戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年03月28日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
しばらく奥医師の話が続きましたが、大奥とも関連のある役職だったためで、
まだ大奥の話は終わってはおりませぬ。

今回はタイトル通りの内容で、大奥といえば数多くの女性たちが密集して住んでいた場所。
ここまで見てきたように、大奥ではその身分と役職に従って
厳格なきまりとそれぞれの職務があり、女性の最高機関としての対外的な役目も果たす
お役所だった。
ので、世間からよく好奇の目で見られるような愛と淫欲の世界が大奥のすべてじゃない。

とはいえ、身分が低くても運と才知の上に見た目が良ければ側室として・・・
あわよくば将軍生母という破格の大出世を果たすこともできる。


地道に女性官僚コースを歩むにしても周りは女性ばかりだから
体面(or ライバル意識)もあるし、上を目指せば目指すほど個人の自由はなくなる。
出世すればしたで一生奉公の生涯独身路線も堅くなっていくし、
世間でよく大奥の女性は「結婚を諦めたがゆえに性的ストレスが溜まっていた」なんて
言われるけど、大なり小なりそういう面もあったかもしれない。

「(23)」 の最後で水戸斉昭の復権工作を紹介しましたが、
あの中に出てきた上臈御年寄の姉小路は水野忠邦による「天保の改革」の時代の人で、
一般的に上臈御年寄は大奥そのものの経営にはタッチせず、
実権を持たなかったと言われるのに姉小路は強大な権力を発動したとされる。

たぶん、水戸斉昭が謹慎となる以前の話だと思うけど、
斉昭が姉小路を水戸家に招待しようとしたことがあったそうな。

3番目だったものの、尾張・紀伊には参勤交代が課せられていたのに対し、
水戸家は「定府」(じょうふ)・・・つまり参勤交代はせずに、江戸にあって
必要な時だけ幕府の許可を得て帰藩するという定めがあったために
俗に「天下の副将軍」といわれるようになったという家柄。
(ただし、水戸家が定府となったいきさつについては正確なところはわかっていない)


「多忙につき」というのがその理由だったというが、ホントに多忙だったとしても
御三家の招きをあっさり断るなんてちょっと考えられない。

そういう彼女だから、水野忠邦が大奥に経費削減を求めた時にも当然反論した。

「大奥は男のいない女だけの世界。
異常でしょ?
これって異常でしょ?

そういう異常な世界で、女たちは男との付き合いを諦めて
じっと奉公しているのです。
こうなったら美食や娯楽、オサレでゼイタクして鬱憤を晴らすしか
ないじゃあ~りませんか~。
それのどこが悪いのです?
ねえ、どこが悪いとおっしゃるのですか!?」


忠邦はぐうの音も出なかった、とされる。

『図説 大奥の世界』(山本博文編著/河出書房新社)は
『千代田之大奥』(揚州周延筆)をはじめとするビジュアル史料満載の大奥入門書で、
揚州周延の描く美しい大奥女性の絵や現存する衣裳・化粧道具の写真も載っている。

毎日女装して出勤するわたくしとしては、世の女性同様
御台ちゃまや奥女中たちがどんな装いをしていたのかが気になるところなので、
化粧関係の本をいくつか読んでみました。


え~とまず、素材の方から。
江戸期の美人画を見ると、誰もかれもが目は細くキューッとつり上がって
鼻もアゴもキューッと細く、口はちょぼん。
ぶっちゃけわたくしの好みではないので、『江戸美人の化粧術』
(陶智子/講談社選書メチエ)に沢山載っている江戸美人を見たあとで
『源氏物語絵巻』の下ぶくれ平安美人を見た時、思わず

「なんてふっくらとしてかわいらしいんだ!!」

と感嘆の声を挙げましたが、平安期の主食は釜でやわらかく炊き上げた
姫飯(ひめいい)ではなく、「こしき」で蒸した硬い強飯(こわいい)。
おかずも野菜や肉・魚などを細かく刻んで生食していたので相当の咀嚼力を必要とし、
ために平安期は美男も美女も強靭なアゴゆえに下ぶくれだったという説がある。

