戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年01月16日
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カテゴリ: 江戸めぐり
日本橋の南詰側にはひらがな書きの「にほんばし」の文字が。



東山御物展・日本橋17


都内でおのぼりさんよろしくカメラをぶら下げて歩くのにも
だいぶ慣れてきたけど、まだ一抹の恥ずかしさは残る・・・
でもここでは平気。
時代劇などでも有名な日本一の名橋なだけあって


東山御物展・日本橋18-2


みんなバシバシ写真を撮ってるから。




東山御物展・日本橋20



東山御物展・日本橋19


2枚目の写真は橋についてのものではなく、
中央通りが「日本の道100選」に選ばれていることを示すもので、

 【道の起点としての日本橋
  日本橋は古来街道の起点として広く親しまれ現在も交通の要衝として知られている。
  慶長8年に日本橋が架設されて以来、火災などによって改築すること19回を経て、
  明治44年3月石橋の名橋として現在の橋に生れ変った。また日本橋から銀座に
  かけての中央通り一帯は近代的な街並で日本経済の中心地として今なお活況を
  呈している。】
  (現地解説板より)

両国橋 でも、
火災や水害などによって少なくとも10回以上の架け替えがあったからな・・・
江戸期にはもちろん木造の橋だし、橋の維持管理とひとくちに言っても
大変だったろうな。


日本橋の架かる日本橋川の南側は、建物が建ち並んでいて

歩いてすぐのところにローソンがあったので、ここで昼メシを調達。
が、時節柄(←10月)

KIMG0144


なんてものがあった。
フルーツサンドもマスカットも好きなわたくしは、すぐ手に取った。
しかし、ランチをしようと思っている場所まではもう少し歩く。
天気のいい中でこんなもの持ち歩いていて腹でも壊したらどおしよう・・・

もうすぐ13時でお腹もすいてたし、食べたいのはヤマヤマだったけど
しばらく悩んだ末今回は諦めた。
上の写真は、これを食べたくて寄ったローソンで後日買ったものです。
食べた感想は・・・
う~ん、シャインマスカットじゃなくて皮をむいたマスカットにした方が
美味しいんじゃないかと

シャインマスカットはご存じの通り皮ごと食べられるものですが、
それだけを食べてる時は皮は別に気にならない。
が、パンという柔らかいシロモノと一緒に食べると
どうも皮に異和感を感じてしまってね。

で、おにぎりなどの無難なものを買ってさらに西へ。


東山御物展・呉服橋へ-2


現在ではなんてことない都内のオフィス街ですが、
江戸期このあたりは町人地で「西河岸町」といういかにもな名称の場所だった。
その西河岸町をずんずん歩いていたら、通り沿いにこんなのがあった↓(場所は こちら )。


東山御物展・日限延命地蔵


東山御物展・日限延命地蔵2


延命地蔵?
なんか解説板があるなと思って近寄ってみると、

 【板絵着色 お千世の図額

  大正4年(1915)3月、本郷座で泉鏡花原作「日本橋」初演のおり、当時21歳の
  無名であった新派の俳優、花柳章太郎は、お千世の役を熱望し、劇と縁の深い西河岸地蔵堂
  (昭和24年、日本橋西河岸地蔵寺教会となる)に祈願をしました。「日本橋」は檜物町
  (現、日本橋3丁目、八重洲1丁目)の花街を舞台とした、いわゆる日本橋芸者の物語で、
  お千世は登場する芸妓のひとりでした。章太郎は、この劇でお千世に起用されて好演し、
  これが出世役となりました。

  ここに所蔵される「お千世の図額」は、二度目のお千世役である昭和13年の明治座上演の
  際に、章太郎が奉納したものです。この絵を描いた小林雪岱は、「日本橋」の本の装丁や
  挿絵も担当した日本画家で、図額には章太郎と鏡花の句も添えられています。この
  「お千世の図額」は、地域にもゆかりの深いものとして、中央区民有形文化財に登録されて
  います。(見学ご希望の方は、本堂まで申し出てください)】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

