戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2016年02月28日
XML
カテゴリ: 城(東北・関東)
汐見多聞下の石垣の石は、はつってるし↓


東山御物展・江戸城・本丸石垣3



矢穴の石もある↓。


東山御物展・江戸城・本丸石垣4


奥までくると石垣の上は一段高くなっていて、櫓があったことがわかる↓。
出っ張りの上に載っていたのが、「汐見太鼓櫓」。


東山御物展・江戸城・本丸石垣5


太鼓櫓というからきっと太鼓があったんでしょうけど、三重櫓だったらしい。
安政6年(1859)に火災で焼失したあと再建されたらしいが、

以後は再建されなかった、とな。

それで、この石垣が切れるあたりの構造が複雑で、
現地にあった現在の園内図や縄張図では対応しきれんのですが、
まず上の写真に写っている石垣の先端を回り込んだところは


東山御物展・江戸城・梅林坂前・二の丸喰違門


ぽこんと突き出た低い石垣の上に何かの建造物が載っていたことを思わせる。
ここの算木は完成形だから、もうイエアス時代の石垣じゃないみたいだな。
この低い石垣の石は少し赤くなっている部分があって

東山御物展・江戸城・梅林坂前・二の丸喰違門2


これも火災の記憶なのだろうか。


その代わり、道を挟んだ斜め向かいにはこういう低い石垣があって↓


東山御物展・江戸城・梅林坂前・二の丸喰違門3


本丸側のぽこんと突き出た低い石垣は、上の写真の二の丸側にある石垣と連結して
「二の丸喰違門」を形成していた(下の縄張図の赤丸の部分)。


東山御物展・江戸城・構成図(二の丸全体)-平河門まで





こちらは裏門みたいな存在だろうか。
けど、二の丸を守るのはこの門だけじゃない。
で、まだ本丸へは上がらず、ここは一旦縄張図の矢印の方向へ進みます。

二の丸喰違門を過ぎると、道はなだらかなカーブを描いてその先に門の石垣が現れる↓。


東山御物展・江戸城・下梅林門へ



東山御物展・江戸城・下梅林門


見てすぐにおわかりでしょうが、ここに渡櫓門の「下梅林門」があった。
道の脇の奥の方には土塁も見える↓。

東山御物展・江戸城・下梅林門2



下梅林門跡には、門の礎石も残されている↓。


東山御物展・江戸城・下梅林門5



東山御物展・江戸城・下梅林門4



東山御物展・江戸城・下梅林門3


渡櫓門だから防御力が最強を誇るのは当然のことで、
石垣のサイズから巨大な門だったことはシロート目にも明らかだけど、
礎石に残る「ほぞ穴」がずいぶんと立派なことからも、
この門が堅固にできていたであろうことは想像がつく。

下梅林門を過ぎてすぐの右手には、二の丸と三の丸を分ける天神堀が流れている↓。


東山御物展・江戸城・下梅林門から天神堀


写真の正面に見えている石垣の上にはかつて「北多聞」が載っており、
その向こうに二の丸大奥の長局があった(前回参照)。
縄張図にあるように、かつての天神堀は二の丸の北側から東側にかけて
ぐるりと二の丸を取り巻いていたものが、今ではほとんどが埋立てられて
宮内庁や皇宮警察御用達の敷地に様変わりしている ので、
現存するのは二の丸北側のこの付近のみ。

それにしても、ずいぶん石の間から草が飛び出ているなあ。
か細い雑草がコンクリを突き破って道路に生えているのを見るたび、
植物の生命力ってすごいもんだな~と思うけど、
石垣ってのはマメに手入れしないとこんな風に草が繁茂して、
最終的には石垣を崩してしまうのかもしれない。
早めに処理しておいた方がよくないですか?宮内庁さん。

