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わたしは、正しい方向に向かっている。すべてのことが完璧な状態で動いている。夢中になるというのは、それだけ強い関係があるということ。自分が欲しいものを得るために、自分が欲しい現実を創るために、誰もが充分なパワーを持っている。今生きている人生を生きることによって、充分に生きることによって情報が得られる。充分にこの人生を生きることによって、すべてのコネクションが開かれる。現在を充分に生きることによってだけしか、情報を得ることができない。今に生きれば、知りたいことのすべては人生の中で得られる。自分の人生の中で、自分がワクワクするようなことが使命。基本的に人生の目的というのは、本当の自分自身に帰るということ。本当の自分に帰るということは、統一性を持ってその中で、ワクワクするようなものをやっていくということ。自分の本当にワクワクすることをやっているときには、努力しない。人とぶつかることがない。自分が本当にワクワクすることをやっていると、宇宙の豊かさが無限にやってくる。宇宙は意味のないものを創造しない。何かこうしたいと望むことがイメージとして湧くということは、それはすでに実現化できるということ。わたしがやらなければならないことは、スイッチをオンにして、自分がワクワクするような人生を生きること。それによってまわりの人達がどんどんひき付けられてくる。肯定的なアイディアというものにはどれも、必ずそれに付随して、努力を必要としない豊かさ、無限の豊かさをもたらす道がある。信頼して本当にワクワクすることをやっていれば、宇宙がそれをサポートしてくれる。わたしがやるべきことは、チャンスが来たときにそれを信頼して、行動に起こすこと。
2015.02.28
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夢と、今この現実の間は、ひとつのことを除けば何ら違いはない。そのひとつとは、この現実に強く惹かれていて、ここでの体験を確かなものにしようと決めていること。何かに対して気持ちがワクワクすると感じたら、それは自分が望んでいるものにつながっている。それに従えば、欲しいものを手に入れることができる。地獄も天国も心の状態に過ぎない。われわれ人間の姿は喜び。それを信じる。わたしがしなくてはいけないことは、自分を責めるのをやめて罪悪感を抱かないようようにすること。自分のやりたいことと自分が実際にやっていることのズレなど、いろいろなズレを修正すること。そして、リラックスして、もっと新しい体験に向かって自分を開いてあげること。すべて起こることは完全なタイミングで起こる。わたしは、自分が想像できる限りの幸せに値する人間である、ということを認める。そういうふうな生き方をすると決めると、それ以降は自分のエネルギーを肯定的に、統合のとれた形で使っていくことができるようになる。人間関係の目的というのは、その関係の中に自分を見ることで自分について学ばなければならないことを学ぶということ。また同時に、相手の人にもその人が学べるように奉仕するということ。すべての感情というのは、もうすでにこれが真実であると信じている先入観、固定観念に対する反応。感情が出てきたらそれは、自分が何を信じているか、どんな先入観念を持っているかを教えてくれる。最大のショックというのは、お伽噺話だと今まで信じていたことが、実は真実であると気がつくこと。人生はそれだけ単純。本当に単純なこと。これしかやり方がない、これしか方法がないという観念を取り除けば、もっとやりたいことをスピードアップすることができる。すべての状況は中立で、状況それ自体が肯定的、または否定的であるということは決してない。否定的な意味を与えてあげると、否定的な結果が出る。肯定的な意味を与えてあげると、肯定的な結果が出る。誰でも毎瞬毎瞬間変わっている。一分前の自分とはもう違う。知る必要があることは、知る必要があるときにちゃんと知ることができる。
2015.02.25
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手に入れたら、すぐに、次を願ってる自分に、気付いてほしい。「願いたい」こそが、願いなんだって。不足こそ、喜びなんだって。そのトキ、全ての全てに感謝できるから。悪い癖を簡単に直せないと思っている、そう信じているというところが、悪い癖。もし本当に思うだけで変えられると信じるならば、変わるはず。自分が創られたときに、すでに自分は100%の自分だった。そして今でも100%の自分。ひとりひとりの中には、強大なパワーがある。それを得ることではなく、どうやって引き出すかを勉強している。自分を信用すれば、信じられないくらいの早さで、スムーズに物事が流れていく。信用するか信用しないかは、自分の選択。誰もわたしになることはできない。わたしはわたしのやり方で、他の人がやったことのない方法でやればいい。わたしが本を書いて幸福になりたいなら、そうなったらいい。他の人が同じことをして不幸になって、それでわたしが不幸にならなければいけない理屈はない。どんな作家になるかは自分が決める。悩んだ時点で、もうどっちでもいいということ。解決策はただひとつ。悩んだら、とにかく悩むことをすぐにやめること。悩んだ瞬間に、悩むことを止めること。悩みから抜け出せなくなる前に。悩むこと自体を止める。悩むなんて時間のムダ。悩んでいるときに最初にやるべきことは、悩むことを止めることだ。後悔している人間はすべて、「違う選択肢の方がよりよかったはずだ」と勝手に思い込んでいる。単なる勘違い。過去の経験を基にした、勝手な予測。後悔は幻。選択したこと以外のことは経験できないのに、どうして目の前の選択の方が悪いと判断できる?「いい」とか「悪い」だとかを判断するためには、何かと比べる必要がある。でも、人は、同時に二つのことを経験できない。だから、目の前の現実を、判断する力は人間にはない。現実はただの鏡だから、その鏡を見て、こっちの方が悪いと言うと、そこには、ずーっと悪いが映り続ける。それが嫌なら、答えはひとつ。選択したその現実を見て、常にいいと言うこと。どっちみち、選択したその現実がいいとか悪いかなんて判断できないのだから、それをいいと言うことでよりよい未来を引き寄せなさい。現実に力を与えているのは、いつでも観測者である自分。起きた出来事を見て、「悪い」と判断してしまったら、その時点でそれは「悪い」でしかなくなってしまう。自分が、現実に、意味を与えているので、そこで話が終わってしまう。自分が計算できていないだけで、ひょっとすると、その目の前の出来事は、「いいこと」の布石なのかもしれない。
2015.02.24
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幸福になるためには、幸福になる道を自分で選ぶ、選択するだけ。すべてのタイミングは完璧である。行きたいときにちょうどタイミングよく、どちらにしても行く。今自分にとって一番役に立つことをやる。本当にそこにいる必要があるときには、必ずそこにいる。信頼することが大事。自分の中に単純で簡単な人生を送る力があるということを認める。すべては、本当は簡単なんだ、単純なんだ。人間ひとりひとりが、簡単で単純な人生を送ることができる。すべてのことはタイミングよく起こっているということを信じる。自分の外で起こっている変化は、本当は自分の意識の中で起こっている変化。なぜなら、自分自身が自分の現実を創っているから。自分自身の変化を信じて変化に逆らわず、その変化の流れに乗って自分の今一番やりたいことをすること。
2015.02.23
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人生の目的は、「自分自身を、充分に生きる」ということ。100%自分になること。つまり、統一性をもって自分が一番興奮することをやること。答とは常に興奮する気持ち。興奮する気持ちというのは、自分の道、自分がそれをやれば努力なしで出来る、それをやれば非常に豊かに出来るということ。自分でワクワクするという気持ちを受け取ることの出来たときは、もうそれが出来るということ。気持ちだけあげて実際は出来ないということは、宇宙はやらない。大事なキーは、ワクワクしたときに、それを行動に移そうという意志。宇宙の機構に信頼を持つ。それを受け入れれば必ず起きる。否定的なことを信じていれば、否定的な結果を得る。肯定的なことを信じていれば、肯定的な結果を得る。否定的なものというのは流れに逆らっているし、肯定的なものは流れに沿っている。自分がこうだと信じているもの、そういった観念が自分のまわりの世界を実際に創り上げている。何が起きるかということを感じよう。自分が感じれば、そしてそれを信じればそれが起きる。ワクワクとすることをやるときに、無限に信頼を置こう。信じよう。そして宇宙がそれに対して、自分をサポートしてくれることを信じよう。すべての事は、完璧なタイミングで起きている。心配することによって、チャンスが自分のところに入って来ることを長引かせている。不思議なことにリラックスして心配しなくなると、より早くチャンスがやって来るし、チャンスが来たときに見過ごさない。はっきりとわかる。なぜならばリラックスしたとき、自分の中心はちゃんと中心に合って、そして意識も非常に冴えているから。毎瞬毎瞬、自分がワクワクするようなことをやるということが第一。ワクワクすることを、まず自分の身近で今自分に与えられていて、やれることをやることによって、そこからさらに自分で考えもしなかったような、他のものとつながっていく。人生というものは毎瞬毎瞬。これからどうなるんだろうということが、すべて今、現時点で見える必要はない。自分自身が意味を与えたものが、自分に対しての意味になる。肯定的な意味を与えれば、肯定的な結果が出る。否定的な意味を与えれば、否定的な結果が出る。すべての出来事は、すべての他の出来事につながっている。だから自分に起きる出来事というのは無限大にある。自分の波動、バイブレーションが、その内のどの出来事をやって来させるかを決める。自分の行きたい方向に行けば、必ずサポートされる。今現在頭の中で、あるいは昔からこういうふうにサポートされなくてはいけないというような、自分の思ったやり方でサポートされているとは限らない。人生というのは、自分がそうさせてあげれば、そういう奇妙な偶然のかたまり。人生というのはすべて自分が一番やるべきことをやっているとき、必要な場所に、必要な時間にタイミングよく配置されている。夢というものが現実であって、今の現実というものが夢。その二つが分かれているのではなくてひとつだということがわかった時、夢の中でできることがこの現実の中でもできるということを悟る。自分自身が一番楽しいことをしているとき、それに必要なものはまわりから自然に寄ってきて、そして自分をサポートするように働く。もし「わたしは人生を、苦しく苦しく、努力して努力して生きていくだ」と信じていたら、宇宙はそれを与えてくれる。「そうかそうか、じゃあ頑張るこういう材料を与えてあげよう」と。もし「わたしは非常に楽に、自然になんでも手に入れていいんだ」「自分は喜びを感じていいんだ」と思って生きるのなら、宇宙はそういうものを与えてくれる。
2015.02.22
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自分が体験する物理的な現象というのは、自分が何を信じるかによって決まる。というのは、物理的な現実というのは幻想だから。幻想というのは、自分がその中にいるうちは現実。理由がなくても幸せになっていい。原因と結果は別の物、結果が出る前には原因がなければいけないと教えられてきたがそうではない。原因と結果は本当はひとつの出来事。ある種の結果、自分の人生、もしくはある種の結果の波動を最初に創り出したら、宇宙はその後で原因を創らなければならない。なるほど。最初に幸せに、いい気分という結果を作っておけば、原因は宇宙が作ってくれるというわけだ。
2015.02.21
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もう学びや気づきはいいから、とにかく人生を楽しみたい!
2015.02.19
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莫大な数の「縁」が集まり、宇宙に何かを「起こして」いる。それが、「縁起」。単独で何かを起こすことは(物理的に)出来ないから、思考は、宇宙の全ての存在の、願いである。『ありがとう』と先に言えないのはどうしてか。それは、叶わないと信じているから。今度の旅では、お金を使って、お金がある素晴らしさを実感する。
2015.02.18
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人生は旅と同じ。他力によって、どう変化、どう展開していくのかが楽しい。今年は、自分史上最高の旅、最高の年にすると決めたんだから、もう楽しみで仕方ない。ワクワクして仕方ない。ネガティブなことを考えることが、悪いのではない。ネガティブなことを考えたことを、悪いことだと考えることが悪い。結局、最後の感情だけが大事。落ち込んだっていい。泣いたっていい。絶望したっていい。悲しみはいいことでも悪いことでもない。怒ってもいい。後悔したってもいい。嘆いてもいい。どんな感情が起こってもいい。幸せになるために感謝するのではない。感謝している間、幸せ。感謝しているときこそ、人間は幸せ。苦しくなったら、不安になったら、悩んでしまったら、すぐに、その場で感謝の念を体内に湧かせる。何度も何度も、「ありがとう」と唱えつつげなさい。感謝とは「起こる出来事の全てを認める行為」「現実」はその人の思い通りなのだから、目の前の全ての夢が叶いつづけている。感謝したくてたまらなくなるのが当然。「わたし」という現象も、起こっているっぽい。私が意志を持って何かをしているんじゃなくて、私に、意志を持たせる無数の縁が、わたしを起こしている。
2015.02.17
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なれるからこそ、夢が自分の現実に映っている。宇宙が自分にその夢を抱かせた。自分が抱いた夢というのは、宇宙が自分に見せているということ。「抱かされた」ということは、「わたしにそうなって欲しい」と宇宙が思っているということ。自分の力で「これを選択した」と思い込んでいるといつまでも夢のハードルは下がらない。宇宙の流れが、自分にその夢を選択させた。ありとあらゆる手を使って、そうなりたいと自分に言わせた。「もっと人生を楽しみたい!」宇宙がありとあらゆる手段を使ってその願望をわたしに抱かせた。それは、わたしでなはく宇宙の意志。自分がなりたいと思っているのではなく、宇宙がなって欲しいと思っている。願望は、願望が叶うことの兆候でしかない。ダメなことがあるわけではない。「ダメだ」と決めたことがあるだけ。人の解釈の数だけ「体験」がある。その人にしか起こらない特有の現象なんだから。だから、人生は面白いんじゃないんだろうか。素晴らしいんじゃないんだろうか。どう感じるかは、自分にしかわからない。だから面白いんじゃないんだろうか。だから体験した方がいいんじゃなかろうか。わたしは、夢に向かって歩き出した。というより、宇宙がわたしを夢の方向に引っ張っている。というより、夢が勝手にわたしの方へ近づいてきた。わたしはちゃんをコントロールできない。そしてちゃんもわたしをコントロールできない。わたしは、人にコントロールできない、明るい自分でいよう。そして、コントロールできないちゃんをそのまま受け入れよう。ほかの人はちゃんのそんな性癖をおもしろいと思ってくれるのだから、わたしも自分と違うちゃんの愉快な面を探そう。ちゃんをコントロールできないことに落胆するのではなく、それを楽しむ。
2015.02.16
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他力の境地とは、全てはただ起こっているだけだと気付く境地。起こるままに起こす、他力の境地。全てはただ起こっていることだと悟りを開くこと。簡単に幸せになることを許可する。見えざる偉大な流れに乗って乗って乗りまくることを許可する。ある意味それらが挑戦。
2015.02.13
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本来、人間は状況。人間は、環境。人間は、そのトキ。人間は、断面。人間は、その全て。だから、人間は、状況そのもの。人間の、本来の視点は、「状況そのもの」だったのだが、自我を通して経験しているわけ。悟るためにはどうすればいいのか?状況そのものになってしまうこと。それは、起きてくるものを、起きてくるままに見ている感じ。なにかに、「違う!」と言うのではなく、なにかそのものになっちゃうんです。
2015.02.12
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出来事はすべて「自力」で起こらず、ただの縁起が展開しているだけ。「わたしが自分の力でどうにかできる」と思うから苦しくなる。「わたしではどうにもできない」と気づきなさい。「どうにもしないでいい」と安心できるはず。宇宙の流れのままに、身をまかせなさい。ビック・バンからの流れが今日もわたしを動かしている。「自力」でどうにかしようという幻想を捨て、「本当のわたし」が望んだ通りにすべてはただ起こっていると気づけたなら、その瞬間に、世界の風景は変わる。「自分が自分の意志で動いている」と思わずに、「みんなが自分を動かしている」という視線で、日々の出来事を見つめてみる。「自力」でできるなんて、この世には一つもない。すべては自分が成しているようで、自分が起こしていない。起こっている現象を、勝手に、自分が「起こしている」と勘違いしているだけなのだ。実は、「自力」なんてこの世にはない。すべて「他力(起こっている現象)」なのだ。起こっている現象を、勝手に、「起こしているぞ」と勘違いするところに、自力が起こっているように見えるだけである。実は、人間は、自力では何一つ起こしていない。自力とは、解釈するトキにあらわれるマボロシである。全ては起こっている。起こっているモノを、起こしていると勘違いした部分を自力と呼ぶ。自力なんてそもそも無いのだ。全ては、他力。人間は、何一つ自分で起こしていない。他力に気付くことで、自力(マボロシ)は消える。徹底的に、自力なんて無かったのだと、自力というマボロシを疑いまくるのだ。起こしているんじゃない、起こさせられているのだと。他力の境地とは、全てはただ起こっているだけだと気付く境地。ココに、悩みなんて無い。悩みとは、自力で解決しなければというマボロシの中にしか存在しない。全てが他力なのだから、解決するべき悩みなんかココには存在できない。『解決』という概念が無い。ナニカを、自力で、ドウニカしてやろう、これが解決。しかし、そもそも自力なんて無いのだから、全てはもう解決しているし、新たな悩みが発生することが原理的に無い。起こることが起こるだけで、それをドウニカしようというマボロシは無いのだから。起こるままに起こす、他力の境地。その行動は、自分が起こしてない。無数の縁が自分の前に集まって来て、そうさせている。その現象を見つめた後に、自分がそうした」と勘違いしてるだけ。他力とは、「わたし」は何も行為せず、全てを見つめ、流れるに任せる状態。」起こるままに起こす、他力の境地。自力とは、解釈側のマボロシって感じ。全ては他力で起こっているのに、なぜだか、コレとコレは、自力で起こしたと思っちゃうマボロシ。他力になることは絶対に出来ない。なろうというのは、自力だから。ただ、自力を消滅させることで、他力に気付くことが出来る。
2015.02.11
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「ワクワクすることをやる」ことは、べつに「良い」とか「悪い」とかじゃなくて、ただ、自分本来の場所(役目)に戻ってるというだけ。見えざる大いなる偉大な力を信頼する。
2015.02.10
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願うためには不足が必要。だけど、不足は単なるきっかけ。すぐに目を離して望む姿に焦点を合わせる。自分が信じていること以外のすべての部分を信頼する。
2015.02.09
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愛されていないと思っていたから愛を求める癖がついたとするならば、それは誤解だった、勘違いだった、単なる思い込みだった、自分はものすごく愛されていたということがわかったわけでしょ。だったら、充分に愛されていたわけだから愛を求めるもう必要がないわけだ。これからはそれを意識して。基本これからは、人に求めない、愛を求めない。で、たまに求めるというスタンスで。
2015.02.08
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父親が死んだあとの不安感がとてつもない。果たしておれは一人で生きていけるんだろうかって。ウツの状態で取り残された不安感というか恐怖感というか。いかに父親から守られているか、父親に依存しているか。結局、この不安感をなくさないことには人生を楽しむどころの話じゃないような気がする。どうしたらこの不安感がなくなるのだろうか…。その不安感と向き合っていく?「わたしはもう怖がらなくていい」「わたしはどうせなんとかなる」と呟いていくとか。父親が守ってくれたというより、守護霊とか神様が守ってくれたとか。怖がらないようになること、なんとかなると思えるようになることが当面のテーマ。どうして頑張ってしまうかというと怖いから。その怖さはどこからきているかというと、頑張らないと人生うまくいかない、生きていけない、食べていけないという怖さ。でもそうじゃないんだと。頑張らなくたってうまくいくんだ、うまくいっていいんだ、そういう心境になることが大事。怖がらないようになることが大事。その怖さを乗り越えるが大事。もっと見えざる偉大な力を信用する。人間の力でどうこうできることなんてない。人に愛情や何かをもとめているんじゃないかという気がしたら、内観してみる。で、そうだったらやめる。まずは自分が自分を満たしてから。そういう癖をつける。波動を高くしてから、人と接する。そういう癖をつける。無意識にできるまで。両親から充分に愛をもらったからもういいんじゃないか。愛されていなかったというのは700%勘違い。ものすごく愛されていた。だとしたら愛されていないと愛を求める必要がなくなるじゃないか。そんだけたくさん愛されていて愛されていないと思っているのは失礼じゃないか。人に何かを求めているというのは、自分が満たされていない状態。やるべきことは、人に愛されようとするんじゃなく、求めるんじゃなく、自分で自分を満たすこと。もう人に求めない、愛を求めない。ただそのときを楽しむだけ。「ワクワク感」は、本来の場所に誘導するエネルギー、
2015.02.06
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長い間、強く愛されていないと思い込んでいたせいか、無意識に愛を求める、確認する行動、つまり必要以上の行動をとって自滅してしまうパターン。自分を受け入れてくれる、好意を持ってくれたり、優しくされると、フラフラとその人のところに行ってしまう、用もないのに。さて、どうしたらいいんでしょうかねぇ。多分、父親が死んだときに、どんだけすごく愛されていたか実感するんだと思う。じゃあ今感じればいいじゃん。無意識に愛を求める行動は癖なんじゃないかと。いかに父親から愛されていたかをじっくり味わってみる。そうやって意識を変えていく。これまでいかに自分が愛されていたかを感じる。自分で言うのはなんだが、愛される人間。まず自分が自分のことを愛する。自分で自分のことを満たす癖をつける。人からの愛情表現をちょっとでもう満足する癖をつける(求めない)。ちゃんからの返信がすぐに来ないと不安になる。愛されていないんだなあと。結局それは子供の頃に父親から愛されていなかったことを思い出してとっても不安になることにつながる。だからちゃんの反応に一喜一憂しなくなるようになることが一つの鍵。旅中に、生まれかわった、と言いたい。「人生を楽しみたいんだ!!!!!」と心底思いたい。
2015.02.05
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自分の思考が自分の現実を創造していることを楽しいと感じるレベルまでいきたい。お金やセックスを好きになるのはいいが、溺れるのがダメ。相手の何かを必要とすると、たちまち関係は破壊される。
2015.02.04
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自分のするべきことは、思考をコントロールすること。つまり、いかにいい気分でいるかということ。あらゆる考え方を使って。ポジティブな意味付けをして、ポジティブな影響をガンガン受け取る。いい気分というのはいろいろあって。明るく前向きで、ウキウキ、ワクワクして、意欲的で、情熱的で、穏やかで平和な感じだったり、力強くパワフルな感じだったり、自分にとって真実だという確かな感じだったり、充実して満たされているという感じだったり。今やっていること、起こっていることが、よりよい幸せにつながっていく。ということを100%信頼する。←ポジティブこうしてゆっくり内観できる環境があって、ツイているというか、奇跡でしょう!まずはそこをじっくり感じて感謝しないと。で、思うように旅もできて、旅行記も書けて。願望叶ってるやん。だからこれからも願望は叶っていく。
2015.02.03
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ある意味、自分しかいない、自分の人生しかない。結局は自分次第。どんなに親しい人でも、愛する人でも例外なく波動を高くして接する。思考をコントロールすることが何よりも重要。具体的に言えば、常に「いい気分」でいるということ。現状を徹底的にプラスに捉える。今度の旅は、「何をするか」ではなく、「どうあるか」、つまり「常にいい気分でいる」ことに焦点を合わせる。行動は、単なる結果や手段にしか過ぎない。行動する前にまずすべきことは、思考を整えるということ。つまりいい気分でいるということ。たとえば、明るい前向きな考え方だったり、情熱的で意欲的だったり、ワクワク、ウキウキした気分だったり、現状をとことんプラスに捉えたり。そんなこと。人がどうとか、寒いからとか、雪降っているからとか、お金ないとか、眠いとか、疲れているとか、そんなことに関係なく自分がいい気分でいる。だって、それらと自分の幸せはなんの関係もないんだから。自分がいい気分でいるかどうかはひとえに自分次第、自分の責任。父親が死んだとしても、両足なくなったとしても、ガンになったとしても、いい気分でいたいし、いい気分でいることはできる。逆にこれは良い方向に向かう兆しだと思いたい。こうなってかえってよかった。ハッピー、ラッキー、ツイていると思いたい。常に、底抜けにいい気分でいる。人間は、本来喜び以外の体験をする必要がない。わたしたちが何かを創造するのは、思考とそれに対応する感情を通して。行動は、思考を通して生み出したものを楽しむ方法。いい気分でいるときが、最高のハッピーエンドに導いてくれる、偉大な発想がわくとき。
2015.02.02
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これまでの旅は、「こうしよう」「ああしよう」と「行動」に焦点を合わせていた。今回は、「在り方」に焦点を合わせて旅をしよう。明るく、前向きに、ポジティブに、意欲的に、情熱的に、ワクワク、ウキウキしているか。強い願望を持っているということはすなわち、自分はそれらを叶えられると知っているから。健康は、自分の自然な状態。豊かさは、自分の自然な状態。善は、自分の自然な状態。ネガティブな感情を感じること自体が、一時的に偉大な内的パワーから切り離されていることを意味する。すべてがある内なる存在にしてみれば、「欠けている」と感じているなんてふざけた話だよな。だから内なる存在と調和するには、「ある」を感じなければならない。
2015.02.01
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