戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年12月10日
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カテゴリ: 江戸めぐり
さて、前回のおしりに出てきた関東からの遠征の続きですが、
遠征軍を率いていた畠山国清は、勝手に本国に帰ってしまった者たちの処罰を始めた。
具体的には被告人の所領を取り上げてしまったようで、
これを不服とする被告人たちから鎌倉公方・基氏に対し国清の罷免の嘆願が寄せられた。
そして基氏は国清へ


ちょっとボクのところへ来てよ。
もし、あんまり来るのが遅れるようなら
攻め込んじゃうよ~」


と弁明の機会を与えるも、国清は応じず伊豆に立てこもる。
そして、基氏は旧・直義派と思われる家臣などに命じて国清を攻めさせ、降服させた。
ウィキペディアによると、

 【その後の国清の消息は定かではなく、降伏時に斬殺されたとも流浪の末に大和で


だそうだけど、そもそもこの遠征についてウィキでは
【名目は義詮からの要請であるが実際は基氏独自の判断によるものであり、
父の死去に伴う地域内の動揺を外征によって抑えようとする意図が】あって、
【この遠征の失敗は主導した基氏の責任が問われるものであったが、
基氏の失脚は鎌倉府自体の崩壊を導きかねない以上、代わりに関東執事で実際に
軍を率いた国清が補佐・軍事の両面で責任を問われることとなった】と
国清が基氏の身代わりになったように解説しているページがある。

この見解が歴史学での主要な見方なのかはわかりませんが、
個人的にはそうかな~?と思う部分もある。

まあそりゃ、国清が勝手に東国武士を動員した訳でもないだろうし、
基氏の命によるものではあっただろうけど、

尊氏派と直義派に分かれていた氏族もあったようで、
国清攻めに前後して基氏は旧尊氏派の武士の所領を没収するといったことも
行っていたらしい。

だから、国清の結末が惨殺であれ窮死であれあるいはひっそり生き延びたんであれ、
関東経営の中心から転落して可哀想なものだったことに違いはないものの、

基氏のあらたな計画の一環だったんじゃないかとも思うのだ。

して、国清が追われた関東管領の座についたのは、高師有という人だった。
高氏は旧直義派にとって宿敵じゃないかという気がするけど、

上杉氏関係図


系図の一番下で、上杉憲顕の姉妹が高師秋に嫁いでますね。
師有はこの師秋の子で、憲顕の姉妹を母に持つ。

同じ上杉氏の娘を娶っていても、高師泰は上杉能憲に殺されたけど(前回参照)、
師泰は兄・師直とともにバリバリの尊氏派だった。
ところが、師秋は妻の関係からか直義派に属しており、
師秋の弟も、そして子の師有も直義派だった。

師秋の弟は、一時畠山国清に所領を没収されていたようなんだけど、
基氏によってその所領が返されたようで、

 【(前略)明らかに国清の統治を否定しようとする意図がみえる。
  尊氏に任じられた国清の統治を否定するということは、国清(=尊氏)と対立した
  勢力を復活させることであって、それはいうまでもなく旧直義派の人びとなのであった。】
  (『動乱の東国史4 南北朝内乱と東国』より)

その「旧直義派の人びと」を代表するのが、尊氏に追われた上杉憲顕。
尊氏は上杉憲顕から剥奪した越後・上野守護を宇都宮氏綱に与えて
氏綱を薩埵山体制の中心に据えた。
それを基氏は上杉憲顕に戻してやった。
その措置に反発した宇都宮氏の家臣の越後守護代が憲顕を攻撃。
が、これは憲顕に破られて、今度は基氏の矛先が宇都宮氏綱に向けられ、
宇都宮氏は基氏に降服する。

薩埵山3人組の残る1人、河越直重も相模守護を解任されて、
ここに薩埵山体制は崩壊した。

で、上杉憲顕が関東の経営に復帰する。
そして、尊氏が憲顕から取り上げて宇都宮氏に与えてしまった越後と上野の守護も復権。

これまでのわたくしの鎌倉公方に対するイメージは、
アクが強くてギラギラしていて、ただ周囲を振り回しただけといったもので、
幕府への対抗心などから将軍家に張り合おうとする人たちだと思っていた。

が、初期の頃はまだそれほどでもなかったらしい。
というのも、上杉憲顕の復帰は足利2代将軍・義詮も早々に了解していたらしいのだ。

義詮は尊氏の嫡子で将軍職を継いだのだから、
旧・直義派の旗頭ともいえる憲顕の関東管領復帰に手を貸すのは
不思議な気もするけど、櫻井氏によるとまず基氏の方針転換は、
薩埵山体制が地元の有力な勢力を活用したものだったのが、
畠山国清が強権を発動したことによって関東の武士たちの反発を招いたので、

