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本題に入る前に今日驚いたことをひとつ。 公園に子どもを連れていくと、ベンチにはお年寄りがたくさん座っている。 その横で中年男性2人が取っ組み合いの喧嘩をしていた。2人とも地面に転がって、殴り合いになっている。 それでだれも喧嘩をとめない。 まあ、お年寄りが間に入って怪我でもしたら大変なんだけど。 それにしても、みんなただ見ているだけか、見ないでお年寄り同士で談笑。 お年寄りがのんびりしているという日常的な光景と、取っ組み合いという非日常的な光景が同じ空間にある・・・ すごくシュールだった。―――――――――――――――――――――――「オープンマインドな義父」 義父は私が日本語でベラベラしゃべるのを好まない。 何かにつけ「ここは韓国なんだから韓国語を話せ」と言いたがる。 私の語学力ではかなり苦しいが韓国の家族には韓国語で話す。 だが、子どもには日本語を教える意図もあって、ずっと日本語を使っている。 以前日記に書いたことなので重複してしまうが、私が子どもに日本語を話すのが気に入らなかったのだろう。酔っ払った義父が私を指差して怒ったことがある。 私も義父の態度と怒る理由に、腹を立てた。 そのときは日本人である私や日本までもが否定されたような気がしたのだ。 夫が私の援護にまわり、義母に電話をして怒った。 義母は「指なんか指してない!」と義父をかばった。 指を指したか指さなかったかは、私としてはどっちでもよかったんだけど、義母はどうも、私がめちゃくちゃなことを言って怒っていると言わんばかりにブリブリ怒っていたらしい。「そんなに日本語がイヤなら、だれが行くもんか」 しばらくの間、子どもを実家に連れていかない、という報復措置をとった。 夫はいつも私をかばってくれるのだが、このときばかりは、「どんなに腹が立っても、年上と喧嘩したらダメなんだよ」 と、ため息をついて諭すように言った。 夫も板ばさみでかわいそうだ。 しばらく経つと、両親が我が家にお越しになった。 いつものイカの天ぷらも持って。 私はそっぽを向いていたが、義父は笑って私に何度も話しかける。 先に心を開いたのは義父だった。 私も意地を張るのをやめた。 翌日からさっそく「子ども連れて来い」の電話が入るようになり、もちろん連れて行きました(笑)。 またあるときは、夫と義父が衝突した。 両親が我が家にお越しになったときのこと。 子どもを座らせてミルクを飲ませていたのだが、義父が寝かせて飲ませようと子どもを後に押したのだ(※義父は子どもがミルクを飲む姿勢にもチェックを入れる細かさである)。 それを見た夫は大声をあげた。「どうしてこんな小さな子のお腹を強く押すの」 夫が本気で怒ると私も手がつけられない。 義母も夫の気性の激しさをよく知っている。 何かいいたげな義父に、義母は「いいから帰ろう」と義父を連れて帰ってくれたので、事無きを得た。 翌日は義父から夫に詫びの電話が入った。 ビジネスの社会では計算ずくで謝ることもあろうが、家族間で、しかも年上には従えという文化の国で、義父は子どもたちに謝った。これは、多分心が開いていないとできない行為だと思う。 ちなみに、その後、義父は「韓国語を話せ!」とは言わなくなった。 外国暮らしって大変だなあと感じていたのだが、いきなり外国の嫁が来てしまった両親も同様、いろいろ大変なのだろう、と推察する。
2004.09.30
義父は熱血漢らしかった。 最初は、普段は無口なのに、話すときは爆弾が爆発するような話し方を、それも途切れ途切れにして、怒っているんだか、怒っていないんだか、よくわからない人だなと思った(義父はプサン出身なので、生粋のソウル人である義母や子どもたちとは話し方がちょっと違っていた)。 最初に両親と同居した時は、夫に「もしかしてお父さん、怒っている?」としょっちゅう確認していた。 韓国に来て夫は自分で仕事を立ち上げようとしたが、多分、時期尚早だったのだろう。うまくいかずに、事実上失業者で家でダラダラしていた。 そんな状況のなか同居してすぐに私は妊娠した。 夫は「家事は自分がやるからアナタはやらないで」と掃除から皿洗いからみんなやってくれた。 自分はどうせ家にいるし、妻はつわりなので家事から解放させようという理由で。 普通の妊婦は病気でもならない限り、仕事やら家事やらを続けるのだろうが、うちの場合は夫がさせてくれなかったので、私もそれに甘えて家でダラダラ、ゲロゲロ、ゴロゴロしていた。 義父は皿洗いをする夫を見て怒った。「男はそんな仕事をせんでもいい。金稼いで来い!」 義父がそういいたくなるのも一理ある。 