戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年03月01日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
平川門を出たところもなかなかテンション上がる遺構があるようだけど、

てことで、平川門の手前でターンしていよいよの本丸を目指すのですが、


東山御物展・江戸城・平川門前から小門


これが前回の出枡門を外側から見たところで、
二の丸喰違門の手前までは来たのと同じ道を通っていく訳だし、
ここまでは断片的に写真を撮ってきたので、
今度は動画を撮りながら本丸へ上がっていくことにしました。

動画はこの後ももう1本ありますが、動画編集ソフトを持っていないわたくしは

この撮影時点で人の顔をぼかす機能があるかどうかを把握してなかったので、
とりあえず他人の顔が入らないようにカメラの角度を下げたりしていて、
ところどころ

「ジジイ、どこ撮ってんじゃい!!」

て映像になってますが、人様の肖像権に配慮した結果ですので御容赦ください。
あと、人がいない所でもぼかし効果が入って多少見苦しい映像になってる箇所もございます。
こちらもあわせて御了承ください。
出枡門から本丸大奥の裏手まで4分ほどの映像です。




さて、こちらが江戸城本丸の縄張図↓。


東山御物展・江戸城・構成図(本丸)



太田氏の江戸城もこの本丸域にあったものと推測されている。

動画の最終地点は天守台の少し手前の場所で、
進行方向の左手には大奥の建物が広がっていた。
縄張図にもあるように、本丸域には御殿がパッツパツに建っており、
その半分近くを大奥が占める。


大奥といえばドラマなどでも格好の題材で、某民放局では演者を変え設定を変えて
大奥シリーズが放映されて人気を集めておるようですが、
妖しく淫らな愛と権力の渦巻く女ばかりの園・・・
なんて側面で捉えた大奥なんてのがもちろんわたくしの眼中にあるハズもなく、
ここではもそっと真面目な、つかここでフツーに生活していた女性たちがいた、
ぐらいな感覚で大奥を紹介していく予定です。

まあ、大奥の実態についてはあまりわかっていないことも多いようだし、
何でもかんでも詰め込むとそれだけでゆうに1冊の本になっちゃうので、
多少内容を絞り込みながらおおまかなところをまとめておこうという程度ですが。


まずは、大奥の成り立ちから。

武家の屋敷には、上は将軍から下は旗本まで「表」と「奥」があり、
表向は対外的・公的な場で、私的な空間である奥向には家族たちが住んでいた。
奥の主人は当然その家のファーストレディー、つまり夫人(妻)であり、
そこから夫人のことを「奥様」と呼ぶようになったそうな。

戦国期にも表と奥はあったけど、江戸期ほど表と奥の区別は明確じゃない。
まだイエアスが今川氏から独立して織田氏との同盟関係にあった頃、
イエアスの長男・信康の侍女に酒井忠次が惚れて、五徳(信長の娘)に頼んで
念願の女性を手に入れたなんて話もある。
ま、忠次の話がホントかどうかはわからないものの、
イエアスの側室たちが持つエピソードを思い返してみても、
お梶や阿茶の局などイエアスが篤い信頼を寄せた女性たちはそれぞれ表向、
もしくは中奥に出て男性の家臣たちと同席する機会がたびたびあったことをうかがわせる。

徳川氏が江戸に入府して幕府を開いたあとも、 老中の寄合に吉原の遊女を呼んだ り、
老中たちが城外の橋の上で月見の宴会をする など当初はまだ自由な雰囲気が残っていた。


関ヶ原で勝利したイエアスは諸大名のカネで江戸城の大リフォームを行い、
天守も大奥もこの時できた。
将軍職はリフォーム期間中にすでに秀忠に譲られていた。

大奥に対して抱くイメージは人それぞれでしょうが、
山本博文氏はこんな風に言っておられる。

 【大奥は、原則として将軍以外の男子禁制の社会である。しかし、将軍のハーレム(後宮)
  という見方は、あまり正しくない。大奥は、将軍とその正室である御台所の生活を支える
  役所だった。】
  (『図説 大奥の世界』河出書房新社より)

大奥の基本は、将軍夫妻の生活の場。
大奥が役所だったというと意外に思う方もおられるかもしれませんが、
天下人たる徳川本家の当主夫妻であれば立派な公人で、
ゆえにプライベートな空間でありながら公的な機関でもあった。

そういう役所にふさわしい制度を最初に整えたのが秀忠で、
元和4年(1618)に「壁書」を発し、ついで元和9年(1623)に
「大奥法度」を定めている。

まずは

 1、大奥への男子の出入り禁止
 2、通行証なく御殿女中が城門を出入りすることの禁止
 3、夕方6時以降の門の出入りの禁止
 4、女の駆け込みの禁止
 5、奥向については天野孫兵衛・成瀬喜右衛門・松田六郎左衛門が昼夜交代で勤務し、
  すべてこの3人の裁量に従うこと

という内容で、それまでは多かれ少なかれこれと逆の現象が起こっていたであろうことを
思わせる。

真偽のほどは不明なるも、3代将軍となる家光がごく若い頃、
大奥に忍びこんで母・お江の侍女をはらませてしまったというエピソードなどもある。
(この話のてんまつは、家光の小姓が身代わりとなって捕縛され、
あわれ小姓もお江の侍女も処刑されたというもの。)

で、元和9年の法度が1、2、4、5(ただ、奉行の顔ぶれは変わっている)に加えて

 6、夕方6時以降は、通行証を持っていても出入りを禁ず
 7、僧侶・神官が大奥に入る際は奉行の許可を得てその指示にしたがうこと
 8、大奥への往診は曲直瀬道三ら3人の医師に限る
 9、諸大名の使者は奉行の許可を得てその指示にしたがうこと
 10、商人は後藤源左衛門・幸阿弥の2人に限定し、それ以外の者を呼ぶ際は
    奉行の許可を得ること
 11、奥向の御用はすべて3老女がはからい、奉行はこれをサポートすること

という風にさらに進化した内容となっていて、3と6は同じではあるけれど
たとえ通行証を持っていても時間を過ぎたら一切通行を認めないとなっていて、
他の1・2・4・5も語調を強めた言い回しになっている。
ので、第1段の禁制だけではイマイチ効き目がなかったのかもしれない。

こうして秀忠は大奥の基礎を整え、その後将軍の乳母として幅をきかせた
お福(春日局)がより進化させ、幕府の方からも幾度か制度の改定などもあり、
のちには奥勤めの女中に奥向のことは一切他言しないという誓詞を取るようになる。

明治に入ると奥向のことを語る御殿女中も現れたが、
それはごく一部の、しかも身分の高くない女中ばかりだったので
職務上彼女らが語る大奥は全体のわずかな側面であり、
信頼性という点ではイマイチだという評価がされている。
身分の高い女中は大奥が崩壊しても律義に誓約を守ってべらべらしゃべることは
しなかったので、詳しい大奥の全貌がわかっていないのは
他言無用の掟が大きな要因になっているものと思われる。


して、大奥といえば将軍や将軍の子供達以外は男子禁制だというのが
一般的な認識だろうと思いますが、秀忠の取り決めの中に「奉行」が出てきますね。
実は大奥の支配体制というのは複数あって、ちょっと複雑なのだ。

先に書いたように、大奥というのはひとつの役所で、
ゆえにそこに勤める御殿女中たちは役人。
大奥に住む女性の中には役人でない女中もいるけど、
大奥の運営に携わって役職を持つ女中たちは役人。

その役所を統括するのが、留守居役という男性役人。
留守居役は老中の支配下にあり、留守居役の下にはこれまた男性で構成された
奥向の管理に携わる役人たちのシステムがある。

もともと留守居役は、その名の通り将軍不在の間江戸城を守るのが役職で、
その役目柄臨時の役職だったのが常設となり、職務内容も多岐にわたり、
大奥の管理や儀礼などにも関わるようになった。

ただ、管理者だからといって大奥のどこでも好きに行けた訳じゃない。
本丸御殿は表・中奥・大奥の3つに分けられ、
このうち表と中奥はひとつながりの御殿だったが、
大奥は別建ての建物で表・中奥との間には厳重な銅の壁の仕切りがあった。

大奥の建物も御殿向・長局向・広敷向の3つに分けられ、
御殿向は御台所や子女の住まいで大奥内での「表」みたいなもの。
長局向は前々回も出てきましたが、御殿女中たちの住居。
最後の広敷向(ひろしきむき)が男性役人の詰める場所で、
まあ事務局みたいなカンジ?

将軍が大奥に入る時は、中奥と大奥をつなぐ「御鈴廊下」を通っていくことは
皆様も御存知のことと思いますが、広敷向勤めの役人たちは御鈴廊下を渡るのではなく、
専用の入口があった。
御鈴廊下から入る入口が表玄関なら、広敷役人たちが使う入口はお勝手口みたいなもんで、
奥勤めの男性役人は勝手口から入ってその付近にある限られた空間でのみ
行動が許される。
行事の時などは一部例外もあるけど、ここでは基本的な話をしています。

第2の管理システムは、大奥の女主人である御台所を頂点とするもの。
そして第3が実務的な面での支配体制で、これは女性役人で構成される。
その頂点に立つのがドラマなどでもおなじみの「老女」。
もちろん、ババアという意味じゃなく役職名です。
よくドラマなどで「大奥総取締役」というのが出てきますが、
これは正式な役職ではないらしい。

大ざっぱなシステムはこんなとこですが、時代による差はあるものの、
次第に細かなシステムが出来上がり、規模も大きくなっていったものと思われます。

それと、大奥という名称は将軍家専用のもので、
中奥に対しての大奥ということらしい。
表・奥の区別がある諸大名や旗本の場合は大奥とはいわず、
あくまで「奥向」だった。
御家人の家には表と奥の区別がないので御家人の家の女主人は「奥様」といわず、
「御新造様」と呼んだそうな。



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最終更新日  2016年03月01日 23時29分21秒


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