確かあれは図録の写真で見たような・・・

ので、毘沙門堂が現在の展示スタイルを変えない限りは
現段階では毘沙門堂がもっとも手軽に輪王寺宮のお品を
間近に見られると言えるんじゃないかな。


事前の調べではつかんでいなかったので、思いがけず大満足が得られて
実にシアワセでございました
ま、一般はもちろん、歴史ファンでも宮に食いつく人ってそういないもんね。
だからあまり紹介されないんだろうな。


さて、満足して有料エリアを出ようとした時、
入口にいるお姉さんと少し話をした。

入口には拝観受付とは別に白いテントが張られていて、
お姉さんはそこで何かの受付でもしているようだった。
最初はたぶん、「寒いですね~」みたいなたわいもない話から始まったと思うんだけど、
毘沙門堂にはもうひとつわたくしにとって重要なお目当てがあったので、
ついでにその場所について聞いたところ、「珍しい人ですね」みたいな
リアクションだった。
「そういうことを聞かれたのは初めてです」て言われたかもしれない。
(↑もはや記憶が定かではない)

わたくしも一風変わった嗜好の持ち主だという自覚はあるものの、
そういうお姉さんは声明(しょうみょう)が大好きなんだという。
わたくしはナマの声明は聞いたことがないので声明のお話には付き合えなかったけど、
でも好きなものに入れ込む気持ちはよくわかる。

その上、お姉さんは耳寄りな話も聞かせてくれた。
親切なお姉さんに「気をつけて。また来てくださいね~」と送り出されて
唐門の外へ出る。

手水舎の奥にあるのは庫裏かと思ってたけど、境内図を見ると「休憩所」とあった。
その隣にある「経蔵」がたぶんこれだと思う↓。

叡山4・毘沙門堂93


ただ、経蔵といっても外には

叡山4・毘沙門堂94


とある。
おお、一切経か~!!
ここには撮影禁止とは書かれていなかったので、中を覗いてついでに撮影。


叡山4・毘沙門堂95


さすがといった感じの仏像群の周囲には


叡山4・毘沙門堂96


叡山4・毘沙門堂98


おお、あるある、経箱だあ。
向かって右手には「大般若経」と書かれた箱もあった↓。

叡山4・毘沙門堂97


ここでも大般若経の転読をやるんだろうな。
ここにあるお経はどの版なんだろうか。

ここは境内の東端にあたり、ここから西側へとずっと歩いていきます。
境内図を一部拡大したのがこちら↓。

叡山4・毘沙門堂10・境内図-3


手水舎の反対側には藤棚とベンチがある。
ついでにトイレもこの辺にあって借りた気がするけど、
ベンチの奥にあるのが鐘楼↓。

叡山4・毘沙門堂99


小ぶりだけど袴腰付きのいい感じの建物。
ここで一旦壁に突き当たるので北へ向きを変えると、そこにあるのが山王社。
毘沙門堂はもちろん天台宗だからね。

叡山4・毘沙門堂101


叡山4・毘沙門堂102


山王社のあたりからは、しばし本堂を囲む透塀に沿って歩く↓。


叡山4・毘沙門堂100


透塀の中にいた時は近すぎて本堂の破風まで見えなかったけど、
ここからはよく見える↓。


叡山4・毘沙門堂104


叡山4・毘沙門堂105


華やかだけど部材が黒を基調としているので、
さすがの貫録といったカンジ。
その奥には御霊殿の上部だけ見える↓。

叡山4・毘沙門堂106


あら、あれも桟瓦だわ。
あれも改修されてるんじゃないかな。

このあたりで通路は西へ向きを変えますが、
宸殿の外観は前回紹介しているので飛ばして、
宸殿の向かいにある勅使門を紹介します↓。

叡山4・毘沙門堂110


叡山4・毘沙門堂114


すげ~門。
檜皮だよ・・・やっぱりここは、こうでなくっちゃ
これは後西天皇より拝領した門だそうで、その名の通り天皇の行幸かまたは勅使の
来山の時のみ使われた門で、現在では毘沙門堂門跡が就任する儀式の「晋山式」の時のみ
開けられるんだそうな。

デカい門の脇の塀にうっすらラインが写ってますが、もちろん5本。
ここの歴史を考えればそりゃ当然です。

これまであちこちで塀のラインの観察もしてきましたが、
これにも固有の名称があるはずだよな、と思ってネットで調べてみたところ、
やっぱりちゃんとした名称があった。

上の写真ではちょうどこういう造りになってるためか築地塀(ついじべい:
土を突き固めて造った塀)だとわかりやすいけど、築地塀に定規筋(じょうぎすじ)と
呼ばれる横の白いラインを引いたものは「筋塀」(すじべい)というんだそうな。
ラインの数で格式を表わすのは、 以前の記事 にも書いた通りです。

ここの筋塀は本瓦葺。
その屋根に載る留蓋は

叡山4・毘沙門堂111


勅使門の近くには、1本の桜の木がある↓。

叡山4・毘沙門堂112


去年の桜のシーズンにNHKの「おはよう日本」で映ってた のは
このしだれ桜です。
TVで見ててもそれは見事な咲きっぷりでしたよ。
普通の桜より、しだれ桜の方が毘沙門堂には似合うと思ったものです。

白いテントのお姉さんによると、桜の時期には花見客でにぎわうとのこと。
そりゃそうだろうな。
だって木のそばには

叡山4・毘沙門堂113

ともあるし
これの他にももうひとつ立て看板があって解説らしきものが書いてあるけど、
ほとんど消えかかっててまともに読めない。
が、かろうじて残ってる文字からすると毘沙門堂が現在地で復興されてから
境内には桜がずっとあったらしく、現在の桜は5代目らしい。

こちらが宸殿と渡り廊下の接続部分↓。

叡山4・毘沙門堂115


こういう建物のつなぎ部分てすごく複雑で、
わたくしなんかは見ててホントに飽きないですね。
あ、そういえば最近、全然建築の勉強しとらんな・・・



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最終更新日  2016年04月21日 18時04分34秒


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