戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年12月31日
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カテゴリ: 江戸めぐり
え~とそれで、北条早雲が関東の風土病に侵されず
東へ展開していくあたりを少しだけ書いておきますかね。
後北条氏が東へ展開するということは、すなわち
それまで関東を支配していた名家が没落していくことでもあるのでね。


北条早雲が興国寺城主となった4年後、堀越公方・足利政知が死去。
ここで「豆州騒動」と呼ばれるお家騒動が起こる。

政知には茶々丸という嫡子がいたが、後妻との間にも2人の男子をもうけていた。
豆州騒動はお家騒動にありがちな話で、3男・潤童子を溺愛した後妻が
茶々丸をうとんじるようになり、素行不良を理由に廃嫡して茶々丸を土牢に押し込め、

これは政知がまだ生きてる時の話で、執事の犬懸上杉政憲はこれを強くいさめたという。

犬懸政憲は前回書いたように、父の跡を継いで執事となってから
同族である諸上杉氏との関係改善に努め、
長く続いた 享徳の乱 が文明14年(1483)に古河公方と上杉氏の和解
および 都鄙合体 で終結を迎える際には、政知にこれ以上の戦闘の継続の困難を説得して
交渉などにも尽力したという。

外野としては「とりあえず終わってよかったね」ってところだけど、
これまでは古河公方が朝敵で「旧・鎌倉公方」、
堀越公方が幕府公認の「新・鎌倉公方」という路線だったハズなのに、

関東一円の統治がふたたび認められることになった。
その結果、堀越公方・政知は伊豆一国のみを統治するハメになった。
政知にしたら面白いハズがない。

ま、犬懸政憲が説得したというぐらいだから、
古河公方と幕府が和解されては自分の立場がなくなると思って


堀越公方の執事は世間的にはあまり「関東管領」という表現はされないけど、
都鄙合体するまでは本来は関東管領だったと言っていいんだと思う。
つまりはこれまでの鎌倉府の関東管領と同様に
堀越公方と幕府の両方に仕える立場だった訳で、
ここがフツーの大名家などとは違う面でもある。
江戸期の「附家老」みたいなカンジといえばイメージもしやすいかな。

だから、政知が都鄙合体に積極的に反対していたのなら、
合体に尽力した犬懸政憲は直属の主である政知より
幕府の意向を重視したということになるけど、
その結果政知はたった伊豆一国の統治しか認められなくなったので、
政知は犬懸政憲を恨むようになったという。

そうしたところに茶々丸廃嫡の件が起こり、
政知は自身の方針に異を唱える犬懸政憲に自害を命じて、政憲は死んだ。

シチュエーションはそれぞれ違うけど、
関東の「公方」に仕えた上杉氏はその立場上みんな色々苦労していて、
中には犬懸政憲やその父・ 犬懸教朝 、 山内憲春 、 山内憲忠 のように命を落とした者あり、
政界からすっぱり身を引く選択をした 山内憲実 のような者あり、
関東管領としての上杉氏は実にお気の毒だと思う。

享徳の乱の終結にあたって犬懸政憲が政知を説得しなかったら、
酒井根(境根)で追討された千葉孝胤 のように上杉氏から攻撃されたかもしれないし、
今度は堀越府が「朝敵」とされたかもしれない。
たった伊豆一国の支配にとどまったとはいえ、
古河公方が公式に復帰した中で堀越府が存続できたのは、
幕府と上杉氏の双方にパイプを持つ犬懸政憲の尽力があってこそのものだろう。

茶々丸を廃嫡した件については、幕府管領の細川政元と連携して
政知の後妻の産んだ2人の子をそれぞれ将軍と堀越公方にする心づもりだったともいう。
政知の子がいきなり将軍だなんて話が飛躍しすぎてると思ってしまいますが、
行動がロクでもなかったためについ忘れがちなものの(笑)、

堀越府関係図-3


血筋(だけ)はいいんだわ。

政知の子の清晃は「せいこう」と読む。
清晃が幼い頃はまだ異母兄で長男の茶々丸が継嗣だったので、
清晃は5歳にして京・天龍寺の後継者となることが決められていた。
ので「清晃」は法名。

9代将軍・義尚(よしひさ)が男子をもうけないまま死去すると、
当然のことながら後継問題が持ち上がった。
将軍家に血の近い堀越公方の子・清晃もこの時候補に上がったものの、
ここでは義材(よしき)が10代将軍となった。

義材はのち義尹(よしただ)、さらに義稙(よしたね)と名を変える・・・
ええ、これが本ブログでもおなじみ、一旦は将軍職を追われたものの
大内義興さんの保護を受けてのちに将軍に返り咲いた「流れ公方」義尹です。

系図を見ておわかりのように、清晃は義澄と改名して11代将軍となる。
つまり義尹が放浪している間に義澄が次の将軍となった訳ですが、
豆州騒動に話を戻しますと、政知の死後、幽閉されていた茶々丸は
牢番を殺して脱獄。
そして継母と潤童子を殺して自力で堀越公方となった。