動物というのは環境に応じて変化(適応)していくものなので、
硬いものを食べなくなった最近の若者は本来生えるべき歯のスペースが充分に確保できないほど
アゴが細くなっているとも言われるけど、それにしたって平安美人と江戸美人では
目の細さを除いてはこれが同じ人種か!?ってほどの違いがある。

トーハクの東洋館で各国の仏像の顔を見比べてみた時 に、
仏像もそれぞれの製造国の民族の顔をしているものなんだと初めて知りましたが、
たとえ優雅な生活の中でナマ野菜やナマ肉の硬いおかずをゴリゴリ食べていたにせよ、
日本のほとんどの仏像がふっくらと丸顔なように、
下ぶくれが日本人本来のスタンダードなんだと思う
(単一民族かどうかという話はここでは除く)。
かくいうわたくしも、平安時代に生まれていたらきっと美人と言われたであろう丸顔をしている。

江戸では美人が評判になるとブロマイドよろしく浮世絵が出され、
美人番付なども出てそれをもとに評判の美人を見に行くという現象も起こった。
しかし、陶智子氏によると、それらの美人画は必ずしも本人の姿を
忠実に反映したものではないらしい。
どころか、同じ絵師が描く同時期の複数の美人の顔はどれも同じだというのだ。
そこで陶氏が辿りついた結論は

 【浮世絵の中の美人は、「誰を描いたか」ということが重要なのではなく、「誰が描いたか」
  が問題なのである。たとえば、(笠森)お仙への興味、お仙の実際の容姿への関心よりも、
  「お仙を(鈴木)春信が描いた」ということの方が大切だったのだ。妍を競い合うはずの
  美人の顔が瓜二つ、ということの答えは、こんなふうに考えざるを得ない。】
  (『江戸美人の化粧術』より。カッコ内はジジイが追加)

ということで、美人画をそのまんま信用してはいけないらしいということが
陶氏の考察からわかる訳だけど、でもあれだけ目も鼻もアゴも手足も細い女性が
美人として描かれているからには、それが当時の美人の条件と思われていたとはいえるだろう。

浮世絵には色んなものが描かれる。
人間を描いたものでも、美しい(とされる)男女だけではなく、
時にはぎょっとするような顔の作りや表情をする人間が描かれることもある。

平安美人も優しいお顔の仏像も江戸美人も、共通するのは目の細さ。
現代ならくっきり二重のぱっちりお目々にみんな憧れるところだけど、
いわゆる美人画というものに二重まぶたのぱっちり美人は登場しない。

いや、陶氏によると描かれていない訳じゃない。
前掲書には氏の所有する数多くの浮世絵が掲載されていて、
二重まぶたのぱっちり女性も載っているんだけど、
その絵のタイトルは「七けんのんむすぶ縁日」だそうで、
「けんのん」は「剣呑」とも「険難」とも書く。

現代では一般的に使われなくなった言葉だけど、絵に描かれた7人の女性を見るに、
現代風にタイトルを付けるならば「こういう女には近づくな」とか
「アブない女たち」とかいう感じだろうか。
とにかく「よろしくない女」が7人描かれているものだとご想像ください。

で、具体的にどうよろしくないのかといえば、気が強すぎる女だとか
酒グセの悪い女だとか、現代人が読んで納得できるものもあるがそうでないものもある。
ぱっちりお目々の女は御殿女中風ないでたちをしていて、

ごほうこうはありがたい事にてぎやうぎをしつけ女の第一の事也。しかしいかほど
 かたくしてもゆだんしては心がゆるみつい心得ちがひが尽たがる也。これとても
 はたからみればどうもけんのんゝ

