戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2015年07月23日
XML
カテゴリ: 旅日記(近畿)
内部拝観の最後が宸殿。


叡山4・毘沙門堂107


 【御院帝の旧殿を拝領し、禄1700石を賜り、元禄6年(1693)に完成した
  近世門跡宸殿の典型を示す建物である。狩野洞雲は家光の寵愛を受けた。】
  (宸殿内部の解説より)

 【宸殿は、17世紀末の造営になる六間取方丈型平面の建物で、西面に使者の間と玄関が
  接続する。各室は金碧障壁画(京都市指定・登録有形文化財)で飾られ、なかでも
  北東隅の帝鑑の間は上段となって背面には2間の床と1間の棚を備え、南の四愛の間を
  次の間としている。一部改造されているものの、近世門跡宸殿の典型を示すものである。】


外にある解説板では、

 【寛文5年(1665)には公海が現在地を寺地として幕府より賜わり、さらに元禄・
  宝永年間には公弁が寺地の整備を行い、今日のような寺観に整えられた。】

とある。
ふむ、霊殿はまず徳川家がスポンサーだろうし、
宸殿は輪王寺宮・公弁法親王が父帝から賜わったものだから
朝廷と幕府の援助を得て毘沙門堂を今の形に完成させたってことか。

一部改造とあるけど、たとえば宸殿の屋根↓。


叡山4・毘沙門堂109


これはもとは檜皮葺だったんだそうな。
確かにな、帝の旧殿ならここは檜皮葺の方がふさわしい。

おそらく当初は本瓦葺だったんじゃないのかな。
今はご覧の通りの桟(さん)瓦葺だけどね。
檜皮に戻してくれなんてゼイタク言わないけど、
せめて本瓦葺にしてほしい・・・

で、たぶん霊殿から宸殿に入ったあたりの場所だと思うんだけど、

大変アットホームで地味な展示なんだけど、宮萌え~で行ってるので
何があるのかと覗きこんでみたら、ここがすごかった。
当時のきったない字のメモを見返すと、

・天海の書
・天海の御影
・公海の真影
・公海が使った法具
・円仁が入唐の際に将来した仏具
・歴代法親王が使用した錫杖などの各種法具などなど

こういう展示は建物の反対側にもあったので、
一部そちらと混ざってるかもしれませんが、
毘沙門堂ならではのお宝が惜しげもなくおおらかに展示されている。

うおお、すげえ~!!とメモを取りながらしばらくこの場に貼りついてましたが、
ここでの展示の中で一番わたくしの目をひいたのが『久遠壽院准三宮伝』の版木。

「久遠壽院准三宮」は現在の毘沙門堂の実質的な開祖であり、
寛永寺第二世と日光を継いだ天海の弟子・公海のこと。
天海と初代輪王寺宮・守澄(しゅちょう)法親王の間にあって
一般にはちょっと影が薄いお気の毒な方だけど、
ここまでを読んできて下さった方には藤原道長の4代目の子孫であり、
公海の生家である花山院家はあの花山天皇が退位後に邸宅とした「花山第」を
所有して住んでいたおうち、と言えば親近感もわくでしょうか。
え~え~、出家してもお茶目な花山院が 門前で石を投げさせていた のは、
おそらくこの花山第のことでしょうね。

延宝期に描かれた 寛永寺の配置図に「毘沙門堂 御門跡」とある のを
寛永寺シリーズで書いてますが、あれはまんず公海が住んでいたところのことで、
天海の遺志を継いで毘沙門堂をみごと復興させたゆえに
公海が「毘沙門堂御門跡」と呼ばれていたんじゃないかと思う。

さてその公海も師匠ほどではないけど長生きをした方で(享年87歳)、
元禄まで生きた。
元禄といえば綱吉の代であり、公弁法親王の代だと即座に連想する方が
増えたかもしれませんが、公海がどの程度毘沙門堂に在住していたのかは
わからないものの、公弁法親王は公海の弟子として毘沙門堂に入ったんだという。

廻り合わせとは不思議なもので、 江戸っ子の2つの自慢 、
将軍様と上野の宮様が同時期に亡くなるということが何度かあった。
4代将軍・家綱の死の時もそうで、家綱の死去から葬儀までは結構日が開いていて、
その間は連日のように法会が営まれるんだけど、
本来であれば初代輪王寺宮・守澄法親王が導師を務めるべきところが、
宮は病気で伏せっていたので、天海の伝記(通称「胤海伝」)を書いた胤海が
宮に代わって導師を務めていたが、家綱の葬儀の大導師を務めるために
公海が寛永寺に戻ってきたそうな。

