戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年04月01日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
現代と同じく、江戸女性も朝は顔を洗う。
佐山半七丸は

毎朝湯をつかうに、至って熱き湯にて顔を洗えば、顔にはやく皴(しわ)を生ず。

と現代と同じような注意をしている。

顔を洗う時は「糠(ぬか)袋」というのを使う。
糠はお米の糠で、これを手の平サイズぐらいの袋に詰めたものだったらしいが、
『都風俗化粧伝』の註釈には

 【成分中、特にタンパク質を11~17%、脂肪を15~20%も含んでいるので、
  皮膚のためには天然のクリームの役をはたしていた、といえる。】


とある。
そういえば、現代でも米ぬかシリーズなる基礎化粧品が出てたっけ。

糠袋は別名「もみじ袋」ともいったらしいが、何といってもコメ由来なもので、
中に入れる糠は絹でよくふるっておかないと
米が混ざってたりなんかして皮膚を傷めることがある。
また、強くこすりつけると肌を傷めるからそっと回して使うようにすること。
そうすれば袋から糠汁がよく出てきめも整い、顔につやが出る。
脂っぽい人は糠袋の中に「あらい粉」「あぶら落とし薬」を混ぜると、顔の脂がよく落ちる。

して、使い終わったら顔や生え際についた糠をよく落とすことはもちろん、
袋の方も裏表、縫い目に至るまでよく糠を落としておくこと。

酸化した糠が肌を刺激して肌荒れを起こしてしまうんだそうな。

江戸では素材の美しさを大事にしたようで、かなり以前に読んだ本に
後姿で目につくかかとを綺麗に保つのが江戸美人の心意気だったみたいなことが
書いてあったけど、顔は現代と同じく白くきめの整った肌があこがれだったらしく、
綺麗な白い肌をゲットするための方法が色々紹介されている。

ここでは「色を白くし、顔の光沢(つや)を出だし、皴をのし、一生年寄て見えざる手術の法」
という、これまた行政指導が入りそうなタイトルが付けられている秘術を紹介しましょう。


  なってるだろ?そしたらまず額をよ~く撫でこすり、次に両の小鼻、頬、口の周りと
  順々に自分の顔かたちに沿って何十回もよく撫でる。それから両のまぶた、
  次に耳の両脇から耳をよ~く撫でろ。これを毎日続けてりゃ、顔の血めぐりがよくなり、
  色は白くつやが出てシワはできねえし、おできができることもねえし、目も耳もはっきり
  サワヤカになるんだ。これを5年続けてみな。顔の色・形は少女のようになり、ババアも
  若返るオドロキの効果があるんだぜ。しかも金もかからねえし、簡単にできる割には
  効果絶大という、実に驚くべき神妙の方法なんだ。


最後の方はこれもまたちょっと大げさな気もするけど、要するに温感マッサージだよな。
『都風俗化粧伝』にはホントかよ!?って爆笑モンの方法も多く載ってるんだけど、
その一方で現代と同じ認識に基づく美容法が紹介されてもいるので、なかなか面白い。
シワの老け顔でお悩みの方は、上記のマッサージを5年続けてみてください。
ただし、効果がなかった場合のクレームは佐山半七丸あてにお願いします


顔を綺麗にしたら、今度は化粧水。
化粧水の使用がどこまで一般的だったのかはわからないけど、
半七丸は家庭での作り方を紹介している。

なんでも、ノイバラの花から作る薔薇化粧水のようなんだけど、
焼酎の製造に使われていた蒸留器具を使うものの、そういう器具がなくても
家庭にあるもので代用もできる。

まず、火鉢に水を入れたやかんをかける。
やかんの蓋は裏返しにして、そこに花を載せる。
大きな茶碗を伏せて、かぽっとやかんの上に載せる。
こうすると、やかんの湯が沸くにしたがってその蒸気がふたの上の花を蒸し、
花をふさいでいる茶碗の中を花の露がしたたり落ちるので、それを集めて化粧水とする。
図解では、やかんの上に伏せて置いた茶碗の上に、さらに水を入れた別の茶碗を
上に載せるようになってるんだけど、湯気で伏せた茶碗がぐらつかないようにする
重石の役目なのかもしれない。


