戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年02月06日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
坂下門といえば、桜田門外の変で井伊直弼が殺された2年後の文久2年(1862)に、
老中・安藤信正が水戸浪士に襲撃された「坂下門外の変」が有名かもしれませんが、
『落穂集』では関ヶ原の勝利ののち数年の間、イエアスは駿府から下向すると
外桜田門を通って西の丸へ入ったと言っているので( 「(5)」 参照)、
であれば外桜田門⇒坂下門というルートで西の丸に入ったと考えるのが自然だろう。

江戸期には坂下門は通用門だったと前回紹介しましたが、
江戸城も長い歴史の中で色んな変遷をたどってるからね。
通用口になったのは、もっと整備が進められたのちの時代のことなんじゃないかな。




P1010630


撮影地点は この地図 の中心部分。

内堀は橋を境に名を変え、井伊家前の堀が「桜田堀」で
皇居の正門石橋から坂下門までが「二重橋堀」、
坂下門から先は「蛤堀」となっているので、上の写真に写っているのは蛤堀になります。

上の写真の右隅に算木の石垣が写ってますが、この石垣↓


P1010631


に沿って北に進むとすぐに現れるのが桔梗門。
・・・が、写真がない

ここにも坂下門と同じく警備の詰所があって、

桔梗門の詰所は堀っぱたギリギリに建物が建っているので、
写真を撮りたければ警備員の視線にさらされるのを耐えなければならない。
訪問から6年経った今でも

「イヤだなあ。
ジャマだなあ」


と現地で思っていたことは記憶に新しいので(←根に持つタイプ)、
詰所の真ん前から撮らずあとで撮ろうと思っていて、そのままスルーしたんでしょう。


写真がないので桔梗門についてはリベンジ後に紹介しようと思いますが、
これがかつて「内桜田門」と呼ばれていた門で、2つの桜田門のうちの内側の門になります。

桔梗門から先の堀は「桔梗堀」。
桔梗堀沿いに先に進むとあるのが桜田二重櫓↓。


P1010632


P1010633


6年前の初詣の時は、このあと大手町へ抜けて有名な平将門の首塚を見てから
柏へ戻って、そこから大カラオケパーティーを敢行しました。

日本史にハマるにつれて時間を惜しむようになってきたので、
ここ数年はカラオケにも行ってませんが、
わたくしのカラオケのスタイルというのはとにかく歌う。

カラオケだから歌うのは当たり前じゃん、とお思いでしょうが、
だいたい6時間というのが通常のスタイルなんでね。
相棒と2人で行くので1人あたり3時間になる訳ですが、
最後の方になってくるともう声が割れてきます
でも1~2時間じゃ歌った気にならないから、頑張るのだ。

受付をする際に、「お時間は?」と聞かれて平然と「6時間」と言うと、たいてい

「え?」

と聞き返されますね。

まあカラオケはともかく、6年前の写真はこれで終わりなので、
今回の登城へと戻りましょう。


外桜田門を入ってから桔梗門まで、往時の建造物は格段に少なくなったとはいえ、
堀や石垣はそのままだし、実に壮観な大近世城郭という雰囲気でしたが、
長い時間をかけて段階的に整備をしているので、イエアスが入府した初期の頃は
まだまだの状態だったと思われる。

古老が語った話 によると、とりあえず住むところには困らなかったので
城防衛の基礎である土木工事を優先させた印象がある。

権現様のご入国後、まずは今の日本橋筋から三河岸通りの竪堀の堀割から始め、
 ついで横堀も段々とできていきました。堀工事で出た揚土はお堀端に山のように
 積み上げてあったそうですが、諸国から集まってきた町人からの願い出を受けて
 町家を割渡しされたので、町人たちは好きなようにその揚土を引き取って地形を築き、
 屋敷を建てて表通りには葭垣をめぐらし、町並みが整って住みつく者も次第に増えて
 いきました。

 まあ、そうは言っても初めのうちは町家を願い出る者も少なかったそうなんですが、
 伊勢国の者達が多数やって来て願い出たので、伊勢者たちの町家が出来て、表にかかる
 のれんを見ると町内の半分には「伊勢や」と書いてあったそうですよ。


『落穂集』の語るエピソードの信憑性は、モノによってはイマイチかもしれない。
でも入府直後の頃の話も多く語られていて、整った近世城郭もいいもんだけど、
初期の頃の自由でおおらかで活気のある雰囲気を味わえる『落穂集』などの
話はわたくしは好きだけどね。

同書には、城の整備と並行して発展を遂げていった町屋の話もある。
なんでもまだ最初の頃は治安が悪かったので盗賊をとらえて手下に仕立てあげ、
「毒をもって毒を制す」作戦で治安の向上に努めたとか、
バクチが流行っていたので厳正に処分したとか色々と面白い話があって、
ここでそのエピソードを紹介しようと思っていたのですが、
旅日記の方とあわせて本シリーズが遅々として進まずヤバいことになっているので、
今回はカットします。

ただ、城に関する話はまだいくつかあるのでこの後紹介しますが、
さっそく 「将軍たちの宝(31)」 の続きに戻りますと、
大手町ファーストスクエアのあたりに「御評定所」や「伝奏屋敷」がありましたね。
これの始まりについての話が『落穂集』にあります。

慶長5年(1600)の関ヶ原以前には伝奏の公家衆が江戸に来ることは
 ありませんでしたが、天下御一統ののちには伝奏が毎年行われることになったので、
 公家衆の接待所としてあらたに伝奏屋敷を作りました。

 それまでは老中方の寄合には老中の自宅が使われていたんですが、ふだんは伝奏屋敷は
 使わないもんですから、老中の自宅での寄合はやめて伝奏屋敷がちょうどよい寄合所と
 なりました。伝奏屋敷での給仕やまかないは下奉行が務めていたのですが、老中の寄合の
 時には誰に給仕をさせるかという話になり、板倉勝重殿が


「吉原はどうですかな?遊女たちを何人でも差し出させましょうよ~」
 「おっ!それはいいですな」
「さすがは板倉殿じゃ。のう、皆の衆?」
 「異議な~し!!」

てことで、満場一致で可決。
 伝奏屋敷まで遊女が船でやって来る時には船の上をむしろで覆い、幕やすだれなどが
 掛けられて、そのうち屋形船というものも始まりました。

 伝奏屋敷は最初の頃は評定所としても使われていたんですが、評定所には傷を負った
 罪人などが連行されることもありましたので、場所が穢れます。その上、春に伝奏の
 公家衆がやって来ればここへ逗留されるので、その間は御評定をすることはできません。
 ちょっとそれでは何かと問題があるので、別に御評定所の普請がなされて町方のまかないも
 やめ、以後はお城から坊主衆が給仕役として務めることになったそうです。


板倉勝重は江戸町奉行や京都所司代の重職を務め、政治面で優れた才能を発揮して
初期の江戸幕府を支えた1人。
寛永寺シリーズでは、 天海とともに京に赴いて権現号の承認獲得をした り、
松姫(徳川和子)の入内と「およつ御寮人」事件の際 には
藤堂高虎と組んで朝廷と幕府の和解に尽力した姿を紹介してますが、
老中の集まりに遊女を呼ぼうって提案をするなんて、

「板倉、おぬしもやるのお~」

とツッコミを入れたくなるのはわたくしだけじゃないでしょう。
『落穂集』に登場する質問者もさすがに遊女の給仕には驚いたらしく、

 「ちょっと、ご老人。確かにその頃は何でも手軽に済まそうという雰囲気があったとは
  聞いてますけど、老中方も立ち合われる評定所に吉原の遊女なんぞがウロウロしてた
  なんてとても信じられません。それ、ガセじゃないんですか!?」


と問い詰めている。
それに対する大道寺重祐の答えは、

まあ、私なんかも寛永年間(1624-45)の生まれですから、それ以前の話を
 直接知ってる訳じゃないし、確信はありません。でも、あながちウソでもないだろうと
 思うのですよ。

 というのも、文禄年間(1593-96)に畿内で大地震がありましてな。この時は
 京の大仏の像なども崩れ、聚楽第も大破し、長押に押し潰されて御家人が亡くなったり、
 伏見や木幡・山城あたりの奥向の館でも500人ほども亡くなったという、大きな被害が
 出たということですが、多くの女中が亡くなったので代わりの女中を入れてほしいと
 年寄女中が秀吉公に申し上げたところ、秀吉公は


 「え~、そう言われても、下女クラスの女中だって急に大量採用するのは
  難しいしさ~・・・
  そうだ、おい(前田)玄以、六条嶋原の遊女たちを呼んでとりあえず使おうか。
  その間、おいおいに代わりの女中たちを集めたらどうだ?」


と仰せになったので、「近頃粋な御意見」と世間で称賛されることがあったそうでしてな。
 板倉殿が吉原の遊女たちを使うよう提案されたのも、この秀吉公の一件をかねてから
 聞いていて、それでこういう意見が出たんじゃないかと思っておるのですよ。


なら、秀吉のパクリか(笑)。
ま、アイデアはパクリでも吉原のきれいどころが
カタい席で老中の相手をしていた様子を思い浮かべると、役得だよな~とおかしくもなるし、
それがもとで屋形船のスタイルが出来上がったなんて話も面白い。



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最終更新日  2016年02月06日 21時57分35秒


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