という詞書がついているのでいちおう内面を問題にしているようではあるけれど、
女の風貌は決して美人じゃないがふっくらした人の良さそうな顔をしている。

江戸期の『都風俗化粧伝』(佐山半七丸/平凡社)という化粧マニュアル本に
こういう項目がある。

○大きな目を細く見せる法

  目は顔の中央にあって顔の格好を引き立てる最も重要なパーツだから、凛として
  強いのがいい。といっても、あんまりデカいのも見苦しい。見苦しいから細く
  見せようとして目をすぼめたりすればいわゆる「やぶにらみ」になって、
  かえって目のクセを怪しくしてしまう人もいる。
  目というのは瞳を定めてものを見るのが本来の用い方だから、簡単に直せるものでも
  ないけど、次に述べる方法を常に心がければ自然と目をむいて瞠(みは)るようなことは
  治っていくだろう。

  さて、外出したり晴れの席に出る時などは「目八分」にして、自分の前八分を見下ろす
  ようにすること。目八分とは、立った時には自分の足元より1.8mほど先を見、
  座った時には自分の膝より0.9mほど先を見るようにすることをいう。
  こうすれば自然とまぶたは下がって目が細く見える。いつでもこれを心がければ、
  苦もなくできるようになるからね。まあ、この方法は大きな目を小さくする訳じゃ
  ないんだけど、自然と身につくたしなみでもある。最も慎まなければならないのは、
  目を大きく瞠ることだからくれぐれも気をつけるように。

  また、化粧の仕方で何とかできる場合もある。まぶたには白粉(おしろい)を濃く塗って、
  目の中にも入るぐらいに塗り込むと少し細く見えることもある。
  ただし、場合によってはかえって目が目立つこともあるので、その場合は
  いつも通りに化粧したあとで濡れた手ぬぐいでまぶたとまなじりを軽くぬぐい、
  生臙脂(しょうえんじ:紅のこと)をぬぐった箇所にごく薄くさすと、目の大きさが
  目立たなくなることもある。
  どちらでも、自分に合った化粧法を選んで細く見える目をゲットしようぜ


現代の若い子で、目のまわりぐるっとラインを引いてつけまつげして、
見るからに

「自前の目、相当小さいでしょ!?」

って子がいるけど、現代人からすると目を細く見せたいなんて願望、
ちょっと考えられないよな。

この次の項目には「小さな目を普通に見せる法」があるので、
大きすぎても小さすぎても悩みのタネではあったようなんだけど、
「大⇒小」「小⇒大」の項目に載ってる挿絵の目は、どちらも細い。

現代人に比べたら、おそらく当時の女性のほとんどは修正を必要としないほどの
日本人らしい細い目が多かったんじゃないかという気がするんだけど、
そもそもの感覚からして違うからな。
目の修正の次には眉毛と目の間の間隔に関する項目が続き、そこではずばり

生質(むまれつき)、眉毛と目の間のせまきは、いたって賤しく見にくきもの也。

と言っている。
目が大きければ必然的に眉毛との間隔は狭くなるし、
間が広い方がいいというのであればいわゆる「やぼったい目」がよろしいということになる。
もちろん、狭い場合の修正法も紹介されている。

陶氏によると、浮世絵でぱっちり二重の女性というのはホントに少ないそうで、
『都風俗化粧伝』の中の目の修正法に描かれた挿絵の目は二重、
「けんのんな女」として描かれた奉公ふうの女中も二重。

 【このように、好まれない状態に関する説明の挿絵に二重まぶたを描く、ということは、
  「二重まぶたはよくない例」という意味だとも考えられる。ならばこれは「大き過ぎる
  目の持ち主は二重まぶたであることが多かった」ということなのか。それとも、単に
  「二重まぶたは好まれなかった」ということなのだろうか。後者のような気がするのだが、
  残念ながら傍証がない。】
  (『江戸美人の化粧術』より)

いずれにせよ、通常「美人」としてぱっちりお目々が描かれなかったのであれば、
細くて眉毛との間隔が広い方が好まれたとは言えるだろう。


↓こーゆーのは完全NGだよな。

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最終更新日  2016年03月28日 22時22分37秒


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