だが、夫に確認しなくても、義父はどう見ても怒っているようで、夜中は酒飲んでどなる声やら、ときどきは大きな物音も部屋の外から聞こえたりして・・・ それに応じて義母の泣きながら制していたり、夫と義父が激しく喧嘩したりで・・・ ちょっと妊婦には刺激が強すぎた。 まじめに(みんな激しすぎる。堪忍してくれ) そう思った。 結構、短気かもしれない。義父。 そのうち段々と、義父が怒っているように見えるけど怒っていないときと、本当に怒っているときがわかるようになってきた。 月日は流れて、子どもを連れて渡韓、親から独立したときのこと。 両親はチェジュド(という韓国南部にある島)に遊びに行き、お土産にリンゴを買ってきた。 そして遊びに来ていた私たちに義母が、持って帰りなさいとリンゴをいくつも持たせてくれた。 それを見て、どうやら義父は怒っているようで、義母をガミガミと叱り飛ばしている。 後で夫に理由を聞くと 義父は「どうしてリンゴを全部子どもたちにあげないの!! 仏さんにお供えしているのが残っているだろう!!」 とご立腹だったそうだ。 いや~お供え物までいいですって。バチがあたったらいかんし。 よくガミガミ怒るところや、その怒る理由は好きになれないが、義父の率直で優しくて、熱血漢らしき面は好きである。 もうひとつ義父の好きなところは「オープンマインド」なところだ。それは次回にて。
2004.09.28
今日はチュソクの料理づくりで、お母さんは一日中働いていた。お疲れさま~~ 私も手伝ったので、何をつくったのか紹介します。写真があればいいんだけどね。名称は聞きましたがみんな忘れました。あしからず。■団子 薄力粉(?)を水でといてつくった皮と、ごまと砂糖を混ぜた餡の団子。 皮に餡を入れて、ラグビーボールのような形に形成。 蒸し器に濡らしてしぼった布きんを敷き、団子を並べる。上から松葉を乗せて蒸す。 松葉で風味をつけるというのが面白い。餡はたっぷり入れた方がおいしい。 何十個と大量につくりました。4回ぐらい蒸したかも。■韓国ではよく見る一品なんだけど・・・油炒め これは簡単に手に入る材料ばかりなので日本でも再現できそう。・カニカマ(棒状に切る)・ハム(棒状に切る)・唐辛子(ハサミで縦半分に切る)・豚肉(細長く切る)・しいたけ(茹でて半分に切る)・にんじん(生を棒状に切る) 上記の材料を全部並べて爪楊枝でひとつにとめる。 粉、次にとき卵を順につけて、油炒め。■プッチンゲ(チヂミ) イカは格子状に切れ目を入れ、縦半分に切ってから、細く切る。足も適当に切る。 ニラを4~5センチに切る ネギも同様に切る。 チヂミ用の粉を水でとき、上記の材料も入れてよく混ぜる。 別の料理であまった卵も追加した 油をたっぷりひいてよく焼く。■豆腐 適当に切った豆腐を油炒め■魚 太刀魚みたいな魚を横にブツブツと切り、粉をつけて油炒め■豚肉料理 豚肉、縦にスライスした玉ねぎ、適当に切ったネギ、コチュジャン、塩、砂糖、しょう油、味の素、ごまをよく混ぜて今日は保存。多分明日焼くでしょう。■チャプチェ? チャプチェの具? と思われる料理をお母さんがつくっていた。私は野菜を切っただけ~~■豆腐と肉の団子 買い出し中に具ができていました。 小さく丸めて、粉、とき卵をつけて油炒め しかし油炒めが多いなあ。 めちゃくちゃつくるのですが、つくったそばからみんなでパクパク食べるので半分は今日でなくなったのでは? 料理づくりに参加した人 お母さん(主役)、兄夫妻、私、妹夫妻 子守り お父さん 寝るかテレビを見ていた人 夫。あ、でも買い出しには行きました。
2004.09.26
外堀から攻めてきましたが、ついに家族です。 何回かに分けてかかないとネタ多し、だわ。 まだ韓国に行く前、夫とその友達(韓国人)が、「本当に韓国は何でもかんでもパリパリ(早く早く)だ」 と語っていた。「パリパリなしには韓国は語れん」そうです。 さぞやみんな歩く速度から仕事からその他いろいろな作業が早いのかと思いきや、韓国に来てみると意外とそうでもない。 テキパキしている人が特別多いのではなくて(もちろんいるだろうけど)、とにかく人を「パリパリ」とせかすんである。 我が家では、義父がすごくパリパリな人である。 度々、子どもを自分の家に連れて行こうとお出ましになる。 ちょうど、子どもにミルクを飲ませようとしていたので、「ミルクを飲ませてからでいいですか?」とお伺いを立てても、「家で飲ませるから」と、話す時間も惜しいという雰囲気で、哺乳ビンごと持って行く。 外に出すので靴下をはかせようとすると、それもいいと言って連れて行ってしまう。 まさにさらって行こうかという勢いである。 たかが子どもを家に連れていくだけのことなのに、一刻一秒を争うかのような態度なので、「大の大人が一体何をそんなに慌てているんだ??」 昔は正直言ってそう思った。 最近は何とも思わなくなったなあ。 次回は「ホットな義父」に行こう!!
2004.09.25
どうやら風邪をひいたらしいです。子どもが。 もともとは数日前から夫が風邪をひいていて、寝ているときにデカイくしゃみをして、ハッと起きて見ると、思い切り子どもの顔につばを飛ばしていたらしい。 今朝は子どもまでもがくしゃみをしている。 私ひとりで子どもを病院へ連れていって、あとは看護婦さんに夫が電話で説明しようということになって、子どもにご飯を食べさせて、出かける支度をした。 出かける直前に、ハッと気がついたのだが、 おつつい、昨日と買い物をしたので、財布にほとんどお金が入っていないはず。(うちは夫がお金を管理していて、私が買い物に行きたいときに、ときどきもらう) 日本円で300円ぐらいしかない。 ゲッ 仕方がないので夫の実家に行き、「お母さん、今から子どもを病院に連れていくのですが、私、今、お金がないのです」 お金だけもらって行くつもりが、お母さんも病院についてきてくれました。 病院、薬局を回ったあとは、「子どもをお父さんの家に連れていってね」 あ~やっぱりなあ。ためいき・・・ 昔の日記に書いたことだが、お父さんが孫かわいさのあまり、油断をすると取り上げられる。 さてさて。 薬局では「ヨル」という単語が出たが、これが何かわからない。薬局のおじさんは「フィーバー」と英語で説明してくれたので、ようやく理解できた。 割合、こちらでは年配の方でも、韓国語が通じないと見ると英語(というか英単語)に切り替えてくださるので助かる。 今日は韓国語をひとつ覚えた。ヨルは熱。
2004.09.24
昨日、今日と、実家からお手伝い要請の電話がかかってきているので、ちょっと日記を書く時間がありません。 でも楽しいですよ。昨日はキムチづくりでかきまぜる仕事、今日は山のように積んである唐辛子の柄をハサミでひたすらちょんぎる仕事です。 子どものご飯の準備ということで、今、家に戻って味噌汁をつくっている合間に更新しようということで、 またしても、フリーページを載せるという日記です。 ミアナムニダ(ごめんね~) 同居時代の思い出 結婚してソウルの夫の実家に来てからというもの毎日、義父と義母から「モゴ(食べなさい)」「モゴバ(食べてみて)」と言われる。 特に義母は3人いる子どもたちとそれぞれの配偶者に食べさせることに執念を燃やしているようで、私は密かに「モゴバ攻撃」と呼んでいた。 とにかく食べろ食べろと勧められる。 満腹感とともにノルマを達成しなければならない気分で椀の中身を頑張って食べたのに、空になった途端、ガサーと入れられて「モゴ」である。 早く満腹になるのを避けるために、野菜をちびちび突ついていると、「肉を食べろ」と皿に入れられる。しまいには口のなかに突っ込まれる。 遠慮しているのではない。本当にもう食べられないのだ。 だが、いくら「お腹がいっぱいです」と言ってもモゴバ攻撃は続く。 どうかすると義母は「(お前は)食べていない」と言い切ったりもする(だれの基準だろうか。もちろん義母である)。 自分の好きな量を食べるという自由が、両親と一緒に暮らすとないのである。 何の挨拶も挙式もなしに、日本ですでに結婚して、いきなり嫁としてソウルにやって来た私を歓待してくれるのはありがたかったが、モゴバ攻撃が毎日、3度の食事のたびにある。 ソウルに来て1ヶ月も経たないうちに6キロ体重が増えてしまい、食事の時間が次第に恐怖になってきた。 ・ ・ ・「モゴバ攻撃」などと勝手に名づけて失礼しているが、「お腹いっぱい食べさせる」というのが義母の愛情表現である。 なんでも義母が若くて、まだ義父の両親と一緒に暮らしていた頃は、ろくにご飯を食べさせてもらえず、残り物を泣きながら食べていたらしい。1世代しか違わないものの、韓国の昔の姑と嫁の関係は、私だったらとてもではないが耐えられないものだったと想像する。 胃袋の記憶とは忘れることはできないのだろう。義父の両親はとうに亡くなっているが、今でも義母は、子どもたちや私のような嫁には絶対にひもじい思いやつらい思いをさせたくない一心で、たくさん料理をつくり、食べさせる。 しかも量が多いだけではなく、いろいろなものを手間隙かけてつくっている。 昔はどこの家でもキムチは手作りだっただろうが、今ではキムチは市場やスーパーで簡単に手に入る。お惣菜もいろいろな種類が並んでいる。 しかし夫の実家では、キムチもお惣菜も自家製が当たり前である。キムチも白菜のキムチだけではなく、魚介類を入れたキムチ、チョンガッキムチ(チョンガは大根に似ているが小型)、ムルキムチ(爽やかな酸味の冷たいスープのようなキムチ)、カクテキ(大根の角切りのキムチ)などいろいろな種類のキムチをつくる。お惣菜も各種あるので、卓袱台の上はいつも料理でいっぱいだった。 夏の名残りを留めたある日のこと、義母が大量にブドウを買って来た。(だれがこんなに食べるんだろう)と不思議に思っていたら、大量のブドウはジュースに変わった。 義母が当時、妊婦だった私のために、そしてお腹の子どものために、わざわざ絞ってつくったのである。 手作りのジュースは市販のものよりもはるかにおいしい。後に残らない上品な甘さである。ブドウジュースがこんなにおいしいものだと初めて知った。「料理とは愛情表現なのだ」 義母お手製のジュースを飲んで、私は当たり前のことに気がついた。
2004.09.23
新規原稿を起こす時間がないので、今回はフリーページの一部改変版を載せます。 ということで、すでにフリーページの方を読んで下さった方には、ゴメンナサイです。ご了承くださいませ。 2年前のこと 妊娠中はソウルにある、夫の実家で暮らしていました。 夫は自分の仕事を立ち上げようとしていましたが上手くいかず、加えて親との同居はどうにも大変でした。 夫がお金を稼いで来ないというのもあり、 義父、酒飲んで荒れる →義母、泣く →私、怯える。加えて言葉が不自由 →夫、両親に怒る。私とお腹の子どもを心配する 細かいことは忘れちゃいましたが、いろんなことがありまして、両親も私たちもほとほと困っていました。 就職してここで頑張り続けるという選択もやってみようとはしたのですが、これまたパッとせず、この時は「韓国を、そしてこの家を出ないと魂が死んでしまう」 と思うぐらい私たちは精神的に追い詰められていて、韓国を脱出し、親から何もかも自立することを企てたのです。 それぞれが、行きたい国と行きたい度を点数化して紙に書いてみました。 そしてふたりの各国の点数を合計して、高い国に行こうと決めたのです。 どうせ、どこへ行ってもお金がなくて苦労するのだから、せめて行きたい国に行ってやれと考えたのです。 ふたりが行きたい国は、アメリカのなかでもハワイやフロリダ、そしてオーストラリア、カナダでした。 ただ当時は11月でソウルはどんどん寒くなっていましたので、カナダなんて寒い国に行くのはやっぱりやめよう、とアメリカかオーストラリアになったのです。 ふたりでインターネットを駆使して海外での職を探しましたが、あまりぱっとした成果はありません。 実際に行ってみようと夫はオーストラリアへと飛び出しました。アメリカはテロの影響で、オーストラリアの方がビザの変更や延長はしやすいだろう、とふんでいたのです。 私は当時飼っていたネコを連れて日本の実家に一時帰国し、夫からの連絡を待つことにしました。 このとき妊娠7ヶ月目を迎えていました。 夫は最初はシドニーへと向かいました。 もっとも職探しをしやすいのがシドニーだそうです。 メルボルンには、夫の同級生の知り合いがいるそうで、同級生はその知り合いに連絡を取ってくれました。 それで、私たちがまだ韓国にいる頃は「メルボルンに行ってみよう」という話が出ていました。 この人が、私たちとオーストラリアと結ぶ唯一のツテでした。 とはいってもメルボルンで必ず仕事があると決まったわけでもなく、シドニーにあまり魅力を感じなかったのか、夫はシドニーを出ました。 向かったところは、熱帯の地、ケアンズです。 シドニーで会っただれかが「ケアンズはオーストラリアのハワイだ」 と言ったそうです。 夫に出会った頃、私はよくハワイにすみたいと言っていたので、 夫はこの一言を聞いてケアンズに向かったのでした。 夫には感謝の気持ちと、そこまでやってくれるのかという驚きの気持ちがあります。 夫の行動基準の主なひとつに、「妻が喜ぶかどうか」というのがあります。結構、「尽くすタイプ」なのかもしれません。 夫にとっては初めて行くケアンズ、知り合いもなし、金もなし。 昔、バックパッカーだっただけのことはあり、何とか生活していたそうですが、食費、宿代はどうしても使うので、やがて資金も底をつき、ついに手持ちのお金は約250円となりました。 夫は勝負に出ることにしました。 カジノへと出かけて行ったのです。 夫はギャンブラーでも何でもないのですが、どういうわけか幸運の女神は夫に微笑み、夫は増やしたお金で家を借り、日本にいる私に電話をかけてきました。この時点で8万円程度の貯金も持っていました。「ケアンズに来て。家も用意したから」 私は妊娠8ヶ月目を迎えていました。 もちろんケアンズで出産するつもりでした。 その後の話をざっと書くと、出産費の調達、夫の就職、出産といろいろありました。 ビザの関係で私は2ヶ月目の子どもを連れて日本に帰国せざるを得なくなり、オーストラリアへの再入国は困難になっていました。 夫がビジネスビザを取り、その後、私が配偶者ビザで入国する方法が残されていたのですが、夫のビジネスビザがいつおりるのか見当もつきません。 そこで夫はケアンズ在住を諦めて、家族が揃って暮らせるよう韓国へと帰りました。私は子どもを連れて韓国入りしました。 すんなりとケアンズに住み続けることはかないませんでしたが、ケアンズでの生活は本当に美しく、今思い出しても、あのとき、あのまま韓国に住み続けることはできなかっただろうと思います。 やはり私たちは場当たり的であろうが、失敗して痛い思いをしようが、住みたい場所に住み、望むライフスタイルを築くという夢を追い続けていくと思うのです。「墜落の痛みも翼を持つ者の特権だ」
2004.09.22
商店街には、あまり人好きでない店員さん、少々ふっかけてくる店長さんもいる。 ほとんど利用しないので身近な人とは言いがたいのだが、近所に住んでいる縁ということで(?)紹介しがてら、「値切る」ことについても書いてみよう。 実家から引っ越ししてしばらくは、卓袱台がなかったので、ダンボールの箱を卓袱台代わりにしてご飯を食べていた。 しかしダンボール箱では、どうもわびしい。 卓袱台ぐらい買おうよということになって、商店街のなかの日用品を置いている店に出かけた。 ここの店員(店長?)さん。目つきがどうも鋭く、あまり人好きという印象ではない。 卓袱台でいいものがなかったので、「あれを見せて。これを見せて」と箱から出してもらったが、何となくどれも気に入らない。「すみません。やっぱりいいです」 と夫と恐縮しながら店を出ると、「チッ!!」 と思いきり舌打ちされてしまった。 後にこの店でゴミ箱を買うのだが、ひとつ約1200円で、日本並の価格である。韓国だと割高感がある。 私ひとりで行ったので、吹っかけられたかしら?? うーむ。 次は行きません! 結局、卓袱台はもうちょっと遠いところにある、もっと規模の大きい商店街で気に入ったのがあったので、それを買った。 夫は「お母さんがここでもっと安く買ったようなんですけど」と値切って3割ほど安くしてもらっていた。 商店街の入り口には文房具屋さんがある。 夏で暑い暑いとあえいでいた頃、店の外でうちわが売られていた。「いくらですか」「2000W(約200円)です」「高ーい!」「―――」「1000Wのものはないですか」 無言で、変わり栄えのしないうちわを差し出す店長さん。「コレください」 高いとケチつけてからは(?)、店長さんは始終無言で、買ったのにありがとうの一言もなし。 それにしても私もたかだか200円のものを買うのに値切るようになってしまった。東京にいたころは値切ったことなどなかったのだが。 しかしここ韓国では、相手の言い値通りにハイハイとは買いたくない気がするのである。 夫などはいつも値切りたおしていて、相手の言い値で買ったことはない。「2000Wを1000Wにしてもらって買ったよ」 と自慢げに、うちわを夫に見せると、「こんなものだったら、ただでもらえるよ」 ひょえーーーどこで??? 私の韓国化もまだまだである。 夫はこの文房具屋さんで、A4用紙を値切って買ってくれた。「以前は○○Wで買いましたよ」と高飛車に出たらしい。 店長は同じ種類のものは在庫がない云々と言い訳をしたそうだが、強気の夫に負けて、安くしてくれたそうである。
2004.09.21
商店街ではチュンマートのほかにも、鶏肉屋と八百屋にもよく足を運ぶ。 鶏肉の売り方は日本と韓国では、ずいぶん違う。 日本ではスーパーで、もも肉やささみ、手羽など部位ごとに分けられている肉を選んで買う。料理によっては、ももがよかったりささみがよかったりと使い分けできる。 韓国のスーパーにも日本と同じように、もも肉のパックが置いてあったりするのだが、私たちは鶏肉が欲しいときは鶏肉の専門店に行く。 鶏の専門店そのものが日本にはないので面白い。 この店では冷凍肉のほかにも、トンダと呼ばれる鶏1羽を揚げたものも売っていて、これがまた激ウマ。 冷凍肉は鶏1羽が約350円から400円。安い。 店の奥には、おじさんが鎮座ましましていて、私や夫の顔を見ると笑顔で出てくる。 特別どうということはない会話を交わすのだが、おじさんの感じがいいので、いつもこの店である。「奥さんの料理おいしい?」「まずい!」(by夫) しかし私を含めみんなニコニコしている。 おじさんにも子どもがいて、もう高校生らしい。そんな大きい子がいるようには見えないのだが。 私があやしげな韓国語を話すと、おじさんは「おや韓国語、上手だね」とほめてくれる。 絶対上手なわけがない。(日本人が頑張って韓国語しゃべって、まあまあ)といったところだろう。 八百屋さんへは、大げさに言えば勝負をする気持ちで臨む。ここでは、駆け引きがあるからだ。 いつも「1000ウォン(約100円)分、ナスをください」という買い方をしているのだが、ナスが2本だったり3本だったりする。 2本をハイと渡された夫は「先日妻が買ったときは3本だったのに」と交渉するも、お店のおばちゃんも「これは大きいんだから」などと応戦。 内心、(2本だと負け、3本だと勝ち)と、勝負に挑む気持ちで買い物をする。 ある夏の日は、ほかの買い物客に「こっちのお母さんが子ども背負って汗かいて待ってるから、ちょっと待ってね」と声をかけて、私たちを優先してくれた。ありがたい ありがたい。
2004.09.20
クセ毛が伸び放題になってきたので、ストレートパーマをかけてきた。 クセが強くて、パーマ液につける時間を延長したため3時間以上かかった。 その間夫が家で子どもの面倒を見ていた。ひとりで長時間、子どもの相手をしたことがないので、さぞや疲れただろう。 仕上がりは上々。サラサラのまっすぐな髪になったので、顔の印象が違う。 夫が「違う女だ」と喜んでいる。「妻にお金をかけて、美しくさせなさい」と言っておいた。 昨日の旅行、今日の子どもの面倒と疲れ果てた夫は夕方から寝入ってしまった。 おつかれさまです~~
2004.09.19
会社の人たちとプチョンへと出かけた。 昼食はプデチゲ。コレってもしかして初めて食べるかもしれない。 ソーセージ、ラーメン、キムチ、ひき肉が入っている。 ここで使うソーセージはチープなヤツのほうがおいしいかも。 家でも簡単にできそうなチゲである。 まわりはみんなプデチゲ屋さんらしい。なかでもテレビで紹介され、「ここの味はほかでは真似できない」(by社長)という店だった。 プチョンまでは時間がかかって、着いたのは3時だか4時ごろ。雨も降っている。 空気はキレイでソウルとは全然違う。 サウナに子どもを連れて入る。泣かなかったので助かった。 山ひとつ越えて、カルビの旨い店で夕食。あー本当においしいわ。プデチゲよりもいいなあ。 プチョンは多分いいところだと思う。あまりゆっくりできなかったので、具体的には紹介できないけど。 機会があればまた遊びに行きたい。
2004.09.18
ずいぶん昔の話だが、「お前たち、駅のあたりにいたんだって」 夫の携帯に、そう実家から電話が入った。 確かに先ほどまで、私たちは何かの用事で駅付近を歩いていた。 それを見た義父の知り合いが、義父に電話をしたと言う。 別に悪いことをしたわけではないが、(この街ではそんなことまで筒抜けなのだろうか?)(地方ならいざ知らず、ここはソウルなのに!?) とは思った。 こんなこともあった。 夫婦で家の近くの商店街をブラブラしていたときに、子どもの服でも見てみようと、子ども服店を物色した。 結局何も買わなかったのだが、私たちが来店したことがどういうルートでか両親の耳に入って、「子どもの服が欲しいなら、そう言いなさい。買ってあげるから」 と言われたこともある。 風通しがいいと言えばよいのか、とにかく通々である。――――――――――――――――――――――― この近所の商店街は、ちょいちょい利用しているので、お店の人とは顔見知りになる。 言葉もロクに通じない異国にいるのに、地域に馴染んだ暮らしをしていることもあってか、寂しいと感じたことはまったくない。 商店街を少し入ったところには、チュンマートという名前のスーパーがある。 ここの店員さんたちとは顔なじみになり、なかでも小学生ぐらいの女の子がいる、茶髪の女性は、なぜか私たちによい印象を持っているようで、必ず笑顔で何かと声をかけてくれる。「しばらく見かけませんでしたね。どこに行ったかなって思ってたんです」 日本に一時帰国したあとのことである。「赤ちゃん大きくなりましたね」 子どもを連れていないときは、「今日は赤ちゃんどうしたんですか?」「義母の家にいます」 など、簡単なやりとりだが、店員と客というよりは近所の人同士の会話のようである。 レジを済ませた後は、大抵はジュースをサービスでつけてくれる。豆腐だったり子どもにしゃぶらせるキャンディーのときもある。どれも売り物なのにいいのだろうか。 レジにいた学生のような若い男の子の場合。「日本人ですか?」「はい」 と返事をした途端、感無量という顔つきになり、いきなりレジから身を乗り出して握手をしてくれた。日本語を勉強中だと言う。実物の日本人を見て嬉しくなったらしい。 メガネの女性の場合。 この日は牛乳やジュースを買ったので、(ちょっと重いけど両手に分ければもてるかな)と、袋を2つくださいと言おうとしたときのこと。「子どもも背負っているのに大変ですよ」と、無料で宅配するからと勧めてくれた。ノートに住所と電話番号を書くだけで、家で待っているとすぐに品物が届いた。 実はここのスーパーは期限の迫ったものが多く、ほかに移ろうかとも思ったのだが、店員さんたちの駆け引きのない笑顔を見たさに足を運んでいる。
2004.09.17
昨夜は珍しく早く帰ってきた夫(とはいっても22時は過ぎている)。 このHPを読んでまた注文をつけてきた。「大家さんがいい人だって~?」「と思うんだけど」「え~~どこが?」「そうそうジョンホンの話も書いたよ」「ナニナニ」「昨日の日記にさ。ユンソナと結婚したはずだとかって話」「えええええ!!!」「もっと恥ずかしい話も書いたよ」「ナニナニ」 フリーページを開く。夫がケアンズでカジノで全財産すったという話を見せて「カジノでお金みんなすっちゃったって話だよ」「アナタ」「何」「なんで夫のことを、もっとカワイク書かないの」「ハイハイ」「ワタシ毎日あなたのことを頭から足の先までマッサージしてるでしょ」「へ?(頭から足の先まではおおげさでない?)」(毎日マッサージは本当)「それ絶対書いて!!」「はい」「約束!!」 はーい。約束通り書いたからね。ククク。――――――――――――――――――― ・ ・ ・「それでさ。日本人が情がないって話があるのよ」「なんで」「私も社長から言われたよ」「えええええ!!!」「あれ知らなかった」「いつよ」「みんなで海に遊びに行ったとき。『日本人には情がない。それで韓国に帰ってきた』って話よ」「それは違う(キッパリ)。日本人にも情がある。でも文化が違うだけ」「でしょ~~~」「私が日本人にも情があるって言ってた話もHPに書いて!」「アラッソアラッソ(わかったわかった)」 夫の好感度増したでしょうか??? ぷぷぷ。
2004.09.16
身近な人シリーズ(1) 大家のおばちゃん さあ頑張って超速で書くぞ! パリパリィ~ 身近な人を紹介することで、韓国暮らしを感じてもらおうという企画です。 これが終わったらケアンズで出会った韓国人シリーズにしようかな。 さて、大家のおばちゃんです。 私はアジュマではなくオンニと呼んでいます。 時々支払い関係でお越しになる。 バン!バン!バンッ!!とドアを力強く叩く音を聞いただけで、「あ、大家さんだな」とわかる。 夫からは「妻は韓国語がほとんどわからないので何かあったら私の携帯に電話をしてください」と説明してもらっていたのだが、一度、水道代の分担について夫とうまく意見がかみ合わず、私に言い分をぶちまけにお越しになった。「私は日本人だから韓国語がわかりませんとか、そんな話は聞きたくないのよ!! ・・・話続くが不明・・・私は悪い人間じゃないよ!!!」 多分、最後の言葉が一番言いたかったことなんだろうと、ハイハイ、ワカリマシタと答えておいた。 このとき大家さんは手に白いかすてらみたいな韓国のお菓子を持っていて、自分も食べながら「一緒に食べようと思って」と、私にも分けてくれた。結構いい人である。 これ以降、「すみませんが、韓国語わかりません」と言いづらくなり、大家さんのペースに乗ることになってしまった。 とはいえ話を聞くふりで、実は早く終わってくれないかなと待っているだけ。適当に相槌をうちながら。 話し終えたようで内心ほっとしていると、大家さん、(どれどれどんな感じで部屋を使っているの)と部屋のなかまで入ってくる。 トイレ兼風呂場ものぞいて、どうやら私たちの使いぶりをお気に召したようで、表情が緩む。こちらはホッとする。 ついでに昼寝中の子どもをみて、「まあ、かわいい」、「アイゴー セーサンエ」を連発。セーサンエは日本語に訳すのが難しいなあ。よく聞く言葉なんだけど。 感覚的に、まあかわいいという感情が大家さんの心のなかで高まっているというのはわかる。今度はこちらの表情が緩む。 結構いい人だなあ ← 親バカです。 かぼちゃを茹でていた鍋のふたも取って中をのぞく。「かぼちゃです」「あーそう。おいしいのをつくっているの」 もう、何からなにまで、鍋のなかまで見ていくのでおかしい。 うちは人様にいばって見せられるほどきれいでもないのだが、一応毎日掃除はしているので、そんなにきたなくもない。この程度のきれいさでOKのようだ。 以前、日記に書いたことだが、もう一回書いてみよう。 パソコン部屋にいたときのこと、昼寝している子どもがいる部屋の窓がいきなり開く音がする。 びっくりして部屋に行くと、大家さんが窓を開けて何かの請求書をくれる。何やら説明して行ってしまった。 帰宅した夫に話すと、「何て非常識なんだ」「普通の韓国人はそんなことしない」と怒っている。 実は、昔の日記には、「驚いたが韓国生活も大分慣れた」なんて書いてしまったが、普通の韓国人はこんなことしません(by夫)。この場でお詫びと訂正をさせていただきます(笑)。 うーん。でも日本の方がプライバシーを守る感じはするのだが・・・ しかし私は大家さんは悪い人ではないばかりか、いい人なんじゃないかと思っている。 手に蒸し菓子でももって(菓子折りである必要はありません)遊びに行けば歓待してくれそうな。 韓国語が話せなくてゴメンナサイ。
2004.09.15
夫がまじめな顔で、ぬかした発言。「あなたと出会わなかったらユンソナと結婚していたな」 夫は東京で留学生をしていたころ、某有名韓国料理店でアルバイトをしていた。 そこには時々ユンソナちゃんも来ていたそうだ。 夫の方が年上なのでユンソナちゃんは礼儀正しかったらしい。「ユンソナはワタシのことを結構、好きだったに違いない」と勝手に想像をはたらかせる夫。 しかし店員と客という関係なのに、どうしてそんな風に考えられるのだろう。 摩訶不思議なオツムだよ。 もともと小さいことでも大きく言うところがある夫だが、話半分どころか話1/10だけ聞けば充分って感じだ。
2004.09.14
よく行くcocoさんのHPで面白い写真を見た。 インドの、ある風景で、これはちょっと日本では見られないだろう。 だって○○○にミルクをあげているんだもん。 http://plaza.rakuten.co.jp/cocosaiko/ 興味のある人は ↑ を見てみて。 それで思い出した話があるので、cocoさんへのコメントとだぶるけど、ここにも書いてみようと思う。 以前仕事で関わったことのある男性から聞いた話。 男性を仮にHさんとしよう。 Hさんは、富士山近くの高度の高いところで生まれ育ったため(確か御殿場?)、ゴキブリを見たことがなかったんだって(昔は寒いところには生息していなかったんですね)。 だから、Hさんには「ゴキブリはきたない」という価値観がなく、東京の学生になって下宿をしていたときに「珍しい虫がいるなあ」とゴキブリを飼っていたらしい。 慣れない東京暮らしは大変だったそうだ。(もう自殺するか) 私の記憶では、Hさんは踏切を歩いているときに、ふとそう思いつめたらしい。 ここに飛び込めば楽になる・・・ しかしこのとき、Hさんには思い出したことがあった。「あ、虫たちにエサやらないと・・・」 自殺はやめて、家に帰ったそうだ。 Hさんいわく。「私はゴキブリに助けられた」 たかがゴキブリ されどゴキブリ 価値観の違いは大変大きい。人を殺すも生かすも価値観ひとつだと思う。 一度しかない人生、意図的に価値観を創造していきたいと思っている。
2004.09.13
先日、NHKの「ためしてガッテン」は、かぼちゃの特集だった。なにかいいレシピはないかと観ていたのだが、妙な理屈を展開していたのには、「ガッテン」できませぬ。 最初はかぼちゃの選び方から始まり、中盤あたりで、「男性のなかには『かぼちゃの煮物って甘くておかずにはならないんだよね』という声がありますよね」という運びになって、 和食のプロによる煮物を一般の人に食べてもらい(どうせなら男性に食してもらえばいいと思うのですが、女性でした)、「おいしい」とか「昔のなつかしい味ですよね」といったコメントをもらう。 そして、ジャジャーン。実は1960年代までは、日本かぼちゃという昔ながらの、甘味の少ないかぼちゃが主流だったのですが、60年代以降は甘味の強い西洋のかぼちゃが主流になったのです。先ほどのおいしい煮物は日本かぼちゃを使っていました、という種明かしをして、 日本かぼちゃに合った砂糖を入れるという調理方法が、甘味の強い西洋かぼちゃに変わったあとでも踏襲されていたため、「おかずにならないんだよね」と言われる甘い煮物になっていたのです、と結論を出す。 この理論展開っておかしくないですか? 私はおかしいと思う。はっきり言って。 1960年代を境に市場に出回るかぼちゃは、日本かぼちゃから西洋かぼちゃに変わっていった。 という事実と、 「かぼちゃの煮物は甘すぎるんだよ」という一部の人の意見から、 どうして、「かぼちゃが変わったのに、実は料理方法がそのまま踏襲されていたのでした」という結論が出るのでしょうか? これは結論ではなくて、ひとつの仮説にしかなりえないのです。 そもそも、かぼちゃが甘すぎるというのは、一部の人の意見であって、事実ではないです。 事実と意見がゴチャゴチャになって、調理方法踏襲説があたかも事実のように紹介されているのは、 ぶ っ と ん で い る というか 強 引 というか。 私が持っているいくつかの料理の本で、かぼちゃの煮物を見ると、どれも「砂糖も入れる」って書いてあるよ。 でも料理の先生だって自分が食べてみて「いける」と思った料理だから紹介していると思うんだよね。 この番組の主張が正しいのなら、かぼちゃの煮物に砂糖を入れている料理の先生たちは、単に昔から砂糖は入れるもんだと思いこんで、何も考えずにつくっていることになるのでしょうか。 それはさておき。 番組で紹介されていた、かぼちゃのニョッキはおいしそうだったので、つくってみようと思います。 ちなみに「ためしてガッテン」のかぼちゃ特集の部分です。http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2004q3/20040908.html
2004.09.12
天気の日は午前中に子どもを公園に連れていく。 徒歩10分ほどの近所の公園なのだが、要望したいことがいくつかあった。(1)公園にゴミ箱が設置されていないため、ゴミが散乱していて衛生的でないし、安全でもない。 ゴミは持ち帰るのがマナーだと思うが、世の中必ずしもマナーを守る人ばかりではない。この点については「韓国だから云々」という気はまったくない。これは日本についても同じことが言えると思うから。 それにしても、公園にゴミ箱そのものが設置されていないため、公園内のポイ捨てに一層、拍車をかけているのではないだろうか・・・。 同時に「子どもがゴミを触ったらイヤだなあ」と思う、例えば私のような大人が拾って捨てる場所がない。 落ちているのは、食べずに捨てたお菓子、かじりかけのホットドック、アイスの棒などだ。 こういうゴミを子どもが触ろうとする。 触らせないよう、先に取り上げて離れた場所に置くのだが、こんなとき「あーゴミ箱があればいいのに」と思う。 子どもが先に触った場合。 もう子どもは興味津々なので取り上げると泣いて大変だ。仕方がないから家のカギなどを持たせて、だまして取り上げる。 許せないのは、焼酎の割れたビンである。 先日の日曜日、遊びに行ったときに見つけた。 砂場の横にカケラが散乱している。 砂場のなかにもカケラが落ちている。 これでは衛生的でないだけでなく、安心して遊ばせることもできない。 ※私たちはソウルのなかの西大門区にすんでいる。ほかの近所の公園を見たところ、やはりゴミ箱はなかった。 これが西大門区だけの事情なのか、ほかのエリアもそうなのかは、興味はあるが、よく知らない。「韓国」のテーマで投稿しているが、韓国全体の問題という意味で取り上げたのではなく、私たちが足で回れる範囲の話、私たちの韓国生活の話ということで、ご理解いただきたい。(2)遊具や東屋が小さな子どもが安全に遊べる設計ではない。 遊具はアスレチックなので、1歳児は対象ではないと思う。それでも子どもはアスレチックにつながっているブランコの下から登ったり、丸太の段組を登っていってしまう。 アスレチックの上の部分は、両側が切り落とし状態だ。子どもが横から落ちるのを防ぐ構造になっていない。 子どもの背後にはりついて、腕かそでの一部をつかむ。ときどきほかの子どもが無理に横を抜けようとしたり、走ったりするので、そんなときは本当にヒヤヒヤする。 もともと小学生ぐらいの、もっと大きい子どもが対象の遊具なのだろうから、小さい子どもが落ちて怪我をしたら親の責任だ、とは私も思う。 それにしても、もう少し安心できる設計にできないのだろうか。 上段の両サイドにはネットをつける。あるいは小さな子でも掴める高さにロープか鎖を1本張ってくれれば、大分違うと思う。 公園に来るのは小学生だけではないのだし。 遊具については100歩譲って、子どもが落ちたら全面的に親の責任であり、遊具には一切問題なかったとしよう。 納得できないのは東屋である。 階段で上に登ったところにベンチが置かれている。これで大人の肩ぐらいの高さになる。 このベンチ、背もたれが一切ない。後は切り落としである。 下はコンクリートだ。 子どもは階段を登り、ベンチも登る。 もちろん常に手を横に添えて落ちないようには気をつける。 子どもが頭から落ちたら大怪我をするだろうし、打ち所が悪ければ死んでしまうだろう。 しかし危ないのはうちの子だけではない。 敏捷に動けなくなったお年寄り、あるいは酔っ払いが座っても危ないんじゃないだろうか。 今までだれも怪我をしたことがないかもしれない。 それでも未然に事故を防ぐような設計ではないこの東屋は、公園にはふさわしくない。否、置くべきではない。 これを設計した設計士、この設計にGOサインを出した行政の担当者には腹が立つ。 2日前から、この公園では取り壊し工事が行われている。 この後、再び公園ができるのか、ほかの施設になるかはわからないが、もし公園になるのであれば、もっと子どもが安心して遊べるよう生まれ変わってほしいと願っている。
2004.09.08
「会社を辞めたい」と夫が社長に辞意を表明して1ヶ月以上が経った。「10月は忙しいので、11月に辞めることになった」とは、夫から聞いていた。 それで辞めることは確定したのだと解釈していたら、いまだに社長や他の社員から、「辞めないで~」コールが続いているという。 おとついは社長とサシで、昨夜は理事&次長ほか社員と飲み会があって、そんな話がなされていたらしい。 夫が辞める意思を崩さないので、社長が「奥さん(私のことです)と話をさせて」 とまで言ったらしい。 夫がダメなら、妻から説得するか、この間の社員旅行で妻も顔見知りになったしということなんだろうか。 私が日本行きを強硬に唱えていると思われているのだろうか。夫の方が日本に行きたがっているんだけど。 だが、しかし、BUT! いずれにせよ、私は会いたくないよーーん!!! ヒーン いつ辞める、引継ぎはだれに、どのようにするという事務的なことを社長と夫で淡々とつめてよ~。 妻に会うなんて、そんなのアリかなあ? 「あり得ない」 というのが正直な感想です。 今朝、夫に「退職届は出した?」と聞くと出してないという。 やっぱりな・・・ そういうことは紙でちゃんとやりなさいって。
2004.09.04
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