あいにく、どこから戻ってきたのかまでは手持ちの資料ではわからないんだけど、
あるいは公海は寛永寺と日光の山主を守澄法親王に譲ったあと、
毘沙門堂で過ごす時間が長かったのかもしれない。
とは言っても寛永寺の絵図に「毘沙門堂御門跡」が書かれているので
山科に行ったっきりって訳でもなかっただろうけど、
家綱の薨去より6年前に公弁法親王が毘沙門堂へ入っているので、
将来の輪王寺宮となる公弁法親王を育てるために
この頃は山科にいる時間が長かったということも考えられる。

家綱の死去の直後、寛永寺第三世であり初代輪王寺宮の守澄法親王も亡くなった。
そのため、公海が家綱の葬儀から埋葬までの大事な場面での大導師を務め、
葬儀以降もしばらくの間家綱のために営まれた各種法要の期間中、
天真法親王が輪王寺宮第二世に就任したようで、
それ以後は宮も法要に出席しているものの、公海も引き続き
宮とともに法会に出席している。

一連の法会のあとで幕府から各関係者へ謝礼が下賜されたようなんだけど、
当然のことながら宮への謝礼が群を抜いている。
そして、公海も宮と同じだけの謝礼をいただいているのだ。

各法会では寛永寺の他の僧も導師を務めているので
そうした方々へも謝礼が下賜されているものの、
その内容は宮と公海の2人とは比べ物にならない。
別に金額で価値を計ろうってんじゃないけど、
公海の存在の重さを物語るひとつのいい例じゃないかとも思う。

三山のトップ・・・ひいては日本の仏教界をしょって立つ後継者の育成に励み、
輪王寺宮に代わって将軍葬儀の大導師を務めるために
わざわざ(推定)山科から江戸へ戻ってきた・・・
徳川2代将軍・秀忠がきっちり地固めをして徳川政権の盤石な基礎を築いたように、
寛永寺第2世・公海も天海亡きあとの寛永寺で重きをなし、
その後の門跡寺院としての寛永寺の発展の基礎を築いた方だったんだな、と思う。

歴代輪王寺宮は「公ナントカ」って法名の方がほとんどなんだけど、
公弁法親王の場合は公海から一字をもらったものかもしれないな。

それと、「久遠壽院准三宮」という公海の呼び名ね。
「准三宮」(じゅさんぐう)は「准后」(じゅごう)または「准三后」(じゅさんごう)
ともいい、「三后」(三宮)は太皇太后・皇太后・皇后をさす。
准三宮はその三后に准じる待遇を与えられた者、という意味の称号で、
長い歴史の中では准三宮を与えられた者は僧侶や臣下に沢山いる。

輪王寺宮は皆様一品(いっぽん)の位は与えられているけど、
准三宮の方は全員がなっている訳じゃない。
ま、時代によって選定のトレンドなどもあるかもしれないけど、
皇族である輪王寺宮でさえ准三宮になっている方とそうでない方がいるのに、
臣下の出である公海が准三宮という高い待遇を与えられていることは
なかなか興味深い。
ま、臣下の出と言っても貴族出身だからというのもあるかもしれないけど。


それで、『久遠壽院准三宮伝』というのは公弁法親王が元禄8年12月に
公弁法親王が書き留めた公海の伝記なんだそうな。
公海の死が同年の10月16日だから、師の追悼に宮がまとめたってカンジだろうか。

公海の伝記なんてものがあることをここで初めて知ったので、
うおお、これ読みてえ~!としばらく版木をいじましく眺めておりました。
毎度のことながら、監視カメラで誰かが見ていたとしたら
相当アヤシイ奴に思われただろうな。


宸殿は宮の居住空間にあたるようで、色々面白いものや見事なものもあったけど、
歴史重視派のわたくしとしては廊下に地味に展示されているものの方が
見ていてよっぽど面白い。
ので、どうせ内部の写真もないしあとは簡単な紹介にとどめます。
こちらが宸殿の裏手側にあるお庭だったかな↓。


叡山4・毘沙門堂69



叡山4・毘沙門堂70


 【晩翠園(ばんすいえん)

  谷側の水を引いて滝を造った江戸初期の回遊式庭園で、雄大な裏文字を形取る「心字」の
  池に豊かな水を湛え、亀石・千鳥石を眺めながらの坐禅石、しかも山裾せまる木立の
  枝間は暗く、さながら夜目に翠(みどり)を思わせるところから、「晩翠園」と
  名付けられた。】
  (庭園解説板より)

結構デカくて立派な池なので、心字池だと言われてもわかりませぬ(笑)。
これが霊殿とつなぐ渡り廊下の部分かな↓。


叡山4・毘沙門堂72



叡山4・毘沙門堂73



叡山4・毘沙門堂74


毘沙門堂に使われる瓦には色んな紋がある。
これだけバリエーションがあるのも逆に珍しいんじゃ・・・


にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年04月21日 17時55分16秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: