PR
Category
Comments
Calendar
「ウクライナ」戦争開始以降の主な記事(PDF版)
ブラタモリは、私が好んでいる
NHK
の番組だ。
それぞれの地域の特徴を「ぶらぶら歩きながら、タモリが色々な問いかけ(地理的、地学的、歴史的問いかけ)に応え解き明かしていく」という視聴者の好奇心をかき立ててやまない番組。 1 月 20 日(土)に放送されたのは 「秘境!黒部峡谷」 の 2 回目だった。
前週は「絶景」を強調する回だったが、このたびは近々観光客にも開放される 「黒部峡谷鉄道」 に乗って、 黒部ダム(とりわけ黒部第三ダム)の建設がいかに難工事だったのか を知らせ、考えさせる内容だった。
前回以上にわかりやすく素晴らしい内容だったともいえるが、「先人の膨大な労力によって戦後の発展も支えられた、すごいなあ」と 無邪気に感動するだけで済ませてはならない問題
が伏せられており、「いったい誰がその難工事に立ち向かったのか」を深める問いがなかったのは残念だった。
以下、紹介していきたい。

素晴らしい絶景のなかにある黒三発電所が完成したのは1940(昭和
15
)年。日本が戦争に向かっていく時代と説明されていたが、すでに「日中戦争のまっただなか」である。当然、軍需工場をフル稼働させるためにも膨大な電力が必要で、黒三の建設計画は重要な国策だったが、ダムの建設は困難を極めた。
難工事を実感させる当時の映像によれば、当初 資材は断崖にかろうじて通れる幅の道をつくり、そこを歩いて人力で運ばれていた
。地形があまりに急峻だったため、トロッコの線路を延長することができなかったわけだ。(当然、転落事故もあっただろう:引用者)。このように膨大な時間と労力(と人命)を費やす状況を打開するために、トロッコをそのまま高い位置へ引き上げるエレベーターがつくられたという。
大型の重機もない時代につくられた200メートル以上の巨大エレベーター。(それ自体が相当な難工事だったと考えられる。)
工事をさらに困難にしたのが 「高熱隧道(すいどう)」 だった。二つの地層の境目から湧きあがったマグマによって 岩盤が熱せられた結果 、60 ℃ 近い熱気の中、後ろから水をかけてもらいながら20分交代で24時間掘り続けられた。
(番組では紹介されていないが、高熱のためにダイナマイトが自然発火して爆発する、という事故もあったという。)

番組で、第三発電所のダムについては大量の電力を供給することで軍需産業だけでなく戦後の復興期においても人々の暮らしや産業を支え続けた、とまとめられた。
しかしながら、 番組の途中・終了後に私が気になったのは、この工事にたくさんの朝鮮人労働者が「動員」され、犠牲になった事実があったのではないか 、ということである。日本人男性が次々に徴兵される時期の「国策事業」だけに、当然予想できることだ。博学のタモリのこと、おそらくそのような問いが発せられれば容易に思いいたったと考えられる。が、この番組においては最後までそのような問いが発せられることはなかった。 NHK が 関東大震災時における 「 朝鮮人虐殺 」 について 、 逃げることなく 真っ向から扱っていたこと を評価していただけに残念だった。
調べた結果、私が思ったとおり多くの朝鮮人労働者が動員され、たくさんの犠牲者を出していたことを中日新聞で確認できた。 堀江 節子 によって まとめられ 出版され た 「黒三ダムと朝鮮人 労働者」 、是非読んでみたい。
にほんブログ村
← よろしければ一押しお願いしま
す。一日一回が
有効
教育問題に関する特集も含めて HPしょうのページ に
(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。 生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ 、 『綴方教師の誕生』から・・・ ( 生活指導と学校の力 、 教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など
「戦後80年談話」について 2025.07.31
「鮮人の暴動」とされた「益田事件」につ… 2024.12.18
その時歴史は動いた 人間は尊敬すべきも… 2024.10.25