戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年02月23日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
二の丸に入ったところまでを現在の図に描き込むと、


CIMG2882(補正) 二の丸-2


これを縄張図に対比させると


東山御物展・江戸城・構成図(二の丸全体)-3


こんな感じになるのかな。

二の丸の様相も大きく変わっていて、たとえば入ってすぐの道の舗装路わきは


東山御物展・江戸城・二の丸庭園へ3


現在の園内図で「二の丸雑木林」とある場所にあたるのがこの辺だと思いますが、
雑木林の中に二の丸御殿の表の3分の2近くと、大奥の一部がおさまる。

多いでしょうが、二の丸や西の丸にも大奥はあったんですよ。

二の丸は一般的には将軍世嗣が入ったように解釈されているかもしれないけど、
居住者の顔ぶれはなかなかバリエーションに富んでいて、
世嗣のほか、大御所となった前将軍だの、将軍生母だのが住んだりもしている。
天璋院篤姫も一時ここに住んだ。

明暦の大火(1657)では二の丸御殿も焼失し、『江戸幕府大事典』には

 【万治3年(1660)、防火のためか二丸御殿の屋根が瓦葺きになった。】

とあるので、それまでの御殿の屋根が板葺だか檜皮葺だかこけら葺かはわからないけど、
瓦葺でなかったという点は興味深い。

新しく高貴な方を迎えるたびに御殿が修築されたり、
幾度かの火災で焼失しては再建が繰り返されたりした二の丸御殿だったが、


『鹿鳴館秘蔵写真帖』には焼失した御殿跡に大きな礎石がむき出しになった
二の丸の荒涼とした光景が写し出されている。
まだこの頃にはいくつかの建物が残っていたようなんだけど、
現地でもらったリーフレットによると、二の丸雑木林のスタートは

 【昭和天皇の御発意により、都市近郊で失われていく雑木林を復元しようと昭和58年から

  平成14年に拡張された新雑木林には流れもつくられました。】

というものだそうで、二の丸御殿の礎石や各種遺構が雑木林の中に
どの程度残っているのか気になるところでもある。


雑木林の中にはうねうねと遊歩道も通されているものの、
この時は奥の庭園の方を目指して進んでいきました。


東山御物展・江戸城・二の丸庭園


 【二の丸庭園

  江戸時代、二の丸には小堀遠州が造り、三代将軍徳川家光の命で改修されたと伝えられる
  庭園がありましたが、長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃して
  いました。現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当たり、
  九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。】
  (現地解説板より)

最初の二の丸の縄張はこれまた藤堂高虎によるものとされるが、
二の丸の最初の御殿は小堀遠州によるものだという。
御殿は幾度かの再建を経ているので、時代ごとにそれなりの違いはあるようだけど、
手持ちのいくつかの絵図では二の丸の奥部、三の丸に近い方は
ぽっかり空いていたり庭園が描かれていたりするので、
おおむね庭園として利用されていたらしい。


東山御物展・江戸城・二の丸庭園3


この奥にあるのが、二の丸池。


東山御物展・江戸城・二の丸庭園4


結構広いッス。
どこの城も中心的存在の郭にはめいっぱい敷地を使って
パッツパツに御殿が建てられているのが常で、
日本国の政庁である江戸城の本丸も例外ではありませんが、
それに比べると広い庭園を擁する二の丸はゆったりと優雅なもんで、池の端には


東山御物展・江戸城・二の丸庭園5



東山御物展・江戸城・二の丸庭園6


この二の丸池にはアサザ・コウホネ・ヒメコウホネ・ヒツジグサの4種の
水生植物が花を咲かせるそうで、これはアサザかな。
現地の解説板によると、アサザは赤坂の御用池から株を移したものだそうな。

こちらが池の奥側から本丸方面を撮った写真で↓


東山御物展・江戸城・二の丸庭園8


大ざっぱに言って、真ん中に写っている高い木の向こう側が御殿の敷地。
真ん中の高い木の両脇に広がっている低い木が雑木林だから、
低い木の群れを御殿建築に置き換えてご覧ください。