ところで、下「梅林」門と「天神」堀、
この2つの「」のキーワードで「あれ?」と思った方がおられるでしょうか。
「(4)」 の徳川江戸城初期の城内にあった2つの社のエピソードで、
山王社と天神社が梅林の中にあった話を書きましたが、
太田道灌時代に勧請されたという天神社、および梅林はこの付近にあったとされ、
そこから上下の「梅林門」と「天神堀」という名が付いたそうです。
つまり、この付近は太田時代から城内に組み込まれていたようですね。
最も古い、江戸氏の時代はどうだかわからないけどね。


下梅林門を過ぎると道はすぐ右に折れて、少し規模の小さい門がある↓。


東山御物展・江戸城・下梅林門先小門


さすがに外郭に近い場所だけあって、二の丸喰違門からこっち
この辺もかなり複雑な造りとなっておりますが、
地形としては現在の園内図の方が見やすいかもしれないな。


CIMG2882(補正) 平河門内防御体制-2


ピンクのラインがかつての門の位置で、
二の丸から来たわたくしはマル1→マル3へと進み、上の写真はマル4の場所。
ここは出枡形になっていて、マル4が一の門でマル3の下梅林門と枡形を構成するのかと
思ったら、下梅林門は正確にはマル2の上梅林門と対になるらしい。

まあ、そうはいってもマル4もちゃんと門があって下梅林門と連携して
虎口を形成しているのだから、マル3とマル4で第一の虎口、
マル3とマル2で第二の虎口ということになって、
大手から二の丸へ入る時のように2連チャンで虎口を突破せねばならないことに
変わりはないのだろう。

ちなみに、マル4の正式な名称がわからないので、
ここでは仮に出枡門としておきます。
たぶん、下梅林門の一の門でいいだろうと思うんだけど、
上下の梅林門がセットだと言われてしまうと、ちと一の門とは呼びにくいので

なんでこんな厳重な造りになってるのかとゆーと、
この先に外郭に抜ける平川門と竹橋門があるからで、
かつ下梅林門の内側は本丸と二の丸の両方へ行かれるからに他ならない。

出枡門の石垣にも礎石が残っている↓。


東山御物展・江戸城・下梅林門先小門2



東山御物展・江戸城・下梅林門先小門3



東山御物展・江戸城・下梅林門先小門4



出枡門を抜けたところから見た天神堀↓。


東山御物展・江戸城・下梅林門先小門から天神堀


写真のちょうど真ん中へんの石垣が少し高くなってる部分には、
かつて櫓があった。

往時よりかなり堀が縮められたとはいえ、現在の天神堀もそれなりの長さは残っていますが、
二の丸側からは都道府県の木が植わってる園地にずかずか入り込まなければならないし、
ここより少し先へ進むと旧三の丸で現在は一般侵入禁止の宮内庁エリアなので、
天神堀を眺められるスポットというのは限られている。

現在では出枡門を出た先はフツーの通路になっているけど、
かつては門の前は木橋だった。
その木橋の場所に立って、天神堀と反対側を見ると


東山御物展・江戸城・下梅林門先小門から平川堀


橋を境に、こちらの堀は「平川堀」と名を変える。
平川堀に沿ってぐ~るりと道を回り込んで出枡門のあたりを見ると


東山御物展・江戸城・平川門付近水戸違い


何だ、アレ?
帰ってから調べてみると、これは「水戸違い」というそうで、
高低差のある場所で水位を調節する仕組みらしい。

・・・?
てことは、出枡門の手前は木橋じゃなかったのか?
それとも、元は木橋だったのを後からこういうスタイルに変えたのかもしれない。

本ルートの内郭最終地点にあるのがこちら↓。


東山御物展・江戸城・平川門



東山御物展・江戸城・平川門2


これが平川門で、別名を「不浄門」という。
不浄の名の通り、この門を通って罪人や死者が外へ送り出された。
元禄赤穂事件の発端となった浅野長矩もここから出されて、別の場所で切腹した。

ただし、清く生きてる人間もここを通った。
ここから下梅林門→上梅林門と上がっていくとそこはすぐ大奥だったので、
御殿女中もこの門を使った。
ゆえに、「御局御門」という名もあわせ持つ。


にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年02月28日 23時53分40秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: