戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年07月18日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
ツュンベリー:
  私が日本へ向かう時のことだ。
  1775年6月20日乗船、21日に大きな三層甲板船でバタビアを出港し、
  8月13日、長崎へ入港した。

  日本への航海はインド全域中で最も危険であると常に見なされており、
  オランダ東インド会社は日本向けの5隻の船のうち、少なくとも1隻は
  失われるとしている。
  現に、私の航海は船を日本の港に3~4ヶ月安全に停泊できる、最適にして唯一の季節と
  いわれながら、5回もの暴風雨に見舞われ、速度の遅い帆船ブライフェンブルグ号は
  沈没こそ免れたもののマカオで航行不能となり、広東で修復されることになった。
  積荷の大部分である粉砂糖はほとんど全部がだめになり、水夫たちの間には
  間歇熱が猛威をふるい続け、4回目の暴風雨ではついに乾いた衣服もなくなり、
  5回目の時に大波で船が強い衝撃を受けた際、甲板にいた私は端から端へと投げ飛ばされて
  右足にリンゴ大のこぶを作った。

  これで日本への航海がいかに困難で危険であるか、台湾を取り巻いている海が
  いかに荒れ狂い暴風雨に襲われるか、おわかりいただけよう。


りり:なんでみんな、海が荒れてる時に甲板に出るかな~。
   頭、おかしいんじゃないッスか?


ツ:・・・それが苦労してはるばる日本までやって来た人間に言う言葉か?
  私が観察した日本人は、気に入らないことがあってもその場では顔に出さない
  忍耐強い人物ばかりだったぞ。


り:すいませんね、顔に出て。
  もう江戸期とは違うんですよ。
  でも、江戸っ子なんかはケンカっ早いって言いますけどね~。
  わたくし、江戸っ子の血が入ってるもんで。

レフィスゾーン:
  ま、まあまあ、我々は日本人に対して忍耐することに慣れてるじゃないですか。
  ここまでの会話でりりが凶暴な性格だってことは十分にわかったから、
  昔取った杵柄で、ここはぐっとこらえて・・・ね?


ツ:ハア、死してなお日本人に忍耐を強いられるとは・・・

り:まあでも、海に放り出されなくてよかったじゃないですか。
  バタビアから日本への航海途上じゃ、 荒れてる海に飛び込んで 助けてくれる
  勇敢な日本人はそばにいませんからね。


ツ:ま、骨折しなかったのが不思議なくらいだとは思ったけどね。
  他にも海で苦労した人、いる?


ケンペル:そういえば、ドゥーフ君は本国へ向かう途中で遭難したと言っていたな。

ズーフ:
  私は私の半生を過ごした日本を出帆して、バタヴィアへ向かった。
  もし私が東インドに留まりたいと望んだら、もっとも利益のある地位が与えられただろうが、
  なにしろ21年祖国から離れていたので、私は帰国することを望み、
  祖国への航海に軍艦アドミラル・エーフェルツェン号を選んだ。

  1819年2月16日、私の乗った船は戦艦プリンス・ファン・オラニエ号、
  フリゲート艦マリア・レイヘルスベルヘン号とともにバタヴィアを出帆した。
  しかし前者は我々の先を航行し、後者は3月の末に視界から消えた。
  我々は絶えずスコールと高波に奮闘しなければならず、我々の主檣の船首材を失った。
  船は漏水し、我々は絶えずポンプで水をくみ出して、ようやく海上に浮かんでいた。

  3月30日、浸水はさらに増え、全員がポンプに配置された。私もすべての乗客と同様、
  4時間続けてポンプを押しては、4時間休息しなければならなかった。
  漏水個所を発見するため、あらゆる手を尽くし、ついに水が烈しい勢いで流れ込んでくる、
  2つの大きな穴を発見した。
  その他にもいくつか小さな穴があり、これだけでも我々の船を座礁させるに十分だった。
  高波と激しい風のため、もっとも大きな漏水個所をふさぐことができず、
  我々はまったく悲惨な状況だった。


申維翰:引き返すとか、近くに避難するとかの措置は取れなかったのか?

ズ:いや、その時もっとも近いモーリシャスはなお400マイル離れていたし、
  南東のモンスーンが待ち受けていたので、スンダ海峡、あるいはスマトラに引き返すのは
  非現実的だった。
  牽具の多くは損傷して帆走もできない状態だったが、その修理に乗組員を割くと
  1つ以上のポンプが止まり、沈没を早めることになるので、修理もできなかった。


金仁謙:にっちもさっちもいかないとはまさにこの事だな。

ズ:それで、風を避けて200マイル離れているディエゴ・ガルシア島を目指すことにした。

り:え~、註釈によるとディエゴ・ガルシア島はモルディブの南の英領シャゴス諸島の島、と。
  けど、ディエゴ・ガルシアなら英語じゃなく思いっきりスペイン系の名前だよな。
  もとスペイン領か、もしくはポルトガル領だったのかな?


レ:お前はヘンなとこに食いつくね。

り:疑問を持った時に調べておけば少しずつでも知識が広がるでしょ。
  え~と、ウィキペディアって名前の物知りのトモダチによると、

  【16世紀の初期にポルトガル人によって発見され、「ディエゴ・ガルシア島」と
  名付けられた。当時は無人であったが、その後18世紀にフランス人が入植して
  黒人奴隷を導入しココヤシ栽培とコプラ生産のプランテーションの経営を始めた。】

  ふん、やっぱりそうか。
  で、その後、イギリス人が強奪して、今はアメリカにレンタルしてると・・・
  うん?
  2014年のマレーシア機行方不明事件で、ディエゴ・ガルシアの米軍基地が
  注目を浴びてるそうな。残骸が見つかったとかいう報道もいくつかされてるけど、
  アメリカについての黒い噂も飛び交ってるみたいだな・・・
  ふ~ん、今じゃそんな話になってるのか・・・


ズ:・・・話、続けてもいいか?

り:あ~、はいはい、すいません。
  そこらへんの海で、みんなで必死こいて水をかき出してた訳ですね。


ズ:時々生命の危険を冒していくつかの漏水個所を止めようとしたが、すべて失敗に終わった。
  船を浮かせるために、大砲と火薬を若干、甲板から投げ捨てたが、漏水は減らなかった。
  それどころか、ポンプの1つが故障して、水は再び増加した。幸いにも、艦内には
  大変有能な鍛冶屋がいて、もっとも性能のよいポンプの1つが動かなくなると、修理した。
  軍艦ナッサウ号から我々が買い取ったこの2つのポンプがなかったら、我々はこの船を、
  これほど長い間海上に浮かべておくことはできなかったろう。

  そうして3月30日から4月8日まで、船はまだ沈没しそうな状態にあり、死は目前に
  迫っていた。我々の唯一の希望は、ディエゴ・ガルシア島だった。ここに人が住んでいるかは
  知らなかったが、ただ、ここに碇泊所があることは知っていた。
  我々が4月8日の朝、この小島を目の前に見た時の喜びと、神への感謝は
  どれほど大きかったことだろう。
  島の小さな湾の入り口に近づいた時、アメリカの旗を立てたブリック船が近づいてきて、
  その船長が我々の船に乗船したので、我々の喜びは、どれほど高まったことだろう。

  ブリック船ピッケリング号の船長ジェームズ・B・イーズは我々の状態に唖然とした。
  この船の名とその立派な船長の名は、私の記憶から去ることはないだろう。
  我々は、彼とこの船のおかげで救われたのだ。


申:生死の境をさまよったものの、助かってよかったではないか。

ズ:しかし、逆風が吹いていたので、沈没しかかった船では湾内に入ることができなかった。
  長い間待ち望んだ島に着きはしたものの、停泊することはできず、そのまま我々は
  完全に島から離れてしまい、日も暮れてきて、船員は気力を失った。
  ・・・こうなったらもう、我々全員を彼の小さな船に引き取ってくれるよう、
  アメリカ人の船長に願うしか道は残されていなかった。
  イーズ氏は、水が刻々と満ちてくる、我々の船の悲惨な状態を見て、さしあたり
  我々の船に留まる決心をしてくれた。これは我々を少なからず安心させた。
  さもなければ、乗組員たちは意気消沈して、我々は皆溺死しただろう。

  そして船の司令官、海軍少将バイスケスは作戦会議を開いて皆の意見を聞いた。
  こうしている間にも、船は風と潮流で次第に島から遠ざかっており、このままいけば
  モンスーンと潮流によってディエゴ・ガルシア島の北西の珊瑚礁で沈没する危険があった。
  そこでは船を保護するものは何もなく、船にいる340人は食料も得られない。
  熟慮の結果、船を捨ててピッケリング号へ移ることを決議した。


ケ:やむを得ない選択だな。
  そのブリック船の船長はディエゴ・ガルシア付近に住んでいたのか?