ここから池伝いに少し進むと、池の真ん中に通した園路があり↓


東山御物展・江戸城・二の丸庭園9


その先は石を配して往時を思わせるような造りとなっている↓。


東山御物展・江戸城・二の丸庭園10



池を一周して本丸方面へ向かって歩き出すと、建物が見えてくる↓。


東山御物展・江戸城・諏訪の茶屋


ちょうどこの辺りで、例によってまた短い動画を撮ってきました。
30秒ほどの短いものですが、広いところは動画に限るぜ。




気候もちょうどいい時期だし、天気はいいし、アサザは見ごろだし、
それになにより都心のど真ん中とは思えない静かでリッチな空間。
本丸の方と比べたら、この時は人もそう多くはなかったですが、
皆様ベンチで憩ったりアサザを熱心に撮ったりと思い思いに
優雅な庭園でのひとときを過ごされておりました。


さて、二の丸庭園に別れを告げてルートの先にある建物へ。


東山御物展・江戸城・諏訪の茶屋3


 【諏訪の茶屋

  諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区(現在御所等のある一帯)にありました。
  この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観を
  もっているため、皇居東御苑の整備に当たりここに移されました。】
  (現地解説板より)

リーフレットによると、吹上でご休所として使われていた茶屋だとある。
茶屋っつっても、相当デカいけどね。

ところでMapfanで諏訪の茶屋のある場所は ここ ですが、
茶屋から西にかけての一帯は二の丸の大奥があった場所で、
現在の園路で茶屋から先しばらくの間は「都道府県の木」が植えられている。

茶屋から都道府県の木が建っているあたりがちょうど二の丸大奥の長局(ながつぼね)の
あった場所で、大奥についてはこの先の本丸のところで少しまとめて書こうと思ってますが、
奥勤めの御殿女中はみな住み込みだったので、その奥女中たちが住んだ
プライベート空間が長局。
城内で女中は長屋住まいをしていた訳です。

現在ではそこが長局だったことを示す案内板などはなにもなく、
代わりに都道府県の木とどこどこの県のナントカという木という標識しかありませんが、
木々の奥には江戸城二の丸の遺構がちらほら見える↓。


東山御物展・江戸城・二の丸天神堀側土塁


この記事の一番上の園内図で、諏訪の茶屋および都道府県の木は
天神濠(堀)にほど近い場所に描かれていますが、その天神濠沿いには
かつて「北多聞」が建っており、上の写真は多聞へ上がる石段だと思われます。

あ~、あれに近寄りた~い、あの石段を登りた~いと
通路からいじましく眺めておりましたが、
ここも皇居の一角で皇宮警察のパトロール隊は頻繁に城内を周回しておるので、
ずかずかと園地に入るのはさすがに控えました

で、長局跡を抜けて本丸方面へ向かう。

CIMG2882(補正) 二の丸 梅林坂へ


上の図で矢印の先っぽの手前あたりから撮ったのがこの写真で↓


東山御物展・江戸城・二の丸門手前


これが本丸と二の丸を隔てる石垣で、石垣の上には「汐見多聞」が載っていた。
この石垣の下にはかつて東照宮があったそうで、 「上野第二編(67)」 で書いた
城内の東照宮の変遷のうち、本丸に勧請されたものを二の丸に移したその場所というのが
この付近らしい(ただし、移した当時はまだ「東照社」)。
ま、そのことは現地から戻ってから知ったので、
実際に東照宮があったのは撮影地点よりもう少し戻ったあたりなのかもしれない。

にしても、 紅葉山には元和4年(1618)にすでに東照社ができてる んだから、
いつでも手軽に参拝できるように本丸に小さな社を分祀するのはまだいいとして、
それをわざわざ二の丸に移す必要性が感じられんのだが
二の丸に降りてくるなら、紅葉山へ行くのだってたいして変わんなくね?
って思っちゃうんだけどね。

この付近にあった東照宮が紅葉山へ統合されたのは、承応3年(1654)。
撤去された二の丸東照宮の社殿は多少の変遷を経て、
なんと今でも別の場所に現存している。



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最終更新日  2016年02月23日 23時29分26秒


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