戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年10月25日
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カテゴリ: 江戸めぐり
御物には時には将軍の好みなども反映されたかもしれないけど、

「ハレ」の舞台での室礼(しつらい)も同朋衆がセッティングをしたそうな。

「ハレ」の最たるものが天皇の行幸で、3つの幕府のうち京に本拠を定めたのは
室町幕府だけだから、足利家ならではのハレの舞台と言えるだろうけど、
3代・義満の時にも、6代・義教の時にもそれぞれ天皇をお迎えしている。

天皇への礼を尽くすという点でも、また自らの権威を見せつけるという点でも
最高の場であり、何から何まで気合いを入れたものだっただろうけど、
永享9年(1437)10月26日に後花園天皇が足利義教の室町殿へ行幸した歳の記録が

わかって興味深い。

なにしろ、将軍が天皇をお迎えするんだからね。
狭い応接間の一室をいくつかの調度品で飾り立てるのとは訳が違う。
「御飾記」に書かれているおもてなしのための御物は、
書画・盆・香合・筆記具・風鈴・碁盤・花瓶・鉢・刀など
あ~いかにもって感じのものがほとんどだけど、
中には「耳の毛とり」なんてのもあって笑える。
御物は鑑賞用でありながら将軍の日常に使われるものでもあり、
天子様に見せられるほどの「耳の毛とり」もあったのなら、
室町将軍の身の回りのお道具類に至るまで最高級品が取り揃えられていたことがうかがわれる。


ま、もちろんすべての御物を身近な日常生活で使っていた訳でもないでしょうけど、

うっとりと見惚れてしまうものが多かった。
展示品はすべてが三井記念美術館の所蔵ではなく、各所蔵者からの出品を仰いだもので、
その多くが国宝や重要文化財。
そりゃ、いくらどシロートでも魂を揺さぶられるハズです。

特にわたくしが気に入ったのが、漆の彫刻品。

たぶんそれまでこのテの美術工芸品は観たことがなかったんじゃないかと思う。

往時は細かく分類されていた漆彫の工芸品は、現在では「堆朱」(ついしゅ)と
まとめられているようだけど、奈良の頃に流行った脱活乾漆像がゼイタクすぎる技法のため
次第に造られなくなったことを アシュランのところ で書いてますが、
この時代でもやはり漆は貴重品で、その漆を贅沢に使って精緻な彫刻を施す堆朱は
かなり日本人にウケたそうで、御物の中では堆朱製作の名人・張成の作とされる小さな香合が
天目茶碗の最高級品である曜変(ようへん)と同等の価値と鑑定されているそうな。
ま、その鑑定金額もちょっと疑わしい面もあるようなんだけど、
いずれにせよ堆朱が室町期の数寄人に好まれたものであることに違いはない。

 【室町時代の日本で、堆朱が高額に評価された理由を想像してみると、建盞のような
  陶磁器は量産品であるが、彫漆とりわけ堆朱は黄金にも匹敵する高価な朱(辰砂)を
  混ぜた貴重な漆を厚く塗り重ね、玉器のように彫刻して多くを切削屑として捨て去る
  豪華でぜいたくな技法である。その価値は、十分に日本人には認識されていたからで
  あろう。おそらく当時の輸入価格も高価であったと思われるが、元時代や明時代の
  陶磁器や絹織物が、中近東やアフリカ東岸にまで貿易品として輸出された時代に、
  強固な購買意欲をもって彫漆の魅力と価値を認めて高額な支払いをしたのは日本のみで
  あり、最高の顧客だったからであろう。】
  (『東山御物の美』図録掲載/「『君台観左右帳記』に見る唐物漆器の受容」小池富雄より)

・・・要するに、世界のトレンドとかなり外れていたようなんだけど、
そのおかげで中国漆器工芸の最高級品にお目にかかることができるのだからありがたい。
とは言っても、超ゼイタク品だからどこででも好きに見られるってこともないだろうし、
ゆえに工芸品に特別の興味を持たないわたくしがこれまで目にすることはなかったのだろう。
そしてこれが日本における漆工芸にも影響を与えたという。


ところで、御物であることはどうやって見分けるのか?
書画などの場合、所有者を示す「鑑蔵印」(かんぞういん)というハンコが押される。
まあ、図書館の本の天などに「柏市立図書館」のハンコが押されてるみたいな・・・

義満なら「天山」(義満の道号)、「道有」(義満の法名)、
義教なら「雑華室印」(義教の書斎号)という鑑蔵印が押され、
そのほか義満の頃に善阿弥という人が管理していた幕府の蔵(善阿倉)の所蔵を示す
「善阿」印などがあるそうな。

ただこれ、紙製のものは「俺のだよ~ん」てハンコは押せても、
工芸品となるとそういう訳にもいかないだろう。

 【調度、茶道具の類は将軍家を離れて後、所在が不明になったものも多く、「東山御物」
  として伝来したものは絵画に比べて極めて少ない。】
  (図録解説より)

というのも、そうしたことも影響しているのかもしれない。
同図録によると、

 【室町時代以降、「東山御物」は日本の中国絵画鑑賞界において頂点に君臨し続けたため、
  海外に流出したものは決して多くない。】
 (『東山御物の美』図録掲載「東山御物の美-中国絵画を中心に」/板倉聖哲より)

そうで、絵画以外の工芸品の流出があったのかどうかまではわからないものの、
その後の各工芸界にも多大な影響を与えたものと思われる。


さて、そういう最高の芸術品たちは鑑賞に供されるほか、
のちの時代にはいろいろな用途にも用いられるようになった。

8代・義政がある時、父である6代・義教が後花園天皇に献上した曜変を見たいと
朝廷に申し入れたことがあった。
ところが、その曜変は三条実雅が質物として借り出してまだ返却されていなかったので、
これから厳しく催促して返してもらうからちょっと待って欲しいという回答が来た。

 【この時代、禁裏や将軍家の御物は、宮廷社会の一種の共有財産として機能しており、
  質物として廷臣らに貸し出されることがあった。御物を借り受けて金融業者である
  土倉に入質し、当面の出費を稼ぐのである。】
 (『東山御物の美』図録掲載「応仁・文明の乱前夜の将軍家御物と同朋衆」/藤原重雄より)

どうもこの時は個人的な金策というより、三条実雅が奉行になっていた御料所からの年貢が
まだ代官である武家から納められていなかったようなんだけど、
御物が質草になっていたという話は面白い。


今回、わたくしがこの特別展を観に来たのには特別な理由もあった。

御物は色んな人に見せびらかして権威を見せつけることもできたけど、
そもそも希少価値が高く、格別に美しい選りすぐりの品ばかりだから、
下賜されることもあった。

義政の頃には財政難で幕府も苦しい時期だったから、
御物を大名や寺へ下賜して代価としてなにがしかを受け取るという
金策にも当てられたらしい。

室町幕府は鎌倉幕府のような「滅亡」をした訳ではないので、
室町幕府が崩壊した時に御物が簒奪されて一挙に散逸したのではなく、
幕府崩壊以前から御物が少しずつ世間へ出回っていた。

この企画展に行く直前、具体的にどんな品が出品されてるのかと
美術館のホームページを見た時、とある地味な青磁の花生に目が釘付けになって
わたくしのテンションは一気に富士山よりも高く空へ舞い上がった。

この展開を予想していた方もおられるかもしれませんが、
室町期といえばわたくしの愛してやまない大内氏の活躍時期と重なる。
そう、大内氏も東山御物を所有していたんです。

この花生は「青磁筒花生」という名称で、「銘 大内筒」と付く。
これは何が何でも見なければ~!!と勇んで行ったのですが、
いくつかある青磁の展示品のうち、もっとも地味で目を引かないものだった

しかも、愚かなわたくしは花生の現物を見ても気が付かなかったのですが、
他の展示品の中にも大内氏の所有だったとされる御物があったので、
そういえば 北九州での大内氏の企画展 の時ってどんなのが出品されてたんだっけ?と
図録を見返してみたところ、「青磁筒花生」もちゃんと載ってた。

うっそおおぉぉぉぉ~~~・・・
でもあの時って、すべての展示品が大内氏ゆかりのものだったからな。
ほかに食いつくものが沢山あったので、この花生に目が留まらなかったのだろう、
と自分に言い訳してみる

「大内文化と北九州」展の図録には

 【本品が納められた箱は後世のものであるが、蓋表に「東山殿所持/大内筒 花入/
  外替袋別箱入り」とあり、東山殿、すなわち足利義政(1436~90)が所持したと
  伝えられる。】

とあり、「東山御物の美」展の図録には

 【小堀遠州の優美な箱書が添い】

とあるので、小堀遠州が東山御物の証明をしてくれたらしい。

この花生はぶっちゃけ悲しくなるほど地味なお品だったけど(でも重文)、
生まれて初めて使った音声ガイドでほかにも大内氏に下賜された品があることを知った。

展示の最初の方は確か絵画が多くて、御物は禅カラーの強いものも多かったけど、
その中で惹かれる絵があった。
ちょうど図録の表紙と裏表紙に載っているので、ご紹介しましょう。


CIMG3029


CIMG3032

「秋景冬景山水図」といわれるこれは、ぬわんと国宝です。
現在は金地院の所蔵・・・
金地院といえば真っ先に 崇伝 を思い浮かべてしまいますが、崇伝がらみじゃなく、
策彦周良 の縁らしい。
大内義隆と大酒を酌みかわした、あの策彦です。

「歴史の町山口を甦らせる会」様の「大内文化まちづくり」によると、
流れ公方・足利義稙が大内政弘に下賜し、義隆が策彦に贈ったとある。
策彦へは遣明船のごほーびってところかと思うけど、策彦は天竜寺明智院なのに
なんで金地院(南禅寺)?と思ったら、明智院から崇伝に渡ったらしい。
もと御物をぽんと策彦にあげてしまうなんて、おかねもちの大内氏らしい実におおらかな話です。
この絵は前回出てきた徽宗が描いたという伝がある。

徽宗の絵で大内氏が所有していたという伝承のあるものがもうひとつあり、
それが国宝「桃鳩図」。
現存していない絵で御物の可能性が高いと思われるものもあるようだけど、
これは義隆が滅ぼされた時か、大内氏が滅ぼされたあたりの混乱で失われてしまったらしい。

てな訳で、室町将軍のお宝を見つつ、大内氏当主が目にしたものを見られるという、
わたくしには1粒で2度美味しい超豪華なグリコのような展示でありました。


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最終更新日  2015年10月25日 23時32分48秒


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