 【基氏はこうした守護と東国武士との関係を清算し、鎌倉公方を中心とした東国社会
  作りを目指したのではなかったか。そのような理想を実現するうえで、養父直義の
  施策は参考になったに違いない。直義は、幕府の統治下における武士の「自立」
  発動を禁じようとしていたのであり、これは各国の守護が実力によって東国武士を
  統治している薩埵山体制とはまったく異なる方法であった。この大きな政策転換を
  図るうえで直義の側近であり、基氏を「懐きそだて」たとされる憲顕への期待は
  大きかったであろう。】
  (前掲書より)

とする。

直義の方針である「自立の発動の禁止」は戦時を収束させるのに必要なもので、
基氏は単なる養父への恋慕の情からではなく、身近で学んだ養父の政策を引き継いで
自身の政策の中心に据えようとしたということらしい。
ただ、同時期には別の考え方を持つ者も確かにいたので、
基氏が直義のもとで育てられていなかったら、直義の方針を参考にすることも
なかったかもしれない。

義詮の場合は、直義の養子にはならなかった。
でも、上の系図からわかるように、尊氏・直義の兄弟と上杉憲顕はいとこにあたり、
義詮からすれば憲顕はパパのいとこという関係で、親族でもある。

加えて、鎌倉府ができて義詮が鎌倉公方(実際は関東管領)になった時、
上杉憲顕の補佐も受けていた。
その際に、実務派官僚の家柄である上杉憲顕の実務能力を認めていた可能性もある。

関東管領(実際は関東執事)は(当初は)鎌倉公方の直臣だったが、
憲顕が関東管領に復帰すると幕府からの命令を取り次ぐ職務も与えられた。
(当初は)としたのは、時代が下ると関係性が変わってくるからなのですが、
ひとまずこの段階では

 【上杉憲顕は、義詮にとっても幕府・鎌倉府間の連絡調整役となる人物として適任者であり、
  なかば幕府と鎌倉府に両属する存在として、両者(義詮と基氏)が合意した憲顕の
  関東管領復帰であったといえる。】
  (前掲書より。カッコ内は戦国ジジイが追加)

という訳で、義詮と基氏の兄弟が連携し、上杉憲顕がサポートするという
新体制がスタートする。
これ以降、関東管領は上杉氏が独占することになる。

そういう中、大内氏のひろよん(弘世)がようやく幕府方に帰参する。
大内家の帰属がこんなに遅い時期だとは思ってもみなかったんだけど、
山名氏も同時期に政治的判断によって幕府方に帰参したらしい。
世情が少しずつ安定に向かう中で足利将軍家は次第にその権威を高め、
基氏の晩年には奥州経営をめぐって方針の違いなどがあったらしく、
幕府と鎌倉府の対立の兆しが見え始める。

して、貞治6年(1367)4月、基氏が27歳の若さで死去。
その後の処理について幕府が遣わした使者は、バサラで鳴らしたあの佐々木導誉だった。
新しい鎌倉公方には基氏の子・氏満が就き、上杉憲顕が引き続き関東管領として
氏満を補佐した。
同じ年の11月には、足利2代将軍・義詮が死去。
義詮の子で9歳の義満が3代将軍となる。

関東管領・上杉憲顕は将軍・義満の祝賀のために上洛するが、
そのスキを狙って河越氏が拠り所としていた平一揆の蜂起などがあった。
これは倒幕などのドラスティックな計画ではなく、
武蔵の自治を要求するような目的だったらしい。

これらを平定したあと、上杉憲顕も死去。
関東管領は憲顕の子の能憲、弟・憲藤の子の朝房が継ぎ、守護職も子たちに譲られた。

上杉氏は諸家がかなり多いようで、上の系図以外にも「ナントカ上杉」ってのが
沢山いますが、初めの頃は宅間・山内・犬懸が関東管領を担っていた。

 【能憲の就任は憲顕一族(山内上杉氏)が同職を世襲することの端緒となった。】
  (前掲書より)

というんだけど、前回書いたように能憲は宅間の重能の養子になってるからな・・・

それに、フツーの家では嫡流ってものがあるもんだけど、
上杉氏ははっきり惣領家ってものがあるんだかないんだか、よくわからない。
でも山内(やまのうち)が宗家的な立場ではあったようで、
実際に関東管領のほとんどは山内上杉の者で占められている。

が、時代を追うごとに上杉氏内での勢力争いも激しくなっていき、
関東で心機一転の新参者としてスタートした上杉氏も、
関東争乱の主役としてのちの世に広くその名が知られるようになる。

基氏が上杉憲顕を復帰させなかったら、関東の歴史も大きく変わっていたかもしれない。
前の記事で「直義の亡霊はその後も生き続ける」としたのは、
そういうことを指します。



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最終更新日  2015年12月10日 23時22分01秒


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