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問題文 甲は,自宅で,知人Aと口論になり,激高してとっさに殺害することを決意し,部屋にあったクリスタルガラスの花瓶でAの後頭部を力任せに殴打した。Aは,頭蓋骨を骨折する重傷を負い,その場にこん倒した。甲は,ぐったりとして動かなくなったAの様子を見て,Aが死亡したものと考えた。その直後,友人乙が甲方を訪ねてきたので,甲は,事情を説明し,Aの死体を山中に埋めることに力を貸してもらいたいと頼み,乙もこれを承諾した。そこで,甲及び乙は,甲の自動車の後部座席にAを運び入れ,甲が運転し,乙がAの横に座り,山中に向かった。その途中,Aが一度身動きをしたことから,乙は,Aが生きていることに気付いたものの,日ごろからAを快く思っていなかったので,このまま生き埋めにして殺してやろうと考え,甲にはAが生きていることを伝えなかった。そして,山中で,甲及び乙は,一緒に穴を掘り,その中にAを投げ込み,土を掛けて埋めたため,Aは,窒息して死亡した。 甲及び乙の罪責を論ぜよ。答案第1 甲がクリスタルガラス製の花瓶でAの後頭部を殴打し、死亡させた行為につき、殺人罪(199条)が成立しないか。1 まず、甲の行為は殺人罪の構成要件に該当するのか。(1)殺人罪の実行行為とは、人の自然な死期より以前に人の生命を断絶しうる行為であるところ、人の後頭部とは人体の枢要部であり、Aの後頭部をクリスタルガラス製の花瓶で殴打する行為は、Aの自然な死期より以前にAの生命を断絶しうる行為であるといえ、殺人罪の実行行為にあたる。(2)ところが、Aの直接的死因は、山中で生き埋めにされたことによる窒息死であるところ、甲は、Aは既に死亡していると誤認しており、死体遺棄罪(190条)の故意しかなく、これをもって甲に殺人罪を問議することはできない。もっとも、甲が当該殴打行為を行ってから、Aの死亡とういう結果が発生するまでに甲にAの救命しよう等とする中止行為は認められず、またAの窒息死の間接的原因を作ったのは甲であることに変わりはない。そうであれば、甲の殴打行為にA死亡の結果を帰属させることはできないか。 ア 因果関係とは、行為に結果を帰属しうるかどうかの問題であるところ、実行行為から結果発生に至る因果経過において、介在事情の存在が及ぼした影響を考量することを要する。そこで、因果関係の成否とは、①介在事情の異常性及び寄与度を考慮した上で、②危険の現実化の有無を判断することにより、決するものと解する。これを本件について検討する。 イ まず介在事情として、③乙がAの生存に気づいていたにもかかわらず、あえて甲に告げなかった点及び④Aを死亡しているものと誤信して生き埋めにした行為が存在する点が挙げられる。たしかに乙が日頃からAのことを快く思っていなかったからといって、殺害したことは到底容認できることではないが、Aを生き埋めにしてやろうと思い立ったことは、さして不自然ともいえない。それに加えて、乙は、甲の錯誤による死体遺棄行為の手伝いの依頼を承諾している点から見ても、犯罪行為に加担し、また加功することに一般人と比較して躊躇がないものといえる。また、Aを生き埋めに山中へ向かう自動車には、甲も運転者として同乗しており、Aの生存を知る機会は乙が告げなかったといえ、それを偶然にも知らなかっただけにすぎないといえる。そうであれば、③の事情は異常なものとも結果発生への寄与度が大きいものともいえない。④について、自らが殺害行為に及んだあとに、犯罪の発覚を遅らせ、又は隠滅する目的で死体を地中に埋め立てるなどの行為は、想定し得るものといえる。そして、その際に被害者の生死を厳密に確認して、当該隠滅行為等を行うこと若しくは生存していた場合に救命措置を講ずることは必ずしも期待できない。以上合わせると④についても、異常なものとも寄与度が大きいものともいえない。したがって、①介在事情の異常性及び寄与度は大きいものとはいえない。 ウ 前述のとおり、甲の殴打行為からAが死亡するまでの因果経過の中に、介在事情が存ずるものの、これがAの死亡という結果の発生に著しく寄与したとはいえない。したがって、甲の殴打行為に惹起する人の死亡とういう危険性がAの死亡とういう結果として現実化したといえ、因果関係が肯定される。そして、甲の殴打行為は殺人罪の客観的構成要件に該当する。(3) 次に、甲が当初、想定していた因果経過と異なる経緯を辿ったものであるところ、甲に因果関係の錯誤が認められ、主観的構成要件該当性が否定されないか。 ア 主観的構成要件要素とは、客観的構成要件要素の認識認容であると解されるところ、因果関係を少なくとも認容したといえれば、主観的構成要件に該当することとなる。そして、故意の本質が反対動機の形成が可能であったにもかかわらず、あえてその行為に及んだことに対する責任の非難可能性に求められるものから、仮に認容した因果経過と現実の因果経過との齟齬が軽微である場合には、その軽微な齟齬が責任を減じるとするのは相当といえない。そこで、因果経過が法定的に符合すれば、現実の因果経過を少なくとも認容したといえ、主観的構成要件に該当するものと解する。 イ これを本件について検討する。まず、殺人罪の実行行為とは、人の自然な死期より以前に人の生命を断絶しうる行為であるところ、人の頭部をクリスタルガラス製の花瓶のような硬器で殴打する行為も人を地中に埋め立てる行為も共に、人の生命を断絶しうるものといえる。そうであれば、上記の様な危険性がある行為によって発生した同一の構成要件的結果に至る因果経過は、仮に異なる身体的部位への異なる物理的、化学的、生物学的作用に基づくものであったとしても、法定的評価が変わるところではない。したがって、両行為は、法定的に符合するものといえ、殺人罪の主観的構成要件に該当する。(4)したがって、甲のクリスタルガラス製の花瓶でAの後頭部を殴打した行為は、殺人罪の構成要件に該当する。2 よって、甲に違法性乃至責任を阻却すべ事由は存在せず、殺人罪が成立する。3 甲がAを生き埋めにした行為につき、過失致死罪(210条)が成立し、乙との間で共同正犯となる。4 甲は、①殺人罪、②過失致死罪の共同正犯の罪責を負い、②の罪は、①に吸収される。第2 乙の罪責 1 乙がAを生き埋めにして、窒息死させた行為につき、殺人罪が成立しないか。 2 乙は、以前より快く思っていなかったAをこの機に乗じて、殺害しようと考えている。さらに、人を生埋にする行為は、人の呼吸を不可能にし、窒息死させうる行為であり、殺人罪の実行行為にあたる。実際に、Aは、窒息死しているから、行為に惹起する危険が現実化したものといえ、因果関係も肯定される。したがって、乙の行為に殺人罪が成立する。 3 乙は、殺人罪の罪責を負う。 以上
2022.11.13
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警察官は、集団による連続強盗事件の犯行グループの一員で ある疑いの濃厚な甲の容ぼうと、甲宅に常時出入りする者の容 ぼうを写真撮影してこれを被害者等に示し、犯人の特定を行お うと考えた。そこで、警察官は、甲宅向かいのビルの一室を借 り受け、望遠レンズを装着したカメラを設置するとともに、そ こから甲宅出入口付近の監視を継続し、自宅から路上に出てき た甲の容ぼうを撮影した。また、甲宅から出てきて路上を歩行 しているこの容ぼうも撮影した。これらの写真撮影は適法か。答案第1 甲に対する写真撮影の処分は適法であるかという問いについて1 結論 甲に対する写真撮影処分は適法である。理由は下記で論ずる。2 写真撮影という処分の性質について(1) この点、検証とは、場所、物又は人について、強制的に形状、性質、存在の有無などを五感の作用を用いて明らかにすることにより、証拠を採取するものである。(2) これを写真撮影についてみると、写真撮影は被写体のある時点の様態を写し取ることで、形状、性質、存在の有無を視覚的作用によって明らかにすることに証拠を採取するものである。したがって、写真撮影は検証にあたる。3 そうであれば、検証令状(218条1項)を得ずに、行われた当該写真撮影は、違法となり得るところ、当該写真撮影の強制処分(197条1項但し書き)の該当性が問題となる。(1) 強制処分とは、有形力の行使の有無を問わず、憲法上重要な権利に強度の制約を与える処分である。(2)これを本件写真撮影に検討する。 ア この点について、確かに、本件写真撮影は、被疑者甲の容ぼうを無断で、撮影した上で、第三者に提示するものであるから、甲のプライバシー権を制約しうるものであることは否定できない。 イ しかしながら、自宅から出てきて、公道を歩く様子を撮影したに過ぎず、公道を歩く様子とは、第三者に視認されることはある程度想定されるから、プライバシー権保護の要請の度合いも弱まり、強度の制約と評価できない。したがって、本件写真撮影は、強制処分に該当せず、検証令状なしに行われたからといって、違法とすることはできない。3 もっとも、強制処分に該当しないからと言う理由だけで、人権を制約しうるあらゆる行為を無制限に許していては、捜査機関による人権侵害が常態化を招いてしまう。そうであれば、本件写真撮影は「必要な取調」(197条1項)にあたるのか、任意捜査(197条1項)の限界が問題となる。(1)197条1項の趣旨とは、捜査機関に対して、必要かつ相当な処分を許容することをもって、真実の発見(1条)の実現に寄与する点に求められる。もっとも、先述のように、本条は、真実の発見に必要だからといって、令状主義(憲法37条)や強制処分法定主義(197条1項但し書き)を潜脱するような脱法的捜査処分を許容することを認めるものではない。そうであれば、自ずと捜査における処分には必要性に加えて、相当性が求められるものというべきである。そこで、任意処分としての許容性は、①事件重大性及び②処分様態、及び③被制約権利と公益による要請を比較衡量等を行うことによって検討すべきと解する。(2)これを本件について検討する。 ア 強盗罪の保護法益は、財産に加えて、身体生命であるところ、個人の尊厳を保障する上で、不可欠な法益である。さらに、本件事案は、集団による連続犯であり、今後も発生の蓋然性が高いことから、①事件の社会的影響は極めて重大であるといえる。 イ 次に、プライバシー権は、幸福追求権(憲法13条)に由来する人格的生存に必要不可欠な権利であるところ、本件写真撮影は、②重要な権利への制約と評価できる。 ウ さて、先述のように、重要な権利への制約は認められるものの、強度の制約とまでは言えない。それに対して、強盗事件の被害者は財産及び身体生命に対する甚大な侵害を受けることになるから、これを国家が救済し、犯罪を抑止することは、公益を実現することに他ならない。そうであれば、被制約権利を保護する利益よりも公益を優先する利益が大きいものといえる。したがって、本件写真撮影は任意処分として、許容される。4 よって、結論は妥当である。第2 問題後段の乙に対する写真撮影が適法であるかという問いについて。1 問いに対する結論として、乙に対する写真撮影は適法である。理由は下記で論ずる。2 本件写真撮影についても、同様の規範が妥当し、乙が甲宅へ出入りし、かつ連続強盗事件への関与が疑われ、さらに撮影様態が公道を歩く様子を撮影したものである以上、任意処分として許容される。3 よって、結論は妥当である。 以上
2022.11.13
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