身内を殺した上、讒言を信じて重臣を殺したことなどもあったそうで、
茶々丸の評判はかんばしくなく、伊豆は混乱に陥った。
伊豆にほど近い東駿河・興国寺城にいた北条早雲はこれを好機と見て
侵略を開始する。
茶々丸がセンセーショナルな当主デビューを果たしてから2年後の
明応2年(1493)のことだった。

従来は早雲が一気に伊豆を攻め落として茶々丸が自害したという風に
言われていたようだけど、堀越府の南に早雲が築いた城は
敵を意識して西と南の防御を厚くしており、4年経ってもなお
既存の城の普請が命じられてもいる。
そしてウィキによると、近年では茶々丸がすぐに自害した訳ではなく、
山内上杉氏や武田氏などの助勢を仰いで伊豆の奪還を目論んでいたと判明したそうで、
早雲が伊豆に攻め入ってから数年の間はまだ「平定した」といえる状況では
なかったらしい。

ただ、結果的には茶々丸は捕らえられて自害する。
そして茶々丸の死によって堀越府は滅亡する。
まあ、義澄が将軍となってその子孫たちが室町幕府崩壊までの将軍を務めるので、
政知の血は本家に戻って生き続けるのだけど。

なんで茶々丸が山内上杉氏を頼るのかと思ったら、
当時山内家は伊豆を領国としており、山内家のライバル・扇谷上杉家当主が
早雲と通じて伊豆を攻めさせたという記述が『鎌倉九代後記』にあるそうな。

初期の侵攻がスムーズに進んだ理由のひとつに扇谷家の手引きがあっただろうという点は
確かにうなずけるものがありますが、茶々丸が山内家を頼ったという事も
この記述を裏付けるものと言えるんじゃないかな。

ということで、堀越府の内紛プラス上杉氏の内紛という
ダブルのチャンスをうまくつかんで、早雲はまず伊豆をゲットした。

堀越府の内紛は、トラブルのタネを作り出した政知が悪い。
単に後妻への愛情にほだされたのではなく、細川政元と連携する腹があったとしても、
それなら茶々丸をきっちり始末しておくべきだった
(子殺しで政知の評価がガタ落ちになる可能性は十二分にあるけど)。
廃嫡されて幽閉なんてされなければ、
茶々丸ももう少しまともな当主になっていたかもしれない。
いやそれより、ヘンな野望なんか抱かずに、
堀越府に忠誠を尽くしてきた犬懸政憲の諫言を素直に受け入れるべきだった。

そして上杉氏も、いつまでもごちゃごちゃやってる場合じゃなかった。
よりによって早雲の手引きをするなんて、結果を知ってる人間からすると
バカじゃねーか!?とつい言いたくなるものの、
とどのつまりは早雲を甘く見ていたんだろうな。



さてと、早雲飛躍の第一段階を終えたところで一旦本文を止めまして、
2015年も本日でラストとなりました。
年末にはそれなりに1年の総括をするのが恒例となってますが、
この1年は全体的にあまりいい年ではなかったので、
総括を書く気も起こりません。

ただ、去年の総括を読むとすでに金光明最勝王経の暗記を始めていたようで、
長いお経のために途中ダラケながらもそれなりに頑張ってきたものの、
まだあと6ページほど残っているのでひとつの品(章)に1年以上かかっていることになり、
般若心経のような短いお経ではなく長文のお経の持経(じきょう:お経の暗記)というのは
大変なことなんだな~と実感しております。

『今昔物語集』だったか、ある凡僧がいて
特段の取り柄もなかったので師僧が法華経の持経をさせてうんたら・・・
という話がありましたが、いくらそれだけをやっていたといっても
法華経すべての暗記となるとマジ大変だろうと思います。

ま、何にせよ弁才天女との付き合いももう1年以上。
特段の目的があってお経の暗記を始めた訳ではないものの、
やっている中で思いもかけぬオマケもついてきたりして楽しくもあり、
1年以上やってると天女への愛着も湧いてくる。

少し前の記事でも書いた気がしますが、一般に「弁財天女」と呼ばれ
福徳・財運のほとけとしてのイメージが浸透している天女も、
金光明最勝王経の中ではおもに弁舌・学徳のほとけとして語られる。

わたくしもこうして歴史に関わるブログなぞ書いている手前、
天女の御利益におすがりして少しでも血の通った歴史を書き留めていけるよう願いつつ、
本年のシメといたします。

自分も忙しい中でぼちぼちわたくしのブログを読んでくれているらしい上司に、
話がなかなか進まなくてブログネタだけが溜まっていくと言ったところ、


あれじゃ大変だろ?」


と言われましたが、ぶっちゃけ大変です。
得るものも大きいですが、そりゃもう大変です(笑)。

本文を書くだけじゃなくて、勉強だとか他にもやることが沢山あるし。
年が明けてからもしばらくは諸々の事情で忙しくなりそうなので
更新頻度も以前のペースにはなかなか戻せないかもしれませんが、
仕方のないことなので地道に頑張る所存でございます。

それでは今年もつたないブログを読んでいただいてありがとうございました。
どなた様もよいお年をお迎えくださいませませ



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最終更新日  2015年12月31日 23時57分28秒


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