さて、素材の準備が済んだらいよいよメイク。
まずはベースメイクで、白粉(おしろい)を顔に塗る。
白粉の歴史は

 【日本でも古代から顔を白くするために白土、殻粉、軽粉、鉛白、胡粉などが使われた。
  なかでも軽粉(塩化第一水銀)は古代中国で発明され、鉛白(塩基性炭酸鉛)は
  紀元前四世紀頃ギリシャではじめてつくられたという。】
  (『日本の化粧』ポーラ文化研究所より)

というものだそうで、鉛や水銀なんて身体に有毒なものを使うから
昔の人は中毒になり、特に子供などに悪影響があったと言われるけど、
現在でもファンデーションの原料は鉱物が使われてるしな。
いちおう、現代で使われている鉱物は身体に無害だとされているものの、
あと2~300年もすれば私達も後の時代の人間に「あ~あ、こんなもの使っちゃって」
なんて言われるのかもしれない。

鉛白が日本に伝わったのは持統天皇の時代で、奈良の元興寺の僧侶・観成が
自分の持ち帰った文献をもとに鉛から白粉を作り、持統天皇に献上したのだという。
ここにも仏教がからんでる訳だな。

水銀は京や堺でも産出されたらしいが、伊勢の丹生(にう)のものが良質で、
射和(いざわ)で軽粉に加工され、松坂で売られていたという。
それを伊勢神宮の御師がセールスに全国行脚した際におみやげとして配ったことにより
広く世に知られるようになったが、室町時代以前には薬として使われていたんだそうな。
ことに、梅毒の治療の唯一の特効薬として使われていたらしい。

もうひとつ知られていた水銀の効果に「堕胎」がある。
『大奥のおきて』によると、「八王子槍組千人同心」という下級武士は10年に1度
日光に火事警護のために1年間出張に出向くそうで、同心の女房たちは
亭主がいないスキにヘソクリをはたいてわざわざ高い伊勢白粉を買うんだそうな。
ただ、亭主がいない間にフンパツして高い化粧品でゼイタクするために買う訳ではなく、
水銀の持つ別の効果に期待を寄せて伊勢白粉を買うんだという・・・・・・・
ホントかどうかはわからないけどね。

鉛から作った白粉の方は16世紀頃から堺で製造が盛んになって、
のびもつきもよかったし、伊勢産などの水銀性高級白粉よりも安価だったので
江戸期の白粉としては鉛白粉がポピュラーだったという。
大奥で使われていたのは、高級な伊勢白粉の方。

白粉は水で溶いて使う。
歌舞伎の舞台裏を映す番組で役者が刷毛で白粉を塗りたくる化粧の場面があるけど、
まあ江戸期の女性のベースメイクも大体あんな感じだったのかな~と思っていたら、
生(き)白粉は鉛を酢で蒸したものを水にさらして固めたもので、
3種類に分かれると半七丸はいう。

すなわち、一番粒子が細かくて上等のものを生白粉といい、
その下のランクが舞台香(ぶたいこう)といって役者が使うもの、
一番低いレベルのものが「唐(とう)の土」といって値段も安くなるそうで、
もちろん往時の舞台香と現代の歌舞伎役者が使う白粉は成分が違うだろうけど、
3つのランクのうち下にさがるほど荒くて品質が下がるということのようだから、
当時の一般女性は今の歌舞伎の白化粧ほど厚いベタ塗りってカンジではなかったのかもな。

昔の白粉は今のものほど肌なじみは良くなかったようで、
普段あまり化粧をしなかったり、男性が何かの用で急に白粉を使うような時には
粉がふいてあんまり見てくれは良くなかったらしい。

白粉化粧を綺麗にするには、とにかく白粉をよく水に溶くこと。
少しずつ水を足してその都度よく指で水と白粉をなじませろと半七丸はアドバイスする。
あと、湯せんにしてもよく溶けたそうな。

よく溶かしたら指に少量を取って少しずつ丁寧に顔に伸ばす。
いちどきに顔の上に置いてそれを伸ばそうとすると、体温や風で乾いてしまって
綺麗に伸ばせなくなると注意しているから、結構乾きやすいものだったらしい。