なんだ、地蔵堂そのものに関する案内板じゃなかったのか。
寺の歴史については別にあった。

 【当寺に安置してある地蔵菩薩は、人皇44代元正天皇(715-724)の御宇、諸国
  巡歴中の名僧行基菩薩が、衆生結縁のために暫く遠州四方城(静岡県引佐郡)に草庵を
  構えた折に、地蔵菩薩の霊告を受け、自ら御丈2尺8寸の御尊像を彫刻したものと
  伝えられています。この地蔵菩薩は、天海僧正の御持仏で、至心に祈願すれば日ならずして
  御利益を授かるところから、「日限地蔵尊」と呼ばれ、ことに延命祈願に霊験あらたかな
  事は古来より広く世に知られています。

  享保3年(1718)9月、勝縁の地としてここ西河岸に遷座し、今日まで二百数十年を
  数えます。建立の当時は「正徳院」と呼ばれ、天皇直々に拝謁し奏上のできる格式高い寺で
  ありました。その後、明治維新の廃仏毀釈と大正12年9月の関東大震災や戦災などによる
  多くの変遷を経て、今日に至っています。なお、現在の堂宇は昭和52年4月新たに建て替え
  られたものです。】

て?
・・・んかい?

行基様自刻の伝承を持つ仏像なんかは全国に腐るほどあるから、
そこにいちいちツッコミを入れるのは不毛な作業だと思いますが、
天海の持仏ってのはちと無理がないかい?

ただ、現在ここは曹洞宗系の寺らしいけど、かつては天台宗だったようだから
あながちウソっぱちとも言えないかもしれんな。

解説の「天皇直々に拝謁し奏上のできる格式高い寺」って意味がよくわからんのだけど、
まあ格式の高い寺だったってことだろう(←大ざっぱ)。
縁日の四の日にはかつては多くの参詣者で賑わった寺らしい。
ただちょっと、名前が引っかかるんだよなあ。
わたくしのこれまでの経験だと、延命地蔵ってのは
処刑場だとか旅の途中であえなく倒れた人馬を埋葬した場所だとか、
「延命」というコトアゲをする必要がある場所に多かったからな。

んで、お堂。


東山御物展・日限延命地蔵3


見ての通り小さなお堂で、しかも周囲は


東山御物展・日限延命地蔵4


と、林立するビルのはざまにぽつんと建っている。
お千世の図額見学希望者は本堂までお申し出くださいとあったけど、
どこが本堂じゃ?
ここから離れた場所にある本堂に事前に予約しておかなきゃならないってことだろうな。

ともあれ、よくこんな場所にお堂を残したな~なんて思いながら参拝。
「お地蔵様、こんにちは~」とわたくしがガランガランと鳴らした鈴が
土曜の静かなオフィス街に鳴り響く。


さて、日限延命地蔵堂を出てさらに西へ。
少し歩くとすぐこういう広い場所に出る↓。


東山御物展・呉服橋へ2


目の前に横たわるのが外堀通りで、写真右手にある高架が日本橋川の上を走る首都高。
ここから外堀通りを南下する予定だけど、まずは写真に写ってる横断歩道を渡って
一旦日本橋川の方へ向かう。

すぐ先には、川にかかる橋がある。
現在では一般的にここを「呉服橋」と呼ぶんだけど、
現地で橋に付けられているプレートには


東山御物展・一石橋?


呉服橋じゃなく、「一石橋」(いっこくばし)とある。
一石橋から顔を左に向けて車道を見ると車がびゅんびゅん走ってますが、

東山御物展・呉服橋方面


江戸期この外堀通りはまんま江戸城を守る外堀だった。
ちょうど上の写真のあたりが外堀が北西へと角度を変える場所で、
外堀と日本橋川が交差する堀の十字路でもあり、付近には4つの橋が架かっていた。


「呉服橋」周辺-2


これが周辺の大ざっぱな図で、水色がかつての水路。
水路に斜線が入ってる部分が現在は埋立てられたところ。
外堀を境に黄色と薄紫に色を変えてますが、黄色が町人地で薄紫が武家地。
南北に橋が架かる一石橋と銭瓶橋はそれぞれ同じエリアをつないでるので
フツーの橋ですが、外堀に架かる常磐橋と呉服橋の西詰には御門が設けられていた。

そういうある種の緊張感がある場所だったここには
現在では首都高環状線の呉服橋入口があるため、
チョ~現代的な景観となっている↓。


東山御物展・日本橋川



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最終更新日  2016年01月16日 22時15分41秒


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