ズ:島には9人のヨーロッパ人と150人くらいのモーリシャスの黒人がいた。
  が、彼らは定住者ではなく、豊富なココナッツと魚から製品を作り、年2回、
  彼らの製品をモーリシャスに送っているだけだった。
  イーズ氏がディエゴ・ガルシアにいたのは、まるで我々を救出するために神から遣わされた
  奇跡のような偶然だった。

  ピッケリング号は3年前にアメリカを出帆し、アザラシの捕獲のために太平洋の小島に
  乗組員の一部を下ろし、しばらくしてからまた迎えに行く船で、迎えに行くまでの間は
  マダガスカルに航行して、モーリシャスに食料用の家畜を運搬していた。
  家畜の運搬には多くの水を必要とするが、マダガスカルは水がよくないし、
  モーリシャスでは高価なので、水質がよくしかもタダのディエゴ・ガルシアに
  水を得るために来ていたのだ。


レ:おお、神よ・・・

ズ:ピッケリング号には飲料水とココナッツが積まれていたが、これはディエゴ・ガルシアで
  豊富に得られるものなので、これらを海に投げ捨て、我々の収容場所を作った。 
  そうして4月9日の夜、沈みつつある船から退去を始めたんだが、
  アドミラル・エーフェルツェン号のように80門の大砲を備えた巨大な船が
  突然沈没する際には、小さなブリック船は海のうねりで共に飲み込まれる危険があるので、
  移動は慎重に行われた。
  午前1時、まず何人かの病気の乗組員と共に私が移動する命令を受けた。

ツ:なぜ健康な君が先に移動したんだ?


  これまでの驚愕と不安で、妻はすでに重病で憔悴していた。


り:ズーフさんには日本人妻と子もいたけど、彼らを国外に連れ出すことはできなかったんでね。
  この時一緒にいたのは、バタビアに戻ってから娶った奥さんです。


申:ああ、国禁があるからな。

り:臨月の新妻を、危険な航海に連れ出したことがまず私には理解できませんね。

ズ:・・・・・・

ツ:おさえて、おさえて

ズ:私は妻をできる限りハンモックで包んだ。
  この時のイーズ氏の人道的な援助を、私は決して忘れることはないだろう。
  その後ボートは何回も往復して、午前11時頃、すべての乗組員がブリック船に移った。
  すでに水は一番下の甲板まで達していた。
  ところが、船からかなり離れた頃、残した船から砲声が聞こえた。


ツ:なに、怪奇現象!?

ズ:直ちに点呼を行ったところ、砲手が1人足りなかった。
  彼は疲労のためか刺激性飲料を飲みすぎる習慣のためか、眠っていて忘れられたのだ。
  彼が目を覚ました時、沈んでいく船にただ1人震えていたが、大砲を撃つだけの
  知恵がまだあった。

金:ぶりっく船に当たらなくてよかったではないか

ズ:(無視)我々に選択の余地はなく、ふたたび沈没していく船に戻り、砲手を救い出した。
  その後島に向かって更に一晩航行したが、翌朝見捨てた船から黒煙があがるのを見て驚いた。
  恐らく、例の砲手が不注意に発射したため、船は水ではなく、火のために沈没したのだろう。


り:最初にちゃんと点呼しておけばこんなことにはならなかったのに。
  詰めが甘いよなあ。


ケ:茶化すなよ、アジア人たち。
  それで船は沈没し、緊急だったためロクなものも持ち出せなかったという訳だな。


ズ:私は日本滞在の19年間で収集した、日本の珍しい物、書類、その他多くの持ち物があった。
  しかし、このような状況だったのでそれらが大きな場所を占めることは許されず、
  重ね着をした何枚かのシャツ、私にとって重要な若干の書類、それとかなりの額の現金しか
  残らなかった。


申:そんな中で多額の現金を持ち出すとは抜け目ないではないか。

ズ:金は私が持ち出したものではない。
  私がブリック船に移ったあと、大きなボートの漕ぎ手の1人が私のために取ってきて、
  しかも正直に無傷のまま私に渡してくれたものだ。

  ブリック船のおかげで無事、全員が島に移れたが、先に話したように島には人がいて、
  我々は340人もいたので、ディエゴ・ガルシアに留まるのは好都合ではなかった。
  かと言って、この人数でブリック船で20日以上かかる航海はできない。
  そこで隊を2つに分けてブリック船でモーリシャスまで運んでもらうことになった。
  私がモーリシャスに向けて出帆したのはようやく4月22日のことで、
  私は辛うじて助かった妻をそこまで無事に連れていきたいと願ったが、
  航海の4日目に妻は亡くなった。
  妊娠中で、しかも船の難破でショックを受けていたので、妻の身体は
  航海に耐えられなかったのだ。我々は結婚後10ヵ月しか経っていなかった・・・


り:あ~、奥さん、ホントお気の毒!!
  それにしても、ズーフさんは初来日のあと一旦バタビアへ戻ってるし、
  平戸の最後の商館長だったフランソワ・カロンもタイオワン(台湾)だの
  バタビアだのへ行ってるし、危険だと言いながら当時の諸技術で
  よくもまあ日本との間を無事に往復してますよね。
  オランダ人、マジしぶといよな~。


レ:今回の話のシメ、そこですか?



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最終更新日  2016年07月18日 23時57分10秒


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