顔全体に伸ばしたら、眉刷毛に水を少し含ませて軽く丁寧に何度も顔を刷く。
ここでしつこく眉刷毛を使っておかないと、粉が浮いてくるんだそうな。
眉刷毛で白粉をよく伸ばしたら少し風にあてて乾かし、今度は半紙などを顔にあてて
その上からまた水を含ませた眉刷毛で何度も顔を刷く。
こうすることで白粉が肌によく落ち付いてムラもなくなり、綺麗にツヤが出るという。

うん、なんとなく白粉を顔に載せた時の感覚がわかってくる気がするな。
なんか説明を読んでるだけで顔がカピカピしてくるような

白粉は顔だけじゃなく耳や首筋にも塗った。
もちろん、それぞれ丁寧にすりこまないと後がよろしくない。
首に塗る時は油をよくすりこんでおいてから顔より濃い目に白粉を塗る。
油を塗ることで白粉がよく伸びて持ちがよくなる。

鼻すじに白粉を濃く塗ると鼻がすっと通ってみえる(ハイライト効果)し、
顔と髪の境がはっきりしすぎてるとおかしいから、はえぎわはぼかすようにする。
色黒の人はフツーに白粉化粧をすると白粉の部分と地肌の部分の境目の色が違いすぎて
笑える事態になるから、白粉を塗る前にまず乾いた刷毛で粉白粉を
髪の生え際など境目になる部分によくこすりこんでおき、筆を使って粉白粉を
生え際に向かってはきこむように撫でつける。
その上から白粉を塗れば黒い地肌が目立たなくなって綺麗に仕上がる。
血色の悪い人は化粧したあとで紅や生臙脂などを少量手に取って肌色に近い色まで
トーンを落とし、顔に塗りつけてからまた白粉を刷毛で塗るとほんのりピンク色になる。

また、白粉の上から粉白粉を塗ると顔がやわらかく見えるとある。

などなど、基本的に白と赤と黒の3色しかない当時の化粧品において、
よりよく見せるさまざまなテクもあり、下地を作るだけでも
結構手間と時間がかかったようですが、一般に上方は厚塗りで、江戸は薄化粧だといわれる。
江戸っ子の今泉みねはこんなことを言っている。

 【そして何からなにまでさっぱりとして透きとおるような芸者といえば、みんなそのままに
  洗い上げたようなすっきりとした感じでございました。白粉でつくったようなものは
  一人だってありません。】
  (『名ごりの夢』より)

いやいや、どんなに白い素肌が自慢だったとしても、芸者がすっぴんのハズはない。
それでもみねの脳裏に焼き付いた江戸の芸者が洗い上げたような透き通る美しさを
持っていたのなら、それはよほど手間暇かけて何度も薄く白粉を塗り込んだんじゃないかと
わたくしは思うのですが、素材をよく手入れしてその素材を活かす薄化粧をするのが
江戸の粋、とも言えるのかもしれない。

芸者や遊女は江戸のファッションリーダーでもあったから、
世の女性たちもそれを真似たのかもしれないけど、一説には天保の改革頃の
ゼイタク禁止令によって白粉を厚く塗ることがはばかられたから薄化粧になったともいう。

ま、少なくとも幕末頃の江戸では薄化粧が一般的だったとはいえるだろうけど、
その一方で同じ江戸にあって厚化粧の集団がいた。
それが大奥の女性たちで、特異な空間である大奥では薄化粧は下品だとされて
高級な伊勢白粉をガンガン塗りたくっていたそうな。

ただ、薄化粧であれ厚化粧であれ、1日の終わりには化粧を落とさなければならないのは
現代と同じ。
その成分からして白粉はやはりお肌にいいものではなかったらしく、
白粉でかぶれたり、あるいは洗い残しがあった場合にはにきびができてしまったそうで、
にきびができたら顔の皮を少しむいてかんざしの耳でにきびの端をむぎゅっと押せば
にきびがぴゅっと出てきて治る、と半七丸は言っている。
そんな荒いやり方して、あとが残りそうな気がするのはわたくしだけでしょうか・・・


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最終更新日  2016年04月01日 23時00分17秒


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